未明書房

はぐ

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第一章

第二十話

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第二十話「その声に触れる」

なにかが、降ってきた気がした。
けれどそれは音ではなく、光でもなく――
ひどく小さな、ゆっくりとした振動だった。

波紋のように、胸の奥に広がっていく。
意識というより、記憶の手前のあたりで何かが揺れていた。

最初はそれが、誰かの足音かと思った。
違う。これはもっと静かで、もっと優しい。

「……声?」

そう、たしかに。
遠くのほうで、姉の声がした。
でも、呼ばれているわけじゃなかった。
たったひとりの人間が、
誰かに宛てていないような言い方で
それでも、わたしにだけ届いてしまうような声をしていた。

音にならなかった日々が、
胸のどこかでざわめいた。

「ありがとう」
「ごめんね」
「また会いたい」

どれも言われていないのに、どこかに確かに在った。
まるで、沈んでいた頁がめくられるときの紙の音のようだった。

こんなふうに、わたしの記憶が誰かに触れられたのは、初めてだった。

その声は、わたしを呼ばなかった。
でも、「あなたがここにいたことを、私は忘れない」と、
そう言っているようだった。

わたしは、自分が読まれたのだと悟った。
名前もないまま、
手紙にもならなかった存在が――
声の中で、誰かの記憶に灯されたということ。

涙はもう出ない。
けれど、ずっと冷えていた場所に、あたたかいものが染みていく気がした。

だから、ただこうつぶやいた。

「……ねえ、もう少しだけ、ここにいてもいい?」

声は返ってこなかった。
けれど、その沈黙さえ、
今のわたしにはとても優しかった。
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