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プロローグ: 邂逅交錯

File.04 不穏

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File. 04 不穏


叡智中央高校えいちちゅうおうこうこう

戦子達が通う高校。偏差値55。
ただしこの数値は、名門大学を目指す特進クラスから掃き溜めの不良がのさばる普通科に至るまで、実にピン72キリ33の偏差値分布が関係している。

入試は書類のみ、授業・教科書・特別活動に至るまで完全無償であり、貧困連鎖解消への取り組みのモデルとなっている学校。
部活動は武道系のスポーツがほとんどを占めており、全国大会などにも顔を見せている強豪が多い。




「そう! その鉤爪の奴と、俺は勇気を出して戦ったわけ! でも油断して怪我しちゃって、もうダメだ、って時に戦子ちゃんが飛び出してきたんだよね。可愛いなぁ、俺のためにあそこまでして 俺も怪我を押してこいつがほかのみんなの所に行かないようにって思いで立ち上がってさ~ 」
「はぁ…そうですか」

 生徒会 副書記長、草刈ツムギは、新田が自慢げに語るのを淡々とした様子で聴取している。

 新田タケトの白々しい武勇伝を聞き流しながら、ツムギは調書に「 “備考・虚言癖あり”」と書き加えた。

「 ねぇツムギちゃん」
「...はい?  」

 新田が声色を優しく甘いものに変える。

「俺、前からツムギちゃんともお友達になりたいな~って思っててさ 」
「...はぁ 」
 新田は、すっと席から立ち上がると、向かいのツムギの席の横に歩み寄ってきた。
 普通の女の子なら、この隣で腕をついて寄り添う動作だけでときめくのかもしれない。

「あの不審者が現れた時、真っ先に君のことが思い浮かんだんだよね。もしアイツが 君のところに行ったらって」
「それは、どうも」
「今度、お互い無事だったお祝いにお茶でもしよーよ。あ、メガネ取ってみて、ツムギちゃんは絶対そっちの方がカワイイよ」

 牛乳瓶の底みたいな眼鏡に伸ばしたその腕を────取った。

 衣服が擦れる音と共に、新田の身体は触れた腕を中心に宙返りを打つ。

 うわ、と声を上げる暇もなく新田は地面に叩きつけられた。

「...何の関係値もなくメガネ女子から眼鏡を取ろうとするなんて…あなたもまだまだですね、新田くん 」
「っ、けほっ...なにがだよ...」
「草刈ツムギ、柔術部」

 新田は目を見開いた。

「あなたが今驚いている通り、私のような少女マンガオタクで根暗な女の子でも、武道格闘技に精通する。それがこの学校 」

「現に、当校に在籍する部活動のほとんどが、こうした戦闘技術に関わるもの。わかりますか 」 
「なんなんだよ! ちょっとアドバイスしてやっただけだろ!? 」
「あなたの格闘技も ここではまだまだと言ったのです 新田タケトくん」
「...クソッ!」

 いきなり新田の拳が、ツムギの顔面に迫る。
 立ち上がりざまのイレギュラーな体勢とはいえ、人中を捉えた真っ直ぐな一撃。いかにもボクシングらしいストレートだった。

「おわッ!」

 だが、左右からふわりと触れられた腕が、急速に左方向へ捻り落とされる。
 結果、右ストレートを放った新田は、突き手を内側に傾けられる形で顔面から床に落とされることとなった。

「ところで、あなたが今回ちょっかいをかけた黒夜崎 戦子一味、あの3人の部活はなんだと思いますか 新田くん」
「知るか! 離せよ! 痛えなクソッ!」
「…”ボランティア部”です」

 その言葉で、新田の普段の営業スマイルをかなぐり捨てた罵声が止まる。

「あぁ、 ”ボランティア部など、この学校にて最弱” だなんて、漫画みたいなことを言うつもりはないですよ。むっしろ…ッ」

 ツムギは、言葉の途中で暴れ出そうとした新田に触れた腕から、肩を外さんばかりに横方向へ圧迫する。

「… 

 その叫びは絶望か苦痛か、耐えきれなくなった新田の悲痛な絶叫が生徒会室から響き渡った。



「んで、口利きのために生徒会から任せられた仕事がコレかァ」

 ボランティア部、本日の活動。
 先日のゲリラ豪雨により荒れたグラウンドの整備。
 特に、粘土質の土砂に埋まってしまった側溝の掘り返しと、上蓋鉄板の再設置だ。

「ヨウヨウは深く考えすぎなんだよ~ これも依頼のひとつ考えれば気持ちは楽になるって」

 女子部員、甘味坂 ミクは、スコップを杖に溜息をついている陽貴に背中越しから声をかける。なるほど彼女のように、何事もひたむきに真っ直ぐ頑張れる純粋さがあれば気は楽だろう。小刻みに土をすくい上げて掘削を進める陽貴とは対照的に、彼女は腰をしっかり落とし、側溝の底まで角スコップを突き入れて、ゴッソリと分厚い土の層を軽々と掘り出している。

 ふん、んんんんんんん~、と声を上げながら下腹あたりまで持ち上げたあと、えーい、と土を三才一輪車に放り出す。

 およそ女性とは思えない怪力。それが、甘味坂ミクの特技だった。

「それ、ボランティア部は今日も、世のため人のため頑張るのであったー!あーちょちょちょちょちょー!」
「うわっ、もっとゆっくり掘れェ! 泥がこっちにかかるだるォ!」

 台車に放り出される土のスパンが早くなったことで、そこから降りかかる土も多くなる。洗濯するとはいえ体操服も制服みたいなものなのだから、勘弁して欲しい。

「よーし溜まった!土撒き行ってきまーす!」

 掘り出した土は、雨ででこぼこになった地面の舗装に使う。
 ミクはスコップを叩き置くと、背伸びして家事の手伝いを申し出る末っ子みたいなテンションで三一の柄を取り、グラウンドの真ん中へ突進して行った。

「ったく....なぁ、黒ーッ!!!!」

 陽貴が叫んだ先には、2人が担当する場所から少し離れた溝を掘り返す女子部長・黒夜崎 戦子の姿がある。
 彼女には陽貴の声は届いていないようだ。彼女は、人と接しない時は不気味なほど黙々と作業をこなす。まるで取りつかれたかのように、声をかけるまで一心不乱に掘り続けるのだ。またか、というように肩をすぼめて陽貴は彼女の方へ歩き出した。

「おーい黒...あ、おい黒...! 」 

 戦子の表情が目で捉えられる距離まで歩くと、陽貴の歩みはやや小走りとなる。
 至近距離まで歩み寄っても振り向かない彼女の肩を、正面を向かせる形で掴んで引き寄せた。

― 強化 適応者リアクター ―

 突然ぶつかった視線に、戦子は目を見開いて驚いたままきょとんと固まっている。

「...出てんぞ、 “目の色“」
「えっ嘘...」

 …戦子は、戦闘時に意図的に出す時以外、この真紅の瞳が発動することに無自覚らしい。彼女の場合、極端に集中すると瞳の色が変わっていることがあるのだ。

「 深呼吸 」

 戦子は言われるまま目を閉じて、鼻から吸った息を口からゆっくり吐き出す。2、3度繰り返すと、開いた瞳は平常時のチョコレート色にもどっていた。

「疲労溜まると制御きかなくなるんだろ、”それ” 。今日は切り上げて帰ろうぜ黒ォ」
「う、うん ありがと…それでその、陽貴、肩...」

 そういえば、両肩を掴んだままだったことを思い出した。
 おっとわりぃ、と肩を離すと、戦子は1度背を向けて髪をかきあげ、両頬を叩く仕草をした。

「あら ご機嫌よう陽貴君 」

 そこへ、乱入者が現れた。

「肉体労働に巻き込まれて、お疲れでしょう? どう、 これから2人でお茶でも」

 陽貴の腕を掴んでまくし立てる生徒会副会長―鬼女谷 マイの腕を、音もなく戦子は取った。

「ごめん委員長、先約あるんだよ」
「あら、相変わらずね黒夜崎さん 背面を取られるまで足音1つしなかったわ」

 戦子は瞳の色は見せず、にこやかな笑みのままマイの背後にいる。
 陽貴の視点からも、左斜め前にいた戦子がここに移動したのをまるで捉えられなかった。

「そうだぞー!私たちのヨウヨウは、簡単には渡さなーい!」
「あなたも...相変わらずね 」

 いつの間にか戻ってきて、陽貴の肩越しからひょっこりと顔を出したミクの振る舞いに、マイはこめかみを抑えている。彼女にとって、ミクの存在は戦子以上に苦手らしい。

 マイは戦子に掴まれた手を軽く振り払うと、観念したようにあっさりとこう言った。

「仕方ないわ、4人で行きましょ」
「 …いいの? 私達も居て」
「草刈さんが聴取だなんて人と接する仕事、積極的だと思う?  どうせあなたの仕業に決まっているわ」

「全く、油断も隙もないわね。草刈さんに何を渡したのかも聞かせてもらうわ」
「えぇ?  生徒会では1番目を離しちゃいけないってのは委員長も同じでしょ?  」

 二人の間の火花のような熱視線を遮るように、ミクは背後からマイに抱きついた。

「いえーい! 委員長の奢り~!」 
「...え!?  ちょっと! どうしてそうなるの! 」

 冗談じょーだん! と、肩を叩かれて不満そうな顔をするマイの傍ら、戦子がそっぽを向いて舌打ちをする。

 黒、まさかそれも含めて見返りに俺たちを駆り出したんじゃないだろうな。

 そんな疑念を孕んだ怪訝な視線から逃れるように、しばらく戦子は陽貴の方を向かなかった。



「お、やっぱここに居た」

 むわりとした独特の湿気と、そこかしこで響く金属が軋むような音。ある者はそびえ立つ身の丈以上の器具から伸びる鉄棒にぶら下がり、背中を閉じる力で全身をせり上げる。またある者は、ベンチとベッドの中間のような器具に足をかけ、斜めにしたボディを折り曲げて腹直筋を段階的に折りたたんで丸め込み、背中が着くギリギリまで戻してからまた丸める。

 そして桃髪の少年、小鷹狩 遼の目の前には、約80kgの吊り下げ式サンドバッグに、マグナムの発砲音もかくやという爆発音を響かせてその豪脚をめり込ませる女が居た。

「鍛え直す。万が一のこともあるからな 」

 彼女がそう言い置いて2週間。
 彼女は前回の事件の報告書に追われ、遼は別行動で標的の足取りを追っていた。
 それがようやくまとまったことを報告しに、奥から響く一際大きな爆発を追ってここにたどり着いたのだった。

 そう、ここはトレーニングジム。
 ただのトレーニングジムではない。
 MISTの育成する人材像である、”名を知られない戦闘のプロ “達が身体作りに執心する鍛錬場のひとつ。

 女の身長は、174cm。体重は.....よしナ、レディの前だぜ。

 とにかく、女性としては十二分に規格外のその長身から鞭のように捻り出されるミドルキックは、本革製の表面に、ひと目では信じられない凹みを一瞬作る。

 その衝撃がつきぬける度、後ろでサンドバッグを支える女の子は非常に辛そうな顔を見せていた。かわいそ

 女——鮫島 レイカは、蹴りの連撃をひとつ止めたところでチラリとこちらに目線を移す。

「待ってろ、すぐ終わらせる 」

 そう言うと、レイカはまた目の前のサンドバッグに取り憑かれ、虚ろながら鋭い眼光で蹴り込み続ける。

 それから3分の間、レイカの蹴りのキレは衰えることはなく、サンドバッグを凹ませ続けた。

***

「それで 何が分かった」

「黒夜崎 戦子、16歳。叡智中央高校に通う女子高生」

「おい、待て。叡智中央高校と言ったか? 」

「…ハイ、鮫島サンご出身でしたよね確か。まァ標的が後輩だったら驚くのも無理ないっすよネ。」

「….」
「続けます。この女、この学校では珍しく”ボランティア部”に属してるようでして、 周辺地域の公園清掃、自然保護活動、デイサービスセンター等への補助活動などに従事してるみたいっスよ」

「殊勝なことだな 」

「ハイ、でもちょっとおかしいんですよ。このボランティア部、行く先々に時たま暴走族とか反社がナワバリ張ってた場所があったらしいンですけど 彼女らが行ったあと、解散ないし失踪してます 」

 これらも表に出てないだけで黒に限りなく近いグレーっすネ。
 そう続けた遼に相槌を打つ。
 やはり、あの若頭が最初ではなかったのだ。
 レイカはさらに緊張を高める。私が本気で戦ったとしても、無傷では帰れないかもしれない。

「そしてこの女子高生」

 遼は、続けて資料に目を落としながら、一息置いてこう告げた。

13  」





 虚無僧という人種を直接目にしたことは無いが、実際にいる虚無僧というのは、ああいう奴のことを言うのだろう。”ソイツ”は、人気のない路地裏の道端に佇んでいた。

 俺が何故その人気のない路地裏に足を踏み入れているのか。簡単な事だ。日常だったのだ。学校帰りは、俺を嘲笑うクラスメイトを避けなければならない。通学路は当然、あの底意地の悪いギャル連中に鉢合わせる。商店街はキックジムのキツい女子とその彼氏の軍団が集団でゲーセンにたむろしている。運が悪ければコンビニから大声をかけられるかもしれない。

 つまりは消去法。誰とも会わずに家に着くには、ここしかない。それを見越していたように奴はいた。

「新田 タケト」

 そして、すれ違いざま奴は俺の名を呼んだ。
 そのあるかなしかの馴れ馴れしさが気に入らなかった。
 その笠面に、振り返りざまの右を打ち込んだ。

 手応えは、あった。
 だが、力を出したかったのは、その場所ではない。
 新田の拳は、この怪人物の手によって捕らえられ、顔面に届く前に万力で固定されていた。

「良い反応速度だ。だがまずは落ち着くといい 」

 このまま左の拳を出せば、この人物の攻撃は触れることも許さずこちらに先に到達する。なんの躊躇いもなく、新田を斬り捨てる。そんな雰囲気を醸し出していた。

 コイツの攻撃が分からない。拳を止められたまま半身で向かい合っているだけなのに、確実にこちらが仕留められる射線が見える。そしてこの体勢では、それをかわすことはできない。

「...落ち着きのない負け犬で悪かったな 何の用だオッサン 」

 オッサン、と呼ばれてその人物は少し沈黙をしたが、咳払いをして言葉を繋ぐ。

「君は...”取り残されている”」
「...あ?  」
「孤独、疎外感…自己有能感への渇望」

 難しい言葉ばかり並べて訳の分からない奴だと思ったが、言い得て妙だった。俺は青春から取り残されている。
 自分を変えたいと思って始めた格闘技だったのに、俺の学生生活はパッとしないまま。女にも...見下されている。

「この辺りで、被験者を探している。これまでは他者からの気まぐれで理不尽な悪意に晒され、これからは他人に自分の存在を見せつけて幸せになる権利を持つ少年だ」
「 幸せになる、権利....!? 」

 その言葉で、暗雲が立ちこめていた心に希望の光が差し込む予感がした。だが、引っかかった言葉は1つでは無い。

「や、待てよオッサン。被験者って」
「...難しいことじゃない。 この”活力剤”が君を強くする」

 持ち出されたのは、ドロップ缶のような、銀色の容器だった。映画で出てくる、お酒を入れる水筒にも見える。

 そこから手のひらに錠剤が載せられる。

「飲んでみるがいい」

 効能は聞かされていない。普段なら胡散臭いといって投げ返すだろう。

 けど、この惨めな現状が、いつまでも続くとしたら。このまま暗黒の学生時代を送って、ずっとそのコンプレックスを背負って生きていくとしたら。

 度重なる屈辱と虚無感の日々で、新田の視野は狭まっていた。

 この黄色い錠剤を、迷いもなく口にするほどに。

「…! が! ァァあ!!!」

 新田は突然胸を抑える。カッターシャツのボタンを乱雑に外し、掻きむしるようにもがきながら苦しんだ。

 身体が熱い。

 肉体全体が脈打ち、激痛が全身を走る。

「少しの 我慢だ」

 4、5分程だろうか。俺が苦しんでいる間、ソイツは微動だにせず立ってたんだ。

 俺もその時は気が動転しててさ、怪しい薬だって分かってても思わず手を取ってたんだ。

 でも、今はそんなこと大した問題じゃない。
 俺はこの力をツムギちゃんを守るためにいてててててててててて! 分かった! 分かったから!真面目に話す! ギブ! ギブ! タップ! タァァァァァァップ!!!

「は、は…ッ」

 …4、5分ほどして、浅い呼吸音だけを響かせる新田を見下ろして、その人物はようやく言葉を発した。

「おめでとう。これで君は救われる」

 表情は見えなかったが、その人物はにまぁと口角を上げて笑っているような雰囲気を見せた。

「お?  新田じゃん。何路地裏で寝てんだよ、ついにホームレスデビューかぁ? 」

 声のした方へ目を向けると、見知った顔がぼんやりと見えた。
 尾上。俺の新天地となるはずだったジムで、俺の新しい天敵になった奴だ。

 惨めな姿を見られ、笑われたことで殊更今まで受けた仕打ちを思い出した。

 縄跳びをすれば後ろから罵声を浴びせられ、集中を乱されて縄が足に引っ掛かかれば大勢で笑われる。耐えきれずに帰ろうとしたら、後ろからもっと笑われたこともあった。

 トレーニング器具のチェアに使えば、わざとこっちに寄ってきて、小突きながら引き剥がして奪ってくる。使い終わっても、これみよがしに占拠して長話を広げ、時折ニヤニヤしながら指を指してくることもあった。

 シャドーをしていれば、スパーリングだと無理やりリングに引っ張りだされたこともあった。尾上の過剰な程の暴力性に、真面目に練習した技術が通じた試しはない。

 カラカラの喉で息をしながら、何がおかしいのかと腹立ち紛れに見返していると、立ち上がろうとする身体が軽いことに気がつく。

「復讐の時だ。立つがいい」

 それを見越したかのように促され、視点を高くする。

「お?  やんのか?  たかだか1年齧っただけのペーペーが!」

 ポン、ポンと跳ねてみる。

 あれだけ思うように動かなかった硬くて重い身体が、羽毛のように軽い。

 ヤツは驚いて固まった。
 ヤツの言う「1年ちょっとのペーペー」が、軽快なリズムに乗れていることに見入っている。カモとしてみていたターゲットの記憶と、目の前の生意気な奴とのイメージが合わないのだろう。

 次に思う通りに打撃を放ってみる。

 素早い。

 大気を切り裂くような切れ味。反応すら許さなかった。

 ワンツー、潜りボディアッパー。
 軽快に跳ね返ってくる、顔面と顎を打ち据える感覚。
 相手がさらに固まったのを見て、姿勢を低くし肋に深く突き刺した。

 きっもち良い。充足した手足の力に安心して、程よく力が抜けている。こういうのを、理想のパンチというのだと思った。

 驚愕の表情で見開かれた瞳を見て、分かった。
 もう反撃なんか出来ない。
 躊躇も恐れも、まごつきもなかった。なんの感情もなく、2歩後退して下がったコメカミに、思うがままの蹴りを振り抜く。
 蹴った先から飛沫と共に何かが弾け砕けるような足ごたえを感じた後、そいつは動かなくなった。

 敗者となった天敵を前に、抑え込まれていた憎悪と怨念が一気に溢れ出す。

「…ハ! はァァァ!?  よわっ! なんだよお前! よっっっっわ!!!」
「偉そうにさぁ! 自分が正しいみたいにさぁ! 俺の事笑ってさ! なぁ! その程度かよ! なぁ! なぁ!」

 目を輝かせ、憎き相手を踏みつけ続けた。
 満足するまで仕返ししたあと、手にした力に酔っていることを見通すように、ソイツは更に畳み掛ける。

「そうだ、それが君の力。 何もかもを思い通りにできる幸せの形」

 今度は掴みかかるのではなく、そいつの手を握りしめる形で詰め寄る。

「なぁ、ありがとなアンタ! ありがとう! 最高だよコレ! いくら?  俺バイトするからいくらでも出すよ!」
「これは慈善事業だ 君の幸せを願う以上、金銭の類は受け取れない」 

 金銭を、受け取らない? 

「そんなの悪いよ! なぁ! なんでこんなにしてくれるんだ! だったらせめて仲間にしてくれ! 俺、この力使って役に立つよ!」
「君は君の幸せを願うがいい。それが私達の願いだからな 」

「あんたら、一体…」
「私達は、”レフト”。君と同じ、”取り残された者”だ」

 取り残された者。
 その響きに、新田は心が割れそうな物悲しいものを感じた。

「それより君は、その力で何を為したい」

 その言葉で、新田はバタフライナイフのような切れ味となった手のひらを握って開いてしながら、徐々に怒りの表情に染まる。

「そんなの...もちろん 復讐だよ」

 新田は充血するほど握りこんだ両手を震わせ、これまでの屈辱の学生生活を想起する。
 男にはサンドバッグ代わり、女には性玩具紛いのパシリ。どれも耐え難いものだ。

 今度は、俺がアイツらをオモチャにしてやるんだ。
 湧き上がる激情と獣性が、新田の理性を真っ黒に蝕んだ。



「———そしてその薬で得た力で喧嘩三昧...いえ、復讐行脚に学校中の不良を痛めつけていたそうよ」

「そして、彼らの前で恋人を犯していたそうだわ」

 そこまでは不良たちの自業自得だけど、と付け加えてマイは続ける。

「でも高校に上がってからの彼はやり過ぎた。不良だけじゃなくて、一般生徒にも手を出し始めた。中学までの衝動的な暴力じゃなくて、あの手この手の略奪で女子生徒を手篭めにしたのよ。そういえば生徒会のメンバーにも言い寄ってきたわ、汚らわしい」

 そこまで言うと、マイは運ばれてきたコーヒーを啜った。

「仕返しもホントは良くないけど...人の恋に手を出すのは復讐には関係ないじゃん!アイツ、最悪っ」
「やめろ 注目集めてるって」

 いつもより低い声で唸っていたミクは、陽貴の一声で周囲から来る途切れ途切れの視線に気が付いて小さくなる。

「んでぇ、その麻薬で現れる能力っつーのは...」
「 よく聞いてくれたわ、陽貴くん。感覚、筋力の強化 そして、瞳の色の変化が特徴ね」
「こんなのか? 」

 得意げに胸を張るマイに顎で示された先には、禍々しい程の赤。真紅色の瞳をこちらに向ける戦子。

「——ぎゃあああああああああッ!? 」

 得意げに語っていた威勢はどこに行ったか、手を暴風に煽られた風車のようにぶん回して椅子ごとひっくり返りそうになる。

 間一髪で椅子を掴んでもらい転倒は免れたが、驚きと動揺は隠せなかった。

「あっ...あなっあなたも麻薬... !?  」
「違うよッ! 委員長は体育館で1度見たじゃん! これは自力で開眼したのっ 」
「ひぃッ!? 」

 赫い瞳のまま机を叩いて凄んでしまったからか、マイは涙を浮かべていやいやする。ため息とともに陽貴に制されると、戦子は”あ...”と反省したようにそっぽを向いて頬をかいた。

 陽貴は、顔面蒼白でショックを受けた様子のマイを連れ出すようにミクに目配せする。

そして2人を見送ると、陽貴は静かに切り出す。

「…黒。”自力で開眼した”ってどういう意味だ? 」

 びく、とこちらに跳ね上がるような勢いで戦子はこちらに向き直る。

 その表情は不安げで怯えの見えるものであり、普段の戦子からは想像もできない繊細さを感じさせる。

「黒、話したくないだろうからずっと聞いてこなかったけどよ…その”眼”」

 そこまで続けただけで、戦子の不安の色はさらに拡がった。

 話したら、俺達が離れていくんじゃないか。居場所をなくすのではないか。そんな不安が見え隠れする。


「…普通に生きてきて手に入った能力、ってわけじゃないよな? 」

 陽貴は、戦子の様子を伺いながらゆっくりと一言ずつ尋ねる。

 戦子はこう見えても、コワレモノの少女だ。そのことを、一緒に居るからこそ陽貴は薄々分かっている。だから、湧き上がる疑念を感情のままにぶつけることは、しなかった。

「黒。話せる範囲で良い、俺らにくらいちゃんと話せ」
「…これは、父さんからの訓練で…その」

小さく、か細い声だった。今にも消えそうなかすれ声だが、それでも1歩1歩、勇気を出すように言葉を選んでいるようだ。


「訓練? 」
「うん。というより、ほとんど虐待みたいな」

 それについては、これ以上答えたくない。
 そう示すように、俯いて黙り込む。

「この瞳、”臨界眼”って言って 極限状態を克服すると身体能力とか、反射神経とかが強くなる人がたまにいるの。その極限に追い込まれる状況が今の社会では少ないから隠れちゃってるだけで」

 極限状態に追い込む訓練。それは、おおよそ俺たち一般人が想像できるような生易しいものではないのだろう。いつも強気で明るく振る舞う戦子が口をつぐんでいるのが、何よりの証左だった。

「だから、多分…」
「あぁ、多分そのドラッグは 潜在的な臨界眼を引き出す効果があるんだろうな」

 重苦しい沈黙が訪れる。戦子達は、これまでも何度かトラブルに見舞われてきた。だが、それは街の不良グループに付け狙われるなど、その程度のことだ。

 麻薬なんて知らない。未知。想定外だ。そして、そんなものを売り捌きするような相手というのは、当然────

「だんだん話がやべぇ展開になってんなぁ。黒、そのドラッグ使ってた新田ってどんな様子だったんだ」
「新田の臨界眼は、白金色だった」
「白金色?  その色はなんの能力なんだ? 」
「ないよ」

 ない。拍子抜けするような答えの意味を、理解するのに時間がかかる。

 何となく実態が掴めそうなところで、戦子が模範解答を差し込んできた。

「この瞳みたいに特殊な能力は持ってないってこと。引き出されてたのは最低限の身体能力だけ」


「新田に渡されたクスリはただの試供品みたいなことも言ってた。多分アイツの話からして、もっと強いクスリがあるはず」
「いやそれってやべぇんじゃ…」

「ちょっと…誰か!」


 不意に、


 2人の間で渦巻き始めた底知れない不安をかき鳴らすように、取り乱した女の声が店の中に響いた。



「13歳以前の生まれ育ち、その他もろもろのデータが 存在しないンです」

「…何? 」

 レイカは、思わず眉をひそめる。

 青霹女学院での変態騒動から2週間。裏で動いていた所長の口から、その戦子なる名前を耳にした。

 だが、日本国の公安暗部の諜報機関たるMISTが調べあげるデータの中に、特にこの桃髪の少年が持ってくるデータに、”該当ナシ”の文字は見たことがない。

 中東のスラム街で屯するゴロツキですら、生い立ちを漏らすことなくデータ化されるのにだ。

 だったら、なんなんだこの女は。

 その時、3人の衛星スマホに、同時にメール受信の通知が響く。

 第1文は、「招集」だった。




「委員長? 」
「どした! 」

 2人は立ち上がる。尋常ではないマイの声色と、彼女が1人であることにとてつもなく嫌なものを感じ取りながら。

「甘味坂さんが! 」

 その一言で、2人の顔色が一瞬で変わる。湧き上がった焦りと恐怖が、こめかみの血管を浮き上がらせるほどの憤怒に変色するのに、さほど時間はかからなかった。


To be continued…














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