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南へ南へ
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ぼくらはそこから近くのコンビニのイートインコーナーへ行き、作戦を練り直すことにした。当てにしていた五十万円が一気に無くなったのだ。残りは一葉さんの財布に残っている数千円のみ。飛行機なんて夢のまた夢で、電車の運賃さえ惜しがる始末だ。
「コンビニのATMは使えないんですか?」
「一日に下せる限度額超えちゃったんだよね。さあ、どうやって沖縄に行こうか」
一葉さんがさっき買ったミネラルウォーターの蓋を、手でいじりながら呟く。
ぼくはさっきのことが気になってしょうがなかったけど、約束を信じて夜まで忍耐強く待つことにした。
「別に沖縄じゃなくてもいいじゃないですか」
「そうなんだけどさ、南に行くのは変わりないじゃん」
タクシーは高いし、自転車を買う余裕もない。歩いていくのも現実的ではなく、疲労も多すぎる。
一体どうしたものかと思案していると、一葉さんが「あっ」と言い、窓の外を指差した。
「あれに乗ろうよ」
指の先には、大型トラックがあった。運転席から大柄な男が出てきた。さっきの男たちと負けず劣らずの強面だ。
「運転席三人分はあるでしょ? 乗せてもらおうよ」
「ヒッチハイクってことですか? でも……」
正直、かなり怖い。あの人は人を寄せ付けない圧を身にまとっている。話しかけるなんてとても……。と思っていると、いつの間にか一葉さんが声をかけに行っていた。
「すみませーん、お兄さんトラックでどこまで行くんですか?」
「京都までだけど」
「京都も南か。なら、わたしたちのこと乗せてくれません?」
一葉さんが親指でぼくのことを指す。男の人はじろりとぼくを見ると、「あん?」と唸った。
・・・
一定間隔に並んだオレンジ色の街灯が、代り映えのない夜の高速道路を照らしている。もうどれくらい走ったのだろうか。知ろうにも腕時計もスマホも持っていないし、車内にはカーナビの類はない。デジタル時計もひび割れて壊れている。あるのは三人映った家族の写真だけだ。
「寝なくていいのか?」
運転手――長田さんが、真ん中に座って熟睡している一葉さんを一瞥する。
「大丈夫です。それに、乗せてもらってるのに失礼ですから」
「そんなの気にしねぇよ。それにしても誰かと一緒に運転するのは久しぶりだな。それに、ヒッチハイクは初めてだ」
にひりと少年のように口角を上げる。
「彼女か?」
「そ、そういうわけじゃなくて。その、姉弟というか……」
長田さんは声を出して笑うと、「そういうことにしておくよ」と缶コーヒーを一口啜った。
しばらく沈黙が続いた。タイヤから伝わってくる振動が心地よい。
ふと、長田さんが「なにかあったのか?」と聞いてきた。
「なんでそう思うんですか?」
「ただの勘だよ。でも、割と結構当たる」
「はあ……」
「っていうのは半分冗談で、誰だって悩みはあるんだよ。特に、コンビニでいきなりヒッチハイクしてくる年頃の子供なんかな」
笑い声交じりにからかってくる。
「それで、どうしたんだ?」
「……母親のことなんですけど」
「仲が悪いのか?」
「わからないです。親が勉強勉強って四六時中言ってくるので、ぼくが疲れてしまって」
長田さんは低く唸ると、「勉強かぁ」と頭を掻いた。
「おれが一番苦手な分野だな。まあ、親は大学進学進めてきたけど、結局高卒選んだ」
「大学に入らなくて、後悔してますか?」
長田さんは思案するように、視線をあちこちに向けた。
「そうだなぁ。後悔はしてる」
「なんでですか?」
「だって大卒の方が給料いいだろ? 大体のエリートは良い所の大卒出だし、ウチの会社の上司たちもほとんど大学行ってたからな。やっぱり、学はあったに越したことはないと思うぜ」
「なら、なんで大学に行かなかったんですか?」
「単純に家計が厳しいかったのと、勉強が嫌いだったからだな。資金面なら奨学金を使えばよかったけど、頭の方はどうしようもなかったし」
自嘲気味に乾いた笑い声をあげる。
お母さんの顔が浮かび上がった。いい高校へ、いい大学へ。長田さんの言う通り、それがきっと正しい道なのだろう。
「今は結婚して子供もいるから幸せだけどな。……どうした? 急に俯いて」
「いえ、なんでもないです」
頭の中で母さんの声が大きくなる。実際、母さんが言っていることはなに一つ間違ってない。良い大学に入ること
は良いことですか? と百人に聞いたら百人が肯定するだろう。
ぼくが悶々としていると、長田さんがサービスエリアで飯を食おうと提案してきた。その途端、夜ご飯を食べていないせいか、空腹で下腹がきゅうっと痛んだ。
真夜中だというのに、駐車場には沢山の車が止まっていた。大型トラックの他にも、家族連れもいるようで、熟睡している小さな我が子を抱きながらトイレに向かう親も多々いる。
一葉さんを起こし、レストランへ行く。中は盛況で、カレーの販売所には人だかりができていた。ぼくと長田さんはラーメン、一葉さんはマグロのたたき丼を頼んだ。長田さんは頼み終わると、トイレに行ってしまった。
席に座り、渡された呼び出し機を机に置く。うつらうつらと舟を漕いでいる一葉さんに、「起きてます?」と聞いた。
「起きてるよ。すんごい眠いけど」
「すみません。昼間のことについて聞きたいんですけど」
一葉さんは小さなあくびをして、「……そうだった。本当は言いたくないんだけど」と前置きした。
「山桐組って知ってる?」
「建設会社の名前じゃないですよね?」
「違う違う。普通、なんとか組って言ったらヤクザでしょ」
「……もしかして、あの有名な山桐組ですか?」
自分でそこまで言って詳細に思い出す。山桐組と言えば、関東最大の暴力団だ。テレビで暴力団絡みの事件があれ
ば、必ず山桐組の名前が付いてくる。
「そうそう。わたし、その山桐組で偉いヤクザの子供なんだよね」
「冗談じゃないですよね?」
「残念だけど、本当だよ」
一葉さんが呼び出し機をいじりながら、つまらなそうに答える。
正直、心の奥で薄々勘づいてはいた。ファストフード店で会った二人組の人相はまさしくヤクザ。それにお嬢と言
うのだから、それしかないだろう。
「でも、なんで逃げ出したんだすか?」
「実は親父が一週間後若頭になるんだよ。――ああ、若頭って言うのは組長の次に偉い人のことなんだけど、それになるための儀式があるんだよね。家族のわたしも参加しなくちゃいけないらしくて、面倒くさいから逃げてきたってわけ」
「そんなに嫌なんですか?」
「だってヤクザだよ? 見栄しか張れないデクの坊ばっかり。しょうもない連中だよ」
心底嫌いなのか、侮蔑を籠めた顔で散々にこけ落とす。
「でも、ナンバーツーになる儀式なら、かなり重要ですよね。黙って許してくれるとは思えないんですけど」
「そうだろうね。多分、今でもやっきになってわたしを探してると思うよ。ウチ、変に家族意識強いから」
これからも、あんな調子で追われ続けるのだろうか。そう考えると、急に怖くなってきた。
「なら、ここでやめませんか? だって、ヤクザに追われる旅なんか……」
ぼくがそう言うと、一葉さんが両手でぼくの手を包み込んできた。
「お願い! 一週間だけだから! 親父の面子を潰せたらそれで十分ななの!」
「ロクでもない理由ですね」
一葉さんのうるうるとした瞳がぼくに注がれる。わたしを置ていかないで、と捨てられた子犬のような視線に、仕方なく同意するしかなかった。
一週間だけなのだ。山桐組がどれだけいるか詳しくはわからないけど、流石に日本列島隅々まで探す能力はないはず。万が一見つかったとしても、誘拐じゃないんだから命はとられない。最悪、旅の仲間だといえば、怖い目に合うこともないだろう。……多分。ぼくだっていずれは帰らなくちゃいけないんだから、せいぜい一週間くらいの旅になるはずだ。
呼び出し機が鳴った。同時に長田さんが戻ってきて、一緒にラーメンを取りに行った。
「コンビニのATMは使えないんですか?」
「一日に下せる限度額超えちゃったんだよね。さあ、どうやって沖縄に行こうか」
一葉さんがさっき買ったミネラルウォーターの蓋を、手でいじりながら呟く。
ぼくはさっきのことが気になってしょうがなかったけど、約束を信じて夜まで忍耐強く待つことにした。
「別に沖縄じゃなくてもいいじゃないですか」
「そうなんだけどさ、南に行くのは変わりないじゃん」
タクシーは高いし、自転車を買う余裕もない。歩いていくのも現実的ではなく、疲労も多すぎる。
一体どうしたものかと思案していると、一葉さんが「あっ」と言い、窓の外を指差した。
「あれに乗ろうよ」
指の先には、大型トラックがあった。運転席から大柄な男が出てきた。さっきの男たちと負けず劣らずの強面だ。
「運転席三人分はあるでしょ? 乗せてもらおうよ」
「ヒッチハイクってことですか? でも……」
正直、かなり怖い。あの人は人を寄せ付けない圧を身にまとっている。話しかけるなんてとても……。と思っていると、いつの間にか一葉さんが声をかけに行っていた。
「すみませーん、お兄さんトラックでどこまで行くんですか?」
「京都までだけど」
「京都も南か。なら、わたしたちのこと乗せてくれません?」
一葉さんが親指でぼくのことを指す。男の人はじろりとぼくを見ると、「あん?」と唸った。
・・・
一定間隔に並んだオレンジ色の街灯が、代り映えのない夜の高速道路を照らしている。もうどれくらい走ったのだろうか。知ろうにも腕時計もスマホも持っていないし、車内にはカーナビの類はない。デジタル時計もひび割れて壊れている。あるのは三人映った家族の写真だけだ。
「寝なくていいのか?」
運転手――長田さんが、真ん中に座って熟睡している一葉さんを一瞥する。
「大丈夫です。それに、乗せてもらってるのに失礼ですから」
「そんなの気にしねぇよ。それにしても誰かと一緒に運転するのは久しぶりだな。それに、ヒッチハイクは初めてだ」
にひりと少年のように口角を上げる。
「彼女か?」
「そ、そういうわけじゃなくて。その、姉弟というか……」
長田さんは声を出して笑うと、「そういうことにしておくよ」と缶コーヒーを一口啜った。
しばらく沈黙が続いた。タイヤから伝わってくる振動が心地よい。
ふと、長田さんが「なにかあったのか?」と聞いてきた。
「なんでそう思うんですか?」
「ただの勘だよ。でも、割と結構当たる」
「はあ……」
「っていうのは半分冗談で、誰だって悩みはあるんだよ。特に、コンビニでいきなりヒッチハイクしてくる年頃の子供なんかな」
笑い声交じりにからかってくる。
「それで、どうしたんだ?」
「……母親のことなんですけど」
「仲が悪いのか?」
「わからないです。親が勉強勉強って四六時中言ってくるので、ぼくが疲れてしまって」
長田さんは低く唸ると、「勉強かぁ」と頭を掻いた。
「おれが一番苦手な分野だな。まあ、親は大学進学進めてきたけど、結局高卒選んだ」
「大学に入らなくて、後悔してますか?」
長田さんは思案するように、視線をあちこちに向けた。
「そうだなぁ。後悔はしてる」
「なんでですか?」
「だって大卒の方が給料いいだろ? 大体のエリートは良い所の大卒出だし、ウチの会社の上司たちもほとんど大学行ってたからな。やっぱり、学はあったに越したことはないと思うぜ」
「なら、なんで大学に行かなかったんですか?」
「単純に家計が厳しいかったのと、勉強が嫌いだったからだな。資金面なら奨学金を使えばよかったけど、頭の方はどうしようもなかったし」
自嘲気味に乾いた笑い声をあげる。
お母さんの顔が浮かび上がった。いい高校へ、いい大学へ。長田さんの言う通り、それがきっと正しい道なのだろう。
「今は結婚して子供もいるから幸せだけどな。……どうした? 急に俯いて」
「いえ、なんでもないです」
頭の中で母さんの声が大きくなる。実際、母さんが言っていることはなに一つ間違ってない。良い大学に入ること
は良いことですか? と百人に聞いたら百人が肯定するだろう。
ぼくが悶々としていると、長田さんがサービスエリアで飯を食おうと提案してきた。その途端、夜ご飯を食べていないせいか、空腹で下腹がきゅうっと痛んだ。
真夜中だというのに、駐車場には沢山の車が止まっていた。大型トラックの他にも、家族連れもいるようで、熟睡している小さな我が子を抱きながらトイレに向かう親も多々いる。
一葉さんを起こし、レストランへ行く。中は盛況で、カレーの販売所には人だかりができていた。ぼくと長田さんはラーメン、一葉さんはマグロのたたき丼を頼んだ。長田さんは頼み終わると、トイレに行ってしまった。
席に座り、渡された呼び出し機を机に置く。うつらうつらと舟を漕いでいる一葉さんに、「起きてます?」と聞いた。
「起きてるよ。すんごい眠いけど」
「すみません。昼間のことについて聞きたいんですけど」
一葉さんは小さなあくびをして、「……そうだった。本当は言いたくないんだけど」と前置きした。
「山桐組って知ってる?」
「建設会社の名前じゃないですよね?」
「違う違う。普通、なんとか組って言ったらヤクザでしょ」
「……もしかして、あの有名な山桐組ですか?」
自分でそこまで言って詳細に思い出す。山桐組と言えば、関東最大の暴力団だ。テレビで暴力団絡みの事件があれ
ば、必ず山桐組の名前が付いてくる。
「そうそう。わたし、その山桐組で偉いヤクザの子供なんだよね」
「冗談じゃないですよね?」
「残念だけど、本当だよ」
一葉さんが呼び出し機をいじりながら、つまらなそうに答える。
正直、心の奥で薄々勘づいてはいた。ファストフード店で会った二人組の人相はまさしくヤクザ。それにお嬢と言
うのだから、それしかないだろう。
「でも、なんで逃げ出したんだすか?」
「実は親父が一週間後若頭になるんだよ。――ああ、若頭って言うのは組長の次に偉い人のことなんだけど、それになるための儀式があるんだよね。家族のわたしも参加しなくちゃいけないらしくて、面倒くさいから逃げてきたってわけ」
「そんなに嫌なんですか?」
「だってヤクザだよ? 見栄しか張れないデクの坊ばっかり。しょうもない連中だよ」
心底嫌いなのか、侮蔑を籠めた顔で散々にこけ落とす。
「でも、ナンバーツーになる儀式なら、かなり重要ですよね。黙って許してくれるとは思えないんですけど」
「そうだろうね。多分、今でもやっきになってわたしを探してると思うよ。ウチ、変に家族意識強いから」
これからも、あんな調子で追われ続けるのだろうか。そう考えると、急に怖くなってきた。
「なら、ここでやめませんか? だって、ヤクザに追われる旅なんか……」
ぼくがそう言うと、一葉さんが両手でぼくの手を包み込んできた。
「お願い! 一週間だけだから! 親父の面子を潰せたらそれで十分ななの!」
「ロクでもない理由ですね」
一葉さんのうるうるとした瞳がぼくに注がれる。わたしを置ていかないで、と捨てられた子犬のような視線に、仕方なく同意するしかなかった。
一週間だけなのだ。山桐組がどれだけいるか詳しくはわからないけど、流石に日本列島隅々まで探す能力はないはず。万が一見つかったとしても、誘拐じゃないんだから命はとられない。最悪、旅の仲間だといえば、怖い目に合うこともないだろう。……多分。ぼくだっていずれは帰らなくちゃいけないんだから、せいぜい一週間くらいの旅になるはずだ。
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