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最後の晩餐はあなた
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『自殺願望でもあるの?』
その時彼女は含み笑いをしていた。
たしかマンガの影響だったと思う。
最後の晩餐――つまり人生最後の夕食……に限らなくても何を食べたいかという話だ。元々はそういう意味ではなかったらしいが。
当時なぜか大真面目に考えた覚えがある、何が一番好きな食べ物かという意味で。
色々載ってるプレートがいいのか、豪華に分厚いステーキを腹一杯喰うべきか、いっそ新発売の制覇してないお菓子を喰い尽くすべきか……。
で、最終的にはホテルのビュッフェという結論が出た。ホテルのってとこがポイントな。その辺の量だけが取り柄のようなところは嫌だ。いやホテルのとか行ったことないけど。
そう彼女に力説すると微笑ましそうな表情で聞いてくれた。
「自殺願望でもあるの?」
その後がこれだ。意味がわからず眉根を寄せてしまってもしょうがない。
「あのね、死ぬって予想はできても予定は立てられないの」
それに気づいたのか補足されるが、ますますわからない。
「事故死とかした人は突然だから事故なのであって、『この後事故死しそうだからこれが最後の食事だし好きなものを食べよう』って人はまずいないじゃない。だから最後の晩餐の予定が立つわけないでしょう?」
「なら病死は?」
と反論したのはとりあえずの反射だった。
「死ぬ直前まで普通に好きなものを好きなまま食べられる食欲があって食事ができる長患いな人は少ないと思う」
確かにただの風邪ですらステーキとプリンならプリンを選ぶ。普段ならプリンも嫌いじゃないけど、その分量分ステーキを食べていいと言われればそちらを選ぶだろう。
「急死なら死因は違うけれど事故と条件は同じだし、毎回食事の度に『これが最後かもしれないから』なんて考えるのは好きなものだけ食べたい言い訳じゃないなら疲れそうで嫌。食欲もなくなりそう」
もうすぐ自分が死ぬと食事のたびに思いながら生きるのは確かにキツいだろう。明日死んでも後悔しないように生きろといった人がいたらしいが、さすがにそれとは違うだろうし。
「だから本当に死ぬ前に食べようと思うものを悩むのは無意味よ。自殺するなら別だけど」
「いやちょっと考えただけだし」
「それにビュッフェだと『あれもあったのにお腹いっぱいで食べられなかった、これも有ったのに時間がなくて食べられなかった』って、むしろ未練を残しそう」
それはまだまだ結局のところ子供で、死が縁遠いと思っていたからこそできる会話だった。
彼女の病が判明したのはそれほど後の事ではなかった。
最初の騒ぎが落ち着いた後はわりとお気楽な感じで通院し、薬をもらって来て飲んでいたが、だんだんと通院の間隔が短くなり、薬の量も増えた。
入院することになり「病院の食事って味薄いらしいからその前に」と好物をつついていたのに、まともに食事ができなくなるまで幾ばくもかからなかった。
むしろ、だからこそ入院することになったのかもしれない。
それでも点滴だけになるまでは、元気そうというのもおかしいが、死ぬ可能性なんて欠片も考えたことがなかった。
そうなった彼女は、副作用なのかそういう成分が入っているのか、それとも身体が限界なのか心が折れたのか、会いに行ってもぼぉっとしていることが多く、よく眠るようになった。
そうして痩せて、儚げな雰囲気をまとうようになった。
いずれ会えなくなるであろう日を意識せずにはいられなかった。
その日会った彼女は、目を開いていたし、確かに起きてはいたとは思う。
けれど恐らく意識は混濁していたのだろう。
「なにか欲しいものはない?」というもうほとんど応えることのない質問に囁くような声で「キスして」と返してきた。少なくともそう聞こえた。
聞き間違いだろうと思った。
彼女が何をいっているかわかっていない、何かの言葉と間違っている可能性ももちろん考えた。
誰かと間違われている可能性も。だって僕らはそんな関係じゃない。
それでも彼女の頬に手を伸ばしたのは、ただ僕が触れたかっただけなのかもしれない。
まだ存在していることを確かめたかった。
軽く触れただけの彼女の冷たい唇は、少しかさついていて、薬となぜか血の味がした。
「……ごちそうさま」
離れた直後にそう言われたのは、恐らく診察や口腔ケアなどの最近なれた刺激以外のなにかが口に触れたことで食事の記憶が思い起こされたからだろう。
けれどそれがあっているかどうか確かめることはできなかった。
そのまま彼女は目を閉じ――そうして二度と目を覚まさなかった。
昇っていく白い煙を見つめる。
その煙よりも最後に見た彼女は儚げだった。
そういう意味ではやっと安心できたのかもしれない。
もうこれ以上、彼女を喪うことはないのだと。
遺影の写真は病気だとわかる前のもので、ちょうど最後の晩餐がどうこう言っていた辺りのものだ。
そんな話をお気楽にできたあの頃は本当に幸せだった。
もし今後考えることがあったとしても、それは叶わない願いの象徴となるだろう。
……そういえば、彼女はあの後こう言っていた。
食べたのが何時でも、食べ物じゃなくとも、本当に最後の時に思い出したものが、きっとそうなのだと。
食べたことのない食べ物とかだったらどうするんだよ? と言い返した記憶がある。
それはきっともう少し生きていたかったということねと微笑っていた。
もしかしたら既に何らかの異変を感じていたのかもしれない。
彼女が最後に思ったものはなんだったのだろう?
少なくとも弟の唇でないことだけは確かだろうけど。
今後どれだけ美味しいものを食べたとしても。
恋人が出来、どれだけキスを繰り返したとしても。
きっと僕が最後に思い出すのは。
薬と血の味なんだろう。
その時彼女は含み笑いをしていた。
たしかマンガの影響だったと思う。
最後の晩餐――つまり人生最後の夕食……に限らなくても何を食べたいかという話だ。元々はそういう意味ではなかったらしいが。
当時なぜか大真面目に考えた覚えがある、何が一番好きな食べ物かという意味で。
色々載ってるプレートがいいのか、豪華に分厚いステーキを腹一杯喰うべきか、いっそ新発売の制覇してないお菓子を喰い尽くすべきか……。
で、最終的にはホテルのビュッフェという結論が出た。ホテルのってとこがポイントな。その辺の量だけが取り柄のようなところは嫌だ。いやホテルのとか行ったことないけど。
そう彼女に力説すると微笑ましそうな表情で聞いてくれた。
「自殺願望でもあるの?」
その後がこれだ。意味がわからず眉根を寄せてしまってもしょうがない。
「あのね、死ぬって予想はできても予定は立てられないの」
それに気づいたのか補足されるが、ますますわからない。
「事故死とかした人は突然だから事故なのであって、『この後事故死しそうだからこれが最後の食事だし好きなものを食べよう』って人はまずいないじゃない。だから最後の晩餐の予定が立つわけないでしょう?」
「なら病死は?」
と反論したのはとりあえずの反射だった。
「死ぬ直前まで普通に好きなものを好きなまま食べられる食欲があって食事ができる長患いな人は少ないと思う」
確かにただの風邪ですらステーキとプリンならプリンを選ぶ。普段ならプリンも嫌いじゃないけど、その分量分ステーキを食べていいと言われればそちらを選ぶだろう。
「急死なら死因は違うけれど事故と条件は同じだし、毎回食事の度に『これが最後かもしれないから』なんて考えるのは好きなものだけ食べたい言い訳じゃないなら疲れそうで嫌。食欲もなくなりそう」
もうすぐ自分が死ぬと食事のたびに思いながら生きるのは確かにキツいだろう。明日死んでも後悔しないように生きろといった人がいたらしいが、さすがにそれとは違うだろうし。
「だから本当に死ぬ前に食べようと思うものを悩むのは無意味よ。自殺するなら別だけど」
「いやちょっと考えただけだし」
「それにビュッフェだと『あれもあったのにお腹いっぱいで食べられなかった、これも有ったのに時間がなくて食べられなかった』って、むしろ未練を残しそう」
それはまだまだ結局のところ子供で、死が縁遠いと思っていたからこそできる会話だった。
彼女の病が判明したのはそれほど後の事ではなかった。
最初の騒ぎが落ち着いた後はわりとお気楽な感じで通院し、薬をもらって来て飲んでいたが、だんだんと通院の間隔が短くなり、薬の量も増えた。
入院することになり「病院の食事って味薄いらしいからその前に」と好物をつついていたのに、まともに食事ができなくなるまで幾ばくもかからなかった。
むしろ、だからこそ入院することになったのかもしれない。
それでも点滴だけになるまでは、元気そうというのもおかしいが、死ぬ可能性なんて欠片も考えたことがなかった。
そうなった彼女は、副作用なのかそういう成分が入っているのか、それとも身体が限界なのか心が折れたのか、会いに行ってもぼぉっとしていることが多く、よく眠るようになった。
そうして痩せて、儚げな雰囲気をまとうようになった。
いずれ会えなくなるであろう日を意識せずにはいられなかった。
その日会った彼女は、目を開いていたし、確かに起きてはいたとは思う。
けれど恐らく意識は混濁していたのだろう。
「なにか欲しいものはない?」というもうほとんど応えることのない質問に囁くような声で「キスして」と返してきた。少なくともそう聞こえた。
聞き間違いだろうと思った。
彼女が何をいっているかわかっていない、何かの言葉と間違っている可能性ももちろん考えた。
誰かと間違われている可能性も。だって僕らはそんな関係じゃない。
それでも彼女の頬に手を伸ばしたのは、ただ僕が触れたかっただけなのかもしれない。
まだ存在していることを確かめたかった。
軽く触れただけの彼女の冷たい唇は、少しかさついていて、薬となぜか血の味がした。
「……ごちそうさま」
離れた直後にそう言われたのは、恐らく診察や口腔ケアなどの最近なれた刺激以外のなにかが口に触れたことで食事の記憶が思い起こされたからだろう。
けれどそれがあっているかどうか確かめることはできなかった。
そのまま彼女は目を閉じ――そうして二度と目を覚まさなかった。
昇っていく白い煙を見つめる。
その煙よりも最後に見た彼女は儚げだった。
そういう意味ではやっと安心できたのかもしれない。
もうこれ以上、彼女を喪うことはないのだと。
遺影の写真は病気だとわかる前のもので、ちょうど最後の晩餐がどうこう言っていた辺りのものだ。
そんな話をお気楽にできたあの頃は本当に幸せだった。
もし今後考えることがあったとしても、それは叶わない願いの象徴となるだろう。
……そういえば、彼女はあの後こう言っていた。
食べたのが何時でも、食べ物じゃなくとも、本当に最後の時に思い出したものが、きっとそうなのだと。
食べたことのない食べ物とかだったらどうするんだよ? と言い返した記憶がある。
それはきっともう少し生きていたかったということねと微笑っていた。
もしかしたら既に何らかの異変を感じていたのかもしれない。
彼女が最後に思ったものはなんだったのだろう?
少なくとも弟の唇でないことだけは確かだろうけど。
今後どれだけ美味しいものを食べたとしても。
恋人が出来、どれだけキスを繰り返したとしても。
きっと僕が最後に思い出すのは。
薬と血の味なんだろう。
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