黒覆面の若旦那は嘘つき花嫁をほだして愛する

ワタリ

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第48話

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 一葉はしゃがみ込んで剥がれかけた絆創膏に触れた。保胤が貼ってくれた時を思い出しながら自分の小指に巻きつけてみたが、くたりと力なく解ける。

「……よし」

 えいっと一気に剥がした。
 傷はすっかり薄くなり、割れた爪も気にならない程度まで治っていた。

「自分の仕事をしよう」

 すくっと立ち上がり再び足袋をはき直す。エプロンを外して綺麗に畳み、テーブルの上に置いた。鞄を持って一階へと降りる。

「三上さん」
「か……一葉様……!」

 台所へ行くと三上が心配そうに一葉へ駆け寄る。

「すみません、さっきはひとりで出て行ったりして……」
「いいのです……! 保胤様が悪いのですから! 一体何を考えていらっしゃるのやら……」

 保胤と玲子に三上もただならぬ雰囲気を感じ取ったようだ。一葉は気にしていないという風に首を横に振った。

「私はこれから庭師の方にお出しするお菓子を買いに行って参ります」
「それなら私が……!」
「私も少し息抜きに外に出たいなと思って……あ、今日はお車をお借りしてもいいでしょうか?」

 もちろんです!と言って、三上は緒方家で運転手を務める者に電話を掛けてくれた。

「運転手の方、すぐに準備できるそうです!」
「ありがとうございます。外で待っていますね」

 一葉は台所を出て正面玄関へ向かう。途中、ちらりと応接間を見た。

(……二人でどんな話してるのかな)

 応接間に自分が仕掛けた盗聴器のことが頭をかすめた。

 一葉は自室に戻った時、慶一郎が訪れた時と同じように盗聴器用の受信機で会話を盗み聞きしようかと一瞬思ったが、その考えはすぐに打ち消した。

(……緒方商会の情報と関係がないもの。それに、もし保胤さんが誰かに心変わりするならその方がいいわ)

 いつか終わりが来る関係なら早い方がいい。
 いくら自分のことを好きだと言ってくれていても、保胤の気持ちに応えることは出来ない。
 ならばいっそ早く別の人を好きになって欲しい。

(だけど、お養母様は……お養父様のことはどうするつもりかしら)

 喜多治家の夫婦関係について詳しいことは知らないが、女中達の噂話を耳にしたことはあった。

 慶一郎と玲子はひと回り以上歳の離れた夫婦だ。一代で財をなした慶一郎の資産目当てだと眉をひそめる者もいたそうだが慶一郎自身玲子の思惑を理解しての結婚だったという。

 むしろ、慶一郎も玲子への恋慕の情だけで一緒になったとは言い難い。
 慶一郎は社交の場に必ず玲子を連れて行った。美貌とスタイルに恵まれた若い妻。慶一郎にとってまさにトロフィーワイフ的な存在だったのだろう。

 二人は表向きは美男美女の上流階級の夫婦に見えるが屋敷では仲睦まじいという様子は一切なかった。

 二人の間に子どもはいない。いないのは作らないのか、出来ないのか。二人の間に愛情はあるのか、利害が一致している関係だけなのか。

 喜多治家夫婦の真実は二人しか知らない。

(まるで……私たちと同じね)

 今の一葉は、慶一郎と玲子の関係にどこか同類のようなものを感じていた。

(私たちも互いの利益が一致しているだけの夫婦だもの)

 玲子が緒方家の資産や地位を目当てに保胤に近づいていたとして、自分にそれを咎める資格は果たしてあるのだろうか。

 玲子よりも自分はもっと保胤を利用して、傷つけているというのに。

 保胤から好意を抱かれていると知った上で彼の優しさにつけ込んでいるに過ぎない。諜報員の自分の飼い主が誰なのか知られないため、緒方商会の情報を得るためとはいえ、それは自分可愛さの言い訳でしかないと一葉は考えていた。

(お養母様にとって保胤様もお養父様に対する感情と同じなのだとしても……)

 応接間で目に飛び込んできた風景を思い出す。
 玲子に跪き、彼女の長く美しい脚に触れる保胤の姿。
 
(……勘違いしちゃ駄目よ)

 保胤が自分に触れた時と同じ、壊れ物を扱うかのような丁寧で繊細な手付きだった。後ろ姿だったため保胤の表情は見えなかった。今思えば、見えなくて良かったと思う。

(……私は嫉妬なんてしていい立場じゃないの)

 もしも、あの夜のように
 保胤がいつか玲子の隣に立つのだとしたら。

 傷ついた一葉のために早く帰り
 共に台所に立ち、並んで同じ食事を取り
 自分の脚に唇を寄せた保胤が、
 慈愛と情欲をたたえた保胤の瞳が、次は玲子を映すのだとしたら――

(……そんな資格……ないんだってば……)

 ぐいっと乱暴に手の甲で瞼を拭う。
 言葉だけでも否定すればどうにかなると信じたかったが、こみあげてくる胸の苦しみだけはどうしようもなかった。




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