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3rd letter fromマリー

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辺りがすっかり暗くなった頃、闇に紛れてそろりそろりとノアールが帰還した。

「お帰り、ノアール。やっぱりリボンは見つけられなかったのね、よしよし」

ころころと喉を鳴らし甘える背中を優しく撫でて労いながら、首輪についたままの手紙に小さく溜息をついた。
がしかし。

「え、ちょっと待ってノアール、ストップ」

結び目が微妙に違う。
くるんとお腹を上にして転がりたがるノアールを宥めて、首輪についた手紙を急いで外し広げてみると、そこには見覚えのないやや癖のある字が。

「私のリボン、結んでくれたんだ……」

もうほとんど諦めかけていた。
仮面舞踏会って一夜限りの夢を揺蕩うような、そんな場所よね、と。
まさか、こんなことって。


ミカエルからの手紙は、ローザが書いた手紙に合わせたごく普通の内容だったが、返事を書いてくれたというだけでローザば叫び出したいほど嬉しかった。

意外にも、昨夜の仮面舞踏会はミカエルも初めての参加だったらしい。慣れない場所に戸惑っているマリーに親近感を持ち、また絡んでいた男が自分の知人だったため放って置けなかった、と記されていた。

あれで初参加?
ローザからはとてもそうは見えなかった。程々にお酒を嗜みながらも周りのことをよく見ていて、ローザ以外の通りすがりの令嬢方に対しても、さり気ない気配りが半端なかった。
新参者らしく浮き足立ってうろうろするばかりだった自分とはまるで違う。
やっぱりそれだけ世馴れているんだろう。

改めて、すごい人とお近づきになれたんだなあとしみじみ感動してしまうとともに、勇気を出して彼に声をかけた昨夜の自分を褒めてあげたい。

その他にも、手紙の中で何気なく語られているミカエルの日常はごく一般的な上流貴族の生活そのもので、あの穏やかな雰囲気はそれ相応の育ちの良さからきているんだわ、と納得した。
と同時に、そういう面を包み隠さずにさらりと伝えてくれることに、素直に好感を持った。


同じ育ちが良い人でも、ジークとは全然違う。
子供の頃は手を繋いで屋敷中はおろか庭の端まで駆け回って一緒に叱られた仲だったのに、成長して婚約者になったジークは、ローザにとっては知らない人も同然だった。
ジークはローザには本音を見せない。
穏やかな口調で話すその内容は当たり障りのない世間話ばかりで、そこにジークの感情は見えない。ローザのことも、親が決めた婚約者だから義務として時間を作り会っている、そんな風な対応にしか感じられなかった。ローザに対する興味とか執着とか、そういった気持ちはないのだろうと察せられた。
目の前をふわふわ漂う綿毛のような重みのない会話の流れの中で、ローザも流されるままに、そうですね、なるほど、等の曖昧な相槌しか返せず、いつもジークとの時間は微妙な空気になり、そして終わる。

本当はもっと色々話したい。
大人になったジークのことを知りたいし、今のローザのことも知ってほしい。
でもどうしたらそんな話ができるのかわからない。
会話の糸口が掴めない。そんなものどこにあるの?

ジークは表面上はとても朗らかで優しい対応をしてくれるので、2人の両親は2人が上手くいっているものと信じきっていて、まさかローザがそんな悩みを抱えているとは当然知る由もない。
ローザとしても、別に仲違いをしているわけでもないし、下手にこちらから現状を訴えて婚約解消されたらその方がやるせない、と口を噤んでいる。
溜まりに溜まって爆発しそうになると、メイドのアンにぼやいてみるものの、彼女にはいつも軽くあしらわれてしまう。

そんな日々の中で出会ったミカエルは、まさに救世主のような存在。
このまま打ち解けて色んな話ができるようになったら、今まで誰にも相談できなかったこの気持ちを聞いてもらおう。
ミカエルならきっと良い案を考えてくれる。そんな予感がしていた。


ミカエルの物腰の柔らかさは見る人を惹きつけるところがあって、その点はどことなくジークと重なる。ターラント公爵家の次男として厳しい教育を受けているジークと似た雰囲気があるということは、ミカエルもそれ相応の家出身なんだろう。
案外ジークと顔見知り、もしかしたら友人関係だったりするのかもしれない。


ミカエルからの手紙は、首輪に結んだ時の折ジワが細かく無数に入っていた。それを丁寧に引き伸ばし、もう一度最初からゆっくりと目を通してみる。
ローザの中で、仮面を被ったミカエルの素顔がどんどん妄想で膨らんでいく。

今夜はもうアンは下がっていて、この部屋には誰も来ない。気持ちが昂っている今のうちに返事を書いてしまって、ノアールには明日の朝届けてもらおう。

「よし、書くかー!」

ミカエルからの手紙を机の端に置き、気合を入れて真新しい便箋に向かった。

手紙が届くか半信半疑だったので、返事が貰えてとても嬉しかったこと。ミカエルの気品溢れる佇まいが素敵で、心から尊敬していること。
あとはミカエルの手紙に倣って、ローザの日常についてもさらりと書いてみた。
本を読んだり編み物をしたり、友人のサラともこんな風に手紙のやり取りをして楽しんでいること。甘いものが大好きで、特にチョコレートが大好物なこと。
家にほぼ引きこもっていることは知られたくなかったので、見栄を張ってカフェ巡りも趣味だと書いてしまった。実際はカフェなんてジークに誘われてい行った一度きり。初めての場所でそわそわしっぱなし、オーダーの仕方もよくわからなくて紅茶しか頼めなかったし、ジークとの会話もいつも以上に滑りまくった苦い思い出しかない。

「……余計なこと思い出しちゃったわ」

ふるふると首を振って気を取り直し、最後にサイン。間違えてローザと書かないように、慎重に。

ノアールはいつの間にかローザの膝から降り、いつもの定位置である部屋の隅のクッションで丸くなって寝ていた。
明日起きたらさっそくこの手紙を届けてもらうこととして、ローザも今夜は満ち足りた気持ちで眠りについた。
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