さらば従順な羊とギャル

色沢桜

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助け

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 その時だった。

 物凄い衝撃と共に、小屋全体が軋んだ。天井に溜まった埃がはらはらと落ちてくる。

 予想外の出来事に、ぼくの指が緩んだ。蛭野もなにが起こっているのか理解できていないようで、あたふたと視線を巡らせている。

 再び小屋全体が震える。扉の外側から衝撃が加わっているのだ。蝶番のネジが耐え切れなくなって、半分以上浮いてしまっている。

 そして三度目の衝撃で小屋の扉が吹っ飛んだ。現れたのは、柴原さんと、スーツを着た中年の男だった。

「大丈夫か!」

 柴原さんがぼくと一葉さんを抱きしめて、小屋の反対側の隅に移動させる。一葉さんは目を丸くしてスーツの男を見て、「お、親父……?」と呟いた。

「あれが一葉さんの親父さん……」

 親父さんは小屋の中を見まわすと、蛭野に視線を向けて、「やってくれたな」と言った。

「カタギにチャカ渡したのか」

 蛭野は呆然と親父さんを見つめると、はっと目を見開いて、「い、いや、違います! こいつに奪われただけで!」と弁解した。

「それがどうした? そもそも、なぜお前がチャカを持ってる? 誰も許可してないだろうが」

 蛭野の顔が見る見るうちに真っ青になっていく。

 柴原さんがぼくらの前に出て、巨木のような手で蛭野の肩を掴むと、お腹に膝蹴りをした。

 蛭野が目をむいて地面に倒れ込む。口からを吐瀉物を吐きだし、手足をばたつかせる。

「てめぇ、一葉とカタギのガキに手ぇ出しやがって! このクズが!」

 無理やり立ち上がらせて、太い腕で顔面を殴る。鼻血が飛び、歯の欠片が転がった。

 一葉さんが、「なんでここがわかったの……?」と親父さんに聞いた。

「組に電話がきて、その車に弟とお前が誘拐されたと連絡が来たんだよ。調べてみたら、ちょうど柴原がやってるレ
ンタカーショップの車だったってわけだ」

 レンタカーショップ? 蛭野達は車を借りていたのか?

 それより、電話したのって……。

「でも、それがなんの関係があるの?」

 一葉さんが聞くと、柴原さんが蛭野の首根っこを掴んだまま、「おれはよく知らないが、近頃のレンタカーには盗
難防止のGPSがついてるんだ。だからここまで追跡できたんだよ」と説明した。

 親父さんが咳払いをする。すると、後ろから数人のスーツ姿の男たちが、三人を捕らえて引きずっていった。蛭野は決死に抵抗して、なんとか親父さんの目の前で跪いた。

「すいやせん! この失敗は挽回するので! どうか、どうか勘弁してください!」

「お前、まだ再起できるとでも思ってるのか? 甘えてんじゃねぇ。てめぇはこれから死ぬより苦しいことが待って
るんだぞ。せいぜい一秒でも長生きできるように頑張りな」

 蛭野の顔がより一層青ざめる。悲痛な叫びをあげて許しを請いていたけど、ハンカチで猿轡をされて連行されていった。

 親父さんはそれを見送ると、ぼくの方へ向き直った。

「さてと、まずは詫びをしなくちゃいけねぇ。この通り、すまんかった」

 親父さんが深々と頭を下げる。

「いえ、助けてくれてありがとうございます」

「当然だ。むしろ、末端と言えどもウチのもんが巻き込んじまったことは本当に申し訳ねぇ」

 そして、手をこちらに差し出してきた。

「チャカは渡してくれ。こっちで処分する。もちろん、慰謝料は相当分出させてもらう所存だ」

 ぼくは一瞬渡そうと思ったけど、すぐに自分へ引き寄せた。

「嫌です」

「なんだと?」

「返したら、すぐに一葉さんを連れていくつもりでしょう? ぼくとはもう関わらせないつもりでしょう?」

「なにが問題だ?」

 言葉に苛立ちを感じる。少し恐怖を覚えながら、「ぼくの言うことを聞いてください」と要求した。

「慰謝料か? どれだけ欲しい? 望みなら、一千万くらい――」

「違う!」

 ぼくが声を掠らせながら叫ぶ。

「お金じゃない! 一葉さんのことを言ってるんです。一葉さんは、ヤクザとして生きていたくないんです! 一人
の女性として生きていきたいんです! 一葉さんを解放してあげてください! そして、二度と関わらないでくださ
い!」

「それは、あんたには関係ない話だろうが。家のことに口出ししちゃいけねぇ」

「関係ないかもしれないです。でも、こうでもしないと絶対に一葉さんの気持ちを知ろうともしないじゃないです
か!」

 ぼくは一葉さんの手を握った。

「今しかないです。自分の気持ちを伝えないと」

「でも、聞いてくれたことなんてない」

「何回拒絶されようと、相手が誰であろうと、一葉さんは一葉さんです」

 大丈夫、と手を強く握る。

 柴原さんの言う通り、一葉さんは弱くて脆い。無数の傷を負いながら、ぎりぎりのところで強気な笑顔を浮かべて
いたのだ。

 今こそ、親父さんと決別するべきだ。

 一葉さんは不安そうな顔でぼくを見てから、なにかを覚悟した顔で俯いた。そして、拳を固めて、「わたしの話、聞いて」と言った。

「家と縁を切りたい」

「お前はおれの倅だ。シノギやらないで、なにするって言うんだ。今まで女々しい格好は大目に見てきたが、家を出ることが許されるわけねぇだろうが」

「だってわたしの気持ちなんて聞きやしないじゃない!」

 その場が一瞬静まり返った。

「お前の気持ちだと?」

「山桐組の男だって言われ続けて、着たくもない男物の袴を着させられて、やっと義務教育が終わって自由になれて
も、親父から離れられなかった! そんな生活嫌だったの!」

「なにがおかしい。お前は男で、おれの倅だ」

「わたしは女だよ!」

 乾いた音が鳴った。親父さんが一葉さんの頬を打ったのだ。

 一葉さんは唇を食い縛ると、親父さんを睨んだ。

「わたしは、わたしの生き方をする」

 親父さんが睨み返す。

 長い時間睨み合っていた。すると、親父さんがふっと視線を逸らし、「勘当だ。二度とその面見せるな」と言い放
った。

「これからはおれの子じゃねぇ。二度と組と関わるな。わかったな」

「わたしも二度とごめんだね」

 親父さんは、ふん、と鼻を鳴らすと、再びぼくへ手を差し伸ばしてきた。今度は素直に渡した。拳銃をスーツの内
ポケットに入れると、背中を向けて出て行ってしまった。

 柴原さんがその後に続いていく。なにか言いたげに口を開きかけたけど、結局なにも言わずに去って行っていった。

「賢治、ありがとう」

「ぼくこそありがとうございます」

「なにが?」

「ええっと、いろいろです。言葉にできないですけど」

 一葉さんがぷっと噴き出す。ぼくもつられて笑ってしまった。

「行きましょう」

「そうだね」

 一葉さんの手を取って外に出る。ちょうど、山桐組の車が走っていった。

 一つだけまだ残っている車があった。今まさに、ぼんやりと煙草をふかして立っている兄さんのボロ車だ。

「やっぱり兄さんだったんだ」

「わかったのか?」

「兄さんの目の前で連れ去られたし。弟と彼女が連れていかれたって言ったら、兄さんしかいないでしょ」

「それもそうか」

「でも、どうやって山桐組の電話番号がわかったの?」

「山桐組くらい大きな組織の電話なら、ネットで簡単に見つかるからな」

 そう言って、スマホをポケットから取り出す。

「さすがにこいつらのグループの電話番号はわからなかったから、直接組に連絡したんだ。おたくが管理してるレンタカーショップの利用者が犯罪を犯している、ってな」

「なんでレンタカーだってわかったの? いや、それよりも、山桐組がレンタカーショップを経営してるって、どこから知ったのさ?」

「車のナンバーが『を』だったんだよ」

「を?」

「ああ、レンタカーのほとんどは、『を』ナンバーなんだよ。教科書には載ってない情報だな。それに、このご時世、ヤクザもレンタカーを借りたら逮捕される。半グレでも警察にマークされてれば危険はあるんだから、自分の所でレンタカーショップを経営してて組員に貸してる可能性くらい、想像できるだろ?」

「そうなんだ……」

「そうしたらビンゴ。ついでに身内が巻き込まれてるって伝えたら、随時GPSの情報をくれて、なんとか間に合った
ってわけだ。まあ、半分賭けみたいなもんだったから、成功してよかった」

「それにしても、よく間に合ったね」

「あいつら、一旦は市内に来ていたんだが、途中で元来た道に戻って行ったんだ。もし回り道せずにまっすぐここに来られたら、きっと間に合わなかった」

 兄さんはそう説明して大きな煙を吐くと、「帰るか」と、運転席の扉を開けた。ぼくはそれを遮るように、「待って。行きたいところがあるんだ」と言った。

「どこだ?」

「母さんに会いたい」

 兄さんはしばらく黙り込んでから、「会ってどうする?」と聞いてきた。

「一葉さんはきちんと自分の気持ちを伝えた。ぼくも自分で自分の気持ちを解決したいんだ」

「言っておくが、母さんはさっきのヤクザより厳しいぞ」

「知ってるよ」

 兄さんは逡巡するように煙草を手で弄んでから、「わかった」と運転席に乗り込んだ。

 まだぼくには怪物が残っている。このわだかまりを解消しないと、一葉さんのように新しい人生を歩めない。

 心の中の恐れが伝わったのか、一葉さんが手を強く握ってきた。ぼくは無理やり笑顔を浮かべ、「大丈夫です」と後部座席の扉を開けた。
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