富豪外科医は、モテモテだが結婚しない?

青夜

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長髪痩せ眼鏡

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 私の通う高校には、ヘンな先生が一人いる。
 山邑等、40歳の数学教師。
 通称「山芋」。

 一年生の頃から、一組から三組までの数学を担当して下さっている。
 優秀なクラス担当なのだから、優秀な先生なのだ。
 
 しかし、評判はちょっと悪い。
 時々、ほとんどの生徒が、授業を無視して自分の勉強をしている。
 それを山邑先生は咎めたことがない。

 評判の悪さは、見た目のダサさと、ボソボソと聞こえにくい話し方。
 それでも、教え方が上手いので、みんなが必死に授業を聞いて行く。
 でも、しょっちゅう教科書には関係のない数学問題で、みんなを驚かせる。

 「リーマン予想」の、自分なりの考え方。
 アポロ13号の軌道計算の突っ込み。
 ラマヌジャンの未解決数式。
 ヒルベルトの提示した23の問題。
 
 山邑先生は徐に授業の最初に「今日はみんなに軌道計算の数式を見せるよ!」と言う。
 そして訝しんでいる生徒を他所に、黒板に数式をどんどん書いていく。
 授業と関係ないことは、誰でもすぐに分かる。
 だからそういう時は山邑先生を無視して、みんな自分なりの勉強を始める。
 もちろん、誰もノートを取らない。
 山邑先生はガシガシとチョークで黒板一杯に数式を書いていく。

 「まったくなぁ」
 
 誰かの呆れる声が聞こえる。
 終業のチャイムが鳴る。

 「あ! ごめんね、全部書き切れなかった!」

 そう言って頭を下げて、教室を出て行く。
 私は前に行って、タブレットで写真を撮る。
 幾つかに分けて、全部撮る。
 休み時間に自分なりに理解して、山邑先生に聞きに行く。

 

 職員室で、大抵山邑先生はノートにガシガシと数式を書いている。
 そうでなければ、数学の専門書を読んでいる。
 そうでなければ、寝ている。

 身長160センチ、体重85キロ、頭髪は薄い。
 服装は吊るしの安いスーツ。
 大体、シャツの胸ポケットに染みがある。
 よく万年筆の蓋をしないで挿すためだ。
 
 「山邑先生、質問いいですかー?」
 「ああ、石神か! なんだ?」
 「あの、今日の軌道計算のここの数式なんですが」
 「おう! ここな! 僕が月の軌道でスイングバイをさせてみたんだ! よく気付いたな!」
 「エヘヘヘヘ」
 
 私は山邑先生が大好きだ。
 それは、大きな理由がある。

 山邑等、東京大学理学部数学科卒業。
 タカさんと同期なのだ。



 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■



 一年生の時に、山邑先生の異色な授業を初めて聞いた。
 その時は、「ヒルベルト空間」の話だった。

 「僕の大学の友人に、ヒルベルト空間が大好きな奴がいてね。夕べちょっと懐かしく思い出したんだ」

 そう言って、黒板にいきなり高度な数式をガンガン書いて行った。
 授業が終わって、昼休みに山邑先生の所へ行った。

 「今日の授業、面白かったです!」
 「ああ、石神さんだったね。そうか、僕もそう言ってもらえると嬉しいよ」
 「でも、なんで突然「ヒルベルト空間」を?」
 「それはさ、君のお陰なんだよ」
 「私のですか?」
 「そう。君の名前だよ。僕の大学時代の友人も「石神」だったんだ」
 「え!」

 私は山邑先生のお年を聞いた。
 タカさんの一つ下だ!
 タカさんは一年遅れて入学しているから、同期だ!

 「もしかして、その友人の方って、医学部でしたか?」
 「ああ、そうだよ。だから数学の授業は聴講生で来てたな」
 「多分、私の父ですよ! 石神高虎!」
 「えぇ! 本当か!」
 「はいはい! タカさん、ああ父のことですが、タカさんもよくヒルベルト空間の話をするんです」
 「じゃあ間違いないな! 石神はヒルベルト空間が大好きだったからなぁ!」

 私は自分の両親が死んで、タカさんに兄弟四人で引き取られた話をした。
 二人で、大学時代のタカさんの話をして盛り上がった。

 「石神とは、ほとんど授業での交流しかなかったけどな。忘れられない男だ」
 「そうですか」
 「普段は女性に異常にモテてなぁ。知ってるか?」
 「はい! よく知ってます!」
 「アハハハハ! でも、あれはちょっと尋常じゃなかったよ」
 「よく学食で囲まれたって」
 「そうそう! それだけじゃないよ。石神が歩くと、行列が出来るんだ」
 「アハハハハハ!」
 「あいつは鉄門前の木下食堂が大好きでさ。あいつが行くから、あの食堂も賑わってたなぁ」
 「そうなんですか!」

 それから、よく山邑先生と話すようになった。




 「ああ、山邑か!」

 タカさんに話すと懐かしそうに笑い、喜んでくれた。

 「あいつは尋常じゃない数学バカでな! よく二人でいろんな数学の話をしたんだよ」
 「はい、聞きました! こないだ授業で突然「ヒルベルト空間」の話を始めて。みんな面食らったんですけどね。でも、それは私の名前で思い出したんだって」
 「ああ、あいつは「ヒルベルト空間」の話が大好きだったからなぁ」
 「え、山邑先生はタカさんが好きだったんだって言ってましたよ?」
 「まあな。でも、あいつも好きだったんだよ。だからしょっちゅう一緒に話した」
 「なるほどです!」

 タカさんが、学生時代の話をしてくれた。



 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■



 「おい、山邑。お前、ラマヌジャンを知ってるか?」
 「いや、知らんが?」
 「なんだよ! ラマヌジャンは最高だぞ!」
 「そうなのか?」

 数学の講義の聴講生だった俺は、山邑と仲良くなった。
 講義授業の前後に、よく二人で数学の話をした。
 山邑は数学に魅せられてはいたが、それは数式そのものにだった。
 だから、リーマンなどの名前はもちろん知ってはいても、数学者そのものには興味がなかったようだ。
 俺は持っていたラマヌジャンに関する本を山邑に貸した。
 
 数日後。
 授業の教室で、山邑が飛びついて来た。

 「石神! これは最高だぁ!」
 「そうだろう? お前さ、「人間」も研究しなきゃダメだよ」
 「どういうことだ!」
 「数学は人間が生み出してるんだ。だから生み出した人間のことも知らなきゃ、本当に数式を理解することは出来ないよ」
 「お前! 天才かぁ!」
 「ワハハハハハ!」

 シュリニヴァーサ・ラマヌジャン。
 百年前の数学者だ。
 名前から分かる通り、インド人であり、最高位のバラモンの生まれだった。
 ある日手にした数学書に魅せられ、一気に数学にのめり込んでいく。
 あまりの秀才ぶりに、ケンブリッジ大学のハーディ教授に見い出され、招聘された。

 しかし、ものにならなかった。

 ラマヌジャンは、数学に必須の「証明」に全く興味を持たなかったのだ。
 次々に新たな数式を生み出すが、証明されていないものは、数学界では無価値だ。
 ハーディ教授は何度も証明の必要性を説くが、耳を貸さない。
 ラマヌジャンは言った。

 「女神ナーマギリが与えてくれた数式は、証明の必要は無い」

 神から数式を与えられるのだと言っていた。


 

 「石神! 僕もラマヌジャンのようになるよ!」
 「いや、お前さ」
 「僕はさ、何で自分がこんなにも数学に魅かれるのか、自分でも不思議だったんだ」
 「そうか」
 「神が与えてくれたんだな! そうだったんだ!」
 「おいおい」
 「石神、ありがとう! 君は僕の恩人だ!」
 「そんなんじゃないから」

 面白い男だった。
 それから、様々な数学者の本を貸した。
 山邑は次々に読み、俺に一層感謝した。

 「石神、やっぱり、神が必要だ!」
 「なんだ?」
 
 しばらく、山邑は宗教に凝った。
 座禅に行ったり、教会に通ったり、神社仏閣を巡ったり。
 何度かヘンな団体に騙され、俺が退き戻したりした。
 何かの話で、親友の山中が滝行をして死に掛けたと話したら、どこなのか教えてくれとしつこく縋られた。

 「やかましいな! 大体お前は何で神様が欲しいんだよ!」
 「もちろん、僕に数式を降ろしてもらうためだ!」
 「お前なぁ! そんな私利私欲で神様がくれると思ってるのかぁ!」
 「なんだと?」

 アホだった。

 「いいか、山邑! 人間が自分のためにやる全ては、神様は大嫌いなんだよ。神様は、自分が自分以外の何か、他人のためにやることだけが好きなんだ」
 「そうなのか!」
 「そうだよ。お前の好きなラマヌジャンもそうだったろうよ! 自分のためだったら、ホイホイ証明してたよ。ラマヌジャンだったら、証明なんかも簡単だったろう。でも、自分のためじゃねぇから、興味ゼロだったんだろ?」
 「なるほどな!」

 山邑はその後、大学院には行かずに、教職課程を履修した。
 教授になる道もあったろうが、高校教師になると言った。

 「石神。僕は子どもたちに数学の素晴らしさを教えたいと思う」
 「そうか」
 「うん! それが僕の人生だ!」
 「ああ、頑張れよ」

 数学以外にまったく興味がない山邑に、俺は卒業祝いだと石動コレクションの何枚かのDVDをやった。
 その後、医学部の実習が始まって超忙しい俺に、しょっちゅう電話を掛けて来た。

 「石神! まさかあんな世界があったとは!」
 「良かったね」
 「申し訳ない。また何枚か貸して欲しい」
 「自分で探せよ!」
 「やったんだ! でも、石神のコレクションのクオリティは全然違う!」
 「お前なぁ! ああいうのも「道」なんだ! 自分で積み上げろ!」
 「そ、そうか」

 それでもしつこく来るので、時々貸した。
 


 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


 
 私も山邑先生が好きだ。
 あの独特の授業は、私たちに数学を好きになって欲しいという願いなのだ。
 空回りしているが。

 でもそれは、山邑先生の愛の大きさなのだ。
 あまりに大きいので、誰にも理解されない。

 日頃の感謝をしたくて、私は眼鏡を掛けて職員室に入った。

 「亜紀ちゃん、あいつのど真ん中は、ロングヘアー、スレンダーボディ、そして眼鏡だ!」

 タカさんが教えてくれた。


 「山邑先生、質問いいですか?」
 「!!!!!」

 「微分方程式の、この問題なんですが」

 「石神さん!」
 「はい」
 「結婚して下さい!」
 「はい?」
 
 山邑先生が、大声でそう言って立ち上がった。
 私は慌てて眼鏡を外した。

 「あー! 外さないでぇー!」



 私はすぐに職員室を出た。
 後ろで山邑先生が、教頭先生に怒られている声が聞こえた。



 それから、授業中によく山邑先生がチラチラと私を見るようになった。
 本当に、申し訳ないと思う。
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