富豪外科医は、モテモテだが結婚しない?

青夜

文字の大きさ
2,559 / 3,202

「ルート20」鬼の殿 榎本 Ⅱ

しおりを挟む
 榎本が苦笑して言った。

 「じいちゃん、今年で97歳なんだぜ」
 「あ、俺の知り合いも何人かいる」
 「そろそろなぁ」
 「そうだよなぁ」
 「ふざけんなぁ!」

 じいちゃんが炬燵に入って来て、奥さんが笑いながらお猪口を持って来た。

 「普段は飲ませないんだよ」
 「まあ、年だからなぁ」
 「いや、そうじゃなくて、酔うとめんどくせぇから」
 「なんだとぉ!」

 榎本が笑ってじいちゃんに酒を注いだ。

 「今日はトラがいるからな。特別だ」
 「おうよ!」

 じいちゃんが嬉しそうに口を付けた。
 美味そうに喉を鳴らす。

 「トラ、お前ヤクザになったか?」
 「なってねぇよ!」
 「貧乏だったくせに、今じゃいい服着やがってよ」
 「どうでもいいだろう!」
 「じいちゃん、こいつは今お医者なんだよ」
 「マジかぁ!」
 「あんだよ!」
 「トラがガキの頃からそう言ってたろ? すげぇ高校でいつもトップだったじゃん」
 「そうだったか?」
 
 まあ、どうでもいい。

 「東京のでっかい病院で部長さんだよな?」
 「まあな」
 「トラがなぁ」

 しばらく昔話をした。
 じいちゃんが上機嫌でいろいろと威張りながら自慢話もする。
 榎本と二人で笑って楽しかった。
 じいちゃんがヘンな話題を振って来た。

 「そうだ、お前ら自分の真言って知ってるか?」
 
 生まれ年によって守り本尊があり、それぞれの真言がある。

 「俺らは文殊菩薩だから、真言は「オン・アラハシャ・ノウ」だよな?」
 「ほう、よく知ってやがるな」

 じいちゃんはちょっと驚いていた。
 榎本は元から興味が無い。

 「うちにはよ、うちだけの真言があるんじゃ」
 「そうなのか?」
 「おう! トラだから特別に見せてやる」
 「お願いします!」

 昔、偉いお坊さんに特別にもらった榎本家の真言らしい。
 別に俺も興味はねぇが、じいちゃんが嬉しそうなので合わせた。
 じいちゃんが部屋から大事そうに紙を持って来た。
 たとう紙の短冊だった。
 
 「これじゃ!」
 
 梵字なので、当然読めない。

 「じいちゃん、これなんて書いてあるんだ?」
 「ん?」

 じいちゃんが驚いている。
 あ、こいつ……
 俺を見て言った。

 「ババンババンバンバンじゃ!」

 俺と榎本が爆笑した。
 やはりじいちゃんは真言を忘れていた。
 恐らく、「バン」という読みはあったのだろう。
 じいちゃんは流石に誤魔化し切れなかったことを悟り、赤くなった。
 俺たちもそれ以上からかうことは無かった。
 その後もしばらく楽しく飲んで、じいちゃんは先に休んだ。
 大分ふらついていた。

 「じいちゃん、大丈夫か?」
 「あ、ああ」
 
 榎本が困った顔をしながら話した。
 
 「じいちゃんな、今年で97歳なんだよ」
 「おお、さっき聞いたな。すげぇよな」
 「でもな、去年から大分弱ってさ。入院してる」
 「え、今日退院したのか?」
 「いや、トラが来るって話したらよ、絶対に会うんだってな。無理矢理外出許可を取って、さっき来たんだ。検査の数値が悪けりゃ許可出来ないってことだったけどよ。でも、どうやら脱走して無理矢理出て来たみたいだなぁ」

 それでこの時間に来たのだろう。

 「そうだったのか」
 「きっとトラに会いたかったんだよ。明日、送るよ」
 「そっか」

 まあ、それだけの高齢だ。
 身体にガタが来てもしょうがない。

 「さっきも嬉しそうだったろ? トラに会えたからだよ」
 「そうだったか。もうちょっと優しくしてやりゃ良かったかな」
 「いいよ、あれで。じいちゃんも気を遣われるのは大嫌いだしな」
 「そっか」

 悲しいことだが、こういうことは仕方がない。
 俺に会いたがっていたというじいちゃんに顔を見せられて、榎本に感謝した。

 「トラ、今日は済まなかったな」
 「なにがだよ」
 「お前が物凄く忙しいのは分かってるんだ」
 「そんなこともねぇよ」
 「済まない。でも、俺も井上さんと同じなんだ」
 「え?」
 「俺もお前にちゃんと謝りたかった! あの時、お前が本当に苦しんでいた時、俺は何も出来なかった。本当に申し訳ない!」

 榎本が姿勢を正して畳に頭をすりつけた。

 「よせよ、榎本。あんなことはどうでもいい。俺は聖に助けてもらったんだしな。もうなんのこともねぇよ」
 
 榎本が泣いていた。

 「やっと言えた」
 「おい」
 「トラに謝れた」
 「何言ってやがる」

 榎本が涙のまま笑った。

 「悪いな、そんなことのために忙しいお前を呼びつけたんだ」
 「何もねぇよ。お前と酒を飲むのはいつだって大歓迎だ」
 「ありがとう、トラ」
 「こっちこそだ。ご馳走になった」

 俺はじいちゃんが持って来た真言の紙を撮影させてもらった。
 メールで柏木さんに送り、読めるならば教えて欲しいと頼んだ。






 翌朝、朝食を頂いて帰ることにした。
 じいちゃんも起きてきていた。

 「じいちゃん、昨日見せてもらった真言だけどさ。知り合いに読める人がいたよ」
 「ほんとか!」

 じいちゃんが大喜びだった。
 柏木さんはすぐに俺のメールに返信をくれていた。

 「昔はちゃんと覚えてたんだけどよ! 途中で忘れてどうにもならなくなったんじゃ!」
 
 ババンババンバンバンは忘れてやった。
 俺は、柏木さんからいただいたメールを見せた。


 《オン・バサラ・ダトバン》


 「オオ! そうじゃ! これじゃ!」
 「大日如来の真言だそうだよ。随分と大物をもらったな」
 「ああ、あの和尚がうちのためになぁ!」
 「へぇ、余程偉いお坊さんだったのか?」
 「そうじゃ、雲竜寺の和尚じゃ」
 「あの和尚!」

 俺も散々世話になったが、そんなに偉かったかどうかは知らん。
 でも、素晴らしい人だったのは確かだ。

 




 翌月、榎本から連絡があった。

 「じいさん、今朝亡くなったよ」
 「そうなのか」
 「ああ、大往生だ。自分でも満足してたよ。最期にトラに会えてよかったって言ってた」
 「そっか」

 榎本から葬儀の予定を聞いた。

 「トラは忙しいだろうから来なくていいからな」
 「いや、通夜は無理だけど、葬儀には行くよ」
 「いいって」
 「いや、行かせてくれ」

 榎本は遠慮していたが、俺が行きたかった。

 「じいちゃんな、トラに感謝してたよ」
 「え?」
 「お前が忘れてたうちの真言を調べてくれただろ? あれが本当に嬉しかったらしい。毎日唱えてたぞ」
 「そうか。まあ、喜んでもらえたのなら、俺も嬉しいよ」
 「トラはやっぱり最高だってさ」
 「なんだよ?」
 「じいちゃんさ、昔からお前のことが大好きだったんだ。だから、お前が来るって知ってどうしても会いたいってさ」
 「ああ、そんなことを聞いたな」
 
 榎本が言った。

 「俺がトラの話をすると、いつもニコニコして聞いてたんだ。結構頑固で自分中心の人だったんだけどな」
 「へえ」
 「トラの話だけは違った。もっと教えろって、いつも聞きたがってたよ」
 「そうだったか」

 よくは分からない。
 まあ、俺なんかのことで楽しんでもらえたのならば、それでいい。

 葬儀の日。
 近所の人たちも集まって、結構な人数に見送られた。
 みんな、思い出話は頑固な人だったとか言っていたが、みんなに愛されていたことが分かった。
 葬儀が終わり、榎本が息子の正雄を俺の前に連れて来た。

 「こいつ、うちで働くことになったんだ」
 「そうか! 良かったな!」
 「ああ。こいつはじいちゃんのことが大好きでな。じいちゃんの面倒を見るんだって働きもしねぇでよ」
 「そうだったのかよ」
 「甘ったれた奴だけどな。これからはビシビシやるぜ」
 「そうか、おい、正雄。お前頑張れよ」
 「はい!」

 正雄が真面目な顔で俺に頭を下げた。

 「まあ、榎本の子どもだな」
 「なんだ?」
 「自分よりも大事な人間ってな。ちょっとおかしな考え方をするけどよ」
 「なんだよ!」
 「ワハハハハハハハハ!」

 正雄も笑っていた。
 榎本も苦笑していた。

 俺はアヴェンタドールに乗り込み、榎本たちに手を振った。
 榎本が正雄の耳元で何か囁いているのが見えた。
 正雄の顔が輝き、俺に手を振って叫んだ。

 「石神高虎様! バンザーイ!」

 正雄が榎本に何を言われたのかは分からない。
 でも、正雄の顔が感激に満ちているのが見えた。
 俺も窓を開けて手を振って去った。
しおりを挟む
感想 61

あなたにおすすめの小説

烏の王と宵の花嫁

水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。 唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。 その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。 ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。 死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。 ※初出2024年7月

【完結】シュゼットのはなし

ここ
恋愛
子猫(獣人)のシュゼットは王子を守るため、かわりに竜の呪いを受けた。 顔に大きな傷ができてしまう。 当然責任をとって妃のひとりになるはずだったのだが‥。

芙蓉は後宮で花開く

速見 沙弥
キャラ文芸
下級貴族の親をもつ5人姉弟の長女 蓮花《リェンファ》。 借金返済で苦しむ家計を助けるために後宮へと働きに出る。忙しくも穏やかな暮らしの中、出会ったのは翡翠の色の目をした青年。さらに思いもよらぬ思惑に巻き込まれてゆくーーー カクヨムでも連載しております。

【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。

文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。 父王に一番愛される姫。 ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。 優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。 しかし、彼は居なくなった。 聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。 そして、二年後。 レティシアナは、大国の王の妻となっていた。 ※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。 小説家になろうにも投稿しています。 エールありがとうございます!

政略結婚の先に

詩織
恋愛
政略結婚をして10年。 子供も出来た。けどそれはあくまでも自分達の両親に言われたから。 これからは自分の人生を歩みたい

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

【完結】狡い人

ジュレヌク
恋愛
双子のライラは、言う。 レイラは、狡い。 レイラの功績を盗み、賞を受賞し、母の愛も全て自分のものにしたくせに、事あるごとに、レイラを責める。 双子のライラに狡いと責められ、レイラは、黙る。 口に出して言いたいことは山ほどあるのに、おし黙る。 そこには、人それぞれの『狡さ』があった。 そんな二人の関係が、ある一つの出来事で大きく変わっていく。 恋を知り、大きく羽ばたくレイラと、地に落ちていくライラ。 2人の違いは、一体なんだったのか?

さようなら、初恋

芙月みひろ
恋愛
彼が選んだのは姉だった *表紙写真はガーリードロップ様からお借りしています

処理中です...