それだけを望む

吉村巡

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 僕が真実を語れなかったのは、僕の弱さだ。

 両親は、彼女がヘンリーの肉親であることを告白したことを、もう長くない命だと自覚して僕に訴え出たからだと思っている。
 ヘンリーと血のつながった彼女に身寄りがないことを知っていた両親は、遺体の引き取り手に名乗りを上げ、彼らが多忙ゆえに参列する時間は取れなかったものの学校近くの教会で行われた葬送と埋葬に僕とヘンリーを出席させた。

 ヘンリーは、泣かなかった。
 泣かなかったけれど、彼女が死んだことは理解しているようだった。

 故人との思い出を語る者のいない葬送はたった一時間で終わる。
 出席者は僕とヘンリーと、学校の教師が数名。
 それだけで事足りた。
 彼女が死んだことを、他に伝える相手はいなかった。

 彼女と交流のあった研究者達は、彼女が謹慎期間に入った際に教師を通じてほとんどの仕事をキャンセルしたので、彼女が死んだことはしばらく広がることもない。

「あっけないものですね」

 今だけは白衣を黒衣に変える校医が、そう話しかけてきた。

「君の弟さんですね。彼女の家族でもあった」

 手を繋いでいる弟の頭を校医は撫でる。

「知って、いたんですか?」
「彼女が最初に運ばれた病院で、研修医をしていました。学生時代の専攻が脳だったこともあって、担当になったんです。孤児院の子供の健康状態をチェックしていれば、話も色々と聞こえてきますからね」

 つまり、

「その頃から、彼女の頭には」
「職員に顔を殴られ意識を失って運び込まれたのですから、レントゲンを撮りました。そこにはまだ小さいですが腫瘍の影がはっきりとありました。見習いの私の腕ではどうにもできない難しい場所に」

 技術も、経験も、なにもかも足りない校医は、身寄りのない彼女に率直に告げるしかなかったという。
 ゆるやかな自殺ともいえる彼女の強迫じみた業績の真実は、なんと危うい爆弾を抱えたゆえのものだったのか。

『君の脳には腫瘍があります。少なくともこの病院でその腫瘍を取ることはできません。なので、君には常に、いつ死ぬかわからないリスクがあります。君はとても若いから腫瘍が肥大する可能性が高く、明日死んでいる可能性すらあります』

 彼女はその言葉を、泣きもせずに受け入れたという。
 身寄りのない彼女が保険に入っているはずもなく、手術可能な設備の整った他の病院に転院することは不可能だった。
 
 それでも、校医は彼女に生きる希望を失ってほしくなくて、目標を立てるように忠告したという。
 そして、彼女は家族に再び会うことを望んだ。

 ただ、それだけを望んだ。

 発破をかけた手前、校医は彼女に許される範囲で協力した。
 その過程で彼女の才能が開花し、まるで奇跡のように再開への道が出来上がった。

 始まりに関与したものの責任として彼女の結末を見守るために、病院を退職し学校に校医として赴任した。
 
「彼女の人生は不幸でした。けれど、幸せがなかったわけではない。彼女の執着とも呼べる一途さは、間違いなく君を動かし、唯一望んだ肉親との再会を果たしたのです。最後の最後で、彼女は幸せに追いついた」

 校医は、切ない笑みを浮かべて結末を告げる。

「べリンダ・レイスは、自分の人生に満足していたと思います」

 彼女はきっと、満足して死んだのだろう。
 僕には、到底足りないとおもえる小さな望みをかなえたことで。

 僕は、弟を守ることを望んでいた。
 それだけを望んでいた。

 その代わりに、彼女の望みをずっと無視し続けたのだ。
 弟を守ることを望み、彼女を傷つけ続けた代償が、彼女の死だった。
 それが、避けられない結果だったとしても、彼女の死の一端を僕は担っていた。

 そして、同じようにこの校医も一端を担っていたのだろう。
 彼女の始まりから終わりまでを見守った校医は、ほどなくして学校を去った。

 校医が何処へ行ったのか、知る者はいなかった。
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