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一章
7 真相(回想)
しおりを挟むクレアは夜中に目を覚まし、それから眠れずに天井を見つめていた。
喉の渇きを感じた彼女は、目隠しをしてから一階に降りていった。キッチンで水を飲み、小鳥の様子が気になってリビングに向かった。
リビングに足を踏み入れた時、つま先に何か固いものが当たった。クレアはその場にしゃがみ込み、一体何があるのかと、恐る恐る手を伸ばした。それが床に倒れた鳥籠だと気づいた時、彼女はひどく動揺した。
「ブルー、大丈夫?」
小鳥の名を口にするが動いている気配はない。クレアは状態を確認するために目隠しを外した。彼女がそこで目にしたのは石になったブルーの姿だった。急いで目隠しを付け直し、母親のいる寝室へと向かった。
「お母さん、開けて」
ノックをすればすぐに扉が開き、彼女はほっと胸を撫で下ろした。
しかし部屋に入ろうとした瞬間、強い力で部屋に引きずり込まれてしまった。突然の出来事に怯えた直後、柔らかい温もりに包まれ、母親に抱きしめられているのだと悟った。母親の頭にいる蛇がそっと寄り添ってくれているのがわかったが、なぜ抱きしめられているのか、クレアはどうしてもわからなかった。
「クレア、ちょうど良いところに来てくれたわね」
思わぬ抱擁に固まっていたクレアは、母親の声で我に帰った。
「大変なの、ブルーが石に――」
「ああ愛おしい私の娘。あなたはきっと私の愛を理解してくれる」
より強く抱きしめられたクレアは、戸惑いながら「お母さん、どうしたの?」と声をかけた。明らかに様子のおかしい母親を前に、そこ知れぬ恐怖心が湧き上がってきた。
「お父さんね、もう治らないんだって」
母親は震え声で言った。
肩が濡れるのを感じて、クレアは母親が泣いていることに気づいた。抱擁する力が更に強くなり、あまりにきつい締め付けに痛みを感じ始めた
「どんな薬を飲んでも治らないの。神は私たちを見放したのね。こんなにも愛しているのに、ああ、どうして」
「お母さん、痛い、痛いわ」
「でも大丈夫よ。神は私たちを見放したけど、私は家族を見放したりしないわ。必ず救ってみせる。誰も死なないように、この手で永遠にしてあげるから」
母親の言葉を聞いてクレアは最悪の結末を想像した。
彼女は腕の中から逃げ出し、隣にある父親の寝室へ向かった。扉を叩いても返答がなく「お父さん」と言いながら勢いよく扉を開け放った。
目隠しをした状態でベッドに近づき手を伸ばす。冷たく硬い感触を感じたクレアは深い絶望に襲われた。父親が石になってしまったという事実がどうしても受け入れられなかった。
あまりのショックで動けずにいると、背後から足音が近づいてきた。後ろから目隠しを外されてしまったクレアは、とっさに両手で顔を覆った。
「見て、綺麗な顔をしているでしょう?これからはずっと安らかな顔でいてくれるわよ」
母親が背後から囁きかける。クレアは彼女の声に誘われて両手を下ろしてしまった。
瞼を開いた瞬間、石になっている父親の姿が視界に飛び込んできた。信じられない光景に、彼女はわなわなと身体を震わせたのだった。
「……こんなの、間違ってる」
「今はまだわからなくてもいいの。いつかきっと、理解できる日がくるわ。人間とメドゥーサじゃ寿命が違いすぎるもの。別れの悲しみはあなたを蝕む。でも恐れる必要はないわ。私たちは命を永遠にできる。石にしてしまえば、大切な人は永遠にあなたのものよ」
母親の言葉にクレアは絶句した。彼女の言葉を否定したくてもできず、黙り込むことしかできなかった。
「はやくアニーのところへ行かなくちゃ。あの子はお父さんが大好きだったから、すぐに並べてあげたいわ。クレアはそこで待っていなさい」
母親は無邪気な声で言った。彼女の発言を聞いて激情に駆られたクレアは、両目をつぶったまま振り返り、母親を押し倒した。頭の中は混乱していたが、とにかくアニーを守ろうと必死だった。
二人は床の上で激しく揉み合い、互いの蛇も噛みつきあっていた。物にぶつかったのか、ガシャンという激しい音が鳴って床に破片が散らばった。
クレアは母親を押さえつけようとしたが、目をつぶっているせいでうまく捕まえることができなかった。かといって目を開いて母親を石にすることもできず、クレアは母親に押さえ込まれてしまった。母親は馬乗りになり、クレアの細い首を絞めた。
「どうしてお母さんの言うことが聞けないの?」
縋り付くような涙声で母親は叫んだ。クレアは無我夢中でもがき、なんとか腕の中から抜け出した。強い息苦しさに襲われて床を這っていると、指先に固い感触のものが触れた。先が鋭利になっているそれを握り、何も見えない暗闇の中で振り下ろした。
母親の断末魔が家中に響き渡った。
クレアはその声に怯えて耳を塞いだが、突然しんとした静寂に包まれた。恐る恐る手を伸ばして母親の様子を確認しようとする。
その時、指先に冷たい物が触れた。床に転がっているそれは大きく、触っていくうちにその輪郭が明らかになっていった。
母親の石像だと、クレアは理解した。何が起こったのかわからず、ただその場で座り込むことしかできなかった。
恐ろしいほどの静寂の中で、階段を降りてくる足音が聞こえてきた。クレアは目を閉じたまま急いで寝室の鍵をかけた。リビングからアニーの悲鳴が聞こえて、足音が近づいてくる。母親の寝室の扉を叩く音が聞こえてきたが、クレアにはどうすることもできなかった。
「お母さん、開けて、ブルーが石になっちゃった」
泣きながら扉を叩くアニーの声が聞こえる。クレアは扉の前で立ち尽くしていた。足の裏には散らばった破片が突き刺さっていたが、それを取り除く時間などなかった。
足音が父親の寝室に近づいてくるのを聞いて、彼女はひどく焦った。悲惨な現場を幼いアニーに見せるわけにはいかなかったからだ。扉を叩く音が聞こえてきたが、彼女は鍵を開けなかった。
「来ないで!」
クレアが叫んだ途端、扉を叩く音がやんだ。
「クレア、お父さんを起こして。ブルーが石になっちゃったの」
「できないわ。お願いだから静かにして」
「はやく起こしてよ。ブルーを助けてよ」
「どうして言うことが聞けないの!」
クレアは感情的に怒鳴り、母親と同じ言葉使ってしまったことにショックを受けた。自分もいつか母親のようになるのではと、恐ろしい未来を思い描く。アニーを傷つけてしまうことが何よりも恐ろしかった彼女は、ある決意をしたのだった。
「クレアのばか。クレアがブルーを石にしちゃったんだ」
泣き喚くアニーの声を聞いていると胸が痛んだが、どうしても扉を開けることはできなかった。クレアは言葉をぐっと飲み込んで、寝室の窓から逃げ出した。
彼女は両目をしっかりと開き、傷ついた足で森を駆けていった。一心不乱に走り続けたクレアは、耐えれないほどの息苦しさを感じて、森の奥深くで立ち止まった。偶然そこを通りかかった鳥と目があってしまい、鳥は一瞬で石になった。無慈悲な現実を前にして、クレアの目からぼたぼたと涙がこぼれ落ちた。
「どうして人間じゃないの、こんな力いらないのに、誰かと一緒にいたいだけなのに」
クレアの涙が地面を濡らしていく。家族と暮らしていた幸せな時間が頭を過ぎり、悲しみはいっそう深くなっていった。指先はとても冷たく、両親の石像に触れた感触がまだ残っていた。
「どうして!」
クレアは怒りや悲しみをぶつけるように叫んだ。その声に驚いたのか、頭上から鳥が飛び立つような音が聞こえてきた。彼女は涙を目に溜めたまま頭上を見上げ、そのまま静止した。
クレアが目にしたのは鳥ではなく、夜空を流れる流星群だった。残酷なまでに美しい星々は彼女の孤独を癒したが、それは瞬く間に消えてしまったのだった。
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