未明書房

はぐ

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第一章

第二十二話

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第二十二話「頁はまだ湿っていて」

家に戻ってすぐ、彼はコートを脱がずに机に向かった。
灯りも点けないまま、窓の外にまだ雨の気配を感じていた。
手紙は、その机の上に静かに置かれている。数日前に受け取ったもの。
読んだはずなのに、どうしてももう一度、開きたくなった。

指先が、封の折り目をなぞる。

湿っている。

いや、それはただの感覚かもしれない。
けれど紙の繊維に、まだ誰かの声が残っているような気がして、彼はそっと開いた。

便箋は、ほんの少しだけ波打っていた。
読まれたということは、それだけで何かを変えてしまうのだろうか――そう思いながら、彼は目を走らせる。

火はあっという間だったのに、
あなたの沈黙だけが、ずっと長く残っていたんです。

なにも反論はない。
むしろその言葉の中に、ずっと形にできなかった重さを見出している。

わたしもきっと、声をかけられていたのに聞かなかった。
だからあの夜は、お互いが声を取りこぼした側だったのかもしれません。

彼は指でページを折り直す。
火の記憶は煙のように拡散し、明確な映像にはならない。
でも、音は残っていた。

あの夜、廊下を抜けた先で
小さな音がした。ノートの落ちる音。
少女の肩が震える音。誰かが咳き込む音。

すべてはもう過去だと思っていた。
けれど、誰かが読んでくれたことで、記憶はまた目を覚ました。

机の端に、一冊の文集が置いてある。
以前、未明書房で見かけたものと似ていた。手に取り、開いた。
ある頁に、走り書きの一行だけがあった。

“声は燃えない。でも、沈黙には跡が残る“

彼はしばらく、その言葉と睨み合っていた。

そして――
机の隅に白い紙を一枚置いた。
新しい手紙ではなかった。
まだ何も書かれていない。だが彼にはわかっていた。ここに「誰かのための言葉」を書かなくてはいけないことだけは。

夜の雨が、窓をほんのわずかに叩いた。

それは、沈黙の頁に落ちた、外からの声だった。
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