エルダーフラワーに誘われて

竺田 弥阿

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いつもの日々

朝は弱点です

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遠くの方で無機質なアラームが鳴っていた。
薄緑色のロールカーテンが締めきられた店内は時間が止まったかのようで、隙間から入る強い光がまるで、スポットライトのようだった。
睦美むつみはレタスを手に取った。芯を抜いて半分に割ると、パリッとした音と共に小さな水滴が跳ね、光を受けてキラキラと落ちていった。

鮮度のいい音に微笑を浮かべる睦美の背後には、色とりどりのお酒のボトルや紅茶の缶がひしめき合い、まるでそこしか居場所がなかったというかのように茶色いクラシカルなラジオが飾り棚の端のほうに置かれていた。
流れているのは、若年層から人気を集めているというエネルギッシュでノリのいいダンスミュージック。耳を傾けていたがカフェには合っていなくて、睦美は優しい手つきで電源を切った。静かすぎるのは居心地が悪いけれど、開店準備中に聴くには少々うるさすぎた。

カフェに静寂が戻ってくる。
ふと、睦美は顔を上げた。
手を止めると、先ほどよりも大きく、アラームが鳴り響いていることに「ふぅ」と息を吐いた。

「仕方ないですねぇ」

エプロンのポケットから白いハンカチを取り出し、塗れた手を拭きながら睦美は狭いカウンター内の通路を抜けて “Staff Only”の札がついたドアのノブを捻った。


ちょうど音が鳴り止んだ。
睦美は手すりに触れながら目の前の階段をのぼっていく。
築五十年である元民家の床板や柱は、朝日に照らされていることもあってぬくもりがあり、新しくておしゃれな家とは違うものが宿っているようだった。
二階に足を踏み入れると左へ進んだ。焦げ茶色の廊下を端まで行くと、睦美はぴったりと閉じられたドアを三回叩いた。

「しょうちゃーん。朝ですよぉ」
「…………んー」
「もう。入りますよぉ」

睦美に躊躇いはなかった。ドアを押し開けて中へ踏み入れた。
しょうちゃんが来るまでは、そこは物置として使われていて、今なお部屋の奥には物が散乱していた。季節外れの洋服が入った衣装ケース。クリスマスと黒字で書かれた段ボール。散乱するおもちゃたち。
手前ではシングルサイズの布団が陣取っていた。
水色の掛け布団が玉子のように丸くなって、時折動いていた。

中にいるのはひよこではなく、お片づけをしなかった悪い子だ。睦美はふわふわの塊を両手で揺さぶった。

「起きてください。今日は土曜日だから手伝ってくれるのでしょう?」
「あー。…………分かった。いま起きるよ」

もごもごと掛け布団が動きはじめた。丸かった形が徐々に見慣れた形に戻っていくと、水色の下からぴょこりと濡羽色の後頭部が出てきた。
転がるようにして起き上がったしょうちゃんはあぐらをかいてふわぁ、と小さな口をめいいっぱい開けて伸びをしながらあくびをする。
可愛らしい姿に睦美は自分の顔が緩んでいくのが分かった。

「おはようございます。まだ開店前ですし、普通のお洋服にしますか?」
「制服でいい……。っていうか、ひとりでできるから」

見た目に反して落ち着きのある話し方。だが、声は年相応のソプラノで、とろんとした目の端には涙が溜まっていた。
睦美は小さな頭に手を伸ばして、髪の毛を梳くように撫でた。

「あら、偉いですねぇ。なら、朝ご飯の準備をして下で待っていますね」

黙って頭を撫でられていたしょうちゃんは、睦美の言葉に「馬鹿にしないでよ」とし呟いた。睦美は聞こえないふりをして立ち上がると、黄色いカーテンを左右に開いて鍵を開けた。


風はすぐに入ってきた。
朝とはいえ今は八時頃。カフェの前では犬の散歩をする女性や、自転車を走らせてどこかへ遊びに行く、しょうちゃんと同じくらいの男の子たちがちらほらと見えた。
睦美は気持ちのよさに目を閉じる。梅雨が明けた後の天気は湿気が多くてジメジメしていた。それでも睦美はすがすがしくて解放感のある朝の空気が大好きだった。

「むつみぃ……」
「はいはい。なんです………っ!」

網戸を締めて振り返ったときだった。睦美はその場で膝をついた。

シーツが乱れた布団の上。ブルーグレーのチェックのシャツには、手ではなく小さくて柔らかそうな足が袖から顔を出していて、紺色のパジャマはボタンを半分外したところで手が止まっていて、瞼は閉じられていた。

口を片手で覆い、肩を震わせながら睦美は顔をあげた。
とても幸せそうな寝顔で、ぽかんと開いた口からは今にもよだれが垂れてきそうだった。

(か……可愛すぎますっ)
しょうちゃんの頭がカクン、と揺れた。
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