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いつもの日々
家族のように(2/2)
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桜井はカモミールを一気に流し込むと、苦しそうな息を吐いた。
曇った横顔に、睦美は手元のお茶に映る自分を見つめていたが、やがて静かに口をつけた。
(ペルソナ病……)
それは、睦美が新本から教えてもらった仮の呼び方だった。
一億人に一人の確率で発症する奇病に正式な名称はまだ存在しない。しかし、その症状については世界中の誰もが知っている。その理由は、ある特殊な症状だった。
出生時間。それを境に子どもの姿に変わってしまう、なんとも不可思議な現象で、まれに実年齢より大人の姿に変わってしまう場合もあるといわれている。
骨格の変形はもとより、一番不思議なのは姿が変わっても記憶は共有されていることだった。新本曰く、それは泥酔状態のことを翌日になっても覚えている感覚に近いのだと言う。
人々はそれを若返りという者もいれば、悪魔の呪い、エイリアンによる人造人間だと恐れる者もいた。
桜井はその奇病にかかった、唯一の日本人であった。
だが、彼が悩まされているものは、もっとあった。
睦美はそれを、新本から聞かされていた。彼はペルソナ病を研究し、発症した人の保護をする研究所のスタッフであった。
桜井は、自分の手のひらを見つめていた。
「俺は一体誰なのか。明日も俺でいられるのか、それともしょうちゃんになるのか。いや、順当に行けば次は正一だろうな」
節張って、肉付きのいい大きな手が親指を上にぎゅっと固く閉じられた。桜井の痛々しい表情に睦美はぱっと顔を背けた。
正一。それは桜井、そしてしょうちゃんのもうひとつの姿だった。
通常は実年齢の自分と、もうひとりの自分の二種類しか現れないのがペルソナ病の常識だった。だが、桜井は三種類の姿を持つ、世界でも唯一の人だった。
(だけど、桜井さんには、記憶がない)
三種類の姿を持つ、世界で唯一の病人。本当の姿を知っている人は、誰もいない。
睦美はそれをすべて聞かされた上で、ひとつ屋根の下で生活をしていた。
ティーカップから手を離し、睦美は桜井の拳を両手で包んだ。
「桜井さんは、桜井さんですよ」
部屋にかすかに残る香りに、睦美は深く呼吸をした。固く結ばれた紐をほどくように、桜井の指に一本一本触れていった。
「朝のお着替えを手伝って、一緒に朝食を摂って、お店の手伝いをしてくれて、転んだわたしを心配して抱き着いてきて、かっこよくカクテルを作っていて、今、一緒にカモミールティを飲んでいる。たとえどんな姿になろうと、あなたはあなたで、一緒にお仕事をしてくれる家族です」
静かで真剣みを帯びた睦美の言葉に、桜井は困ったように微笑んだ。
睦美は、桜井の気持ちが分からない。大人の自分が子供になっているのか、子どもの自分が大人になっているのか。自分はどこで生まれ、どこで育ち、何歳まで生きているのか。その苦しみを。
だけど、希望はある。それは同時に不幸とも言えた。
奇病は治るものである。なんらかの理由により、変化するのが二日置きや一カ月置き、一年置きになり、最終的に変化しなくなるケースがあるという報告が世界中、少数ながらあった。それは成長により変化前後の年齢ギャップがなくなったからなのか、それとも奇病そのものが体内で活動できる時間が限られているのか。調べようにも、研究はなかなか進まないのだという。
絶対はない。だけど、治ることによってなにか思いだすことがあるかもしれない。
(そのとき、わたしは……)
曇った横顔に、睦美は手元のお茶に映る自分を見つめていたが、やがて静かに口をつけた。
(ペルソナ病……)
それは、睦美が新本から教えてもらった仮の呼び方だった。
一億人に一人の確率で発症する奇病に正式な名称はまだ存在しない。しかし、その症状については世界中の誰もが知っている。その理由は、ある特殊な症状だった。
出生時間。それを境に子どもの姿に変わってしまう、なんとも不可思議な現象で、まれに実年齢より大人の姿に変わってしまう場合もあるといわれている。
骨格の変形はもとより、一番不思議なのは姿が変わっても記憶は共有されていることだった。新本曰く、それは泥酔状態のことを翌日になっても覚えている感覚に近いのだと言う。
人々はそれを若返りという者もいれば、悪魔の呪い、エイリアンによる人造人間だと恐れる者もいた。
桜井はその奇病にかかった、唯一の日本人であった。
だが、彼が悩まされているものは、もっとあった。
睦美はそれを、新本から聞かされていた。彼はペルソナ病を研究し、発症した人の保護をする研究所のスタッフであった。
桜井は、自分の手のひらを見つめていた。
「俺は一体誰なのか。明日も俺でいられるのか、それともしょうちゃんになるのか。いや、順当に行けば次は正一だろうな」
節張って、肉付きのいい大きな手が親指を上にぎゅっと固く閉じられた。桜井の痛々しい表情に睦美はぱっと顔を背けた。
正一。それは桜井、そしてしょうちゃんのもうひとつの姿だった。
通常は実年齢の自分と、もうひとりの自分の二種類しか現れないのがペルソナ病の常識だった。だが、桜井は三種類の姿を持つ、世界でも唯一の人だった。
(だけど、桜井さんには、記憶がない)
三種類の姿を持つ、世界で唯一の病人。本当の姿を知っている人は、誰もいない。
睦美はそれをすべて聞かされた上で、ひとつ屋根の下で生活をしていた。
ティーカップから手を離し、睦美は桜井の拳を両手で包んだ。
「桜井さんは、桜井さんですよ」
部屋にかすかに残る香りに、睦美は深く呼吸をした。固く結ばれた紐をほどくように、桜井の指に一本一本触れていった。
「朝のお着替えを手伝って、一緒に朝食を摂って、お店の手伝いをしてくれて、転んだわたしを心配して抱き着いてきて、かっこよくカクテルを作っていて、今、一緒にカモミールティを飲んでいる。たとえどんな姿になろうと、あなたはあなたで、一緒にお仕事をしてくれる家族です」
静かで真剣みを帯びた睦美の言葉に、桜井は困ったように微笑んだ。
睦美は、桜井の気持ちが分からない。大人の自分が子供になっているのか、子どもの自分が大人になっているのか。自分はどこで生まれ、どこで育ち、何歳まで生きているのか。その苦しみを。
だけど、希望はある。それは同時に不幸とも言えた。
奇病は治るものである。なんらかの理由により、変化するのが二日置きや一カ月置き、一年置きになり、最終的に変化しなくなるケースがあるという報告が世界中、少数ながらあった。それは成長により変化前後の年齢ギャップがなくなったからなのか、それとも奇病そのものが体内で活動できる時間が限られているのか。調べようにも、研究はなかなか進まないのだという。
絶対はない。だけど、治ることによってなにか思いだすことがあるかもしれない。
(そのとき、わたしは……)
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