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バレた
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甲高い電子音が聞こえる。目覚まし時計でもないし、電子レンジでもないし、この音はなんの音だろう。そんなことを考えていると、額にヒヤリと冷たい感覚があった。
「あーあ、熱、三十八度もあるよ」
──声? えーと、誰だっけ?
「千春さん、昨日何してたの? びしょ濡れで寝てるとかどんなプレイ?」
──びしょ濡れ? 寝てた?
わけも分からずゆっくり瞼を開ける。やんわりとした光の向こうに茶色い髪が揺れた。
「じゃー俺行くね。千春さんはゆっくり寝てて」
──行かないで
咄嗟にそう思った。もしかしたら口走ったかもしれない。とにかく、行かないでほしかった。ひとりにしないでほしかった。
手を伸ばし何かを掴んだ私は、その感触を確かめると、再び目を閉じた。
「遅刻だっ!」
ハッとして飛び起きる。体内時計では、もうとっくに八時を過ぎていた。むしろ昼過ぎかもしれない。
昨夜のことが思い出せない。お風呂に入ろうとしたことまでは覚えているんだ。そのあとどうしたんだっけ。ガンガンと痛む頭を片手で抑えながら、周りを見渡した。
◇
「あー、おはよう、千春さん」
視界の端っこ、ベッドの横で人の頭がひょこんと動いた。
「え……あれ……たろちゃん?」
──帰ってきていたんだ。そりゃそうか。
たろちゃんは床に座りベッドにもたれていた。その柔らかな茶色の髪が外からの風でふわりと揺れる。
──さっきの、もしかして……
夢か現かまたはその狭間で見た茶色の髪は、たろちゃんのものだったのか。
「ていうか千春さん、こんな本読んでるんだ?」
「へ?」
悪戯っぽい笑みを浮かべて振り向いた彼の手には、一冊の本。
「『アラサーでも諦めない! 愛され女子になるための10の掟』ね──」
「ちょっ! ちょっと、それ、なんで!」
本棚の一番奥に隠していたはずなのに。
「千春さん、こんな本読んでる内は、『愛され女子』になんてなれないよ?」
「うるっさいな! 『愛され女子』になるための本なんだからなれないわけないでしょ!」
「えー? そもそも千春さんの言う『愛され女子』ってなに? 誰からも愛される人? コテコテに嘘で固めた自分じゃなくて、ありのままの自分を愛してくれる人が一人いればよくない?」
『愛され女子』が脳内でゲシュタルト崩壊してきた。
たろちゃんと話していると、今まで自分が信じてきたことが一瞬にして砕け散ってしまう。たろちゃんが正しいからか、それともその『信念』が元々脆かったからか、それはわからないけれど。
とりあえず言えることは、起き抜けに正論をぶち込まないで欲しい、ということだ。ただでさえ朝は忙しいのに。
──ん? 朝?
「ちょっと、たろちゃん、今何時?」
「ソーネダイタイネー、もう十一時でーす」
「ええっ!? し、しごと!」
血の気が引いて、頭が真っ白になる。今日は土曜日だから、半日しっかり仕事だった。今から行ったところでどうしようもなく、無断欠勤が確定してしまった。
「どうしようどうしようどうしよう……」
いくら仲がいい職場だからって、無断欠勤はまずい。勤めてから一度だってそんなことなかったのに。
呆然とする私の目の前を、ヒラヒラと横切るたろちゃんの手。
「落ち着いて。俺が連絡しといたから大丈夫」
「れ、連絡って?」
「ほらこれ」
ふいに投げられたスマホは、間違いなく私の物だった。慌てて中を見ると、現れたのはメッセージ画面だ。宛先は梨花になっている。
『ゴメーン 熱でちゃった! 今日休むしお願いねー!』
「な……なにこれ……」
「何って、欠勤連絡でしょ?」
欠勤連絡にしては軽すぎる。いや、それだけじゃない。なにこのふざけたスタンプ。
軽くジェネレーションギャップを感じたところで我に返った。文脈はどうであれ、こうして気遣って連絡をしてくれたことに関して、素直に嬉しかった。一人暮らしをしていた時にはなかった感覚。持つべきものは、優しい同居人なのかもしれない。
「あり……がと……」
「どーいたしまして。千春さん、顔色良くなったけど、念の為今日はゆっくり休んで? 俺一日オフにしたから」
「え──……」
「『え』じゃなくて。千春さん、今朝熱あったんだよ。風邪ひいたの、風邪」
「か、風邪──」
なるほど、だから頭が痛いのか。そういえば、まどろみの中熱を測られたような気がする。
だんだんと今朝のことがハッキリしてきた。そうだ、あの時、どこかへ行こうとするたろちゃんを無理に引き止めたんだった。
「……ごめん、今日予定あったんだよね?」
「やー、別に。そんな大したものじゃないし」
たろちゃんはにへらと笑うと、『愛され女子』の本をご丁寧に棚の元あった場所に戻した。
「大したものじゃない」と、たろちゃんは言うけど、予定をキャンセルしてまでここにいてくれた事実に、申し訳ないやら嬉しいやらで胸がいっぱいになった。
と、その時だ。聞き慣れないメロディがどこからか鳴り響く。二人して顔を見合わせると、たろちゃんが気まずそうに顔を歪ませた。
「あー……ごめん、電話だ」
そう言うとパンツのポケットからスマホを取り出した。
──スマホ、持ってたんだ。
現代人なんだから当たり前と言ったら当たり前なんだが、たろちゃんがここに来てからというもの、彼がスマホを触っている所を見たことがなかったので、少々驚く。
「あー、もしもし? メグルちゃん?」
ドキン、と心臓が跳ねた。『メグルちゃん』……きっと女の人だ。はしたないと思いつつ、ついつい聞き耳を立ててしまう。
「ごめんねー、ちょっと急用が入って。え? あーウンウン、わかってるって。埋め合わせはまた今度、ね?」
聞いたことのないような甘ったるい声で囁くたろちゃん。喉の奥がひりひりと痛むのは、風邪のせいだろか。
「なんとか上手いこと言っておいて。お願いね。うん……メグルちゃん、ありがと」
彼は優しい瞳のまま通話ボタンをオフにして、何事もなかったかのようにソファに腰掛けた。ニコニコしちゃって、『メグルちゃん』の姿でも想像しているんだろうか。
なんだ、彼女、できたんじゃん。
奥底に溜まったモヤモヤは、そのまま咳となって外に出た。
「彼女できたなら出てってよ」
こんなこと言いたいわけじゃないのに。でもたろちゃんもたろちゃんだ。彼女ができたら出ていく約束だったのに、今の今まで黙っていたなんて。彼が何を考えているのかさっぱりわからない。
そして、もっとわからないのは自分の気持ちだ。早く出ていって欲しいと思いつつ、たろちゃんに彼女ができたらできたで腹を立てるなんて、勝手すぎる。
「かのじょ?」
たろちゃんはそのアーモンド型の瞳を更に丸くして、しばらく私を見つめていた。かと思うと、ゆっくり首を傾げる。そんななんでもない動作一つ一つが、いちいち様になるからムカつく。
「やだなー、メグルちゃんは彼女じゃないよ。メグルちゃんが彼女って……ふふっ」
何がおかしいのか、ケタケタと笑い転げてしまった。理由もわからず笑われるって、気分が悪い。なんて言うか、疎外感。私は小さく「あ、そう」と呟くと、寒くもないのに布団を被った。
「ねーねー千春さん、お腹空かない?」
「…………」
「空くよね? 割と元気そうだし、食欲あるよね?」
「…………」
「おかゆ、作ろうと思うんだけど、食べる?」
「…………」
食べる、と答える代わりにお腹がぐぅと鳴った。それを聞いて、またもやたろちゃんは笑いだした。でも今度は嫌な気持ちにはならなかった。
たろちゃんは、ズルい。厳しかったり、優しかったり、甘かったり。
たろちゃんは、ズルい──
「あーあ、熱、三十八度もあるよ」
──声? えーと、誰だっけ?
「千春さん、昨日何してたの? びしょ濡れで寝てるとかどんなプレイ?」
──びしょ濡れ? 寝てた?
わけも分からずゆっくり瞼を開ける。やんわりとした光の向こうに茶色い髪が揺れた。
「じゃー俺行くね。千春さんはゆっくり寝てて」
──行かないで
咄嗟にそう思った。もしかしたら口走ったかもしれない。とにかく、行かないでほしかった。ひとりにしないでほしかった。
手を伸ばし何かを掴んだ私は、その感触を確かめると、再び目を閉じた。
「遅刻だっ!」
ハッとして飛び起きる。体内時計では、もうとっくに八時を過ぎていた。むしろ昼過ぎかもしれない。
昨夜のことが思い出せない。お風呂に入ろうとしたことまでは覚えているんだ。そのあとどうしたんだっけ。ガンガンと痛む頭を片手で抑えながら、周りを見渡した。
◇
「あー、おはよう、千春さん」
視界の端っこ、ベッドの横で人の頭がひょこんと動いた。
「え……あれ……たろちゃん?」
──帰ってきていたんだ。そりゃそうか。
たろちゃんは床に座りベッドにもたれていた。その柔らかな茶色の髪が外からの風でふわりと揺れる。
──さっきの、もしかして……
夢か現かまたはその狭間で見た茶色の髪は、たろちゃんのものだったのか。
「ていうか千春さん、こんな本読んでるんだ?」
「へ?」
悪戯っぽい笑みを浮かべて振り向いた彼の手には、一冊の本。
「『アラサーでも諦めない! 愛され女子になるための10の掟』ね──」
「ちょっ! ちょっと、それ、なんで!」
本棚の一番奥に隠していたはずなのに。
「千春さん、こんな本読んでる内は、『愛され女子』になんてなれないよ?」
「うるっさいな! 『愛され女子』になるための本なんだからなれないわけないでしょ!」
「えー? そもそも千春さんの言う『愛され女子』ってなに? 誰からも愛される人? コテコテに嘘で固めた自分じゃなくて、ありのままの自分を愛してくれる人が一人いればよくない?」
『愛され女子』が脳内でゲシュタルト崩壊してきた。
たろちゃんと話していると、今まで自分が信じてきたことが一瞬にして砕け散ってしまう。たろちゃんが正しいからか、それともその『信念』が元々脆かったからか、それはわからないけれど。
とりあえず言えることは、起き抜けに正論をぶち込まないで欲しい、ということだ。ただでさえ朝は忙しいのに。
──ん? 朝?
「ちょっと、たろちゃん、今何時?」
「ソーネダイタイネー、もう十一時でーす」
「ええっ!? し、しごと!」
血の気が引いて、頭が真っ白になる。今日は土曜日だから、半日しっかり仕事だった。今から行ったところでどうしようもなく、無断欠勤が確定してしまった。
「どうしようどうしようどうしよう……」
いくら仲がいい職場だからって、無断欠勤はまずい。勤めてから一度だってそんなことなかったのに。
呆然とする私の目の前を、ヒラヒラと横切るたろちゃんの手。
「落ち着いて。俺が連絡しといたから大丈夫」
「れ、連絡って?」
「ほらこれ」
ふいに投げられたスマホは、間違いなく私の物だった。慌てて中を見ると、現れたのはメッセージ画面だ。宛先は梨花になっている。
『ゴメーン 熱でちゃった! 今日休むしお願いねー!』
「な……なにこれ……」
「何って、欠勤連絡でしょ?」
欠勤連絡にしては軽すぎる。いや、それだけじゃない。なにこのふざけたスタンプ。
軽くジェネレーションギャップを感じたところで我に返った。文脈はどうであれ、こうして気遣って連絡をしてくれたことに関して、素直に嬉しかった。一人暮らしをしていた時にはなかった感覚。持つべきものは、優しい同居人なのかもしれない。
「あり……がと……」
「どーいたしまして。千春さん、顔色良くなったけど、念の為今日はゆっくり休んで? 俺一日オフにしたから」
「え──……」
「『え』じゃなくて。千春さん、今朝熱あったんだよ。風邪ひいたの、風邪」
「か、風邪──」
なるほど、だから頭が痛いのか。そういえば、まどろみの中熱を測られたような気がする。
だんだんと今朝のことがハッキリしてきた。そうだ、あの時、どこかへ行こうとするたろちゃんを無理に引き止めたんだった。
「……ごめん、今日予定あったんだよね?」
「やー、別に。そんな大したものじゃないし」
たろちゃんはにへらと笑うと、『愛され女子』の本をご丁寧に棚の元あった場所に戻した。
「大したものじゃない」と、たろちゃんは言うけど、予定をキャンセルしてまでここにいてくれた事実に、申し訳ないやら嬉しいやらで胸がいっぱいになった。
と、その時だ。聞き慣れないメロディがどこからか鳴り響く。二人して顔を見合わせると、たろちゃんが気まずそうに顔を歪ませた。
「あー……ごめん、電話だ」
そう言うとパンツのポケットからスマホを取り出した。
──スマホ、持ってたんだ。
現代人なんだから当たり前と言ったら当たり前なんだが、たろちゃんがここに来てからというもの、彼がスマホを触っている所を見たことがなかったので、少々驚く。
「あー、もしもし? メグルちゃん?」
ドキン、と心臓が跳ねた。『メグルちゃん』……きっと女の人だ。はしたないと思いつつ、ついつい聞き耳を立ててしまう。
「ごめんねー、ちょっと急用が入って。え? あーウンウン、わかってるって。埋め合わせはまた今度、ね?」
聞いたことのないような甘ったるい声で囁くたろちゃん。喉の奥がひりひりと痛むのは、風邪のせいだろか。
「なんとか上手いこと言っておいて。お願いね。うん……メグルちゃん、ありがと」
彼は優しい瞳のまま通話ボタンをオフにして、何事もなかったかのようにソファに腰掛けた。ニコニコしちゃって、『メグルちゃん』の姿でも想像しているんだろうか。
なんだ、彼女、できたんじゃん。
奥底に溜まったモヤモヤは、そのまま咳となって外に出た。
「彼女できたなら出てってよ」
こんなこと言いたいわけじゃないのに。でもたろちゃんもたろちゃんだ。彼女ができたら出ていく約束だったのに、今の今まで黙っていたなんて。彼が何を考えているのかさっぱりわからない。
そして、もっとわからないのは自分の気持ちだ。早く出ていって欲しいと思いつつ、たろちゃんに彼女ができたらできたで腹を立てるなんて、勝手すぎる。
「かのじょ?」
たろちゃんはそのアーモンド型の瞳を更に丸くして、しばらく私を見つめていた。かと思うと、ゆっくり首を傾げる。そんななんでもない動作一つ一つが、いちいち様になるからムカつく。
「やだなー、メグルちゃんは彼女じゃないよ。メグルちゃんが彼女って……ふふっ」
何がおかしいのか、ケタケタと笑い転げてしまった。理由もわからず笑われるって、気分が悪い。なんて言うか、疎外感。私は小さく「あ、そう」と呟くと、寒くもないのに布団を被った。
「ねーねー千春さん、お腹空かない?」
「…………」
「空くよね? 割と元気そうだし、食欲あるよね?」
「…………」
「おかゆ、作ろうと思うんだけど、食べる?」
「…………」
食べる、と答える代わりにお腹がぐぅと鳴った。それを聞いて、またもやたろちゃんは笑いだした。でも今度は嫌な気持ちにはならなかった。
たろちゃんは、ズルい。厳しかったり、優しかったり、甘かったり。
たろちゃんは、ズルい──
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