4 / 4
気配りのおはなし
しおりを挟む
心配事
彼女が学校に来なくなった。いや正確には来る日があっても生徒会に来なくなったのだ。忙しいから、と言って授業が終わると一目散に帰ってしまう。俺は後夜祭で振られてしまったけど彼女のことはずっと好きで、見守っていたいと思っていたのにこんなすぐにいなくなってしまうのではどうしようもない。そこで俺はあいつの跡をつけてみることにした。彩菜は校舎を出ると走り出した。俺は歩きながらゆっくりとその後を追う。するとしばらくして廃工場みたいな場所に辿り着いた。雰囲気は学校周辺ののどかな感じから、張り詰めた緊張感のある場所に変わっていた。こんなところに来てしまって大丈夫だろうか、と自分自身と彼女を心配していると後ろから声をかけられた。
「あれ、祐介くん?」
わっ、と声をあげそうになったが口を塞がれる。
「シーっ。どうしたのこんなところで」
「あの……彩菜を就けてて」
「ストーカーってこと?」
「まあそうなるのかな」
気まずくなって来た。
「うーん、あの子が気になるのよね」
「うん」
「じゃあ入れてあげる。私の知り合いだって言えば通してくれるはずよ」
そう言うと彼女は俺の腕を掴んで建物のそばに近づいた。建物の入り口に立っているスーツ姿の男性は俺を見て怪しむような顔をしたが、ここなが目配せすると目を逸らされた。きっと通って良い、と言っているのだ。
すんなりと建物の中に入る。中は思ったより明るくて清潔だ。コンクリートの床に鉄製の階段がある。どれも上に絨毯が敷いてあって不快感が少ない。階段の上に登ると彼女はまっすぐ俺を歩かせてどんどんと奥へ行く。そしておそらく最深部と思われる部屋の前にたどり着いた。その扉は分厚く、巨大で中の音が一切しない。ここなはその扉を叩くとギギギという音共にゆっくりと開いた。
中には誰かと話す彩菜の姿があった。彩菜はこちらを見ると軽くため息をついて話していた相手を追い払った。
「すまんな、私用だ」
そう言って軽く笑った。学校で見るような優しい笑顔だけど、少し大人びた顔だ。
「ここな、……祐介を連れて来たのはなぜだ」
笑顔のまま尋ねた。
「祐介君が彩菜のことが心配らしくて、連れて来ちゃった」
「なら学校で良いだろう」
「でも最近二人で話してないみたいだし」
「ここなには関係ないだろう。……祐介、こんな形で私の裏側を見られるとは思っていなかったわ。でも良い機会だからじっくり見ていくと良いわ。ここながいれば基本大丈夫だから」
「だってさ、見学ツアーだね」
二人は普通に会話している。女の子同士の会話だ。だけど高級スーツを着ていてそこかしこに銃やナイフがあって、物騒なのだ。
「祐介、大丈夫か?」
「う、うん……」
これがこの人の本当の姿なのか。
「ならよかった。私はこの後仕事があるから一緒にはいられないけど、何かあったら彩菜の友人だって言えば絶対大丈夫だからね」
武器庫、資料室、休憩所、喫煙室といろんな場所を巡った。遭う人は皆俺を見るとお辞儀をした。自分の立場の凄さに驚く。いいや彼女の凄さだ。ほとんどの場所で声をかけられたのに普通に話して言葉を返している。こんなに多くの人に見られているのに普通なのだ。
最後に来たのは監視室と呼ばれる場所だ。そこは施設の監視カメラから送られる映像を全て見られる場所でブラウン管テレビのような画面がたくさんあった。
「やあお疲れ」
ここなが椅子に座る人たちに声をかける。
「はい!お疲れ様です」
彼らは素早く立ち上がった。
「楽にしてよ~、私はボスじゃないし」
「ですが副官です。礼儀は弁えないと」
「相変わらず堅いわねえ。ま、それもらしさよね。何か異常はあるかしら」
彼女は画面を見た。
「今のところは……あ、ボスが地下にいますね」
「あー、うちのメンバーを車で轢いたやつね。やっと処遇を決めたの」
「ここ最近ずっと忙しそうでしたから」
「分業してね、ってずっと言ってるのに抱え込むからいけないのよ」
俺は少し画面に近づいた。
「あの人、どうする気なんだろ」
「やっぱりコッテリお説教じゃないですか」
「お説教で済ませるからいつも痛い目見るのに。まあ今日は厳しめにやるかも。結構イラついてるみたいだったし」
画面の中の女性が歩き出した。
「音拾える?」
「いけます」
音声が聞こえる。ザラザラとした音の後、足音が聞こえる。そして話し声が続く。
「お目覚めかしら。どう?ここの景色は」
「……暗い」
「まあそうね、地下だものね」
彼女は目の前で座る男に話しかけている。男は拘束されている。
「質問、良いかしら。どうしてうちの仲間を車で轢いたの?」
「……」
「黙らない方がいいんじゃないかな」
思い切り脚で彼の顔を蹴り込んだ。ぼやけて見えずらいがおそらく血が出ている。
「うわあ……気持ち本気で行ったね」
ここなが言う。
「脅されて、そうしないと家族が死ぬって言われて……」
「ほう?幾度も血潮を味わって来た仲間よりも十年以上会っていない家族を取るか」
少し煽り口調で画面向こうの彼女は尋ねた。
「この愚か者が!」
再び蹴った。別の角度からもう一度、二度、三度。男の身体や顔は傷ついてしまった。彼女はそのまま部屋を後にした。
そして部屋の中に声が響く。
「ここなはいるか?部屋に来てちょうだい。祐介は部屋の前で待たせておいて」
部屋の前で待ちぼうけ。あの人が、優しいあの人があんなことをしてしまうなんて。いやきっともっと酷いことをして来たのだろう。俺が思っていたよりその手は血塗れで黒かったのだ。俺は浅はかだった。確かに彼女の言う通りだったかもしれない。
俺はその場から逃げ出した。帰ろうと思った。彩菜を愛した自分の心に蓋をして全てを置いて彼女を見捨てて。
逃げようとした足は止まった。俺が見つけてしまったからだ。医務室に運ばれた先ほどの映像で蹴られていた男を。俺はドアの隙間から彼が誰かと話しているのを盗み聞いた。
「ボス……、俺はなんてことをしてしまったんだ」
「だから言っただろう、やるなら一言あの人に伝えておけって。変に罪悪感まで残しやがって」
「あの人が部下を蹴るなんて滅多にしないんだけどな」
「感謝しとけよ、お前の気持ちを汲んでそうしたんだ。お前の罪悪感まで晴らすように」
鼻づまりの涙声が聞こえる。
「安心しろ、お前の家族はボスが、彩菜さんが護ってくれる。早く治せよ、じゃあな」
「おう。ありがとな」
二人の関係はわからない。ただの同僚か友人同士なのか。だけど二人の会話は真実を示すだろう。そう、彩菜は敢えて冷たい人間を演じているんだ。陰をわざと被っている。それが何故かは理解できない、でもきっとそれは彼女の優しさが理由なのだろう。もう一度、あの人と話をしたい。
彩菜の部屋の前に戻る。中に人はいるのだろうか。そう思っていると中からここなが現れた。
「お待たせ、あれ。どうしたの顔が変わってる」
「なあここな、彩菜って何者なんだ?」
ここなの顔が少し固まる。
「それは私が応えるべきなのかな、でも私あの子に傷ついてほしくないから。うん、少しだけ言うよ」
彼女は扉の前に寄りかかった。
「長月彩菜は、育ての母が作った組織の頭領を継いだ子で若くして経験も少ないにも関わらず組織をまとめ上げてしまった天才的な殺し屋、って言われているわ。あの子は母の遺言と意思を守るために組織内の結束力を高めようとして裏切り者を間引いたりしたのよ、それのせいで敵対する人も多くなったけど、この内部の安全性は高まったわ。あの人の実力と優しさを認める人がここにはいてお互いが支え合っているわ。……あの子は殺しなんてやってるけど本当はただの素晴らしいリーダーでしかない。それをあの子の母は知っていた。だから学校に行かせたのよ、普通の女の子として生きていけたはずだから」
ここなは少し息を吐いた。
「彩菜のこと、任せたわ。もっと詳しいことは本人から聞いてみて。貴方になら答えてくれるはずよ」
彼女は去った。
俺はそんな凄い人間なのだろうか。彼女の話を聞いても実感が湧かなくて、驚いてばかりだったのに。あの人が俺を拒絶した理由を全て今分かったばかりなのに。だけどやっぱりあのままじゃいけない。
心は身体を突き動かした。
彼女の部屋に入る。身体が勝手に動く。驚く彼女を見て俺は言った。
「明日の放課後、屋上で待ってる。だから来て」
そして手を握った。
夜が近づいて空が赤くなる。雲が空に連れられて白く浮き立つ。俺は空がよく見える屋上で彩菜を待っていた。来るだろうか。不安はあったけどほんの少しだった。あの人の裏側を見たからこそほとんど確信できた。
屋上の扉が開いて見慣れた顔がやって来る。
「……どうしたの」
声をかけられた。
「俺、昨日聞いたよ。君のこと」
「そう。なら分かったんじゃない、私のことが」
「うん。そんな気がする。でも全部分かったわけじゃない。まだ全部、俺は知らない。」
彼女に歩み寄る、彩菜は少しあとずさるけどそれ以上は動かない。
「だから教えてほしい、君の全てを。そして好きになりたい、愛したい。……こんなプロポーズじゃダメかな?」
彩菜はふっ、と笑った。
「うん。ダメダメ。普通は好きですって伝えて付き合ってくださいって言うものよ。嬉しいけどね」
少し真面目な顔になる。
「私はあの組織の部下たちを護らないといけない。その過程で自分でも思っていなかった側面が見えてしまうかもしれない。それを見られて怖がられるのが、避けられるのが怖かった。」
「俺もだよ」
「自分の裏を見せたら嫌われるんじゃないかって、居場所がなくなるんじゃないかって思ってた」
彼女の手を俺はそっと包んだ。
「私、でも貴方の不器用なところも変なところで調子に乗るところも、決めるべきとこで決められないところも、優しいところも全部好きになった。……だから信じてみようと思う」
彼女の黒い瞳が俺を見つめる。微かに震える指先に俺の力を強く込めて握る。
「ありがとう」
人には色んな側面がある。それは人にとっては気持ち悪く恐ろしいものに見えるかもしれないし、暖かく輝かしいものに見えるかもしれない。だけど見えている部分だけが全てじゃない。そして見えている部分が偽物なわけではない。見えている部分と見えない部分はそれぞれその人の姿だ。両方を愛すると誓って初めて、その人を心から愛すると言えるのだろう。
彼女が学校に来なくなった。いや正確には来る日があっても生徒会に来なくなったのだ。忙しいから、と言って授業が終わると一目散に帰ってしまう。俺は後夜祭で振られてしまったけど彼女のことはずっと好きで、見守っていたいと思っていたのにこんなすぐにいなくなってしまうのではどうしようもない。そこで俺はあいつの跡をつけてみることにした。彩菜は校舎を出ると走り出した。俺は歩きながらゆっくりとその後を追う。するとしばらくして廃工場みたいな場所に辿り着いた。雰囲気は学校周辺ののどかな感じから、張り詰めた緊張感のある場所に変わっていた。こんなところに来てしまって大丈夫だろうか、と自分自身と彼女を心配していると後ろから声をかけられた。
「あれ、祐介くん?」
わっ、と声をあげそうになったが口を塞がれる。
「シーっ。どうしたのこんなところで」
「あの……彩菜を就けてて」
「ストーカーってこと?」
「まあそうなるのかな」
気まずくなって来た。
「うーん、あの子が気になるのよね」
「うん」
「じゃあ入れてあげる。私の知り合いだって言えば通してくれるはずよ」
そう言うと彼女は俺の腕を掴んで建物のそばに近づいた。建物の入り口に立っているスーツ姿の男性は俺を見て怪しむような顔をしたが、ここなが目配せすると目を逸らされた。きっと通って良い、と言っているのだ。
すんなりと建物の中に入る。中は思ったより明るくて清潔だ。コンクリートの床に鉄製の階段がある。どれも上に絨毯が敷いてあって不快感が少ない。階段の上に登ると彼女はまっすぐ俺を歩かせてどんどんと奥へ行く。そしておそらく最深部と思われる部屋の前にたどり着いた。その扉は分厚く、巨大で中の音が一切しない。ここなはその扉を叩くとギギギという音共にゆっくりと開いた。
中には誰かと話す彩菜の姿があった。彩菜はこちらを見ると軽くため息をついて話していた相手を追い払った。
「すまんな、私用だ」
そう言って軽く笑った。学校で見るような優しい笑顔だけど、少し大人びた顔だ。
「ここな、……祐介を連れて来たのはなぜだ」
笑顔のまま尋ねた。
「祐介君が彩菜のことが心配らしくて、連れて来ちゃった」
「なら学校で良いだろう」
「でも最近二人で話してないみたいだし」
「ここなには関係ないだろう。……祐介、こんな形で私の裏側を見られるとは思っていなかったわ。でも良い機会だからじっくり見ていくと良いわ。ここながいれば基本大丈夫だから」
「だってさ、見学ツアーだね」
二人は普通に会話している。女の子同士の会話だ。だけど高級スーツを着ていてそこかしこに銃やナイフがあって、物騒なのだ。
「祐介、大丈夫か?」
「う、うん……」
これがこの人の本当の姿なのか。
「ならよかった。私はこの後仕事があるから一緒にはいられないけど、何かあったら彩菜の友人だって言えば絶対大丈夫だからね」
武器庫、資料室、休憩所、喫煙室といろんな場所を巡った。遭う人は皆俺を見るとお辞儀をした。自分の立場の凄さに驚く。いいや彼女の凄さだ。ほとんどの場所で声をかけられたのに普通に話して言葉を返している。こんなに多くの人に見られているのに普通なのだ。
最後に来たのは監視室と呼ばれる場所だ。そこは施設の監視カメラから送られる映像を全て見られる場所でブラウン管テレビのような画面がたくさんあった。
「やあお疲れ」
ここなが椅子に座る人たちに声をかける。
「はい!お疲れ様です」
彼らは素早く立ち上がった。
「楽にしてよ~、私はボスじゃないし」
「ですが副官です。礼儀は弁えないと」
「相変わらず堅いわねえ。ま、それもらしさよね。何か異常はあるかしら」
彼女は画面を見た。
「今のところは……あ、ボスが地下にいますね」
「あー、うちのメンバーを車で轢いたやつね。やっと処遇を決めたの」
「ここ最近ずっと忙しそうでしたから」
「分業してね、ってずっと言ってるのに抱え込むからいけないのよ」
俺は少し画面に近づいた。
「あの人、どうする気なんだろ」
「やっぱりコッテリお説教じゃないですか」
「お説教で済ませるからいつも痛い目見るのに。まあ今日は厳しめにやるかも。結構イラついてるみたいだったし」
画面の中の女性が歩き出した。
「音拾える?」
「いけます」
音声が聞こえる。ザラザラとした音の後、足音が聞こえる。そして話し声が続く。
「お目覚めかしら。どう?ここの景色は」
「……暗い」
「まあそうね、地下だものね」
彼女は目の前で座る男に話しかけている。男は拘束されている。
「質問、良いかしら。どうしてうちの仲間を車で轢いたの?」
「……」
「黙らない方がいいんじゃないかな」
思い切り脚で彼の顔を蹴り込んだ。ぼやけて見えずらいがおそらく血が出ている。
「うわあ……気持ち本気で行ったね」
ここなが言う。
「脅されて、そうしないと家族が死ぬって言われて……」
「ほう?幾度も血潮を味わって来た仲間よりも十年以上会っていない家族を取るか」
少し煽り口調で画面向こうの彼女は尋ねた。
「この愚か者が!」
再び蹴った。別の角度からもう一度、二度、三度。男の身体や顔は傷ついてしまった。彼女はそのまま部屋を後にした。
そして部屋の中に声が響く。
「ここなはいるか?部屋に来てちょうだい。祐介は部屋の前で待たせておいて」
部屋の前で待ちぼうけ。あの人が、優しいあの人があんなことをしてしまうなんて。いやきっともっと酷いことをして来たのだろう。俺が思っていたよりその手は血塗れで黒かったのだ。俺は浅はかだった。確かに彼女の言う通りだったかもしれない。
俺はその場から逃げ出した。帰ろうと思った。彩菜を愛した自分の心に蓋をして全てを置いて彼女を見捨てて。
逃げようとした足は止まった。俺が見つけてしまったからだ。医務室に運ばれた先ほどの映像で蹴られていた男を。俺はドアの隙間から彼が誰かと話しているのを盗み聞いた。
「ボス……、俺はなんてことをしてしまったんだ」
「だから言っただろう、やるなら一言あの人に伝えておけって。変に罪悪感まで残しやがって」
「あの人が部下を蹴るなんて滅多にしないんだけどな」
「感謝しとけよ、お前の気持ちを汲んでそうしたんだ。お前の罪悪感まで晴らすように」
鼻づまりの涙声が聞こえる。
「安心しろ、お前の家族はボスが、彩菜さんが護ってくれる。早く治せよ、じゃあな」
「おう。ありがとな」
二人の関係はわからない。ただの同僚か友人同士なのか。だけど二人の会話は真実を示すだろう。そう、彩菜は敢えて冷たい人間を演じているんだ。陰をわざと被っている。それが何故かは理解できない、でもきっとそれは彼女の優しさが理由なのだろう。もう一度、あの人と話をしたい。
彩菜の部屋の前に戻る。中に人はいるのだろうか。そう思っていると中からここなが現れた。
「お待たせ、あれ。どうしたの顔が変わってる」
「なあここな、彩菜って何者なんだ?」
ここなの顔が少し固まる。
「それは私が応えるべきなのかな、でも私あの子に傷ついてほしくないから。うん、少しだけ言うよ」
彼女は扉の前に寄りかかった。
「長月彩菜は、育ての母が作った組織の頭領を継いだ子で若くして経験も少ないにも関わらず組織をまとめ上げてしまった天才的な殺し屋、って言われているわ。あの子は母の遺言と意思を守るために組織内の結束力を高めようとして裏切り者を間引いたりしたのよ、それのせいで敵対する人も多くなったけど、この内部の安全性は高まったわ。あの人の実力と優しさを認める人がここにはいてお互いが支え合っているわ。……あの子は殺しなんてやってるけど本当はただの素晴らしいリーダーでしかない。それをあの子の母は知っていた。だから学校に行かせたのよ、普通の女の子として生きていけたはずだから」
ここなは少し息を吐いた。
「彩菜のこと、任せたわ。もっと詳しいことは本人から聞いてみて。貴方になら答えてくれるはずよ」
彼女は去った。
俺はそんな凄い人間なのだろうか。彼女の話を聞いても実感が湧かなくて、驚いてばかりだったのに。あの人が俺を拒絶した理由を全て今分かったばかりなのに。だけどやっぱりあのままじゃいけない。
心は身体を突き動かした。
彼女の部屋に入る。身体が勝手に動く。驚く彼女を見て俺は言った。
「明日の放課後、屋上で待ってる。だから来て」
そして手を握った。
夜が近づいて空が赤くなる。雲が空に連れられて白く浮き立つ。俺は空がよく見える屋上で彩菜を待っていた。来るだろうか。不安はあったけどほんの少しだった。あの人の裏側を見たからこそほとんど確信できた。
屋上の扉が開いて見慣れた顔がやって来る。
「……どうしたの」
声をかけられた。
「俺、昨日聞いたよ。君のこと」
「そう。なら分かったんじゃない、私のことが」
「うん。そんな気がする。でも全部分かったわけじゃない。まだ全部、俺は知らない。」
彼女に歩み寄る、彩菜は少しあとずさるけどそれ以上は動かない。
「だから教えてほしい、君の全てを。そして好きになりたい、愛したい。……こんなプロポーズじゃダメかな?」
彩菜はふっ、と笑った。
「うん。ダメダメ。普通は好きですって伝えて付き合ってくださいって言うものよ。嬉しいけどね」
少し真面目な顔になる。
「私はあの組織の部下たちを護らないといけない。その過程で自分でも思っていなかった側面が見えてしまうかもしれない。それを見られて怖がられるのが、避けられるのが怖かった。」
「俺もだよ」
「自分の裏を見せたら嫌われるんじゃないかって、居場所がなくなるんじゃないかって思ってた」
彼女の手を俺はそっと包んだ。
「私、でも貴方の不器用なところも変なところで調子に乗るところも、決めるべきとこで決められないところも、優しいところも全部好きになった。……だから信じてみようと思う」
彼女の黒い瞳が俺を見つめる。微かに震える指先に俺の力を強く込めて握る。
「ありがとう」
人には色んな側面がある。それは人にとっては気持ち悪く恐ろしいものに見えるかもしれないし、暖かく輝かしいものに見えるかもしれない。だけど見えている部分だけが全てじゃない。そして見えている部分が偽物なわけではない。見えている部分と見えない部分はそれぞれその人の姿だ。両方を愛すると誓って初めて、その人を心から愛すると言えるのだろう。
0
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
私を選ばなかったくせに~推しの悪役令嬢になってしまったので、本物以上に悪役らしい振る舞いをして婚約破棄してやりますわ、ザマア~
あさぎかな@コミカライズ決定
恋愛
乙女ゲーム《時の思い出(クロノス・メモリー)》の世界、しかも推しである悪役令嬢ルーシャに転生してしまったクレハ。
「貴方は一度だって私の話に耳を傾けたことがなかった。誤魔化して、逃げて、時より甘い言葉や、贈り物を贈れば満足だと思っていたのでしょう。――どんな時だって、私を選ばなかったくせに」と言って化物になる悪役令嬢ルーシャの未来を変えるため、いちルーシャファンとして、婚約者であり全ての元凶とである第五王子ベルンハルト(放蕩者)に婚約破棄を求めるのだが――?
なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた
下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。
ご都合主義のハッピーエンドのSSです。
でも周りは全くハッピーじゃないです。
小説家になろう様でも投稿しています。
側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!
花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」
婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。
追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。
しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。
夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。
けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。
「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」
フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。
しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!?
「離縁する気か? 許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」
凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。
孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス!
※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。
【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】
逆ハーレムエンド? 現実を見て下さいませ
朝霞 花純@電子書籍発売中
恋愛
エリザベート・ラガルド公爵令嬢は溜息を吐く。
理由はとある男爵令嬢による逆ハーレム。
逆ハーレムのメンバーは彼女の婚約者のアレックス王太子殿下とその側近一同だ。
エリザベートは男爵令嬢に注意する為に逆ハーレムの元へ向かう。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる