最後の晩餐はあなた

こうやさい

文字の大きさ
1 / 1

最後の晩餐はあなた

しおりを挟む
『自殺願望でもあるの?』
 その時彼女は含み笑いをしていた。

 たしかマンガの影響だったと思う。
 最後の晩餐――つまり人生最後の夕食……に限らなくても何を食べたいかという話だ。元々はそういう意味ではなかったらしいが。
 当時なぜか大真面目に考えた覚えがある、何が一番好きな食べ物かという意味で。
 色々載ってるプレートがいいのか、豪華に分厚いステーキを腹一杯喰うべきか、いっそ新発売の制覇してないお菓子を喰い尽くすべきか……。
 で、最終的にはホテルのビュッフェという結論が出た。ホテルのってとこがポイントな。その辺の量だけが取り柄のようなところは嫌だ。いやホテルのとか行ったことないけど。

 そう彼女に力説すると微笑ましそうな表情で聞いてくれた。

「自殺願望でもあるの?」

 その後がこれだ。意味がわからず眉根を寄せてしまってもしょうがない。
「あのね、死ぬって予想はできても予定は立てられないの」
 それに気づいたのか補足されるが、ますますわからない。
「事故死とかした人は突然だから事故なのであって、『この後事故死しそうだからこれが最後の食事だし好きなものを食べよう』って人はまずいないじゃない。だから最後の晩餐の予定が立つわけないでしょう?」
「なら病死は?」
 と反論したのはとりあえずの反射だった。
「死ぬ直前まで普通に好きなものを好きなまま食べられる食欲があって食事ができる長患いな人は少ないと思う」
 確かにただの風邪ですらステーキとプリンならプリンを選ぶ。普段ならプリンも嫌いじゃないけど、その分量分ステーキを食べていいと言われればそちらを選ぶだろう。
「急死なら死因は違うけれど事故と条件は同じだし、毎回食事の度に『これが最後かもしれないから』なんて考えるのは好きなものだけ食べたい言い訳じゃないなら疲れそうで嫌。食欲もなくなりそう」
 もうすぐ自分が死ぬと食事のたびに思いながら生きるのは確かにキツいだろう。明日死んでも後悔しないように生きろといった人がいたらしいが、さすがにそれとは違うだろうし。
「だから本当に死ぬ前に食べようと思うものを悩むのは無意味よ。自殺するなら別だけど」
「いやちょっと考えただけだし」
「それにビュッフェだと『あれもあったのにお腹いっぱいで食べられなかった、これも有ったのに時間がなくて食べられなかった』って、むしろ未練を残しそう」

 それはまだまだ結局のところ子供で、死が縁遠いと思っていたからこそできる会話だった。


 彼女の病が判明したのはそれほど後の事ではなかった。
 最初の騒ぎが落ち着いた後はわりとお気楽な感じで通院し、薬をもらって来て飲んでいたが、だんだんと通院の間隔が短くなり、薬の量も増えた。
 入院することになり「病院の食事って味薄いらしいからその前に」と好物をつついていたのに、まともに食事ができなくなるまで幾ばくもかからなかった。
 むしろ、だからこそ入院することになったのかもしれない。
 それでも点滴だけになるまでは、元気そうというのもおかしいが、死ぬ可能性なんて欠片も考えたことがなかった。
 そうなった彼女は、副作用なのかそういう成分が入っているのか、それとも身体が限界なのか心が折れたのか、会いに行ってもぼぉっとしていることが多く、よく眠るようになった。
 そうして痩せて、儚げな雰囲気をまとうようになった。 
 いずれ会えなくなるであろう日を意識せずにはいられなかった。

 その日会った彼女は、目を開いていたし、確かに起きてはいたとは思う。
 けれど恐らく意識は混濁していたのだろう。
 「なにか欲しいものはない?」というもうほとんど応えることのない質問に囁くような声で「キスして」と返してきた。少なくともそう聞こえた。
 聞き間違いだろうと思った。
 彼女が何をいっているかわかっていない、何かの言葉と間違っている可能性ももちろん考えた。
 誰かと間違われている可能性も。だって僕らはそんな関係じゃない。
 それでも彼女の頬に手を伸ばしたのは、ただ僕が触れたかっただけなのかもしれない。
 まだ存在していることを確かめたかった。
 軽く触れただけの彼女の冷たい唇は、少しかさついていて、薬となぜか血の味がした。
「……ごちそうさま」
 離れた直後にそう言われたのは、恐らく診察や口腔ケアなどの最近なれた刺激以外のなにかが口に触れたことで食事の記憶が思い起こされたからだろう。
 けれどそれがあっているかどうか確かめることはできなかった。
 そのまま彼女は目を閉じ――そうして二度と目を覚まさなかった。


 昇っていく白い煙を見つめる。
 その煙よりも最後に見た彼女は儚げだった。
 そういう意味ではやっと安心できたのかもしれない。
 もうこれ以上、彼女を喪うことはないのだと。
 遺影の写真は病気だとわかる前のもので、ちょうど最後の晩餐がどうこう言っていた辺りのものだ。
 そんな話をお気楽にできたあの頃は本当に幸せだった。
 もし今後考えることがあったとしても、それは叶わない願いの象徴となるだろう。

 ……そういえば、彼女はあの後こう言っていた。
 食べたのが何時でも、食べ物じゃなくとも、本当に最後の時に思い出したものが、きっとそうなのだと。
 食べたことのない食べ物とかだったらどうするんだよ? と言い返した記憶がある。
 それはきっともう少し生きていたかったということねと微笑っていた。
 もしかしたら既に何らかの異変を感じていたのかもしれない。
 彼女が最後に思ったものはなんだったのだろう?
 少なくともの唇でないことだけは確かだろうけど。

 今後どれだけ美味しいものを食べたとしても。
 恋人が出来、どれだけキスを繰り返したとしても。
 きっと僕が最後に思い出すのは。

 薬と血の味なんだろう。
しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。

あなたにおすすめの小説

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

離婚した妻の旅先

tartan321
恋愛
タイトル通りです。

包帯妻の素顔は。

サイコちゃん
恋愛
顔を包帯でぐるぐる巻きにした妻アデラインは夫ベイジルから離縁を突きつける手紙を受け取る。手柄を立てた夫は戦地で出会った聖女見習いのミアと結婚したいらしく、妻の悪評をでっち上げて離縁を突きつけたのだ。一方、アデラインは離縁を受け入れて、包帯を取って見せた。

【完結】愛されないと知った時、私は

yanako
恋愛
私は聞いてしまった。 彼の本心を。 私は小さな、けれど豊かな領地を持つ、男爵家の娘。 父が私の結婚相手を見つけてきた。 隣の領地の次男の彼。 幼馴染というほど親しくは無いけれど、素敵な人だと思っていた。 そう、思っていたのだ。

わんこ系婚約者の大誤算

甘寧
恋愛
女にだらしないワンコ系婚約者と、そんな婚約者を傍で優しく見守る主人公のディアナ。 そんなある日… 「婚約破棄して他の男と婚約!?」 そんな噂が飛び交い、優男の婚約者が豹変。冷たい眼差しで愛する人を見つめ、嫉妬し執着する。 その姿にディアナはゾクゾクしながら頬を染める。 小型犬から猛犬へ矯正完了!?

私、お母様の言うとおりにお見合いをしただけですわ。

いさき遊雨
恋愛
お母様にお見合いの定石?を教わり、初めてのお見合いに臨んだ私にその方は言いました。 「僕には想い合う相手いる!」 初めてのお見合いのお相手には、真実に愛する人がいるそうです。 小説家になろうさまにも登録しています。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

瓦礫の上の聖女

基本二度寝
恋愛
聖女イリエーゼは王太子に不貞を咎められ、婚約破棄を宣言された。 もちろんそれは冤罪だが、王太子は偽証まで用意していた。 「イリエーゼ!これで終わりだ」 「…ええ、これで終わりですね」

処理中です...