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最も美しきべきもの
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「蓮花様、お茶をお持ちしました」
ミユキがトレイに紅茶のセットを乗せて入って来た。
蓮花は執務室で「デュール・ゲリエ」の設計図面を見ていた。
「ありがとう。それでは一休みしましょうか。ミユキ、あなたも一緒に」
「はい、ありがとうございます」
ミユキは蓮花のカップに注ぎ、一度部屋を出て自分のカップを持って来た。
蓮花がそれへ、紅茶を注ぐ。
「すみません」
蓮花は微笑んでミユキを見た。
「今ね、石神様から言われて、戦闘用ではないロボットを作ろうとしているの」
「さようでございますか」
「昔お世話になった方に、使っていただきたいんですって」
「そうですか。石神様は恩義を忘れない方ですからね」
「そう。でも、私が忙しいだろうと仰って、いつでも仕上がりは良いと仰るのよ」
「それもまた、石神様らしいお言葉かと」
蓮花はミユキにまた微笑んだ。
「さて、どのようなものにしようかと、考えていて」
「お贈りする相手の方は?」
「オートバイの販売や修理をなさっている方なのですって」
「そうですか。ではそのお手伝いとなると、やはり整備ができるものですか?」」
「いいえ。石神様はそこまではお求めではない。重いバイクを引いて歩くのは大変なので、運搬などが出来るものと仰るの」
「なるほど」
「それとある程度喋ること。ロボットが挨拶をしたりお返事をすれば、お店の人気が出るだろうと」
「素晴らしいお考えです!」
ミユキも喜んだ。
「ほら。ここには「ラビ」や「シャノア」のような自走ロボットがいて、みんなお喋りが出来るでしょう?」
「はい」
「あそこまでは必要ないと石神様は仰る」
「でも、出来たら楽しいですよね? 私もラビたちと話すのは楽しいですから」
蓮花はカップを皿に置いた。
「あなたも、そう思う?」
「はい」
嬉しかった。
やはりそうなのだ。
「でも、ただお返事するだけでは、寂しいですよね」
「はい、そう思います。ブランたちとも、「会話」が出来ることで一層の絆が生まれているように思います」
「ええ、そうですね」
「お返事もしてもらえないのは、寂しい……」
蓮花は、自分の片割れを思い出していた。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
物心がついた時、いつも自分の傍に双子の姉の蓮華がいた。
母親という存在はいなかった。
広い屋敷の中で、交代で食事を作りに来る人間がいる。
ほとんど、会話はない。
優しくも、冷たくもない人間たちだった。
家のことはちゃんとやってくれる。
食事も、掃除も、一通りやる。
自分たちのことも、時々はあやしてくれる。
でも、その顔が、命じられているからだと感じられるようになってからは、興味を喪った。
ただ、一人だけ違う人間がいた。
「サキさん」という年配の女性だけが、本当に私たちを愛してくれた。
週に一度しか来ないサキさんは、私たちに食べたいものを聞き、私たちを抱き締めてくれ、一緒に寝てくれた。
蓮華も私も、サキさんが来るのを待っていた。
もう一人。
斬様が私たちを特別に扱った。
月に一度ほどしか来なかったが、来ると私たちを呼んでずっと見ていた。
話したことはほとんど無い。
その中で、強く残っている言葉がある。
「哀れな子たちだ」
そう仰った。
意味は分からなかったが、斬様が決して私たちを御嫌いではないと分かった。
可愛がってもらったことはないが、私たちのために来て、私たちのために様子を見ている。
私たちは成長し、学校に通うようになった。
ほどなくして、自分たちの境遇が異常であることが分かった。
蓮華と話し、そのことは知られないようにしようと言った。
友達というものはいなかった。
私には蓮華がいて、蓮華にも私がいる。
それだけで十分だった。
学校に通うようになり、二人で話す時間が増えた。
それまで、お互いに傍にいるだけだった関係が、お互いを大事に思い、愛する存在になっていった。
見聞きしたことを毎日話し、感じたことをしょっちゅう話した。
そのうちに斬様から言われて、斬様の道場に通うようにもなった。
本道場ではないそうだが、他に子どもが何人も通っていた。
そこで雅様を知り、世の中にはサキさん以外にも優しい方がいることを知った。
毎日、また蓮華とそういう人たちについて話すようになった。
雅様が、一度だけ本道場を見せてくれた。
私たちをその後で御屋敷に上がらせてくれ、甘いお菓子をいただいた。
ある時、庭に子犬が迷い込んだ。
私たちは興味を持って庭に出て、子犬を呼んだ。
子犬は私たちに甘え、身体を摺り寄せて来た。
「かわいいね」
「そうだね」
私たちは、こっそりと子犬の面倒を見ることにした。
軒下に入れ、私たちが食べ残したものをあげた。
大人しい犬で、私たちが呼ばなければ出て来なかった。
ひと月もそうやっていたか。
ある日、通いの男の人に見つかった。
「なんだ、この犬は!」
男の人は犬の背中に手を乗せた。
犬が動かなくなった。
蓮華が男の人を突き飛ばした。
男の人の背中に蓮華が手を当てた。
男の人のお腹が割れ、血が吹き撒かれた。
蓮華と私は死んだ犬を何とか生き返らせたいと思った。
でも、傍で死んでいる男の人も可哀そうだと私は思った。
「蓮華! 斬様を呼んでくる!」
「蓮花! ダメよ!」
私は答えずに、斬様の御屋敷に走った。
道は覚えていた。
「これは蓮華がやったのか」
斬様が仰った。
「はい」
「普通の「螺旋花」ではないな。捩じれが違う」
斬様はその日から蓮華を御連れになった。
私は一人になったが、サキさんが一緒に住むようになった。
サキさんが傍にいなければ、私はどれほど寂しかったことか。
斬様の道場へ行くと、蓮華に会える。
蓮華は斬様の御屋敷に住んでいるわけではなく、私が道場に練習に来る時だけ、呼ばれるのだと言った。
その時に、蓮華と出来るだけ沢山話すようになった。
斬様は、敢えてそういう時間も作ってくれた。
「毎日「花岡」を教わっているの」
「そうなんだ。私はサキさんが一緒にいるの」
「そう。良かったね」
「うん」
時は流れ、私たちは18歳になった。
蓮華はずっと斬様の用意した家で暮らし、私はサキさんと一緒に暮らしていた。
お互いに斬様の御屋敷で会う時間も同じだった。
私たちは大学まで進めると言われ、蓮華は医学を、私は薬学を専攻した。
初めて家を出ることが出来た。
私たちは東京のマンションに一緒に住み、サキさんがついて来てくれた。
蓮華もすぐにサキさんと再び仲良くなった。
あの三人で住んだ時間が、私にとって最も温かな時間になった。
お互いに相手がやっている勉強に興味を持ち、マンションで教え合った。
そこから生物学や生理学なども、独学で勉強していった。
選択や聴講ができるものは、お互いに全部受けた。
欲しい専門書などは、すべて買うことが出来た。
サキさんに言えば、斬様に許可を頂き、高価なものも全て購入出来た。
「斬様は、お二人が優秀になることをお求めなんですよ」
そうサキさんは言った。
私はそのまま東京に残り、製薬会社に入社した。
蓮華は斬様に呼び戻された。
サキさんも、地元へ戻ることになった。
三人で別れを悲しんだ。
蓮華とは手紙の遣り取りをした。
電話は取り次いで頂けなかった。
ある時から、蓮華からの手紙が来なくなった。
何度出しても、返事が無い。
思い余って、斬様の御屋敷に行った。
「蓮華は「業」の所にいる」
斬様がそう仰った。
お辛そうな顔をなさった。
「業」という人は知らなかった。
「そこへ行くことは出来ましょうか」
「やめておけ。死ぬぞ」
斬様は嘘を言われない。
その通りなのだろう。
でも、私は構わないと言った。
斬様がお連れ下さった。
随分と離れた場所だった。
立派な御屋敷だったが、中へ入りたくない雰囲気があった。
「ここだ。お前独りで入って来い。俺はここにいる」
「はい」
私は独りで中へ入った。
門から庭を横切り、玄関に立った。
その瞬間に、戸が開かれた。
「なんだ。じじぃはいないのか」
恐ろしい男が立っていた。
これまで会ったこともない、邪悪な人間とすぐに分かった。
足が震え、倒れそうになった。
「ああ、蓮華の妹か」
そう言って、男は奥に声を掛けた。
変わり果てた蓮華が出て来た。
男はいなくなり、二人きりになった。
「蓮華」
名を呼んでも返事は無い。
見た目は少し痩せた程度だが、雰囲気が違う。
以前の、私と楽しく話し合った蓮華ではない。
「何があったの?」
「帰りなさい」
「え?」
蓮華はそれだけ言い、口を閉じた。
私が何度呼び掛けても、目をすら合わせてもらえなかった。
私は仕方なく戻った。
斬様のお姿を見て、涙が溢れて来た。
「会えたか」
「はい」
「そうか」
斬様が私の肩を抱いて下さった。
私が泣き止むまで、そうして下さった。
東京へ戻り、私はもう一度蓮華に会いに行った。
その時にはあの屋敷は空になっていた。
斬様にお聞きすると、もう追うなと言われた。
私のためだと。
その後、私が蓮華に再会したのは、一度だけだった。
寝ている私に、蓮華が重なって来た。
そうとしか言いようがない。
「蓮華!」
身体は動かなかった。
しかし、問わずとも、語らずとも、蓮華の全てが私の中に重なって来た。
蓮華の一部が離れる時、初めて蓮華と言葉を交わすことが出来た。
「私はようやく解放されたの」
その意味は分かっていた。
重なった蓮華が全て教えてくれた。
「石神高虎に会いなさい。私はもう出来ない。私を御救い下さったあの方へ、どうかあなたが」
「蓮華!」
「「業」は恐ろしいことをします。いえ、それを私が手伝ってしまった。蓮花、あなたが止めて。石神高虎が「業」と戦ってくれます。あなたはどうかそのお手伝いを」
もう二度と交わすことは出来なかった蓮華と、言葉を交わさせて下さった。
蓮華の苦しみ抜き、絶望していた魂を御救い下さった。
私は会社を辞め、斬様に頼み込んだ。
石神高虎様を手伝わせて欲しいと。
「お前がそう言うのなら、任せよう」
斬様がそう仰って下さった。
私は必ず蓮華の禍根を断つ。
石神高虎様へ全てを捧げ、そのお手伝いをする。
石神様は、必ず成し遂げて下さるだろう。
あの方にお会いしたあの日に、私はそう確信した。
でも、あの方は思いも寄らぬものを私に下さった。
全てを捧げようとする私を受け入れながら、私に愛を注いで下さっている。
それを拒もうとした自分は、受け入れることが正しいのだと分かった。
石神高虎様は「愛」によってお強い。
本当の力は「愛」から生み出される。
この戦いは、それを証明するためのものなのだ。
私はあの方を愛し、あの方が愛したものを愛する。
あの方が以前に教えて下さった。
「今はまだ見えないかもしれない。でも俺たちはそこへ絶対に辿り着くんだ」
「はい」
「この世は悲しい。苦しい。でもな、俺たちがそれでも前に進むのは、やはりこの世に美しさがあるからだよ。俺はそう信じている」
「はい」
「俺たちはそれを見る。それを目の前にして笑って死のう」
「はい、必ず!」
ロダンの言葉とお聞きした。
《 もっとも美しきべきものは、汝の前にあり。(Les plus beaux sujets se trouvent devant vous : ce sont ceux que vous connaissez le mieux.)》
ミユキがトレイに紅茶のセットを乗せて入って来た。
蓮花は執務室で「デュール・ゲリエ」の設計図面を見ていた。
「ありがとう。それでは一休みしましょうか。ミユキ、あなたも一緒に」
「はい、ありがとうございます」
ミユキは蓮花のカップに注ぎ、一度部屋を出て自分のカップを持って来た。
蓮花がそれへ、紅茶を注ぐ。
「すみません」
蓮花は微笑んでミユキを見た。
「今ね、石神様から言われて、戦闘用ではないロボットを作ろうとしているの」
「さようでございますか」
「昔お世話になった方に、使っていただきたいんですって」
「そうですか。石神様は恩義を忘れない方ですからね」
「そう。でも、私が忙しいだろうと仰って、いつでも仕上がりは良いと仰るのよ」
「それもまた、石神様らしいお言葉かと」
蓮花はミユキにまた微笑んだ。
「さて、どのようなものにしようかと、考えていて」
「お贈りする相手の方は?」
「オートバイの販売や修理をなさっている方なのですって」
「そうですか。ではそのお手伝いとなると、やはり整備ができるものですか?」」
「いいえ。石神様はそこまではお求めではない。重いバイクを引いて歩くのは大変なので、運搬などが出来るものと仰るの」
「なるほど」
「それとある程度喋ること。ロボットが挨拶をしたりお返事をすれば、お店の人気が出るだろうと」
「素晴らしいお考えです!」
ミユキも喜んだ。
「ほら。ここには「ラビ」や「シャノア」のような自走ロボットがいて、みんなお喋りが出来るでしょう?」
「はい」
「あそこまでは必要ないと石神様は仰る」
「でも、出来たら楽しいですよね? 私もラビたちと話すのは楽しいですから」
蓮花はカップを皿に置いた。
「あなたも、そう思う?」
「はい」
嬉しかった。
やはりそうなのだ。
「でも、ただお返事するだけでは、寂しいですよね」
「はい、そう思います。ブランたちとも、「会話」が出来ることで一層の絆が生まれているように思います」
「ええ、そうですね」
「お返事もしてもらえないのは、寂しい……」
蓮花は、自分の片割れを思い出していた。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
物心がついた時、いつも自分の傍に双子の姉の蓮華がいた。
母親という存在はいなかった。
広い屋敷の中で、交代で食事を作りに来る人間がいる。
ほとんど、会話はない。
優しくも、冷たくもない人間たちだった。
家のことはちゃんとやってくれる。
食事も、掃除も、一通りやる。
自分たちのことも、時々はあやしてくれる。
でも、その顔が、命じられているからだと感じられるようになってからは、興味を喪った。
ただ、一人だけ違う人間がいた。
「サキさん」という年配の女性だけが、本当に私たちを愛してくれた。
週に一度しか来ないサキさんは、私たちに食べたいものを聞き、私たちを抱き締めてくれ、一緒に寝てくれた。
蓮華も私も、サキさんが来るのを待っていた。
もう一人。
斬様が私たちを特別に扱った。
月に一度ほどしか来なかったが、来ると私たちを呼んでずっと見ていた。
話したことはほとんど無い。
その中で、強く残っている言葉がある。
「哀れな子たちだ」
そう仰った。
意味は分からなかったが、斬様が決して私たちを御嫌いではないと分かった。
可愛がってもらったことはないが、私たちのために来て、私たちのために様子を見ている。
私たちは成長し、学校に通うようになった。
ほどなくして、自分たちの境遇が異常であることが分かった。
蓮華と話し、そのことは知られないようにしようと言った。
友達というものはいなかった。
私には蓮華がいて、蓮華にも私がいる。
それだけで十分だった。
学校に通うようになり、二人で話す時間が増えた。
それまで、お互いに傍にいるだけだった関係が、お互いを大事に思い、愛する存在になっていった。
見聞きしたことを毎日話し、感じたことをしょっちゅう話した。
そのうちに斬様から言われて、斬様の道場に通うようにもなった。
本道場ではないそうだが、他に子どもが何人も通っていた。
そこで雅様を知り、世の中にはサキさん以外にも優しい方がいることを知った。
毎日、また蓮華とそういう人たちについて話すようになった。
雅様が、一度だけ本道場を見せてくれた。
私たちをその後で御屋敷に上がらせてくれ、甘いお菓子をいただいた。
ある時、庭に子犬が迷い込んだ。
私たちは興味を持って庭に出て、子犬を呼んだ。
子犬は私たちに甘え、身体を摺り寄せて来た。
「かわいいね」
「そうだね」
私たちは、こっそりと子犬の面倒を見ることにした。
軒下に入れ、私たちが食べ残したものをあげた。
大人しい犬で、私たちが呼ばなければ出て来なかった。
ひと月もそうやっていたか。
ある日、通いの男の人に見つかった。
「なんだ、この犬は!」
男の人は犬の背中に手を乗せた。
犬が動かなくなった。
蓮華が男の人を突き飛ばした。
男の人の背中に蓮華が手を当てた。
男の人のお腹が割れ、血が吹き撒かれた。
蓮華と私は死んだ犬を何とか生き返らせたいと思った。
でも、傍で死んでいる男の人も可哀そうだと私は思った。
「蓮華! 斬様を呼んでくる!」
「蓮花! ダメよ!」
私は答えずに、斬様の御屋敷に走った。
道は覚えていた。
「これは蓮華がやったのか」
斬様が仰った。
「はい」
「普通の「螺旋花」ではないな。捩じれが違う」
斬様はその日から蓮華を御連れになった。
私は一人になったが、サキさんが一緒に住むようになった。
サキさんが傍にいなければ、私はどれほど寂しかったことか。
斬様の道場へ行くと、蓮華に会える。
蓮華は斬様の御屋敷に住んでいるわけではなく、私が道場に練習に来る時だけ、呼ばれるのだと言った。
その時に、蓮華と出来るだけ沢山話すようになった。
斬様は、敢えてそういう時間も作ってくれた。
「毎日「花岡」を教わっているの」
「そうなんだ。私はサキさんが一緒にいるの」
「そう。良かったね」
「うん」
時は流れ、私たちは18歳になった。
蓮華はずっと斬様の用意した家で暮らし、私はサキさんと一緒に暮らしていた。
お互いに斬様の御屋敷で会う時間も同じだった。
私たちは大学まで進めると言われ、蓮華は医学を、私は薬学を専攻した。
初めて家を出ることが出来た。
私たちは東京のマンションに一緒に住み、サキさんがついて来てくれた。
蓮華もすぐにサキさんと再び仲良くなった。
あの三人で住んだ時間が、私にとって最も温かな時間になった。
お互いに相手がやっている勉強に興味を持ち、マンションで教え合った。
そこから生物学や生理学なども、独学で勉強していった。
選択や聴講ができるものは、お互いに全部受けた。
欲しい専門書などは、すべて買うことが出来た。
サキさんに言えば、斬様に許可を頂き、高価なものも全て購入出来た。
「斬様は、お二人が優秀になることをお求めなんですよ」
そうサキさんは言った。
私はそのまま東京に残り、製薬会社に入社した。
蓮華は斬様に呼び戻された。
サキさんも、地元へ戻ることになった。
三人で別れを悲しんだ。
蓮華とは手紙の遣り取りをした。
電話は取り次いで頂けなかった。
ある時から、蓮華からの手紙が来なくなった。
何度出しても、返事が無い。
思い余って、斬様の御屋敷に行った。
「蓮華は「業」の所にいる」
斬様がそう仰った。
お辛そうな顔をなさった。
「業」という人は知らなかった。
「そこへ行くことは出来ましょうか」
「やめておけ。死ぬぞ」
斬様は嘘を言われない。
その通りなのだろう。
でも、私は構わないと言った。
斬様がお連れ下さった。
随分と離れた場所だった。
立派な御屋敷だったが、中へ入りたくない雰囲気があった。
「ここだ。お前独りで入って来い。俺はここにいる」
「はい」
私は独りで中へ入った。
門から庭を横切り、玄関に立った。
その瞬間に、戸が開かれた。
「なんだ。じじぃはいないのか」
恐ろしい男が立っていた。
これまで会ったこともない、邪悪な人間とすぐに分かった。
足が震え、倒れそうになった。
「ああ、蓮華の妹か」
そう言って、男は奥に声を掛けた。
変わり果てた蓮華が出て来た。
男はいなくなり、二人きりになった。
「蓮華」
名を呼んでも返事は無い。
見た目は少し痩せた程度だが、雰囲気が違う。
以前の、私と楽しく話し合った蓮華ではない。
「何があったの?」
「帰りなさい」
「え?」
蓮華はそれだけ言い、口を閉じた。
私が何度呼び掛けても、目をすら合わせてもらえなかった。
私は仕方なく戻った。
斬様のお姿を見て、涙が溢れて来た。
「会えたか」
「はい」
「そうか」
斬様が私の肩を抱いて下さった。
私が泣き止むまで、そうして下さった。
東京へ戻り、私はもう一度蓮華に会いに行った。
その時にはあの屋敷は空になっていた。
斬様にお聞きすると、もう追うなと言われた。
私のためだと。
その後、私が蓮華に再会したのは、一度だけだった。
寝ている私に、蓮華が重なって来た。
そうとしか言いようがない。
「蓮華!」
身体は動かなかった。
しかし、問わずとも、語らずとも、蓮華の全てが私の中に重なって来た。
蓮華の一部が離れる時、初めて蓮華と言葉を交わすことが出来た。
「私はようやく解放されたの」
その意味は分かっていた。
重なった蓮華が全て教えてくれた。
「石神高虎に会いなさい。私はもう出来ない。私を御救い下さったあの方へ、どうかあなたが」
「蓮華!」
「「業」は恐ろしいことをします。いえ、それを私が手伝ってしまった。蓮花、あなたが止めて。石神高虎が「業」と戦ってくれます。あなたはどうかそのお手伝いを」
もう二度と交わすことは出来なかった蓮華と、言葉を交わさせて下さった。
蓮華の苦しみ抜き、絶望していた魂を御救い下さった。
私は会社を辞め、斬様に頼み込んだ。
石神高虎様を手伝わせて欲しいと。
「お前がそう言うのなら、任せよう」
斬様がそう仰って下さった。
私は必ず蓮華の禍根を断つ。
石神高虎様へ全てを捧げ、そのお手伝いをする。
石神様は、必ず成し遂げて下さるだろう。
あの方にお会いしたあの日に、私はそう確信した。
でも、あの方は思いも寄らぬものを私に下さった。
全てを捧げようとする私を受け入れながら、私に愛を注いで下さっている。
それを拒もうとした自分は、受け入れることが正しいのだと分かった。
石神高虎様は「愛」によってお強い。
本当の力は「愛」から生み出される。
この戦いは、それを証明するためのものなのだ。
私はあの方を愛し、あの方が愛したものを愛する。
あの方が以前に教えて下さった。
「今はまだ見えないかもしれない。でも俺たちはそこへ絶対に辿り着くんだ」
「はい」
「この世は悲しい。苦しい。でもな、俺たちがそれでも前に進むのは、やはりこの世に美しさがあるからだよ。俺はそう信じている」
「はい」
「俺たちはそれを見る。それを目の前にして笑って死のう」
「はい、必ず!」
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