182 / 3,202
虎と龍 Ⅶ
しおりを挟む
俺は横浜に向かって走っていた。
「御堂ともよく走った道なんだ」
「そうなんですか」
柳は夜景を見ている。
都心では華やかな夜景も、郊外へ向かうと疎らになる。
それでも、柳のいる山梨よりも多いはずだ。
「左を見ておけよ」
「はい?」
前に亜紀ちゃんを連れて来たキリンビールの工場だ。
「キレイ……」
亜紀ちゃんのように身を乗り出すことはないが、その美しさに打たれた。
俺たちはそのまま横浜の港に行く。
赤レンガ倉庫の辺りに車を止め、外へ出た。
「あぁ、海の香りがしますね!」
倉庫街は暖色系の灯が連なり、遠くに横浜ベイブリッジが見える。
俺たちはみなとみらいの側に向かって、少し散歩した。
「どうだよ、少しはロマンティシズムというものが分かったか?」
「はい」
柳は俺と手を繋ぎたがったが、暑い季節で鬱陶しいと振り払った。
倉庫街には、海からの涼しい風が吹いていた。
「御堂はいつもここに来ると言ってたんだ」
「何って言ったんですか?」
「「ああ、船旅がしたいな」ってさ」
「へぇ」
「俺たちはいつも、お揃いの白のスーツを着て行こうって話したんだよ」
「いいですね」
「飛行機ならすぐだけど、船旅は今でも何日もかかる。でも、御堂となら何ヶ月一緒でも楽しいはずだ」
「本当に二人は仲がいいんですね」
「そうだなぁ」
柳が俺に腕を絡めてきた。
俺が振り解こうとする前に言った。
「行けば良かったじゃないですか」
「ああ、そうだよな。でも俺が体調を崩したり、勉強が忙しくなったりしてなぁ」
「残念ですねぇ」
「そうだよな。卒業してからは、もうお互いに忙しくてそれどころじゃない。御堂はさっさと結婚してヘンな子どもが生まれたりな」
「そんな子がいるんですか」
俺たちは笑いながら、腕を組んで歩いた。
「昨日東大を案内してもらいましたが、まだしっくり来ていません」
「そりゃそうだよ。まだお前は東大生じゃないんだからな」
「大学って面白いんですか?」
「楽しむために行くんじゃねぇよ!」
「そんな、石神さんが常識的なことを!」
「お前なぁ」
「ああ、俺も御堂も医学部だったわけだよな」
「はい」
「でも俺は他の学部の講義にも出たし、無理なところは聴講生として通ったんだ」
「勉強が好きなんですね」
「まあ、勉強と言うよりも、興味があったということかな。今皇紀がドイツ語の勉強をしてるのと同じだよ」
「ああ」
「折角東大には一流の教授たちがいるんだから、興味がある分野は聞いてみたいじゃない。だからだよ」
「そういうのもロマンティシズムということなんですか」
「お前、段々分かってきたじゃないか!」
柳は嬉しそうに笑った。
「高橋教授というイギリス文学の人がいてなぁ。講義が面白くて教授の部屋にもよく行くようになったんだ」
「はぁ」
「教授も俺を気に入ってくれて、よく医学部なんて辞めてこっちに来いって言われた」
「さすが石神さんですねぇ」
「それで教授が進めていたW.E.イェーツの下訳なんかも手伝ったりしたのな。本来は弟子たちにやらせるんだけど、俺にも回して下さったんだよ。高橋教授はよく褒めてくれた」
「スゴイじゃないですか!」
「まあ、俺を引っ張りたい意向もあったからな。褒め殺しもあったんじゃないか?」
「それでも」
俺たちはみなとみらいを正面にし、ベンチに腰掛けた。
「当時はイェーツの話ばかりよな。俺が他のバイロンだのワイルドだのの話をしたがっても、いつも教授のイェーツの話ばかりになったんだよ」
「へぇ」
「昔、芸能人で高島忠夫という人がいたんだ。よく司会なんかで「イェー!」とか言ってたのな」
「はぁ、そうなんですか」
「それで俺が「イェーツ高橋」ってあだ名を付けたんだよ。みんな面白がって広まった」
「悪いことしますねぇ」
「そうかな」
俺たちはベンチで笑った。
「それである時な、俺がいつものように高橋教授の部屋に行くと、もの凄く機嫌が悪いんだよ」
「はい」
「そうしたら、「君は僕のことをバカにしてるあだ名をつけたそうだね!」ってさ」
「アハハハ、不味いじゃないですか」
「ああ、不味いよなぁ。純粋な研究者で、ジョークが通じねぇ。しばらく口を利いてもらえなかったよな」
「えぇー!」
「まあ、俺がずっと平謝りして、二週間もすれば許してもらえたけどな」
「良かったですね」
「おう、俺が惚れられた側だしなぁ!」
「アハハハ!」
「卒業後についにイェーツの翻訳を出して、俺にも献本してくださった。署名付きで「手に入れられなかった宝石に」って書いてあったよ」
「ステキですねぇ」
「ロマンティシズムだろ?」
「はい!」
帰ったら見せてやると約束した。
俺たちはベンチに寄り添い、しばらく話し込んだ。
「御堂ともよく走った道なんだ」
「そうなんですか」
柳は夜景を見ている。
都心では華やかな夜景も、郊外へ向かうと疎らになる。
それでも、柳のいる山梨よりも多いはずだ。
「左を見ておけよ」
「はい?」
前に亜紀ちゃんを連れて来たキリンビールの工場だ。
「キレイ……」
亜紀ちゃんのように身を乗り出すことはないが、その美しさに打たれた。
俺たちはそのまま横浜の港に行く。
赤レンガ倉庫の辺りに車を止め、外へ出た。
「あぁ、海の香りがしますね!」
倉庫街は暖色系の灯が連なり、遠くに横浜ベイブリッジが見える。
俺たちはみなとみらいの側に向かって、少し散歩した。
「どうだよ、少しはロマンティシズムというものが分かったか?」
「はい」
柳は俺と手を繋ぎたがったが、暑い季節で鬱陶しいと振り払った。
倉庫街には、海からの涼しい風が吹いていた。
「御堂はいつもここに来ると言ってたんだ」
「何って言ったんですか?」
「「ああ、船旅がしたいな」ってさ」
「へぇ」
「俺たちはいつも、お揃いの白のスーツを着て行こうって話したんだよ」
「いいですね」
「飛行機ならすぐだけど、船旅は今でも何日もかかる。でも、御堂となら何ヶ月一緒でも楽しいはずだ」
「本当に二人は仲がいいんですね」
「そうだなぁ」
柳が俺に腕を絡めてきた。
俺が振り解こうとする前に言った。
「行けば良かったじゃないですか」
「ああ、そうだよな。でも俺が体調を崩したり、勉強が忙しくなったりしてなぁ」
「残念ですねぇ」
「そうだよな。卒業してからは、もうお互いに忙しくてそれどころじゃない。御堂はさっさと結婚してヘンな子どもが生まれたりな」
「そんな子がいるんですか」
俺たちは笑いながら、腕を組んで歩いた。
「昨日東大を案内してもらいましたが、まだしっくり来ていません」
「そりゃそうだよ。まだお前は東大生じゃないんだからな」
「大学って面白いんですか?」
「楽しむために行くんじゃねぇよ!」
「そんな、石神さんが常識的なことを!」
「お前なぁ」
「ああ、俺も御堂も医学部だったわけだよな」
「はい」
「でも俺は他の学部の講義にも出たし、無理なところは聴講生として通ったんだ」
「勉強が好きなんですね」
「まあ、勉強と言うよりも、興味があったということかな。今皇紀がドイツ語の勉強をしてるのと同じだよ」
「ああ」
「折角東大には一流の教授たちがいるんだから、興味がある分野は聞いてみたいじゃない。だからだよ」
「そういうのもロマンティシズムということなんですか」
「お前、段々分かってきたじゃないか!」
柳は嬉しそうに笑った。
「高橋教授というイギリス文学の人がいてなぁ。講義が面白くて教授の部屋にもよく行くようになったんだ」
「はぁ」
「教授も俺を気に入ってくれて、よく医学部なんて辞めてこっちに来いって言われた」
「さすが石神さんですねぇ」
「それで教授が進めていたW.E.イェーツの下訳なんかも手伝ったりしたのな。本来は弟子たちにやらせるんだけど、俺にも回して下さったんだよ。高橋教授はよく褒めてくれた」
「スゴイじゃないですか!」
「まあ、俺を引っ張りたい意向もあったからな。褒め殺しもあったんじゃないか?」
「それでも」
俺たちはみなとみらいを正面にし、ベンチに腰掛けた。
「当時はイェーツの話ばかりよな。俺が他のバイロンだのワイルドだのの話をしたがっても、いつも教授のイェーツの話ばかりになったんだよ」
「へぇ」
「昔、芸能人で高島忠夫という人がいたんだ。よく司会なんかで「イェー!」とか言ってたのな」
「はぁ、そうなんですか」
「それで俺が「イェーツ高橋」ってあだ名を付けたんだよ。みんな面白がって広まった」
「悪いことしますねぇ」
「そうかな」
俺たちはベンチで笑った。
「それである時な、俺がいつものように高橋教授の部屋に行くと、もの凄く機嫌が悪いんだよ」
「はい」
「そうしたら、「君は僕のことをバカにしてるあだ名をつけたそうだね!」ってさ」
「アハハハ、不味いじゃないですか」
「ああ、不味いよなぁ。純粋な研究者で、ジョークが通じねぇ。しばらく口を利いてもらえなかったよな」
「えぇー!」
「まあ、俺がずっと平謝りして、二週間もすれば許してもらえたけどな」
「良かったですね」
「おう、俺が惚れられた側だしなぁ!」
「アハハハ!」
「卒業後についにイェーツの翻訳を出して、俺にも献本してくださった。署名付きで「手に入れられなかった宝石に」って書いてあったよ」
「ステキですねぇ」
「ロマンティシズムだろ?」
「はい!」
帰ったら見せてやると約束した。
俺たちはベンチに寄り添い、しばらく話し込んだ。
3
あなたにおすすめの小説
烏の王と宵の花嫁
水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。
唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。
その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。
ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。
死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。
※初出2024年7月
芙蓉は後宮で花開く
速見 沙弥
キャラ文芸
下級貴族の親をもつ5人姉弟の長女 蓮花《リェンファ》。
借金返済で苦しむ家計を助けるために後宮へと働きに出る。忙しくも穏やかな暮らしの中、出会ったのは翡翠の色の目をした青年。さらに思いもよらぬ思惑に巻き込まれてゆくーーー
カクヨムでも連載しております。
【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。
文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。
父王に一番愛される姫。
ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。
優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。
しかし、彼は居なくなった。
聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。
そして、二年後。
レティシアナは、大国の王の妻となっていた。
※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。
小説家になろうにも投稿しています。
エールありがとうございます!
後宮なりきり夫婦録
石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」
「はあ……?」
雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。
あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。
空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。
かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。
影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。
サイトより転載になります。
【完結】狡い人
ジュレヌク
恋愛
双子のライラは、言う。
レイラは、狡い。
レイラの功績を盗み、賞を受賞し、母の愛も全て自分のものにしたくせに、事あるごとに、レイラを責める。
双子のライラに狡いと責められ、レイラは、黙る。
口に出して言いたいことは山ほどあるのに、おし黙る。
そこには、人それぞれの『狡さ』があった。
そんな二人の関係が、ある一つの出来事で大きく変わっていく。
恋を知り、大きく羽ばたくレイラと、地に落ちていくライラ。
2人の違いは、一体なんだったのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる