FATな相棒

みなきや

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 これまでの人生、小さな不幸を常に感じて生きてきた。

 少しの不幸ぐらいなら、自分でどうにかしてしまえたから。しかし、そうやって小さな不幸を地味にやり過ごしている内に、手に負えない大きな災厄が降って湧いた。
 それはトモカをとんでもない威力でぶん殴って、ギリギリで繋がっていた我慢の糸を切ってしまった。だから、トモカは恥も外聞もかなぐり捨てて、知り合ったばかりの男女を連れて、自身の部屋の前に立つ。
 目の前のドア枠には、硬い何かを打つけた跡が無数に刻まれている。トモカはその跡に震えながら、ドアを開けた。
「アレ?玄関、電気つかないね」
「…ごめんなさい。今朝変えたばかりなんだけど…」
「ア、大丈夫大丈夫。こうして…ほら!ついたよ」
 そう言ってジョージが玄関のスイッチを何度かカチカチやると、パッと明かりが点く。何が起こったか分からなくて、トモカはエッとジョージを見た。
「こういうのは根気が大事なんだよ」
 ジョージは空気中の埃を払う仕草をしながらニコッと笑って、よく分からないことを言う。根気が無機物にどう作用するのか、トモカには理解出来なかった。
「それにしても、散らかってるわね。空き巣でも入ったんじゃないの」
「よく分かんないけど、ポルターガイストってやつなんじゃない?オレ、初めて見るや。てか、ここちょっと埃飛んでない?」
 タムちゃんとジョージは「お邪魔します」と部屋に上がると、散らばった靴を拾っていく。緊張感の無い二人に呆気に取られていたトモカも、慌てて靴箱に入れる作業に加わった。
「…ありがとうございます。こんな、手伝っていただいて…」
「気にしなくていいって。ア、このキャラクター知ってる~!好きなの?」
 振り返ったジョージの手には、アニメキャラクターのフィギュアの頭が乗せられていた。
「う、はい。フィギュア集めてて…」
「そうなんだ。はい、大事なパーツ、見つかって良かったね」
 ニコッと笑うジョージにトモカはポウと見惚れた。
 不思議な人だと思った。彼が微笑むだけで、周囲の空気が幾らか清らかになるような気がする。派手な見た目をしているが、ジョージがいると場が明るくなるようだった。



「靴、片付いたね。他の場所も見せて貰ってもいいかい?」
「はい。散らかってますが…」
 すっかり片付いた玄関で、ジョージにそんな分かりきったことを言う。トモカは今更ながら、美青年に散らかった部屋を片付けられることに猛烈な羞恥を感じていた。
 そんな彼女を置いて、トイレや風呂場を見て回るジョージを余所に、タムちゃんは迷いのない足取りでキッチンに向かった。そして、冷蔵庫の明かりがボンヤリ照らす暗闇の中で、床に散らばった物を拾い上げる。
 御中元で貰ったハムだった。
 タムちゃんはそのハムを握りしめて、これ以上ない程悲しい顔をした。
「なんて酷いことを!この無念、絶対に晴らしてやるからな!」
 そう言ったタムちゃんは何やらやる気に満ちていて、トモカはその気迫に押されて僅かに後退りする。
 そして、ハッと息を止めた。

 タムちゃんの後、見知らぬ女が立っている。ダラリと垂れた長い黒髪に、黒く虚な眼窩でジッとタムちゃんを見ていた。

 トモカは声も上げられず、青褪めた顔でヒッヒッと浅く息をした。
「そ、タム、うし、うしろ…」
「ああん?後ろ?よく分かんないけど、電気どこ?キッチンちょっと借りるわよ」
 タムちゃんは胡乱な顔で後ろを見て、しかし、何事もないかのようにそう言った。
 まさか、見えていないのか。
 トモカが絶望感に言葉を失っていると、タムちゃんは電気のスイッチを見つけたのかカチリとそれを押した。
 パッと部屋が明るくなる。そこに女はいなかった。
 絶対に見間違いなんかではなかった。トモカは冷や汗をかきながら、ブルリとその身を震えさせる。部屋が酷く寒く感じた。
 チカ、チカ、と電球が点滅する。その一瞬訪れる闇に怯えるトモカを余所に、タムちゃんは流しの下や上の戸棚を開けたりしていた。
 そして、フライパンを見つけるとそれをガンとコンロに置いた。チチチチチと音がして、ボッと火がつく。ハムの塊を分厚く切って、温まったフライパンに並べた。ハムがジュウと鳴って、香ばしい香りが漂い始める。
 トモカは呆気にとられてそれを見ていた。
 タムちゃんは床に落ちていた割れていない卵を拾って、それをハムの横に割って入れる。ドンヨリと暗い部屋の中で、それは異様な光景に思えた。一体、彼女は何をしているのか。
「ヒッ」
 ジュウジュウという音をボンヤリ聞いていると、食器棚がガタガタ鳴り出した。トモカは逃げる様に壁に張り付く。
 ひとりでに戸が開いて、中から皿が落ちた。ガチャンという音に、トモカの喉から悲鳴が迸る。
 ヒュッとグラスが飛んで、壁にぶつかって割れる。ギギギギと壁や天井が軋んだ音を立てて、冷蔵庫がバタバタ開閉を繰り返す。
 トモカは恐怖で蹲った。身を守るように小さくなって震える。
 そんな中でも、タムちゃんは暢気に調理を続けていた。フライパンのなかに塩胡椒を振って、飛んできた皿をキャッチすると、それにハムと卵を盛り付ける。その横をヒュン、と包丁が掠めても、箸を探して食器棚を漁った。
「た、タムちゃん!あぶないわ」
「さっきから騒がしいわね。ほら、出来たから、食べるわよ」
「えっ」
 トモカは言葉を失った。「食べるって?え、ここで?」と混乱する。
「む、無理よ…こんな、こんな状況で…」
「うるせーな!こんなのにビビってないで、早く食べな!犠牲になったハムと卵が可哀想だろうが!」
 そうタムちゃんになかなかの剣幕で凄まれて、トモカはグッと言葉に詰まった。その目にジワリと涙が滲む。恐怖と混乱の中での理不尽な扱いに、彼女は最早泣くことしか出来なかった。
「何何?どうしたの?すげ~声したけど…て、ウワ、ここも酷いね。二人とも怪我してない?」
 そこにジョージが現れて、部屋の惨状を見るなり気遣わしげに声をかけた。そして、泣いているトモカにギョッとする。
「え、泣いてる?」
「ウ、ウウ~ッ」
 ジョージの顔を見て、トモカは限界がきたように声を上げて泣いた。突然号泣し出した彼女に、ジョージは慌ててハンカチを差し出す。
「あらあら、あーあ、可哀想に。ちょっとタムちゃん、何があったの?」
「見りゃ分かるだろ。多くの犠牲が出た…私にはこうすることでしか救えない」
「はあ?何?タムちゃん、他所のお家でハムと卵焼いたの?」
 凛々しい表情で皿を持つタムちゃんを見て、ジョージは呆れた声を上げた後ゲラゲラ笑った。明るく無邪気な笑い声が響く。
「さっき食べ損ねたもんね。はいはい、分かった。ここはオレが片付けとく。トモカさんも、食べれる内に食べといた方がいいよ」
 ウッウッと涙を流すトモカに、ジョージは空中の埃を払う仕草をしながら優しい声で言った。そして、彼は床に散らばった破片や手遅れの食品を片付け始める。
「あの…」
「あ、お風呂場とトイレは大丈夫だったよ。ドアは開いてたけど、荒らされたり汚れたりはしてなかった。てか、やっぱり埃飛んでるよね、ちょっと窓開けるね」
「?はい、どうぞ」
 ジョージの言葉に了承しながら、トモカは首を傾げた。そんなに埃、飛んでいるかしら。
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