未明書房

はぐ

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第一章

第十七話

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第十七話「読まれるための声」

指先が、封筒の縁をなぞっていた。
もう何度目だろう。ページをめくるでもなく、ただそこにある言葉の重みを確かめるように、紙の温度を感じていた。

未明書房の灯りは少し揺れていた。
誰の気配もない静けさの中で、ようやく、彼は封を切る。

便箋には、丁寧で不揃いな文字。
冒頭に名前はなかった。宛名もない。けれど読み進めていくほどに、自分のことだとわかってしまう不思議な感覚。

“あなたの背中を見ていました
 火の向こうで、黙っていたあなたが
 なにかを守っていたことを、ずっと知りませんでした”

心臓がわずかに跳ねた。
あの日、自分の中にあったのは後悔ではなく沈黙だった。
助けることも、名前を聞くこともできず、ただ見ていただけだった。
そのまなざしすら、届かなかったと思っていた。

“あの子はあなたを覚えていたと思います
 名前も知らずに、言葉も交わせずに
 それでも、声のない誰かに
 ゆるしを託していたのではないかと”

彼の手が震える。
読み進めるたびに、あの夜の煙の奥から
ひとつずつ、言葉の形をした光が浮かんできた。

最後の行には、こう書かれていた。

“声が届かなかったことを、どうか責めないでください
 あなたが黙っていたその時間も、
 わたしにとっては記憶の一部でした”

そのとき、ふいに記憶が音を伴って蘇った。
本のページが風でめくれる音。
焦げたカーテンが崩れ落ちる音。
そして――少女の口元が、たしかに何かを言おうとしていた記憶。

聞こえなかったのではない。
聞ける場所に、自分がいなかったのだ。

彼は手紙をそっと折り直すと、しばらく動けずにいた。
胸の奥が、久しぶりに言葉の余熱であたたまっていた。

帰り際、棚の上に文集が一冊開かれていた。
そこに書き込まれていた一行。

“その手紙は、
 書いた人の声ではなく
 読む人の声で届くのです”

誰が書いたのか、もう関係なかった。
彼はゆっくりと頁を閉じた。

火のあとに残ったのは、声ではなく、
読まれることを待っていた記憶そのものだった。
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