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一章
3 一人目のお客様
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「木苺のタルト、ザッハトルテ、キャロットケーキ、ティラミス、オペラ、紅茶のシフォンケーキ、合計六品だよ」
「まさか全部食えなんて言わないよな」
「そのまさかだよ、驚いたかい?」
エルマーは悪戯に成功した子どものように口角を釣り上げた。
彼の笑顔を前にしてウィリアムは顔をしかめる。ため息をつきながら近くの丸椅子に座り、目の前の食べ物と向かい合った。テーブルには色とりどりのケーキが並んでおり、甘い香りが漂っていた。
「人間の胃袋には限界がある。今年でもう四十だぞ?」
「もちろん知ってるよ。でも安心してくれ。今日はお客さんが来る気がするんだ」
「お前の予感は当たらないだろ」
「いいや今回は絶対に当たる。今夜見る映画を選ぶ権利を賭けてもいいよ」
エルマーがウィリアムにフォークを渡す。彼はそれを受け取り、遠くにおいてあった紅茶のシフォンケーキにわざわざ手を伸ばして食べた。
「茶葉の配合を変えてみたんだ」
「これも美味いけど、俺はいつもの味が好きかな」
素直な指摘にエルマーはわかりやすく落胆した様子だった。
ウィリアムは彼の反応に罪悪感を覚えつつ黙々と食べ続け、シフォンケーキを一切れ食べ終えた。
次に選んだのはふんだんに木苺が使われたタルトケーキだった。
「こっちは前よりも美味しくなった」
「そうだろう、爽やかになるようにレモン果汁を入れてみたんだ」
「味見しないでよく美味いケーキ作れるよな」
「経験と知識があれば作れるんだよ」
にっこりと笑ったエルマーの口から鋭い牙がのぞく。饒舌にケーキの説明をする彼の目は赤く、肌は病的なほど色白い。真っ白な髪のせいで老けて見えるが、千年生きている吸血鬼にしては若い見た目をしている。
ウィリアムはケーキを食べながら時々エルマーの顔を盗み見ていた。改めて吸血鬼の外見の特徴を目で追っていると、突然ドアノッカーを叩く音が聞こえてきた。奇妙で不自然なリズムのノックだった。
「やっぱり来た」
エルマーは勢いよく席を立って玄関に向かっていった。ウィリアムもすぐに彼の後を追って玄関に向かう。ドアを勢いよく開け放つエルマーの姿を、少し離れたところから見守っていた。
「ようこそ、ル・ソレイユへ !」
エルマーは威勢よく声を張り上げた。彼の勢いに圧倒されたのか、外にいた女が小さく悲鳴をあげた。エルマーは咳払いをして場を仕切り直したのだった。
「ようこそ、ル・ソレイユへ。お荷物をお預かりします」
「あ、ありがとうございます」
女はおずおずと荷物を差し出した。赤茶色のくせ毛が特徴的で、背は大きいが自信がなさそうな背中が丸まっている。まるで体型を隠すかのようにゆったりとしたシルエットのワンピースを着ていた。
エルマーは客人をエスコートし、意気揚々と玄関ホールからダイニングへ案内した。ウィリアムは少し距離をとって彼らの様子をうかがっていた。
ダイニングには豪華な装飾がされており、天井に吊るされたシャンデリアが空間を華やかに彩っている。テーブルにはナプキンやカトラリーが並んだ長いテーブルが置かれており、客人の訪れを心待ちにしているようだった。
エルマーは客人を椅子に座らせ、荷物を部屋のすみにあるサイドテーブルへ置いた。これまでの丁寧なエスコートを台無しにするように、ウィリアムは女の隣に断りもなく座った。
「本日ご用意しているのは木苺のタルト、ザッハトルテ、オペラ、キャロットケーキ、ティラミス、紅茶のシフォンケーキでございます」
「シフォンケーキは俺のだ」
「お客様が優先だよ」
ウィリアムは盛大な舌打ちをした。女は戸惑った様子でエルマーとウィリアムを交互に見ていた。
「じゃあティラミスをお願いします」
空気を読んだのか、女はシフォンケーキを選ばなかった。
「少々お待ちください」と言ってエルマーがキッチンに消えていき、ウィリアムはじっと女を睨みつけた。彼女は魔除けのピアスをつけているようだったが、吸血鬼の住処に入っている時点でそれは飾りでしかなかった。
「えっと、私の顔になにかついていますか?」
「名前と種族を言え」
「アニー・マクラーレンです」
「種族は?」
「種族ってなんですか?」
「色々あるだろ、悪魔、天使、エルフ、ドワーフ、獣人、妖精、言ってたらきりがない」
「私は、ただの――」
アニーはなにか言いかけたが、ウィリアムはその答えを待たずに動き出した。腰に携帯していた銃を彼女のこめかみに押し当て、敵意をむき出しにする。アニーの肩がびくりと跳ね上がり、彼女は表情を強張らせた。
「まさか人間か?何しにここへ来た。吸血鬼を狩りに来たのか?答え次第ではお前の頭に穴が開くぞ」
ウィリアムは鋭い眼光をアニーに向けた。彼女の目はわかりやすく泳いでおり、どうも怪しかった。さらに強く銃口を押し当てれば彼女の皮膚が少し沈んだ。
「大事なお客様になんてことをしているんだ」
トレイを持って戻って来たエルマーが大きく声を張り上げた。ウィリアムは銃を構えたまま彼に視線を移した。
「こいつ人間かもしれない」
「お客様がそう言ったのかい?」
「いいや、俺の勘だ。さっさと始末したほうがいい」
「いけないよウィリアム、いつも言っているだろう。相手の話は最後まで聞きなさいって」
エルマーは怒りを表情に滲ませて言った。彼の様子を見てウィリアムは渋々銃を下ろした。緊張状態から開放されたからか、アニーは跳ね上げていた肩をゆっくりと下げた。
「こちらティラミスです。濃厚なマスカルポーネチーズの風味とエスプレッソの香りをお楽しみください」
エルマーはアニーの前にケーキを置いた。かたかたと震えながらフォークを持ったアニーは、恐る恐るといった様子でティラミスを一口食べた。数秒の静寂の後、糸が綻ぶように彼女の表情が柔らかくなった。
アニーの正面に座ったエルマーは、彼女の顔をじっと見つめていた。
「おいしい」
アニーは口元に手を添えながら言った。
わざとらしく咳払いをしたウィリアムは、嬉しそうな笑顔を浮かべているエルマーを睨みつけた。彼の視線に気づいたのか、エルマーは姿勢を正して真面目な顔つきになった。
「失礼ですが、お客様の種族名をおうかがいしてもよろしいでしょうか?」
エルマーが質問した瞬間、アニーの食べ進める手が止まった。彼女はフォークを置いて、ナプキンで丁寧に口を拭いた。
「……人間のようなものと言ったほうが、いいのかもしれません」
アニーは自信なさげに話し始めた。俯いた彼女の表情は悲哀を秘めているようだった。
「私は人間とメドゥーサの子どもです。メドゥーサの血は流れていますが、なんの力も持っていません。きっと父親に似たんだと思います」
「ちょっと待って。お前の父親は人間なのか?この森に俺以外の人間が住んでるなんて聞いてないぞ」
「私たちは誰にも目につかないよう隠れて暮らしていました。知られていないのも無理はないと思います」
ウィリアムは驚きで言葉を失った。途切れた会話を結び直すように、今度はエルマーが話し始めた。
「ではお母様だけがメドゥーサだったのですね」
「いえ、母と姉がメドゥーサの力を持っていました」
アニーはぎゅっとスカートを握り込んだ。彼女の行動を注意深く観察していたウィリアムは、その動作に一体どんな意味があるのか考えていた。
「誰の紹介でここに来たんですか?」
「母です。小さい頃、母がよく聞かせてくれました。どんな願いでも叶えてくれる吸血鬼のケーキ屋さんがあるって」
「誰だそんな噂流したやつ、ここはただのケーキ屋だぞ。ただ店主がお節介をやくせいで無駄な仕事が多いだけだ」
ウィリアムは恨めしい気持ちを込めてエルマーに視線を送った。わざと目を合わせないようにしているのか、エルマーはテーブルに肘をつき、手の甲に顎を乗せてアニーと向かい合った。
「何か困っていることがあるんですか?」
エルマーは優しい笑みを浮かべた。
聞き覚えのある言葉を聞いて、ウィリアムは彼のお節介焼きな性格にうんざりした。
まるでエルマーの言葉を待っていたかのように、アニーは勢いよく立ちあがって身を乗り出した。
「姉のクレアを探してほしいんです。謝礼ならいくらでもお支払いします」
「落ち着いてください。紅茶を飲みながらゆっくりお話ししましょう。ウィリアム、紅茶を淹れてくれるかい?」
「なんで俺が」
「君のほうがうまく淹れられるからさ」
言いくるめられてしまったウィリアムは、面倒ごとを終わらせるためにキッチンへ向かった。
慣れた手つきで紅茶を淹れ、置いてあった紅茶のシフォンケーキをこっそり食べる。口元を拭って証拠隠滅した彼は、紅茶を二人分淹れてダイニングに戻った。紅茶の入ったティーカップをアニーの前に置き、自分の席にも置いた。
「ありがとうございます」
椅子に座ったまま礼を言うアニーを無視してウィリアムは席についた。
紅茶を一口飲んだアニーは、昔を懐かしむようなもの悲しい顔つきで話し始めたのだった。
「クレアは私にとって憧れの存在でした。綺麗で、賢くて、優しくて、クレアのようになりたいといつも思っていました」
ぽつりぽつりと話すアニーを見つめながら、ウィリアムは紅茶をすすった。彼女の言葉になにか裏があるのではないかと、密かに疑心を向けていた。
「クレアがいなくなったのは十年前です。夜中に物音で目を覚ましたら、クレアが父親の寝室に閉じこもっていたんです。どれだけ呼びかけても鍵を開けてくれなくて、翌朝窓から寝室の様子を確認したら、石になった両親がいました。どこを探してもクレアの姿はなくて、それからずっと行方がわからないままなんです」
「クレアが両親を石にして殺したのか?」
「……わかりません」
「状況的にはそうだろ。親を殺して逃げ出したって考えるのが自然だ」
ウィリアムは紅茶の入ったティーカップを置き、厳しく指摘した。悲しげな表情のままうつむいてしまったアニーは、再びスカートを握り込んだ。どうやらこの仕草は感情を抑え込むためにやっているようだと、ウィリアムは勝手に結論づけたのだった。
「本当にクレアが犯人なら、どうして両親を殺したのか、その理由を知りたいんです。直接話を聞かないと納得できなくて」
アニーは小さくも力強い声で言った。
突然、静かに話を聞いていたエルマーが立ち上がった。彼は穏やかな微笑みを浮かべており、ウィリアムは嫌な予感がした。
「顔を上げてください。私たちがクレアさんを見つけ出します。お約束しましょう」
「本当ですか?」
「そうと決まればやることは一つ、調査です。こう見えてミステリー小説を読むのが趣味でね、探偵の真似をしてみたかったんですよ。夢を叶える絶好の機会だ」
エルマーははしゃいだ様子でダイニングを出ていった。
彼の言動に呆れつつ、ウィリアムは椅子から立ち上がった。一度言い出したら何を言っても聞かないと理解していたため、説得ははなから諦めていた。置いてあった荷物をアニーへ差し出し「はやく行くぞ」と彼女を急かす。戸惑った様子でそれを受け取るアニーに背を向け、彼も出かける準備を始めた。
「あの、紅茶とても美味しかったです」
背後から聞こえてきた声に反応してウィリアムは振り返った。まっすぐ見つめてくる彼女の視線が妙にくすぐったく、彼はすぐに視線を逸らした。
「味の感想はあいつに言ってやってくれ。紅茶のブレンドも淹れ方も全部あいつが決めてるんだ」
ぶっきらぼうに答えたウィリアムは前を向き直して玄関に向かった。玄関には準備が終わるのを今か今かと待っているエルマーがいた。彼の嬉々とした表情を見て、ウィリアムは厄介ごとに巻き込まれたことを改めて実感したのだった。
「まさか全部食えなんて言わないよな」
「そのまさかだよ、驚いたかい?」
エルマーは悪戯に成功した子どものように口角を釣り上げた。
彼の笑顔を前にしてウィリアムは顔をしかめる。ため息をつきながら近くの丸椅子に座り、目の前の食べ物と向かい合った。テーブルには色とりどりのケーキが並んでおり、甘い香りが漂っていた。
「人間の胃袋には限界がある。今年でもう四十だぞ?」
「もちろん知ってるよ。でも安心してくれ。今日はお客さんが来る気がするんだ」
「お前の予感は当たらないだろ」
「いいや今回は絶対に当たる。今夜見る映画を選ぶ権利を賭けてもいいよ」
エルマーがウィリアムにフォークを渡す。彼はそれを受け取り、遠くにおいてあった紅茶のシフォンケーキにわざわざ手を伸ばして食べた。
「茶葉の配合を変えてみたんだ」
「これも美味いけど、俺はいつもの味が好きかな」
素直な指摘にエルマーはわかりやすく落胆した様子だった。
ウィリアムは彼の反応に罪悪感を覚えつつ黙々と食べ続け、シフォンケーキを一切れ食べ終えた。
次に選んだのはふんだんに木苺が使われたタルトケーキだった。
「こっちは前よりも美味しくなった」
「そうだろう、爽やかになるようにレモン果汁を入れてみたんだ」
「味見しないでよく美味いケーキ作れるよな」
「経験と知識があれば作れるんだよ」
にっこりと笑ったエルマーの口から鋭い牙がのぞく。饒舌にケーキの説明をする彼の目は赤く、肌は病的なほど色白い。真っ白な髪のせいで老けて見えるが、千年生きている吸血鬼にしては若い見た目をしている。
ウィリアムはケーキを食べながら時々エルマーの顔を盗み見ていた。改めて吸血鬼の外見の特徴を目で追っていると、突然ドアノッカーを叩く音が聞こえてきた。奇妙で不自然なリズムのノックだった。
「やっぱり来た」
エルマーは勢いよく席を立って玄関に向かっていった。ウィリアムもすぐに彼の後を追って玄関に向かう。ドアを勢いよく開け放つエルマーの姿を、少し離れたところから見守っていた。
「ようこそ、ル・ソレイユへ !」
エルマーは威勢よく声を張り上げた。彼の勢いに圧倒されたのか、外にいた女が小さく悲鳴をあげた。エルマーは咳払いをして場を仕切り直したのだった。
「ようこそ、ル・ソレイユへ。お荷物をお預かりします」
「あ、ありがとうございます」
女はおずおずと荷物を差し出した。赤茶色のくせ毛が特徴的で、背は大きいが自信がなさそうな背中が丸まっている。まるで体型を隠すかのようにゆったりとしたシルエットのワンピースを着ていた。
エルマーは客人をエスコートし、意気揚々と玄関ホールからダイニングへ案内した。ウィリアムは少し距離をとって彼らの様子をうかがっていた。
ダイニングには豪華な装飾がされており、天井に吊るされたシャンデリアが空間を華やかに彩っている。テーブルにはナプキンやカトラリーが並んだ長いテーブルが置かれており、客人の訪れを心待ちにしているようだった。
エルマーは客人を椅子に座らせ、荷物を部屋のすみにあるサイドテーブルへ置いた。これまでの丁寧なエスコートを台無しにするように、ウィリアムは女の隣に断りもなく座った。
「本日ご用意しているのは木苺のタルト、ザッハトルテ、オペラ、キャロットケーキ、ティラミス、紅茶のシフォンケーキでございます」
「シフォンケーキは俺のだ」
「お客様が優先だよ」
ウィリアムは盛大な舌打ちをした。女は戸惑った様子でエルマーとウィリアムを交互に見ていた。
「じゃあティラミスをお願いします」
空気を読んだのか、女はシフォンケーキを選ばなかった。
「少々お待ちください」と言ってエルマーがキッチンに消えていき、ウィリアムはじっと女を睨みつけた。彼女は魔除けのピアスをつけているようだったが、吸血鬼の住処に入っている時点でそれは飾りでしかなかった。
「えっと、私の顔になにかついていますか?」
「名前と種族を言え」
「アニー・マクラーレンです」
「種族は?」
「種族ってなんですか?」
「色々あるだろ、悪魔、天使、エルフ、ドワーフ、獣人、妖精、言ってたらきりがない」
「私は、ただの――」
アニーはなにか言いかけたが、ウィリアムはその答えを待たずに動き出した。腰に携帯していた銃を彼女のこめかみに押し当て、敵意をむき出しにする。アニーの肩がびくりと跳ね上がり、彼女は表情を強張らせた。
「まさか人間か?何しにここへ来た。吸血鬼を狩りに来たのか?答え次第ではお前の頭に穴が開くぞ」
ウィリアムは鋭い眼光をアニーに向けた。彼女の目はわかりやすく泳いでおり、どうも怪しかった。さらに強く銃口を押し当てれば彼女の皮膚が少し沈んだ。
「大事なお客様になんてことをしているんだ」
トレイを持って戻って来たエルマーが大きく声を張り上げた。ウィリアムは銃を構えたまま彼に視線を移した。
「こいつ人間かもしれない」
「お客様がそう言ったのかい?」
「いいや、俺の勘だ。さっさと始末したほうがいい」
「いけないよウィリアム、いつも言っているだろう。相手の話は最後まで聞きなさいって」
エルマーは怒りを表情に滲ませて言った。彼の様子を見てウィリアムは渋々銃を下ろした。緊張状態から開放されたからか、アニーは跳ね上げていた肩をゆっくりと下げた。
「こちらティラミスです。濃厚なマスカルポーネチーズの風味とエスプレッソの香りをお楽しみください」
エルマーはアニーの前にケーキを置いた。かたかたと震えながらフォークを持ったアニーは、恐る恐るといった様子でティラミスを一口食べた。数秒の静寂の後、糸が綻ぶように彼女の表情が柔らかくなった。
アニーの正面に座ったエルマーは、彼女の顔をじっと見つめていた。
「おいしい」
アニーは口元に手を添えながら言った。
わざとらしく咳払いをしたウィリアムは、嬉しそうな笑顔を浮かべているエルマーを睨みつけた。彼の視線に気づいたのか、エルマーは姿勢を正して真面目な顔つきになった。
「失礼ですが、お客様の種族名をおうかがいしてもよろしいでしょうか?」
エルマーが質問した瞬間、アニーの食べ進める手が止まった。彼女はフォークを置いて、ナプキンで丁寧に口を拭いた。
「……人間のようなものと言ったほうが、いいのかもしれません」
アニーは自信なさげに話し始めた。俯いた彼女の表情は悲哀を秘めているようだった。
「私は人間とメドゥーサの子どもです。メドゥーサの血は流れていますが、なんの力も持っていません。きっと父親に似たんだと思います」
「ちょっと待って。お前の父親は人間なのか?この森に俺以外の人間が住んでるなんて聞いてないぞ」
「私たちは誰にも目につかないよう隠れて暮らしていました。知られていないのも無理はないと思います」
ウィリアムは驚きで言葉を失った。途切れた会話を結び直すように、今度はエルマーが話し始めた。
「ではお母様だけがメドゥーサだったのですね」
「いえ、母と姉がメドゥーサの力を持っていました」
アニーはぎゅっとスカートを握り込んだ。彼女の行動を注意深く観察していたウィリアムは、その動作に一体どんな意味があるのか考えていた。
「誰の紹介でここに来たんですか?」
「母です。小さい頃、母がよく聞かせてくれました。どんな願いでも叶えてくれる吸血鬼のケーキ屋さんがあるって」
「誰だそんな噂流したやつ、ここはただのケーキ屋だぞ。ただ店主がお節介をやくせいで無駄な仕事が多いだけだ」
ウィリアムは恨めしい気持ちを込めてエルマーに視線を送った。わざと目を合わせないようにしているのか、エルマーはテーブルに肘をつき、手の甲に顎を乗せてアニーと向かい合った。
「何か困っていることがあるんですか?」
エルマーは優しい笑みを浮かべた。
聞き覚えのある言葉を聞いて、ウィリアムは彼のお節介焼きな性格にうんざりした。
まるでエルマーの言葉を待っていたかのように、アニーは勢いよく立ちあがって身を乗り出した。
「姉のクレアを探してほしいんです。謝礼ならいくらでもお支払いします」
「落ち着いてください。紅茶を飲みながらゆっくりお話ししましょう。ウィリアム、紅茶を淹れてくれるかい?」
「なんで俺が」
「君のほうがうまく淹れられるからさ」
言いくるめられてしまったウィリアムは、面倒ごとを終わらせるためにキッチンへ向かった。
慣れた手つきで紅茶を淹れ、置いてあった紅茶のシフォンケーキをこっそり食べる。口元を拭って証拠隠滅した彼は、紅茶を二人分淹れてダイニングに戻った。紅茶の入ったティーカップをアニーの前に置き、自分の席にも置いた。
「ありがとうございます」
椅子に座ったまま礼を言うアニーを無視してウィリアムは席についた。
紅茶を一口飲んだアニーは、昔を懐かしむようなもの悲しい顔つきで話し始めたのだった。
「クレアは私にとって憧れの存在でした。綺麗で、賢くて、優しくて、クレアのようになりたいといつも思っていました」
ぽつりぽつりと話すアニーを見つめながら、ウィリアムは紅茶をすすった。彼女の言葉になにか裏があるのではないかと、密かに疑心を向けていた。
「クレアがいなくなったのは十年前です。夜中に物音で目を覚ましたら、クレアが父親の寝室に閉じこもっていたんです。どれだけ呼びかけても鍵を開けてくれなくて、翌朝窓から寝室の様子を確認したら、石になった両親がいました。どこを探してもクレアの姿はなくて、それからずっと行方がわからないままなんです」
「クレアが両親を石にして殺したのか?」
「……わかりません」
「状況的にはそうだろ。親を殺して逃げ出したって考えるのが自然だ」
ウィリアムは紅茶の入ったティーカップを置き、厳しく指摘した。悲しげな表情のままうつむいてしまったアニーは、再びスカートを握り込んだ。どうやらこの仕草は感情を抑え込むためにやっているようだと、ウィリアムは勝手に結論づけたのだった。
「本当にクレアが犯人なら、どうして両親を殺したのか、その理由を知りたいんです。直接話を聞かないと納得できなくて」
アニーは小さくも力強い声で言った。
突然、静かに話を聞いていたエルマーが立ち上がった。彼は穏やかな微笑みを浮かべており、ウィリアムは嫌な予感がした。
「顔を上げてください。私たちがクレアさんを見つけ出します。お約束しましょう」
「本当ですか?」
「そうと決まればやることは一つ、調査です。こう見えてミステリー小説を読むのが趣味でね、探偵の真似をしてみたかったんですよ。夢を叶える絶好の機会だ」
エルマーははしゃいだ様子でダイニングを出ていった。
彼の言動に呆れつつ、ウィリアムは椅子から立ち上がった。一度言い出したら何を言っても聞かないと理解していたため、説得ははなから諦めていた。置いてあった荷物をアニーへ差し出し「はやく行くぞ」と彼女を急かす。戸惑った様子でそれを受け取るアニーに背を向け、彼も出かける準備を始めた。
「あの、紅茶とても美味しかったです」
背後から聞こえてきた声に反応してウィリアムは振り返った。まっすぐ見つめてくる彼女の視線が妙にくすぐったく、彼はすぐに視線を逸らした。
「味の感想はあいつに言ってやってくれ。紅茶のブレンドも淹れ方も全部あいつが決めてるんだ」
ぶっきらぼうに答えたウィリアムは前を向き直して玄関に向かった。玄関には準備が終わるのを今か今かと待っているエルマーがいた。彼の嬉々とした表情を見て、ウィリアムは厄介ごとに巻き込まれたことを改めて実感したのだった。
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