富豪外科医は、モテモテだが結婚しない?

青夜

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別荘の日々 Ⅶ: NY「幻想」4

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 聖がワイルドターキーを出して来た。
 俺は先に飲んでいろと言い、聖を座らせた。
 つまみを作り始める。
 
 サーモンのカルパッチョ。
 マグロの甘辛ステーキ、白髭ネギ乗せ。
 チキンの香草焼き。
 ラタトゥイユ。
 他に、チーズと生ハムを切った。

 俺が料理を運ぶと、聖は酒を飲んでいなかった。

 「なんだよ、飲んでろって言っただろう」
 「トラと一緒に飲みたいんだ」
 「そうかよ」

 聖は美味そうに料理を食べ始めた。
 夕飯を食べていなかったので、聖は腹を空かせていた。
 俺は体調がまだ完全ではないので、ゆっくりと飲んだ。

 しばらく二人とも黙って、食べ、飲んだ。

 暮れなずむニューヨークの街が見える。
 俺たちは窓辺のテラスで飲んでいた。

 「トラ、大丈夫か?」
 「あ?」

 聖が小さく俺に尋ねた。

 「お前から電話を貰った時にさ」
 「ああ」
 「お前がまた苦しんでるのが分かった」
 「なんだと?」
 「あの時以上だな。一番苦しんでいる」
 「おい」

 聖がまた、あの目で俺を見ていた。
 この男が持つ、最大の悲しみに満ちた瞳。
 自分のことで泣くことがない聖は、誰かのためにだけ苦しみ嘆く、その悲しい瞳。

 「何があった?」

 何でもないと言えば、また聖は叫ぶのだろう。
 「俺にそんなことを言うな」と泣き叫ぶ。
 俺は奈津江のことを話した。

 「俺が心底から惚れた女だ。俺の命を救うために死んだ」
 「そうか、またいい女だったんだな」
 「俺の全てだ。俺が奈津江のために死ぬのは当然だ。なのにどうして!」

 俺が叫ぶと、聖は黙っていた。

 「俺なんて、このザマだ、聖! 当然だ! ガキの頃に死ぬって決まって、それなのに無駄に生き延びで、散々なことをしてきた俺だ! 俺なんかは死んでも当たり前だ! なのに、どうして奈津江が死んだ! あんなに優しくてあんなに……」

 俺は泣き崩れた。
 
 「トラ」
 「……」
 「お前はなんでそんなに悲しいんだ」
 「……」

 聖が俺をこの上もなく優しい目で見ていた。

 「お前はいつも、どうしてそんなに悲しい目に遭う。俺がどんなに頑張っても、お前はいつも悲しいことになっちまう」
 「聖、お前……」
 
 「お前、戦場に行きたいって言ってたよな」
 「そうだ」
 「お前、死にたかったんだろう?」
 「!」

 「その奈津江って女を追い掛けたかったんだろう」
 「いや、俺は……」

 聖に言われて初めて自分の気持ちに気付いた。
 その通りだった。
 俺は戦場で、俺の命を奪って欲しかった。

 「だから俺は全部の予定をキャンセルしたんだ」
 「なんだって、聖!」
 「お前を死なせるかよー、トラ!」
 「お前……」
 「俺はお前に笑って生きて欲しいんだぁ! そのために、俺は!」
 「……」

 「やせ細ったお前を見て、俺は自分の判断が正しかったって思った。お前、どうしてそんなに悲しいんだ」
 「聖……」

 俺は天使に守られている。
 こんなに優しい天使に。

 「あの黒人たちがいてくれて良かったよ」
 「ああ、いい連中だった」
 「あいつらも悲しい。でも、お前はもっと悲しい」
 「……」

 「お前、ナンシーって子をどう思ってた?」
 「え?」

 唐突に聖がナンシーの名を口にした。

 「お前、あの子に奈津江って女を重ねてたんじゃないか?」
 「いや、そんなことは」
 「お前があの子を見る目がな、懐かしそうだって思った」
 「なんだって?」

 俺には分からない。

 「ナンシーはお前に一目惚れだったな」
 「そんなことは無いだろう」
 「よせよ、トラ。お前にも分かってただろう。一目でお前に惚れてた。まるで運命みたいだって言ってたぞ」
 「え?」
 「俺に言ってたんだよ。お前がどこの誰なのかって俺に聞いて来た。トラに直接聞けって言ったけどな」
 「そうだったのか」
 「お前に出会うために生まれたみたいだってなぁ。あんなガキがよ」
 「そうか」

 奈津江を思い出した。
 俺も奈津江のことをそう思っていた。
 ナンシーが奈津江と重なった。

 「でもトラ、お前に聞いて来なかっただろう?」
 「ああ、そうだな」
 「幻想だからだよ」
 「え?」
 
 聖はずっと俺を見ていた。

 「幻想だ、トラ。この世のことは全部そうだよ。俺たちはその中で生きてる。何かを信じてな」
 「お前……」

 「でも幻想だ。お前は奈津江に惚れて、ナンシーはお前に惚れた。いいじゃねぇか。でもな、幻想だ。いつか終わる」
 「永遠のものはねぇってか」
 「そうだよ」

 聖はそう言って微笑んだ。

 「一つだけだ」
 「なんだって?」
 「一つだけ確かなものがある」
 「なんだよ?」
 「お前は俺の親友だ」
 「あ?」
 「それだけは幻想じゃねぇ。俺は一生を掛けてそれを証明するぜ」
 「なんだよ、それは」

 俺はやっと笑えた。
 全ては幻想だと言う聖が、自分の思いだけは違うと言っている。
 その矛盾に、聖の深い優しさを見た。

 「笑うんじゃねぇ! 俺は本気だからな!」
 「分かったよ。俺も同じだ。聖が俺の親友であることは、絶対に幻想じゃねぇ」
 「そうだろ!」

 聖が喜んで俺に抱き着いて来た。
 ぶん殴って離させる。

 「奈津江もナンシーも同じだったろうよ。でも、今お前の目の前にいるのはこの俺だ!」
 「ああ、そうだな。もう抱き着くなよ?」
 「ワハハハハハハ!」
 「アハハハハハハ!」

 二人で笑った。

 「トラ、こっちに来いよ。一緒にやろう!」
 「バカ言うな! 俺は日本でやることがあるんだ」
 「そうか」

 聖が寂しそうな顔をした。
 でも、どこか嬉しそうだった。

 「なんだよ、俺たちは離れてたって親友だろう?」
 「そ、そうだぁ!」

 外の景色に闇が降り、地上で灯が灯り出した。
 ニューヨークは、どんなことがあっても、精一杯の虚飾で跳ね返そうとする。

 「聖、明日帰るよ」
 「え、トラ! もっとゆっくりしろよ!」
 「いや、お前のお陰でやっと生きられるようになった」
 「トラァー!」
 「ありがとうな」
 「トラ、帰るなよー」
 「いつもな」
 「……」

 聖が微笑んだ。
 
 「しょうがないな」
 
 そう言った。
 聖は仕事をキャンセルしたと言っていた。
 何とも思ってはいないだろう。
 でも、これ以上迷惑を掛けるわけには行かない。

 「じゃあ今日は飲もうぜ」
 「ああ。聖、腹が減ってるだろう?」
 「ああ」
 「料理を追加するか。もうちょっと腹に溜まるものをな」
 「うん!」

 聖が顔を輝かせた。
 俺も笑ってキッチンへ行った。
 聖がバカみたいに大量に買い込んだものを、なるべく使わなければ。
 俺たちは大いに飲み食いした。






 日本に戻って、聖から電話が来た。
 ジェスが助かったことを教えてくれた。
 俺が気にしているだろうと、忙しいはずのあいつが、わざわざ調べに行ってくれた。

 「そうか。良かったよ」
 「ああ、ナンシーが会いたがってたぞ」
 「そうか」
 「じゃあな。またブレーキダンスをやろう」

 相変わらず覚えの悪い奴だった。

 「ああ、俺の方が上手いけどな」
 「バカヤロウ! ちょっとお前来い!」
 「また行くさ。絶対にな」
 「待ってるぞ!」

 俺は笑って電話を切った。





 
 この世の全てが幻想だったとしても、俺は確かなものを知っている。
 天使が保証しているんだ。
 絶対に大丈夫だろう。 
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