生贄の守り人は婚約破棄をする

こうやさい

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前編

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「お前との婚約を破棄させてもらう」
 とある国、王侯貴族と一部の庶民が通う学園、その卒業式。
 前触れがあったと思う人もいるだろう。
 けれどある意味トートツに、そう婚約者である令嬢に殿下は告げる。
 辺りがざわめく。
 令嬢の顔色がまとっている薄青いドレスの色以上に真っ青になる。
「そう」
 令嬢が落ち着こうとでもするようにゆっくりと瞬きをする。
「そうですのね……」
 視線を殿下の後ろで庇われている精一杯着飾ったであろう、髪飾りだけはそれなりに豪華な庶民の少女に向ける。
 その目はなぜか憎しみででもあきれでもなく。
 憐憫の色を帯びていた。


 ――生贄を捧げなければ国に害が及ぶというもう何度目かわからない預言が表沙汰になる直前の事だった。


「君のためなら国なんてどうでもいい。地の果てまで逃げればきっと二人静かに暮らせる場所もあるはずだ」
 殿下が絞り出すかのように言葉を紡ぐ。
「いいえ、殿下」
 ゆるゆると首を振ってあの日庇われていた少女は提案を断る。
「あたしは殿下がこの国をどれだけ愛していたか知っています」
 殿下が国の将来を楽しみに、時には憂いながらいろいろ語っていたのを少女は聞いている。
 少女には難しい話も有ったが、それでも殿下の気持ちだけは解った気がしていた。
「この国が、そしてこの国を愛している殿下が好きなんです」
 微笑っているつもりの目にたまっていた涙がこぼれ落ちる。
「あたし一人の犠牲で国が助かるなら、喜んで生贄になります」
 その涙は止まる気配を見せない。
「だか……」
「きっとあたしなら神様にでも好かれますよ」
 泣きながらおどけたように言う少女に、しばらくしてから殿下も何とかという感じに笑顔を作る。
「当然だ、俺が惚れた女だからな」
「はいっ」
 少女は今度こそ心から微笑うと、身を翻し、低いが崖になっている部分から冷たい湖に飛び込んだ。
 誰も言葉を発しない中、水に落ちる音はいつまで経っても聞こえなかった。


 その預言、あるいは脅しがいつから下されているのかは分からない。
 ただ気がつくと国の中枢に根付いていた。

 ―――湖に生贄を捧げよ。

 そう告げるものは神だろうか? 魔物だろうか?
 神官にもたらされるそれがどこから来ているかは分からない。
 ただ、繰り返される。

 いつ、誰によって残されたかはっきりしない記録によると、最初は従わなかったらしい。
 当然だ。神官とはいえしょせんは人の身、大勢が聞いたというならいざ知らず、一人では居眠りで見た夢との区別は特に他人にはつかない。
 そして贄は要求するものの具体的な益も代償も何も示さない。
 重要度は低いと判断され、やがて他の様々な雑事に埋まってしまってもしょうがないだろう。

 その年は記録的な不作で、贄に捧げるよりも大勢の人が亡くなったという。

 なので翌年また預言が来たときは、実行する方向に動いた。
 人数が増えたこともありちょうどいいと、その辺りの貧民を攫い投げ込んだそうだ。

 その年は平穏だった。
 無論、何事もなかったわけではないがほぼ予想の範疇に収まり、人の手で何とか出来るのもがほとんどだったらしい。
 ただ、翌年にはまた預言が降ってきた。

 次は病で両親と弟を亡くし絶望していた孤児だったそうだ。
 後を追いたいと死を願いながらも、せめて家族の墓を建てたいと足掻いて更に追い詰められていたらしい。
 墓を建てることを交換条件に話を持ちかけ、湖で死ぬ事を承諾させた。
 けれどそれが何かに捧げられる生贄だとは教えられなかったのか理解していなかったのか。
 やっと家族の元にいけると言い残したらしい。

 それでも三年持ったそうだ。


 根本的な解決方法は未だ見つかっていない。

 もちろん預言が繰り返される度いろいろ試したらしい。
 人間ではなく家畜ではどうか?
 一人ではなく大勢ならどうか?
 身分の高い人間ならどうか?
 もしやあれは偶然でやめても何も起こらないのではないか?

 結果、偶然ではなかった。やめる度に疫病や蝗害や大きな災害が対処出来ない規模で起こった。
 そして今のところ一番長く持つのは生きたいと思っていながらもそれ以上の正の感情を持って自主的になる生贄だった。
 たとえば誰かを守りたいとか、誰かの願いを叶えたいとか。


 殿下が椅子に身体を投げ出す。
 普段なら叱られそうなところだが、今日くらいは見逃して欲しいと思う。
「お疲れ様です、殿下」
 そんな殿下に話しかけてきたのは、あの日婚約を破棄された令嬢だった。
 惚れた女が生贄になった直後にそんな存在が近づけば余計に神経が逆立ちそうなものだが。
「まったくだな」
 殿下はごく気軽な様子でそう返す。
「生贄のがこんなに疲れるなんて思わなかった」
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