黒覆面の若旦那は嘘つき花嫁をほだして愛する

ワタリ

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第19話:旦那様とお養父様

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 婚姻の儀の準備で朝から大忙しだった。

 この日は保胤も在宅勤務に切り替え、仕事の合間に三上と共に最終打合せに当たっていた。

 一方、一葉はとある大問題に直面していた。

「う、うそでしょ……い、いや大丈夫。落ち着け……落ち着け……ああどうしよう……どうしよう……いやいや大丈夫……ふぅ……ふぅ……」
「一葉様、どうなさいました?」
「はぇっ!?」
「何かお探し物ですか? 三上もお手伝いいたします!」

 食堂の床にへばりついている一葉を心配そうに三上が声をかける。

「あ、い、い、いえ!! ぜんっぜん大丈夫です! あの……その……も、もう見つかりました!」
「それは良かった……! もうすぐ着付けの先生がいらっしゃいます。お衣装合わせお願いいたしますね!」
「はい、かしこまりましたぁ!」

 明るく返事をすると、三上は忙しそうに走ってどこかに行ってしまった。

(朝から大忙しの三上さんの手を煩わせるわけにはいかない)

 というか、探し物を手伝わせるわけには絶対にいかない。見られる訳にはいかない。

(やばいよぉ……本当にどうしよう……最後の盗聴器どこいっちゃったんだろう……)

 半泣きで顔を真っ青にしながら一葉は再び床にへばりついて探した。

 確かに昨日まではあった。
 エプロンの中に入れていた。
 台所で保胤の紅茶を準備して、書斎に入って、誘淫剤入りのマドレーヌを食べた後、それから、ええと、彼の寝室に行って着物を脱がされて……その……

「…………ぅ」

(ちちちち違う! 何考えてんの! あの時のことを思い出している場合じゃないでしょうが!!)

 一葉は煩悩を打ち消しながら再び記憶を辿っていく。

 エプロンのポケットにはなかった。
 自分の部屋も見つからなかった。
 台所も廊下も床も、昨日エプロンをつけて歩いた場所には落ちていなかった。

(ここまで探して見つからないとなると……残るは保胤さんの書斎か寝室ってことよね……)

 一葉は頭を抱えた。最悪だ。一番最悪のパターンだ。

(落とし物をしたかもしれないから部屋に入れて欲しいと頼んでみるべきかしら……でも)

 もし実際に盗聴器を見つけたとして保胤のいる前で何と説明をすればいいのか。普段鍵をつけているような部屋だ。探している最中、保胤はきっとその場に立ち会うだろう。

(落とし物の替えの何かを用意して、それを拾ったように見せかければ誤魔化せる……?)

 心配なことはもう一つある。
 もし盗聴器が保胤の部屋にあったとして、先に彼が盗聴器を見つけていたとしたら。

(自分が狙われていると分かっている人だもの。盗聴器なんてきっとすぐ気付くわ)

 薬入りの焼き菓子の件といい、盗聴器まで部屋で見つかったとしたら一葉に疑いの目が向けられることは間違いない。

(焼き菓子は他の人間の仕業だと思っているけれど、さすがに私も怪しまれるわよね……)

 もし諜報員であることがバレたら保胤はどう思うだろうか。


 ――葉さんが覚えていないのも無理はありませんよ。僕の一目ぼれです

 ――僕はあなたが好きだけれど一緒にいて僕ばかりが嬉しいのはそれはそれで寂しいものですから


「……」

 以前、保胤から言われた言葉を思い出して一葉は胸が痛んだ。自分に危害が及ばないよう守ってくれていたと知ってしまうと、余計にその罪悪感が増す。

 自分が犯人だと分かったら保胤はきっと軽蔑するだろう。好きだった相手に裏切られたと知って失望し、嫌われるに違いない。

(いつかはバレるもの。仕方がないことだわ……)

 この任務が終われば、父と母と合流するため自分は黙って緒方家を去るつもりだ。保胤の婚約者、妻という役目は諜報員の仕事に過ぎない。

 嫌われても軽蔑されても何てことない。そう思われて当然のことを自分はしている。

 ただ、気がかりがあるとすれば一つだけ。

 保胤を傷つけてしまうこと。それだけだった。


「一葉さまぁー! お客様でございます!」
「は、はぁい! ただいま!」

 三上の呼ぶ声で、一葉は急いで正面玄関へと向かった。着付の先生が到着したとばかり思ったが、意外な人物が目の前に現れる。

「お……お養父様……!」










 三上と共に紅茶を準備して、応接間に入る。保胤と慶一郎が向かい合うように座っていた。

「どうかね、保胤くん。うちの一葉は? 迷惑をかけていないかな?」
「迷惑だなんて。楽しく暮らしていますよ。ね、一葉さん」

 一葉が保胤の前に紅茶を置いたタイミングで尋ねる。自分に聞かれるとは思っていなかったため一葉は動揺して手が滑りそうになる。

「へっ!? あ、は、はい! ソウデスネ……?」
「なんで急にカタコトなんだ……保胤くんに迷惑を掛けていないか心配だよ。色々と至らない娘だろう?」

 一葉の返事に慶一郎が呆れる。

「彼女は家政婦さんではありませんから僕に迷惑を掛けても至らなくても問題ではありませんよ」
「そうか。仲良くやっているようなら私も安心したよ」
「一葉さん」
「は、はい!」
「お義父様と大事な話があるんだ。応接間には誰も通さないようにしてくれるかい?」
「かしこまりました」

 一葉は二人に頭を下げて、応接間を出る。扉を閉めた瞬間、急いで自分の部屋へと向かった。


『……いい香りだ。これはアールグレイかな?』
『いいえ、ダージリンですね。アールグレイはフレーバーティーですから全く別ものですよ、お義父さん』
『そ、そうか。いや、紅茶は飲みなれないものでなぁ』
『白米と炊き込みご飯ぐらい違いますよ、お義父さん』
「ぶはっ!」

 思わず吹き出して笑ってしまった。
 一葉は焦り顔できょろきょりと辺りを見回す。自分の部屋だから誰もいないはずだが、会話を盗み聞きしている手前後ろめたかった。

 急いで部屋に戻ると、トランクから盗聴器用受信機を取り出した。イヤホンマイクを耳に当てて、慶一郎と保胤の会話に耳を傾ける。

(約束もなく一体何しに来たのかしら……?)

 三上と一緒に紅茶の準備をしていた時、慶一郎は保胤と会う約束を事前にしていた訳ではなかったと聞いた。

(それに大事な話って……? 何か目的があるに違いないわ)


『いやしかしあれだな、保胤くんにお父さんと呼ばれる日がくるとは……なんだか感慨深いよ』
『一葉さんの婚前同居を早めていただき感謝します。しかし、彼女には知らせていなかったのですか? うちに来た時、日にちを間違えてしまったと大変驚かれていましたよ』

「えっ!?」

 緒方家に来た時、確かに嫁入りの日は来週だと言っていた。

(……保胤さんは知っていたの?)

『あ、ああ。日にちが数日早まった程度だからわざわざ伝える必要もないかと思ってな』

(さっさと追い出したかっただけなのに。よく言うわね。だけどどうしてわざわざ早めたりしたのかした……?)

『ご家族水入らずの時間を奪ってしまって申し訳なかったですね。僕も三上に伝えていなかったので色々と準備が揃っておらず、彼女には不自由な思いをさせてしまいました』
『いやいや、あの娘にそんな心配及ばんよ。緒方家の嫁になれるなんてそれだけで最上の幸せ。無論、君が私の息子になるだなんて夢のようだ。あの緒方商会の次期社長の君が私の息子になるとはなぁ』
『恐れ入ります』

(うーわ、あからさま……)

 一葉は慶一郎のご機嫌な声を聴いて、思わず“べぇ”と舌を出した。

『しかし、随分とあの子を気にかけてやってくれているみたいだな。うまくやっているようで私も安心したよ』
『ええ、まぁ』
『……それでだ、保胤くん。今日は例の件で相談に来たんだ。緒方商会が進めている製鉄所建設事業にうちも参画する話、考えてみてくれたかね』

 製鉄所建設……? なるほど。早速身内のよしみで仕事を請け負いたいって話か。

『社内で検討は進めています。数日中にはお返事が出来るのではないかと』
『そうか! いい返事を期待しているよ。製鉄技術は独逸ドイツ人技師から受けると聞いている。うちは最近は海外展開をしているから技師確保では何か役に立てるはずだ』
『……おや、その話はどなたから伺ったんです?』

 一葉は保胤の声色が変わったことに気付いた。
 それまでどこか飄々としていた口調に、真剣さが増す。

『あ、ああ。風の噂でな! ほら、うちも色んな会社と取引があるから色々と情報は耳に入ってくるんだよ』
『……そうですか』

(……きっと緒方商会に侵入させているうちの諜報員が掴んだんだわ)

『お義父さん』
『なんだね?』

 改まった様子で、保胤は慶一郎に語り掛ける。

『あらかじめお伝えしておきますが、製鉄所建設はまだ検討段階の計画に過ぎません。過去にも国内製鉄所はありましたが、失敗に終わっていることはご存じですか?』
『あ、ああ……まぁそれは……』
『火災による木炭の供給不足、技術不足による操業の不安定さ、工部省の鉄鉱石埋蔵量の見積もり甘さ。色々とリスクもあります。実際に操業停止と廃山が決定した製鉄所がありましたしね。本当にやるメリットがあるか、官民一体となって動けるかどうかも含めて議論がなされています。無論、最終的にやらないという判断になるか可能性もある』
『もちろん懸念点が多い事業だということは私も分かっているさ。だが、これは緒方商会にとって大きなチャンスであることは間違いないだろう?』
『御社にとっても、ね?』

(なんだか……いつもの保胤さんと違う……)

 言葉や声色はいつもの保胤だが、三上や自分への話し方とは異なり、どこか冷徹さを感じた。

『……否定はせんよ。業種は違えど私とて商売人だからね。君の会社から見れば小物だという自覚もしているが』
『緒方商会は取引する会社を会社の規模で選んではいませんよ。我々が求めるのはあくまで“cleanかどうか”です』
『……私は英語は不得手でね。どういう意味か教えてくれるか?』

 ごくり、と一葉は喉を鳴らした。
 保胤と慶一郎の間に流れる空気が重くなったことを、二人の声を聴いているだけで十分伝わってきた。

『……まあ、この話はおいおいだな。いい返事を期待しているよ』

 慶一郎が折れた態度を見せて、一葉はほっとした。

『最後に一葉と話して行きたいんだ。出来れば親子水入らずで話がしたいんだが……少し時間をいただいてもいいかね?』
『ええ、もちろんです』
「……!?」

 自分の名前が出て、一葉は慌てて受信機を外す。急いで一階へと降りて行った。

 だから、気付いていなかった。

 この時、保胤と慶一郎の会話にまだ続きがあったことを。
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