ラインスナイプ! 世界を驚かせた高校生テニス少女の物語

ヨーヨー

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第67話 帰宅と家の光

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朝の光は薄く、まだ雨の匂いが残っていた。
宿の食堂は早起きの選手たちで静かににぎわっていて、壁のテレビがニュースを流している。

画面の右上に小さく「特集」と出て、昨日のコートが映った。
濡れたライン、傘の波、そして途中で止まったスコアボード。
アナウンサーの声が淡々と重なる。

「——全国優勝当日のエキシビションは、雷雨のため中断。未完の名勝負として、再戦は未定です」

スプーンを持つ手が、ほんの少し止まる。
スープは温かいのに、胸の真ん中はひやりとして、すぐにじんわり熱くなる。
わたしの名前と、エマ・ローレンスの名前がテロップで並んだ。食堂のあちこちで、話し声が小さく揺れる。

「昨日の試合、すごかったよね」
「途中で終わっちゃったの、残念だったな」

少し離れた席で選手同士が話している声が、耳に届いた。

「……あの続き、見たいな」

(……うん。わたしも)

胸の奥が少し軽くなる。わたしも、見たい。
あの続き。見届けたい、じゃない。自分で打ちたい。自分で決めたい。

トレイを返しに立った時、カウンターの端に積まれたスポーツ紙の一面が目に入った。
昨日のわたしとエマが、同じフレームに収まっている。
ボールに向かう横顔、張り詰めた腕。
写真の下には小さな文字。

——大会史に残る一戦、中断。

(終わってないのに……終わったみたい)

紙の端を親指で押さえたまま、息をひとつ吐く。
中断は事実。
でも、心の中では一本も完結していない。
あの時の足音、呼吸、打球音。
それらが今も、体のどこかで鳴り続けている。

チェックアウトを済ませて駅へ向かう。
街路樹の葉から、雨粒がぽたぽたと落ちる音。
歩道の水たまりには、まだ雲が映っている。
改札を抜け、ホームに立つと、風が少しひんやり頬をなでた。

電車が滑り込んでくる。
混みすぎない車内の空気は、朝の洗剤の匂いと、わずかな雨の気配。
ドアのそばに立ち、バッグのストラップを握り直す。白いオーバーグリップで巻き直したラケットは、いつもより重くて、でも頼もしい。

反対側の座席で、制服の学生が広げた新聞の見出しが目に入った。
食堂で見た写真と同じ。ページをめくる指が止まり、視線がこちらをかすめる。
小さな声が、ふたつみっつ重なる。

「あの子もしかして……」
「ニュースの……?」

目が合いそうになって、わたしは窓の外に視線を逃した。
濡れたレールが細長い光を引いて、遠くへ続いている。
窓ガラスに映った自分の頬は、思っていたより赤く、目だけが真っ直ぐだった。

吊り広告には、スポーツ特集の小さな帯。
「未来を担う新星」という文字。
ふいに、車内の揺れと一緒に心がきゅっと締まる。

(未来、か。まだ、始まってもいないのに)

昨日の夜、宿の廊下で交わした短い視線がよみがえる。言葉はなかった。
でも、たしかに伝わった。
「続き」を望む気持ちが、あの人にもある。
だから、怖くない。怖くないはず。
……ううん、少しは怖い。
でも、それよりうれしい。走り出したい。
コートに戻りたい。

電車が駅に停まるたび、乗り降りする人の波が小さく揺れる。
そのリズムに合わせるみたいに、わたしは指先でストラップをとんとん叩いた。
帰ったら、まずご飯。ちゃんと食べる。
それからノートに昨日のメモを清書して、少しだけ素振り。
雨はやんだ。風が変わった。
次に打つために、できることをひとつずつ。

車窓に反射したスポーツ紙の見出しが、揺れながら視界にかかる。
「未来を担う新星」

唇をきゅっと結んで、胸の奥で小さく呟いた。

(未来は、見出しじゃなくて、わたしのラケットで書く)


玄関を開けると、湿った風と一緒に家の匂いが迎えてくれた。
コンロの上で湯気を立てる鍋。
母がエプロン姿でこちらを振り返り、少し安堵した顔を見せる。

「おかえり。……無理してない? 体調は大丈夫?」

「大丈夫。ちゃんと食べるよ」

笑顔を作って答えると、母は「そう」と短く頷き、鍋をかき混ぜた。
テーブルには既に箸と茶碗が並んでいて、その横に一部折り目のついた地元紙が置かれていた。

「近所の人が届けてくれたのよ。載ってるって」

母の声に、わたしは新聞を手に取る。
そこには大きな見出しと写真。
雨に打たれるコートで、ラケットを振るわたしと、向かい合うエマ。
キャプションには「中断された注目の一戦」。

(やっぱり……終わったみたいに書かれてる)

心の奥がざわつく。
記事の文字はまるで決着がついたように並んでいるけれど、わたしの中では一本のラリーすら終わっていない。

「ほら、温かいうちに」

母が皿を並べ直す音で、思考がほどけた。
席に着き、湯気の立つスープを口に運ぶ。
じんわりとした優しい味が広がり、少しだけ緊張が解ける。

その時、玄関のドアが開いた。
「ただいま」
兄が帰ってきた。
スーツの肩に小さな雨粒を乗せたまま、バッグを置いてこちらに歩いてくる。
疲れた顔に、それでも笑みを浮かべて。

「昨日の試合……すごかったらしいな」

母の視線がわたしに移る。
スプーンを置き、わたしは小さく答えた。
「途中で終わっちゃったけど……続きはあるよ」

兄は少し黙ってから、ふっと口角を上げた。
「だったら胸張っとけ。終わってないんだろ? まだ続いてるんだ」

その言葉が、胸の奥にまっすぐ突き刺さる。
わたしは新聞をテーブルに戻し、代わりにラケットを手に取った。
白いオーバーグリップを確かめるように握り、窓の外に目を向ける。

雨はすっかり上がり、夜の静けさの中に虫の声が混じる。
深呼吸をひとつ。

(嵐は去った。次は、わたしが動く番だ)

ラケットを胸に抱きしめ、わたしは小さく呟いた。
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