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幻
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「……つまり、この信じられないほどのイケメンは見知らぬ赤の他人で、いろいろあって同居することになった、と」
「そう! そうなの梨花ちゃん!」
現在夜の十時半。すっかり涙も乾いた梨花に、テーブルを挟んで尋問をされている最中だ。テーブルの上にはカツ丼……もとい、お茶漬けがある。「お腹が空きました!」と食料を要求する梨花に、ちゃちゃっと作ってやったのだ。
それにしても、梨花にしてはえらくあっさり納得してくれたものだ。いつもの彼女なら、くどくどとそれはもう執拗に質問攻めにするはずなのに。
「──千春さん」
「うん」
「……って、そんなわけないじゃないですかぁーっ!」
梨花が勢いよくテーブルに手をついた。
「ちょ、ちょっと、梨花ちゃん」
「梨花がいくらおバカだからって、そんな嘘に騙されませんよぉ! いい歳した男女がこんな狭い部屋に二人きり……何もないわけがないじゃないですか! しかも、こんなイケメンと!」
指をさされた当人は、「俺?」とでも言いたげにきょとんとした顔で首を傾げている。ていうか、今一瞬この部屋をディスられた気がするけど……まぁいいか。
「あのね? 信じられない気持ちはわかるけど、でも本当のことなの」
梨花が真剣な眼差しでたろちゃんを見た。そしてふと、こう呟いた。
「あのぉ……そういえばあなた、どこかでお会いしましたっけ?」
上目遣いで妙に媚びた表情をつくる。いや、そう見えるだけで、この子はいつもこんな表情だった。
「梨花ちゃん! こんなところで逆ナンしないでよ!」
「違いますよぉ! 本当にどこかで見た気がするんです!」
「だからー、それは合コンで……」
「そうじゃなくってもっとこう……違う……」
うーん、と唸りながら首を捻る梨花だったが、そのうち疲れたのかパタリとテーブルに突っ伏した。しばらくそのまま動かない。私もたろちゃんも、無言で彼女の次の言葉を待った。
「……もーいーです」
梨花はそう一言だけ漏らすと、ガバッと顔を上げた。
「わかりました。お二人は、そういう関係じゃないと」
「梨花ちゃ──」
「ただし! たろちゃん……でしたっけ? あなたも『千春さん&ハスミンラブラブ大作戦』に協力してくださいね!」
何言ってるんだこの子は。そもそも、いつの間にそんなたいそうな名前を付けたんだ。
「もちろん、俺もそのつもりだよ」
たろちゃんは驚くことなく、さも当然と言った風に頷いてみせた。
「なんて物分りのいいイケメン!」
「…………梨花ちゃん」
お願い黙って。そう願わずにはいられない。
彼女の、物怖じしない態度と人懐っこいところはすごく好きだ。けれども一つ難点がある。口が軽いのだ。このまま放っておいたら、きっとあることないこと広まってしまう。それだけは避けたい。
「ねぇ、梨花ちゃん。このこと誰にも言わないでね?」
「誰にも? 京子さんにはいいですかぁ?」
「だめっ!」
ほらやっぱり。『誰にも』の意味をわかっていない。梨花は不満そうに「えー」と言いながら頬を膨らませた。もうあと三年もしたら、そんな表情すらできなくなるんだぞ。
それまでじっと私たちを好奇の目で眺めていたたろちゃんが、突然立ち上がった。トイレかと思ったがどうやら違うらしい。一歩一歩ゆっくり近づいていった先は、梨花の元だった。
真横に来たところで立ち止まり、ふいに梨花の横顔を覗き込んだ。
「ね、梨花さん。このことは、俺たちだけの秘密、ね」
至近距離アンド悩殺スマイル。これで堕ちない女はいない、といったところか。案の定、梨花の瞳の奥にハートマークが見える。
「は、はいぃ……」
何はともあれ梨花がわかってくれてよかった。ホッと一息つく。
そもそも、『この部屋に誰かが訪ねてくる』という可能性を考えなかった私が悪い。今回みたいなアポ無しは珍しいかもしれないけど……でも可能性としては十分考えられた。この同居生活は秘密なんだから、もっと気を引き締めなければ。
気持ち新たに前を向くと、梨花とたろちゃんが仲良く手相を見合っている。イチャイチャするカップルにしか見えなくて腹立たしい。というか、だいたい彼女はなんで来たんだっけ?
「あー生命線長いですよぉ」
「へー長生きするかな」
「んんんん!」
大きく咳払いをする。それに気づいた梨花が「千春さん、風邪ですかぁ?」なんてとんちんかんなことを言った。
「じゃなくて! 梨花ちゃん、何しに来たんだっけ?」
私がそう言うと、梨花の表情がみるみるうちに曇っていった。その瞳には溢れんばかりの涙が。
「そう……でした……千春さん、実は……実は梨花……うっ……ひ、ヒロくんと──
わ、別れたんですぅ……!」
「は、はぁ!?」
一瞬自分の耳を疑った。聞き間違いだろうか。
「だって……だって『結婚するかも』って言ってたじゃない……それがどうして『別れた』なんてことになるの……」
「こっちが聞きたいですよぉ!」
梨花はテーブルの上にあったティッシュを勢いよく手に取ると、盛大に鼻をかんだ。さっきから鼻をかみすぎて彼女の小ぶりの鼻が真っ赤になっている。
「なんて言われたの?」
「……『もう我慢の限界だ』って……」
伏し目がちにそう言うと、梨花はぽつりぽつりと語り出した。
なんでも、彼氏、ヒロくんとの出会いは、梨花の一目惚れだったらしい。
ヒロくんは梨花の容姿になびかない唯一の男で、梨花はそれはもう燃えに燃えて、半ば強引にヒロくんと付き合い始めた。
しかし今までの男と違い、愛情表現の薄い彼に、梨花はいつしか不安を感じるようになった。
電話をかけていたら「誰から?」遊びに行く時は「どこに? 誰と?」しまいには飲み会禁止令なんかも出しちゃって。要するに、束縛だ。
それに、とうとう痺れを切らしたヒロくんが別れを切り出したというのが、事の顛末だった。
「うっわー、サイテーだね」
黙って聞いていたたろちゃんが、薄い笑みを浮かべてこう言った。
「でしょぉ! サイテーなの、ヒロくん……」
「いや、サイテーなのは梨花さんでしょ」
ピシリ、と空気が凍る。
いや、わかっていたことなのだ、たろちゃんが梨花の擁護なんかするはずないって。だって彼は自由人。束縛する女はむしろ敵だ。
たろちゃんは冷たい表情で梨花を睨んだ。
「梨花さんはさ、その人の何を見てたの? そんなに信用ならない男だったわけ?」
「そ、そんなことないけど、でも──」
「じゃあなんでその人のこと信じてあげないの? 彼氏はあんたの所有物じゃないんだよ? 意思も感情もある、人間なんだよ、に・ん・げ・ん。疑われたら嫌だし悲しいんだよ。たまには自分の好きなことだってしたいんだよ。ね、あんただって同じでしょ? なんで自分は良くて彼氏はダメなわけ? 答えられないよね? 答えられるはずないよね? あんたに思いやりがないから、男は逃げていくんだよ」
早口でまくし立てるたろちゃんを見て、さすがの梨花もポカンと口を開けるしかなかった。
カチャリ
キッチンの水切りかごの中に入れてあった食器が、音を立てて崩れた。その音を聞いた梨花はハッとして私を振り返る。その目は、明らかに助けを求めるような目だった。
「ち、千春さん……このイケメン……辛辣なんですけどぉ~」
そこには同意しよう。
私は心を落ち着かせるために、用意してあったコーヒーを一口飲む。たろちゃんはいつにも増して攻撃的だし、年長者として私がしっかりと、かつ穏便に話をまとめなければ。
「でもね梨花ちゃん。私もたろちゃんと同意見かな。可哀想だけど、でも──」
「わかりましたっ!」
私の言葉を遮るようにして、梨花が立ち上がった。どこか清々しい、笑顔を携えて──
「梨花、もっと『自立した女』になりますぅ! それでもう一回ヒロくんにアタックしますぅ!」
「へー。好きにすれば?」
気怠げに答えるたろちゃんだったが、梨花はちっとも気にしていない様子で瞳をキラキラと輝かせた。
「はいっ! 師匠!」
梨花は隣のたろちゃんの手を取ると、強く握りしめた。そこにあるのは、『恋』とか『愛』とかそういった類のものではなく、もっと崇高なもの……そう、『尊敬』だった。梨花は今、たろちゃんを尊敬している。
──何を見せられているんだろ
結局梨花は、『たろちゃんの恋愛指南』をたっぷり一時間聞いて、帰って行った。本当にお騒がせな子だ。だけど少しでも元気になれたなら、いいか。
「千春さんって変人?」
寝る間際、ソファに寝そべるたろちゃんが聞いてきた。
「は? 至って普通だけど?」
「類は友を呼ぶ」
「…………おやすみ」
電気を消す瞬間、彼が舌をチロリと出したのが見えた気がした。
「そう! そうなの梨花ちゃん!」
現在夜の十時半。すっかり涙も乾いた梨花に、テーブルを挟んで尋問をされている最中だ。テーブルの上にはカツ丼……もとい、お茶漬けがある。「お腹が空きました!」と食料を要求する梨花に、ちゃちゃっと作ってやったのだ。
それにしても、梨花にしてはえらくあっさり納得してくれたものだ。いつもの彼女なら、くどくどとそれはもう執拗に質問攻めにするはずなのに。
「──千春さん」
「うん」
「……って、そんなわけないじゃないですかぁーっ!」
梨花が勢いよくテーブルに手をついた。
「ちょ、ちょっと、梨花ちゃん」
「梨花がいくらおバカだからって、そんな嘘に騙されませんよぉ! いい歳した男女がこんな狭い部屋に二人きり……何もないわけがないじゃないですか! しかも、こんなイケメンと!」
指をさされた当人は、「俺?」とでも言いたげにきょとんとした顔で首を傾げている。ていうか、今一瞬この部屋をディスられた気がするけど……まぁいいか。
「あのね? 信じられない気持ちはわかるけど、でも本当のことなの」
梨花が真剣な眼差しでたろちゃんを見た。そしてふと、こう呟いた。
「あのぉ……そういえばあなた、どこかでお会いしましたっけ?」
上目遣いで妙に媚びた表情をつくる。いや、そう見えるだけで、この子はいつもこんな表情だった。
「梨花ちゃん! こんなところで逆ナンしないでよ!」
「違いますよぉ! 本当にどこかで見た気がするんです!」
「だからー、それは合コンで……」
「そうじゃなくってもっとこう……違う……」
うーん、と唸りながら首を捻る梨花だったが、そのうち疲れたのかパタリとテーブルに突っ伏した。しばらくそのまま動かない。私もたろちゃんも、無言で彼女の次の言葉を待った。
「……もーいーです」
梨花はそう一言だけ漏らすと、ガバッと顔を上げた。
「わかりました。お二人は、そういう関係じゃないと」
「梨花ちゃ──」
「ただし! たろちゃん……でしたっけ? あなたも『千春さん&ハスミンラブラブ大作戦』に協力してくださいね!」
何言ってるんだこの子は。そもそも、いつの間にそんなたいそうな名前を付けたんだ。
「もちろん、俺もそのつもりだよ」
たろちゃんは驚くことなく、さも当然と言った風に頷いてみせた。
「なんて物分りのいいイケメン!」
「…………梨花ちゃん」
お願い黙って。そう願わずにはいられない。
彼女の、物怖じしない態度と人懐っこいところはすごく好きだ。けれども一つ難点がある。口が軽いのだ。このまま放っておいたら、きっとあることないこと広まってしまう。それだけは避けたい。
「ねぇ、梨花ちゃん。このこと誰にも言わないでね?」
「誰にも? 京子さんにはいいですかぁ?」
「だめっ!」
ほらやっぱり。『誰にも』の意味をわかっていない。梨花は不満そうに「えー」と言いながら頬を膨らませた。もうあと三年もしたら、そんな表情すらできなくなるんだぞ。
それまでじっと私たちを好奇の目で眺めていたたろちゃんが、突然立ち上がった。トイレかと思ったがどうやら違うらしい。一歩一歩ゆっくり近づいていった先は、梨花の元だった。
真横に来たところで立ち止まり、ふいに梨花の横顔を覗き込んだ。
「ね、梨花さん。このことは、俺たちだけの秘密、ね」
至近距離アンド悩殺スマイル。これで堕ちない女はいない、といったところか。案の定、梨花の瞳の奥にハートマークが見える。
「は、はいぃ……」
何はともあれ梨花がわかってくれてよかった。ホッと一息つく。
そもそも、『この部屋に誰かが訪ねてくる』という可能性を考えなかった私が悪い。今回みたいなアポ無しは珍しいかもしれないけど……でも可能性としては十分考えられた。この同居生活は秘密なんだから、もっと気を引き締めなければ。
気持ち新たに前を向くと、梨花とたろちゃんが仲良く手相を見合っている。イチャイチャするカップルにしか見えなくて腹立たしい。というか、だいたい彼女はなんで来たんだっけ?
「あー生命線長いですよぉ」
「へー長生きするかな」
「んんんん!」
大きく咳払いをする。それに気づいた梨花が「千春さん、風邪ですかぁ?」なんてとんちんかんなことを言った。
「じゃなくて! 梨花ちゃん、何しに来たんだっけ?」
私がそう言うと、梨花の表情がみるみるうちに曇っていった。その瞳には溢れんばかりの涙が。
「そう……でした……千春さん、実は……実は梨花……うっ……ひ、ヒロくんと──
わ、別れたんですぅ……!」
「は、はぁ!?」
一瞬自分の耳を疑った。聞き間違いだろうか。
「だって……だって『結婚するかも』って言ってたじゃない……それがどうして『別れた』なんてことになるの……」
「こっちが聞きたいですよぉ!」
梨花はテーブルの上にあったティッシュを勢いよく手に取ると、盛大に鼻をかんだ。さっきから鼻をかみすぎて彼女の小ぶりの鼻が真っ赤になっている。
「なんて言われたの?」
「……『もう我慢の限界だ』って……」
伏し目がちにそう言うと、梨花はぽつりぽつりと語り出した。
なんでも、彼氏、ヒロくんとの出会いは、梨花の一目惚れだったらしい。
ヒロくんは梨花の容姿になびかない唯一の男で、梨花はそれはもう燃えに燃えて、半ば強引にヒロくんと付き合い始めた。
しかし今までの男と違い、愛情表現の薄い彼に、梨花はいつしか不安を感じるようになった。
電話をかけていたら「誰から?」遊びに行く時は「どこに? 誰と?」しまいには飲み会禁止令なんかも出しちゃって。要するに、束縛だ。
それに、とうとう痺れを切らしたヒロくんが別れを切り出したというのが、事の顛末だった。
「うっわー、サイテーだね」
黙って聞いていたたろちゃんが、薄い笑みを浮かべてこう言った。
「でしょぉ! サイテーなの、ヒロくん……」
「いや、サイテーなのは梨花さんでしょ」
ピシリ、と空気が凍る。
いや、わかっていたことなのだ、たろちゃんが梨花の擁護なんかするはずないって。だって彼は自由人。束縛する女はむしろ敵だ。
たろちゃんは冷たい表情で梨花を睨んだ。
「梨花さんはさ、その人の何を見てたの? そんなに信用ならない男だったわけ?」
「そ、そんなことないけど、でも──」
「じゃあなんでその人のこと信じてあげないの? 彼氏はあんたの所有物じゃないんだよ? 意思も感情もある、人間なんだよ、に・ん・げ・ん。疑われたら嫌だし悲しいんだよ。たまには自分の好きなことだってしたいんだよ。ね、あんただって同じでしょ? なんで自分は良くて彼氏はダメなわけ? 答えられないよね? 答えられるはずないよね? あんたに思いやりがないから、男は逃げていくんだよ」
早口でまくし立てるたろちゃんを見て、さすがの梨花もポカンと口を開けるしかなかった。
カチャリ
キッチンの水切りかごの中に入れてあった食器が、音を立てて崩れた。その音を聞いた梨花はハッとして私を振り返る。その目は、明らかに助けを求めるような目だった。
「ち、千春さん……このイケメン……辛辣なんですけどぉ~」
そこには同意しよう。
私は心を落ち着かせるために、用意してあったコーヒーを一口飲む。たろちゃんはいつにも増して攻撃的だし、年長者として私がしっかりと、かつ穏便に話をまとめなければ。
「でもね梨花ちゃん。私もたろちゃんと同意見かな。可哀想だけど、でも──」
「わかりましたっ!」
私の言葉を遮るようにして、梨花が立ち上がった。どこか清々しい、笑顔を携えて──
「梨花、もっと『自立した女』になりますぅ! それでもう一回ヒロくんにアタックしますぅ!」
「へー。好きにすれば?」
気怠げに答えるたろちゃんだったが、梨花はちっとも気にしていない様子で瞳をキラキラと輝かせた。
「はいっ! 師匠!」
梨花は隣のたろちゃんの手を取ると、強く握りしめた。そこにあるのは、『恋』とか『愛』とかそういった類のものではなく、もっと崇高なもの……そう、『尊敬』だった。梨花は今、たろちゃんを尊敬している。
──何を見せられているんだろ
結局梨花は、『たろちゃんの恋愛指南』をたっぷり一時間聞いて、帰って行った。本当にお騒がせな子だ。だけど少しでも元気になれたなら、いいか。
「千春さんって変人?」
寝る間際、ソファに寝そべるたろちゃんが聞いてきた。
「は? 至って普通だけど?」
「類は友を呼ぶ」
「…………おやすみ」
電気を消す瞬間、彼が舌をチロリと出したのが見えた気がした。
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