子鹿くんは狼

中山

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部屋へ戻ると、先にシャワーを済ませた正午は定位置でだらりと座っていた。持ってきた着替えがさっそく役に立つ。

手持ち無沙汰かと思って開いていったノートパソコンから動画の音がしていた。お笑いか。

「寝る?」

「そうだね、ちょっと早いけど」

一人でも大体本を読むかネットを見るかだ。我ながら起伏に乏しい日々で、料理でも覚えてお弁当やら作り置きやらを趣味にしてみようかと考えてみる。となると引っ越しが視野に入ってくるな。気に入っている部屋でもないし、ここの一口コンロは火力が強くはない。

壁と正午に挟まれるようにベッドに入って、向かい合わせで彼の腕に収まる。腕枕は時々でいいので今は遠慮して(あれは逆に気をつかう、そんなにいいものだろうかと紗季は常々考えている)彼は片腕は肘枕、もう片方は紗季の背に回し、足はいつもの通りこちらの足に絡めている。

「ベッド、狭いよね。ごめんね」

「俺大体どのベッドでも狭い」たしかにそうだ。

「おうちは?」

「布団。はみ出しとるけど」

はみ出せば足が浮くベッドよりはまだましかもしれない。

しかし、今はいいがこの先もこのシングルベッドだと疲れさせてしまいそうだ。重いと思われたくないから冗談でも口に出しはしないが、本当に引っ越しを考えてみようか。更新までたしかさほど間はないし、物件をチェックして間取りを見て想像してみるだけでもきっと楽しいだろう。そういえば、そもそも丈の長いベッドというものはあるのだろうか。クイーンやらキングやらは横幅だけでなく縦も長いのだろうか?

正午は体温が高い。ぴったりと胸元にくっついていると心地いいのだが、顔が見えんとポジション替えを要求された。あまりそうは見えないが、その実いちゃいちゃしたがる度合いは彼の方が高いような気がする。家にいてもすぐくっついてくるし。

「髭生えてる」

口の横に少しと、顎のあたりにも。あまり濃い方ではないようだった。指で軽くつついてみる。

「朝剃る」

左腕を紗季の頭の下に差し込んできて、そのままキスされた。このままこの先もできたらいいのに。こんな風に生理を忌々しく思うのは、本当にずいぶん久し振りだった。



朝、隣が空になったのに気がついて目を覚ました。むくりと起き上がると水を流す音がして、薄暗い中を正午が戻ってくる。

「起こしたか」

すまんと言いながら潜り込んできた。ひんやりする。

「今何時?」

「…六時」

「早起きだね」

「もう習慣やな。早い時やったら家出んのが六時とかやし」

大変だ。大変だが、以前帰りはおおむね早いと言っていたし、なんというか、自分に比べて非常にまっとうな生活を送っている。寝ろと抱き寄せて来るので、甘えて彼の胸に頭を擦りつけた。

「眠くないー。目覚めちゃったもん」

黙って頭を撫でてくれた。長い指が櫛のように髪をすいていく。犬や猫にするように耳の後ろをかかれて、けれどなかなか気持ちがいいので、喉を鳴らせるものなら鳴らしたい。

「朝のドライブでも行く?」

「ドライブ」

おお。その手があったか。免許こそ持っているが、自分で車を運転する生活をしたことがないのでそういう発想が出てこなかった。

「M山の方行って、そのまま買い物行く」

「えっ楽しそう!でもいいの? 正午くんはもう寝なくて」

「ええよ」

それならその分早めに解散して休ませてあげよう、と頭に刻んでおいた。



支度をしているうちに明るくなって、二人で部屋を出た。車を取りに正午のアパートへ向かう。

「これ。あんまきれいやないけど」

智哉の車は黒くて大きなSUVだった。ゴツい、よく知らない人だがものすごくそれっぽい。せっかく貸してくれたのにと苦笑すると、まあ俺のよりはなと言われた。少し離れた駐車場を借りているそうで、主に仕事用の軽バンらしい。

乗り込むとかすかに煙草の匂いがした。

「先コンビニ行ってええ? 飲みもん買う」

「あ、私も買いたい」

慣れた様子で発進させると、大通りへ。少し走って国道沿いに出て、やたらに駐車場の広いコンビニで熱いコーヒーを買った。煙草を吸っていいかと訊くのでどうぞと答える。

「車おり」

「いい。正午くんといる」

車のキーを引っ込め、ああそうと言って火をつけた。

彼の吸っているのは昔からある紙巻きで、古いオイルライターで火をつける。蓋を閉じる時のキンと高い音が、寒くて澄んだ朝の空気によく似合っていた。

「煙草、最近は吸えるとこあんまりないんでしょ」

「減ったな。どんどん減りよる」

「電子タバコにはしないの?」

「せん」

あんなもんは煙草として認められん、といかにも嫌そうに言うのでおかしい。

「紗季ちゃん、あんま煙草嫌がらんよな」

「うん。だいいち、正午くんそんなに吸わないじゃん。私の前では我慢してる? もしかして」

「いや」

俺も本数減ったしなと言って、灰皿に灰を落とす。

「一日にどれぐらい?」

「半分減らんぐらい」箱が、だ。

ちょっと黙って、二人で国道を走っていくトラックと時々通るジョガーをぼんやり眺めた。吸い終わった正午が行くかと言って、紗季は彼の手に手を絡めた。



正午が言ったM山は、このあたりだと軽い登山に好まれている場所だ。登山、トレッキング、ハイキング。何がどう違うのか、スポーツにはとんと縁のない紗季はよく分かっていないのだが。たしか奥の方へ行けば小さなダムがあって、紅葉スポットとしても有名だった。まだ見頃まではもう少しあるだろう。

「わー…新鮮」

「何が」

「地元以外で車移動することがないから、知ってるはずなのに全然知らない土地みたい」

窓の外を流れる景色に見覚えのある建物もいくつかあるが、それも遠景だと初めて見るもののように映る。ついでにカーラジオも新鮮だし、運転する正午は新鮮かつ格好良かった。

「運転するんや?」

「…うーん」

「ペーパーか」

「免許取ってから一回しか運転してない」

ありがちやなと言って笑った。地元はどこなのか訊かれたので答える。

「近いな」

「でも郡部だから。近いといえば近いけど、帰ると田舎だなあって思うよ」

「多分俺の方がかなり田舎」お、気になっていたことを聞くチャンスだ。

「どこなの?」

思っていたより西の、海沿いの小さな町だと言われた。町の名前を言われても分からなかった。

「こっち来て…八年ぐらいか」

「八年かあ。ずっと今のところ?」

「そう」

では紗季が今のマンションに移り住む前から彼はここに住んでいたのだ。十八かそこらの正午。見てみたかった気もする。写真とかないだろうか。きっとないな。

「ずっとご近所だったんだね。スーパーとかですれ違ってたかも」

「紗季ちゃんスーパー行かんやろ」

「うっ。じゃあコンビニで」



山まで車を走らせながら、あれこれ話す。正午の運転は余裕があって安定していて、なるほど車に乗ると人格が出るというのは正しいのかもしれないと紗季は思った。比較対象が荒い運転の父とあわてんぼうの母なので、根拠とするには母数に乏しいが。元彼に乗せてもらったこともあったがもう忘れた。

「あ、これあれだ。正午くん好きなんだよね、曲名知らないけど」

ラジオDJが今週のヘビーローテーション! と言ってかけたのは、正午が着ていたツアーTシャツのバンドだ。映画の主題歌だとか言っていた。

「…いや知らんけど。誰?」

「ええ? Tシャツ着てたじゃん」

バンド名を言うとああと気がついた。

「千紘が持って帰ってきたやつやな、多分」

「あの芸能人の」

「そう。多分あいつも貰いもんやろ、俺に回ってきたっつうことは」

「ふうん…」

「好きで買っとったらサイズ違うから、俺は着れんからな」

「なるほど」

あいつチビやからと言うが、聞けば普通だ。正午と智哉に挟まれば大体の人間は小さいだろうに。



そこから好きな音楽の話などして(お互いかすりもしていなくて笑えた)空いている山道を行き、大きなカーブの先に景色の良さそうなベンチを見つけたので停めた。山やドライブウェイには、退避場所も兼ねたこういうスポットがいくつもある。

「あのオレンジっぽいビルのとこが駅かな」

「やない?」

「であっちが東京で」

「曇ってきたな」

今日の予報では降らないと言っていたが、仕事で明日からの天気が気になるのかもしれない。

「紗季ちゃん」

柵に身をもたせかけて物珍しくきょろきょろしていると、すぐ後ろのベンチから声をかけられた。座れと言う。

「え、そこに?」

「いつもここやん」

「…部屋ではそりゃ…」

強引に手を引かれて、足の間に座らされた。腰を下ろすとぐいぐいとさらに引かれ、後ろに体重をかけさせようとする。

「…もう!」

「いい加減諦め」

喉の奥でくっくっと笑っているが、その声というか音というか振動というかがよろしくないのだ、変な気持ちになるではないか。

恥ずかしがっていると抱きしめられて、顎で無理に髪をどけられて(とてもくすぐったい)首筋に顔を埋められた。

「正午くん、この体勢好きだよね…」

「うん」

素直にうんとか言わないでほしい。うっかり可愛い。

「逆でもええけど?」

生足で、と言うので突っ込んでおいた。



まだ早い時間で車も通らないのをいいことにしばらくそのまま座って過ごし(白状するとキスはした)山頂まで行って、油断している正午の写真を撮ってやった。まったくこちらを見ていない隠し撮りだ。

「こら」

「へへへ」

「俺も撮るわ。今度」

ちょっと嫌な予感がした。撮るならちゃんとしている時にしてくれと言おうとして、なんだか藪蛇になりそうでやめた。



「腹減ってきたな。紗季ちゃんどう」

「私もー。モーニングとか探す?」

「行き道でどっかあったら入るか」

デートとは言ったがアウトラインほどの予定しか決めておらず、けれどあれをしてこれをしてというよりずっと気楽で自然な気がする。これまでは、デートって戦いの場みたいなところあったのかも。がんばっておしゃれして、この服は前も着たからとか言って…気づかれもしないのに。

たぶん正午は、新しい服をおろせば気づく。けれどだから良いとか、前と同じだからどうだとか、そんなことは気にもしないだろう。きっとそういうところが楽なのだ。

「あ、今なんか見えた」

「どっち?」

「左手。陸橋の向こう」

古い喫茶店で朝食にした。煤けた梁が味があって、セットのコーヒーがおいしかった。
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