未明書房

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プロローグ

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『未明書房』

プロローグ:零時の扉

午前0時、街の喧騒はすでに遠く、アスファルトをなぞる風の音がそれに取って代わる。ネオンの色も届かない路地の奥、看板の灯りひとつだけがぽつりと残る。

「未明書房」――扉にかかる木札には、そう手書きで書かれていた。だが、この街に長く住む人間でも、その存在を知る者はほとんどいない。

カラン――
乾いた鈴の音が、ひとりの来訪者を迎えた。

「いらっしゃいませ」
本棚の影から現れたのは、白髪混じりの店主。背筋はすっと伸び、声は低く穏やかだった。

若い女が、扉の前でしばらく立ち尽くしていた。コートの襟をつまんだまま、まるで目の前にあるのが“現実”ではないことに気づいてしまったかのような顔で。

「……ここ、初めてじゃない気がするんです」
「そうかもしれませんね。記憶は、本のかたちをして、時々戻ってきます」

女は視線を棚に移した。背表紙には何の文字もない。だが、手を伸ばした瞬間、そこに彼女の指が触れた一冊が、するりと抜け落ちた。

まるで、誰かが読まれるのを待っていたかのように。
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