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災厄の魔王~戯れ~

深夜の訪問者

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***

俺は″呼ばれる″感覚に顔を上げた。

客室の上等な寝台で瞳を開けると、途端に視界に飛び込んできたのは俺の周囲を蛍のような光が無数に飛び交う光景…余りの美しさに息を飲み、次いで上体を起こす。

すると俺の目の前をポゥッと一つ光が飛んできた。
精霊だ。
精霊がいつ生まれたのか誰も知らない、自然に寄り添う様に生まれた彼等であるから、また人と共にあるのも自然なのだという。

「これは一体…」

勿論彼等を召還した覚えはない。
キラキラと金色の″妖精の粉″を振りまきながら、紅、青、緑、黄色など色とりどりの属性色を帯びて飛び交う光は美しく幻想的で、その光の中で小さな羽根の生えた精霊がいる…精霊の中では下位のピクシーだ。

可愛らしい彼等をボウル一杯のクリーム、林檎一個で持て成せば仕事を代わりにしてくれる時もあるらしい。
だが基本的に『職業:精霊使い』でなければ彼等は滅多に姿を現さないというのに。
なぜこんなにも無数の妖精が部屋の中に飛び交っているのだろう。
俺は彼等に″呼ばれて″目を覚ましたのだろうか。

ただただ部屋の中で飛び交い、水差しに戯れたりカーテンで遊ぶ彼等を見詰めることしか出来なかった。

闇の中で金の粉が舞っている。
呼ばれる、幻惑される。
蛍のような光が俺を誘う。

ボーンと遠くで時計が深夜を報せる。

すると妖精たちは一様に窓際を指差した。
そちらへ視線が吸い寄せられ、顔を上げると丁度銀枠の嵌められた豪奢な窓から月光が射すところだった。
いつから窓が開いていたのか吹き抜ける風でカーテンが揺らめいている。

そして…月光が金色の粉を吸う様に収束し、光ある者を形作る。


『いとしご』


声が聞こえた。
いやそれを声と呼んでいいのか分からない音楽的な響きで耳に届いた。
その間も金色の光は集まり、そうしてそれは宙へ豊かに波打つ髪へとなった。まるで黄金を思わせる見事な髪。
月光で織り上げたような衣装も風を受けたように、ふわりと広がる…あでやかなその衣装すら霞ませるのは、その白皙の美貌…透きとおる碧眼。

不意にその者が、人でないと本能で知った。
嫣然と微笑む姿が人が持ち得ない神がかる美しさだったからだ…だがオレは彼女を知っていた。
アヴァロン各地に建てられた神殿に飾られたステンドグラス、あるいはアヴァロンの御伽話としても何度も出てくる。

「精霊の女王…」

そして彼女は俺の言葉に満足したように艶やかに微笑むのだ。

『いとし子の魂と姿に惹かれて久方ぶりに渡りましたの』

どういうことだろうと思った、瞬間に彼女は微笑む。

『あら貴方の事よ、自分のこともお分かりにならないなんて人は難しい生き物ね。』

思っていることが筒抜けだという事実にどうしたら良いか分からない。
戸惑いながらも俺は口を開いた。

「私のアーサー王の容姿と魂のことですか?」

『フフッそうよ、それが鍵なのよ、もう貴方はわかってらっしゃるでしょう?すぐに行きましょう。』

鍵、なんの鍵?どうしよう全然言っていることが見えないと思ったら彼女は『まあぁぁ』と言って美しい碧眼を見開いた。

『わたくしの言ってることが分からないの?シュレイザード・ウェインドザム?
もう人としての寿命をとうに生きている貴方が私の言っていることが分からないの?
人の年齢は私たち精霊には関係ないことだけれど、でもあんまりよ。貴方はアーサーのうつしみなのでしょう?』

彼女があまりに屈託なく、どうして分からないの?と尋ねるので思わず羞恥に居た堪れなくなり、
「…すみません」
謝るしか出来なかった。
女の人への対応ってどうしたら良いんですかと考えた途端に女王にコロコロと笑われる。

『フフッ貴方は面白いわ、貴方も″いとしご″と同じね。
よくってよ、とてもいい気分なの、特別にわたくしの名を呼ぶことを許してよ…魂の繋がりがあるなら、きっと呼べるでしょう。』

といっても俺は精霊の女王の名前は知らない、公式の説明にも名は″知るべき者しか知らない″とあったし。
けれど切なく見つめてくる女王を見て…名を呼んであげたいと思った、途端に彼女は碧眼を細めて切なく微笑む。

『やっぱり優しいのね、それが″いとしご″の魂だからなのかしら』

それっきり俺を邪魔するでもなく彼女は窓辺に佇んでいる。
ふわりと白銀の衣装が翻る。

その佇まいが寂しそうで、名を呼んであげたい…名前はその人を認識するってことだから。
笑ってほしい。

その瞬間、頭の中で声が聞こえた。
自分の声のようでそうじゃない…アーサー王の声が。
『笑ってほしい、貴方には…私を守り、祝福してくれた心優しき…リュレシュアーナ』
これは魂の記憶…精霊の女王とアーサーとの繋がり。


「…リュレシュアーナ」
そう呼ぶと精霊王・リュレシュアーナが嗚呼と真珠のような涙を零した。

『何百、何千の時、わたくしの名を呼ぶものはおらなんだ。』

切ない孤独を言葉にのせて泣く彼女は体重を感じさせない動きでフワリッと浮いて、

『どうかレシュと、いとしごもそう呼んだのだから』

そのまま、ベッドにいるオレに抱きついて祝福のキスをくれた…その瞬間、ガンッと寝室のドアが蹴破られる。
「っっ!」
驚いて視線を向けると、ガウェイが焦燥に彩られた顔で立っていた。

「そこをどけっ精霊!!チェンジリング(取り替え子)でも行うつもりか!!!」

…この光景をガウェイが見ていることには気付かなかった。

妖精は、伝承に度々登場する。

そもそも精霊は直接人目につく場所には出て来ないが、人間と様々な点で共生関係にある存在であり。
自然に寄り添う様に生まれた彼等であるから、また人と共にあるのも自然なのだという。
怠け者を見つけると懲らしめたりもするが、人が妖精に恵みを与えると妖精は正しく報いる。そして彼等は貧しいもののために仕事をしたりして、かわりにボウル一杯のクリーム、林檎一個をご馳走になる。古代の塚やストーンサークル、洞窟などに住み、夜になると森の中でダンスする。

そんな可愛いさに溢れた彼等に対してガウェイの言葉が厳しいのは、時折彼等が人間の子供の愛おしさに取り替え子(チェンジリング)を行うと言われているためだろう。
けど俺はもう大人ですからとガウェイの剣幕に言える訳もなく、俺の肩に抱きついたままの精霊王と周囲を取り巻く精霊たちに囲まれて、ただガウェイを見詰めることしか出来なかった。

そして精霊王も幼い少女のような美しい外見で目を細めてガウェイを見ている。
ぱちぱちとけぶるような睫毛が上下するのを見て、嫌な予感がした。
そしてそういうものは得てして当たるものである。

『フフッ懐かしや、オヌシも久しぶりよの…』

ふわりっと体重を感じさせずに女王の体が宙に浮いた。そのまま月光を編み上げたようなドレスも宙に広がる。
彼女は俺から離れてガウェイと向かい合った。

ガウェイの金色の瞳が驚きに見開かれる。


「…っ精霊の女王」


喘ぐように紡がれた言葉は、ガウェイの前世と精霊の女王との因縁を感じさせるには充分だった。


***

雨が降りしきっている森の中は僅かな光すら通さない。
昼間なのに夜のようだ。

騎士は僅かに残った部下達とともに重い躰を前に進めながらも、心の中では傷つき慟哭していた。
敵は圧倒的に数が多く、その剣は強靭で、彼は負けた…かつての仲間であったランスロットに。
声なき声で騎士は慟哭する、夥しい犠牲を払って…彼は剣の主である王の亡骸にすら逢えなかった。
情けをかけられて殺されなかったが、それは彼にとっては死以上の苦痛だった。


『お前はオレに勝てないガウェイン。今までも、そしてこれからも。』


雨が降りしきる中でランスロットに言われた言葉は、何十年もガウェインが積み重ねてきた研鑽を切って捨てる言葉だった。

***

ランスロットは最強の騎士。
祝福された"最強の騎士の聖痕"がある、だからどんな騎士であろうと彼には敵わない。

どんな努力をしても、どんなに真剣に日々生きていても、俺はランスロットには敵わないのか?
ランスロットの力の前に他の騎士たちはひれ伏せばいいのか?
そんな不条理、こんな不条理をオレは認めない。
認めた瞬間にオレは前に進めない。


ガウェインは剣の柄を握り締める。かつてアーサー王から下賜された魔剣・ガラディーン。
その魔剣を下賜されたのは『武功』ではない…人を殺して下賜された剣ではないのだ。

『力』は『正義』じゃないと信じているから…ガウェインは傷ついた身体を叱咤し、同じく傷ついた部下たちを振り返る。
雨に冷え切り、傷ついた躰を引きずりながらも部下たちはガウェインに付いて来てくれている。涙が溢れそうになる。

「皆…ここまで良く俺に付いて来てくれた。ここからは生きることだけを考えてくれ。」

そのガウェインの声に、濁っていた騎士たちの瞳に光が宿る。
この絶望的な状況でも希望を見いだせる部下たちの心の強さに、言葉を放ったガウェインすら希望をもらう。

「いきましょう、ガウェイン様」

そう言った部下たちの言葉がガウェインの背を未来へ押す。
果たして″いきましょう″とは、どっちの意味だろうか。

けれど騎士たちは再び足を踏み出す。

真の『強さ』とはなんなのか。
自分と仲間たちの、この泥に塗れた全ての事は無駄じゃないとガウェインは思う。

「ランスロット、お前には分からないだろう」

(負けたことの無いお前には…きっとわからないだろう。)

ガウェインは歩き続ける、血と泥に汚れた甲冑が酷く重かった。

騎士達の胸に燈った″それ″は小さなものなのかもしれない。

けれど人は″それ″がなければ生きられない。

そしてガウェインは、やがて精霊の女王と出逢い…聖杯を探す旅に出る。


全ては“剣の主”であるアーサーを甦らすために。


***

紅大理石の薄紅色がほの白く浮かび上がる。
夜の寒さに冷えた廻廊をガウェインが進むと、やがて目的地に着いた。

その扉の前から廊下にまで精霊の粉がこぼれて、金色の光を淡く放っていた。
思わず、扉の隙間から覗けば、そこに広がっていた光景にガウェイは息が飲む。

部屋中に飛びまわる色とりどりの精霊たち。
妖精の粉を振りまきながら幻想的に彼等の羽根が銀色に輝いている。


そしてその中心にいるのは豪奢なベッドの上に身を起こしている『彼』だ。


真白の褥の上に身を起こして、金色の髪を窓から吹く風に遊ばせている。
素直にガウェイは『彼』の神秘性にのまれて…綺麗だと思う。
男に思う心情としては変だろうかと思うが『彼』はそういったことを超えている気がするのだ。
ガウェイは暫し、幻想的なこの光景に魅入る、幻惑される。

どれぐらい、そうしていただろう。

やがて一人の精霊が窓から現れて、アーサーと同じ容姿の『彼』に抱きついた瞬間、ザワリッと心臓が騒いだ。
思わずだったー…これはきっと恐怖だ。
引き離される、奪われる焦燥がガウェイの胸を焼いた。

気付けば体が動いていた。扉を開け放つ。

「そこをどけっ精霊!!チェンジリングでも行うつもりか!!!」

誰何の声をあげれば、精霊がガウェイの方を向いて、さっきまで揺蕩う豪奢な髪が遮って見れなかった顔が見えた。
ガウェイは息を飲む。

その人では有り得ぬ精霊の美しさよ。

精霊も幼い少女のような美しい外見の透明な目を細めてガウェイを見ている。
まるで宇宙がそのまま嵌め込まれたような虹彩の瞳をしている。
けぶるような睫毛が上下する。

『フフッ懐かしや、オヌシも久しぶりよの…』

声と呼ぶにはあまりに音楽的な音で言葉が響く。
ふわりっと体重を感じさせずに精霊の体が宙に浮く。そのまま月光を編み上げたようなドレスもふわりっと宙に広がる。

向かい合ってガウェイの遠い記憶が揺さぶられる。
思わず瞳を見開いてしまう。


彼はその精霊を知っていた。

彼が生まれる前から。

彼は彼女を知っているのだ、遠いとおい昔に出逢った。

「…っ精霊の女王」

喘ぐように零れた言葉に精霊の女王は艶やかに笑う。

『貴方ならば許しましょう ガウェイ。

貴方もいとし子もわたくしと共に行くのです。

アーサーから預かった聖剣を人の手に還しましょう』

射しこむ月光に照らされ女王は爛漫に笑う。
幼い少女のような外見でありながら…その笑みには悠久の時を生きる者の持つ、掴みどころのなさが浮かんでいた。
精霊の女王のその微笑みにガウェイは眉を寄せる。
精霊は多くを語らず未来を見通し、人の世にまじわる。
そして人なる身には彼等はいつも計り知れない。

「…精霊のはかりで事を進めるな」

ガウェイの苦悩を精霊の女王は瞳を細めて見ていた。人の悩みは彼女には瑣末すぎて分からない。
月光によって白金に輝く髪をたゆたせて女王は小首をかしげて微笑んだ。

『元々わたくしが此処に来たのは、そのためでしてよ。
炎の騎士。
あなたと語らうためではなくってよ。』

彼女の中で聖剣を取りに行くことは、もはや決定事項でそれを覆せる者は居る筈もないのである。
ガウェイが感じる人間らしい配慮等、精霊には有りはしない。精霊の尺度は人のそれとは違う。
だからこそガウェイは言葉を尽くさずにはおれないのだ。

「そんなことを言ってるんじゃない、精霊はいつも気まぐれで災いも祝福も与える。
今回のことが祝福だとどうして言える。まして女王が人の世に干渉するなど。
王でもない人に聖剣を与えればどうなるのか、分からぬお前ではあるまい。」

精霊の女王はまぁと言って口元にその繊手をあてた。
ぱちぱちとけぶる様な睫毛をふるわせて、寝台に座ってピクシー達に囲まれているシュレイザードを見て理解したようだった。

『剣の主を見極めなさい炎の子。聖剣は「王」を選ぶもの。
この人の子は、紛れもない聖剣の主となりましょう。』

暗にそれはシュレイザードの魔法の擬態を看破した言葉であったのだがガウェイにそれが分かろう筈も無く。
剣の主であるシュレイザードと目の前のアーサーの容姿をした少年の狭間で揺れ動いていた。

聖剣は「王」を選ぶ。
精霊の女王が古のアーサーの時代から持っていたという聖剣を今になって人の世に返すこともガウェイには何かの前兆のような気もする。

そして…彼の視線の先にはベッドで色取り取りのピクシーに囲まれた″アーサー″がいる。
息が止まりそうな程に幻想的な光景のなかでガウェイの心は動いた。

聖剣を手にする者がいるとしたならシュレイザードにこそ相応しいとガウェイは思ってきたし今も思っている。
だが前世からの記憶では、目の前のアーサーの姿をした少年に渡した方が良いのではないかとも思ってしまうのだ。
…そのどちらもが正しいことを騎士は気付かず苦悩する。

それを精霊の女王はころころと笑って見ていた。
『感情に振り回されるから物事が見えなくなるというのに、ほんに人の子というのは』
コロコロと鈴を転がすように音楽的な笑い声が部屋に響いている中で、ベッドに座っていたシュレイザード。
今は姿をアーサーに変えていた彼はやっと声をあげた。
「精霊の女王、レシュ。今夜じゃなくて数日後に取りに行くのは駄目でしょうか?実は明日はしなければならないことがあって」
奴隷解放をしなくてはいけなくてとは言えずにそう言うと、またも精霊の女王はまあああぁっと声をあげた。
『聖剣よりも優先する事柄などなくってよ、いとし子』
「うっはい」
ガウェイはこの時ばかりは口を挟まずに事態を見守る。だが精霊の女王は仕方ないわと言って再びベッドに近付いた。

『でもいとし子の頼みですもの、聞いてあげても良くってよ。わたくしは今とても気分が良いの。』

そうして、ふんわりと風に触れるように祝福のキスをベッドにいる″アーサー″に贈って、微笑み一つ残して…麗しの精霊王は光の粒子となって消えうせた。

『時が満ちた時に、また逢いに渡るわ』

さらさらとまるで砂のように空中に光は漂いながら…やがてピクシーたちも一つまた一つと窓から飛び立ち。
最後にはガウェイと二人、豪奢な紅玉の間に残されたのである。
カーテンがふわりふわりと夜風に舞っていた。

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