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魔神とシスターの徒然

ルナベレッタの日常⑤

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『Mobius Cross_メビウスクロス徒然:ルナベレッタの日常⑤』



 医療を学ぶ為、ルナベレッタは変わり者のドクター·ヒポポクラティス8世のいりょう店に足繁く通っていた。 (メシア教会へのお布施がちょっとだけ減っているのは内緒だ)


 ドクターの医療は、配慮はあっても遠慮はなく、不可抗力的にグロく、時に性別を問わず繰り広げられる罪深き神秘の門への求道を余儀なくされる。ルナベレッタはそれに、ハラハラゲロゲロドキドキしてしまうのだった。


 そしてさらにドクターは…

「なあ魔神ッ!頼むッ!ちょっとだけでいいから解剖させておくれよッ!?」


「「バカタレッ!!ゴメンコウムル!!」」


「アンタが怪我したら手術してやるからさあッ!!」


「「バカタレッ!!俺は罪さえ吸えば欠損くらいすぐ治るんだ!!」」


「カバタレッ!むしろその秘密を知りたいんじゃッ!!」

「「バカ!」」「カバッ!」


ルナベレッタに宿る罪の魔神ギルトとも仲良く (?)やっていた。


「「まったく…。魔神に対してなんて罰当たりな奴だ…。だいたいなあ、切り開いて見たところで、神が作り出した生命の神秘を解き明かす事などできないんだ!俺も壊すことはしてきたから判る!生き物は機械じゃあないんだぞ!」」


「はんッ!神にできて人間にできない道理は無いねッ!子は親を超えてくもんだッ!

……だいたい…欠陥多いんだよ…」

ドクターが最後ぼそっと言った文句にギルトもルナベレッタも疑問符を浮かべていると、今日も今日とて救急の客が駆け込んで来た…!


 「ドクター!ドクター居るか!?」


「よしゃッ!

…あん?!」

いつものようにちょっと嬉しそうに返事をしたドクターだったが、その客…もとい患者を見て驚きの声が出た。

 息荒く入ってきた男は血まみれで、腕には赤い線(キズ)が何本も…とくに右腕の傷からは鮮血が流れ出ていたのだ。一瞬戦場帰りかと思ったが、見るからに一般市民のなりをしていることが逆に事態の異常性を際立たせていた。


「ゼエゼエ…ドクター!逃げるんだ!息子が…息子が狂っちまった…!」


「はあッ?!何言ってんのかさっぱりだけどとにかく傷見せなッ!」


 傷だらけの男性は、尚も焦ってドクターに「逃げろ」と言うが、血を流しすぎたのかドクターにしがみつくようにして倒れてしまった。ドクターは一先ず、患者を右腕の大きな傷が心臓より高くなるよう横ばいに寝かせ、止血のために帯で縛った。今回はこの止血帯法と傷口を直接圧迫する止血法でなんとかなりそうだ。

ドクターが念の為、ソーイングセットに手をかけたその時である。




「お父ちゃん…やっぱりここに来たな…!」



 一人の青年が乱入してきた。

青年もまた血で汚れた市民の様相…だが傷は無く、手には刃物が握られていた。


ドクターは瞬時に状況を把握した。

「!アンタッ!このおっちゃんを刺したのはそのナイフだねッ!?」


ドクターの顔を見た途端、その青年は震えながら、空きっ歯を食いしばり、次第に歯茎まで覗き、表情には憎しみの皺が深くなっていく…。


「…オマエのせいで…お母ちゃんはあああッ…!!」

 青年はナイフを向けてドクターに突進してきた…!

 身構えるドクター…!


 そのドクターを庇うように、寝かされていた男性が立ちはだかった…!



 その男性を庇うように、立ちはだかるルナベレッタ…!




ザクッ



 しょうがないのでギルトが止めた。

魔神化したルナベレッタの左手は青年の腕ごとナイフを握りこんで血が滴る。

「「…ったく。コイツが父親刺したらそれはそれで美味いかと思ったのに…お前が出たら俺が止めるしか無いだろうが。」」

「ありがとうございます…ギルト様。」


阻止をくらった青年だが、突如現れた異形の手に目もくれず、いまだドクターに対して歯を軋ませて憎悪を剥き出していた。

「…許さないぞドクター…!お母ちゃんを死なせやがって…!」


「はッ?!何のこったいッ!?」


「忘れたとは言わせないぞ…!僕はクシリト!

母はエスメル!オマエが治療に失敗した人だ!!」


「ッ名前なんか知らんわカバタレッ!でもアタイは失敗した治療は絶っっ対に忘れないッ!失敗したってんなら処置歴で言いなッ!」


「オマエが…!“ベロの瘤を切り取った人”だよ…!!」


それを聞いた瞬間。ドクターは、頭脳に蓄えられた膨大な記録の中から2例を索引する…

「!…あん時の舌腫瘍の母親…!…それにアンタは…虫歯抜いてやった息子かいッ!?あの母親、死んだのかッ…?!?」


 ドクターの言葉を聞き、息子のギルトを押し退けようとする勢いは少しだけ弛む。

「…そうだ…!お母ちゃんは死んだ…!ベロの瘤を切って…それでも何度も悪くなって…ベロ全部切って喋れなくなって…やっと治ったと思ったのに…ッ!最後には喉を腫らして苦しみながら死んだ…!!…最期…他の医者に診してみりゃ、“きっとベロの切り口から菌が入ったんだ”とよ…!!

藪医者め…!お母ちゃんはオマエに殺されたんだ…!!」


 息子の悲痛な訴えを聞き、父親は必死に反論していた。

「違うぞクシリト…!ドクターは真剣にエスメルを救おうとしてくれた!恨むなんて間違ってる…」


「…いーや?」

するとドクター、何を思ったか父親の擁護に異を唱えだす。

「…救えない医療なんて強盗と変わらない。恨むなってのは無理な話かもね…。

…だから……。」

ドクターの見解は、普段の彼女からは考え難いほど素直で、遺族の立場に立ったものだった。人一倍医療を愛するドクターは、医療が孕む憎しみにも人一倍触れてきたのかもしれない…。



しかし、このドクターの医療に対する愛は人一倍では済まなかったのだ。



「だから…母親の死体、解剖させてくれッ!

本当に感染症で死んだのか…それともあの毒性腫瘍が喉に転移して死んだのか、確かめさせなッ!」


「な…」「な…!?」「な…!;」「「…」」



 ドクターのあまりに奇想天外な提案に場が凍りつく。

そしてその氷は、息子の沈下しかけていた心のマグマに放り込まれ、爆発を熾す…!

「うあああああああああああッ!!!悪魔め!!!殺してやる!!!」


「なッ、なんだいッ恨むのは理解るがアタイを恨むのは逆恨みってもんだッ!

それよりアンタのかーちゃんは貴重な症例なんだッ!ただ死ぬより、医療の為、未来の為にその死体を使った方が絶対に価値があるッ!!アタイが無駄にはしない!必ずより多くの病人を救う為に役立てるッ!」


父親も絶句を禁じ得ない。理解不能。同じ人間の発想ではないと感じた。


そしてギルトも

「「…ドクターその辺にしておけ。」」


ルナベレッタも

「ドクター…もうやめてください…」



 ギルトの手に捕らえられ進む事ができないながらも、息子はほぼパニック状態で頭を振り乱して絶叫する。

「離せ化け物!!絶対に殺してやる!!!ソイツを殺して僕もシぬ!!」


ドクターにもまた、理解が出来ない…

「クソッ!解らんッ!なんでアンタ達は怒ってんだ…!アタイにはなんでそれが解らないんだ…ッ

なんでアンタ達は解らないんだッ!命を無駄にする気か!…かーちゃんの命を…」


ぶつかり合っている筈なのにすれ違う二つの激情。ルナベレッタにもまた理解は出来ない…

「ドクター…お願い…」


「…くそう…こんな奴を僕が紹介したせいでお母ちゃんは…!!」

「…クソッ…多くの命を救えるかもしれないのに…ッ」



しかしルナベレッタには一つ解る事があった

「ドクター…」

それは、二人共心の底から苦しんでいるという事。





「…救いたいので

黙って。」





 再び場が止まった。ルナベレッタのおそろしく妥やかな一声で。


 ルナベレッタはそのまま、青年を抱きしめた。頬に伝う涙が青年の首筋に伝わっていった。

「貴方の辛さ…痛いほど感じます…。私からも謝らせて下さい。ごめんなさい。ドクターが貴方の心を傷つけてしまってごめんなさい。護れなくてごめんなさい。お母様を亡くされて誰よりも哀しいのは貴方…。わかってあげたい…少しでも…。

お聞かせ願えますか…。」


青年は顔を歪めて喚きだす。

「う、煩い…!!あんたに何がわかる…!!」

ルナベレッタの髪を左腕で引っ張り、幾本かブチブチと千切れる音がした。それでもルナベレッタは離さない。

「わかったつもりでごめんなさい…ひとりよがりでごめんなさい。私の髪を抜いて、貴方の気が晴れるなら、いくらでも持っていってください。私をぶって気が済むのなら、いくらでも頬を差し出しましょう。」


「グ…!そんな…ことで…お母ちゃんを喪った哀しみが…晴れるわけないだろ…!わからないくせに…わからないくせに…」

息子は髪を引っ張っていた手が、握って震えるだけの形に変わった。


「すみません…。私には母を喪う辛さはどうしてもわからないんです…。」


「…やっぱり…!あんたなんかに…!」


「私には母も父も居ないから…」


「…え…?」


「突然の自分語りをお許し下さい。

私は生まれた時から教会に預けられていました。父母の顔も名前も、当然消息も知りません。…だから喪う哀しみも、永久にわかることはないでしょう…。

昔居たその教会で、…誰かが教えてくれました。父母は、私を教会に預ける事で恵を賜った…私の存在が二人を救ったのだ。と…」


「…売られたのか…?あんた…」


ルナベレッタは頭を優しく横に振った。

「…詳しくは聞いていません。…記憶が疎らなので本当は聞いていたのかもしれませんが…今はわかりません。わからなくても良いと思っています。今私には、大切な人達が居るから…私ばっかり幸せで…ごめんなさい…。だからこそ、大切な人をもし失うことがあったら…それが怖くて、恐くてたまりません…。」


「大切な人…っ」

涙が滲む息子の脳裏には母の顔が浮かぶ。


「だから貴方が、人を殺めると言ったり、自分を殺めるなどと言ったら、貴方の大切な人はどう思うでしょう…。貴方が愛したお母様は…貴方を愛するお父様は…どんなに悲しいでしょう…。」

「「ふん。暴走なぞ…哀れだな。別にてめえが悪いわけじゃないだろ…。」」


「うっ…」

涙がツと溢れた息子の目には、愛する父の顔が映っていた。


「それにドクターだって、貴方のお母様を守れなかったことが悔しいのです。哀しいのです。」


「う…嘘だ…ドクター…嘘だと言って…」

息子の祈りにドクターは視線を逸して独白するように答えた。

「…患者を結局死なせて…家族も悲しませてさ…悔しくないわけないだろバカタレ…」


「嘘だ…嘘だ…っ」


「「ヒポポクラティスは本当に悪いと思ってる。罪の魔神ギルトの名にかけて誓ってもいい。」」




罪を悟り、息子の表情は一気に苦しそうになる。

「うあぁっ…お父ちゃん…ドクター…僕は…僕はなんて事を…なんて…!」


ドクン


ギルトの罪吸いが始まる。


「なんて事をっ…!!父ちゃん!母ちゃん!僕は!僕はっ…!」


ドクンドクンドクン


「「ルナベレッタ。」」


「はいギルト様。本意気でお願いします。」


「「当然だ…!」」

ギルトの翼がグングンと膨れ上がっていく…!


ルナベレッタとギルトが交互に言う。

「罪に囚われた哀れな子よ。」


「「罪の沼から抜け出せぬ無様な子羊よ。」」


「魔神の力で…」

「「その魂に…」」


「救済を!」「「吸罪を!」」



ドッッックン…!




 ギルトの翼が一際大きく脈動すると、ルナベレッタと息子はその場に膝から崩れた。


「「…ぅま…ィッた…」」

「ハァ…ッ…ハァ…ッ

…でも…これで…」


 ルナベレッタ達がゆっくりと離れると、息子は暫くぼーっとしたあと目に光を戻した。

「…あれ…?僕は今まで何を…?…お父ちゃん。その人達は…?」


 驚く父親に、ルナベレッタは示した。

「罪は記憶ごと賜りました。もう大丈夫です。お家に帰って、お母様を弔ってあげて下さい。」


「き、奇跡だ…。あなた方は…神か…救い主か…」


ルナベレッタは優しく微笑む。

「私達はただの通りすがりの魔神様と修道女です。赦されたのは貴方がたの尊き魂ゆえ。

でも忘れないで下さい。罪は赦されたら終わりではありません。罪を忘れたら同じことを繰り返すでしょう。だからもう道を違えぬよう、周りの人が助けてあげて欲しいのです。支え合ってこそ人なのですから。」


 こうして親子は、互いを支え合いながら帰っていった。父の腕を診たドクターは、親子が帰ったあと念の為ルナベレッタに「母のご遺体貰いに行っちゃダメかな」と聞いてみたが「ダメ」と釘刺された。






 それから数日が経って、ルナベレッタも中々知識がついてきた。度胸はまだまだだが…。今日もドクターのいりょう店を訪ねる。

と、

中が何やら片付けられている…?


不思議に屋内を見回すルナベレッタとギルトのもとに、奥からドクターが荷車を引いて現れた。

「よぉッ!ねーちゃん魔神ッ!聴いてくれッ!アタイ、軍医に召喚されることになったんだッ!♪」


え…

とルナベレッタもギルトも呆気にとられてしまった。しかしすぐに、こっちまで嬉しさがこみ上げてしまう。…それと同時に、淋しさも…

「おめでとうございます!また会えるでしょうか…?」


「いや、難しいだろうね。アタイはやっぱ前線に行きたいんだ…。これからは戦場で、血涌き肉踊る (無比喩)治療(研究)の日々が待ってる筈さッ♪」


ルナベレッタは思わず笑ってしまった。

「ドクターは相変わらずですね。私はまだまだ未熟で、もっと医療の事を教えて頂きたかったです…」


「まー大目に見て未熟なんてもんじゃないねッ!ひよっこのあまちゃんの、グズのノロマさッ!」


「(´TωT`)…」


「でもまあね…?」


「(?ㆁωㆁ*)」


「精神が肉体に及ぼす影響は計り知れない。心を治しちまうアンタ達は立派な医者さッ!名医ヒポポクラティスの名にかけて誓ってもいい!」


ルナベレッタの表情が夏の太陽のように輝いた。



「んッ!」

とドクターは突然、両腕を交差させて差し出してきた。

「握手ッ!魔神もねッ!」


ルナベレッタの右手とギルトが宿る左手、両手でがっちり握手!

お別れだ!




「じゃあねッ!“ベル”ナレッタッ!」


「…(*ㆁωㆁ)→(´TωT`)…」


「「ドクター…、“ルナ”ベレッタ…な…」」


「…えッ?!

うわわッ!///ごめんよッ!ごめんよーーッ!!」


 最後におちゃめな味の罪をくれるドクターであった。

風が運ぶ夏の香り、ルナベレッタの服には、ドクターがくれた赤い十字の小さな刺繍が揺れていた。


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