9 / 13
二章
9 星空の下で(回想)
しおりを挟むガルは草原を駆けていた。追いかけてくるマナエルから逃げるように、彼女は黒い翼を揺らして走った。
空には大きな満月が浮かんでいて、二人の行く末を照らしているようだった。
「ミヘル、待って」
マナエルはなんとか追い付いてガルの腕を掴んだ。それを勢いよく振り払ったガルは、見ないようにしていたマナエルの姿を目にしてしまった。驚いた顔で見上げてくる彼女の背中には純白の翼が生えていた。
「触るな、私たちは敵同士だ」
ガルはで冷たい声で言い放った。
マナエルは傷ついたような顔をしたが、すぐに怒りを表情に滲ませた。
月が雲で隠れて地上が薄暗くなっていき、互いの表情も見えづらくなっていった。
「天使でも悪魔でも、ミヘルはミヘルでしょ。泣き虫で怖がりで一人で林檎もとれないミヘルよ」
「ミヘルはもういない」
ガルが断言した瞬間、一際強い風が吹いた。長い髪が乱れて彼女の顔を隠してしまう。雲に隠れていた月が顔を出し、髪の隙間からのぞいたガルの目が赤く光った。悪魔らしい邪悪な目であり、マナエルの澄んだ瞳とは異なっていた。
「私はガル、神に背き善を憎む悪魔だ。わかったらもう私に近づくな」
ガルはマナエルに背を向けて歩き出した。振り返りたい衝動が沸々と湧き上がってきたが、彼女は自分の心から目を背けた。
心を無にして草原を歩いていると、何かが後頭部に当たり強い衝撃が走った。鈍い痛みを感じながら頭を押さえた彼女は、反射的に振り返ってしまったのだった。
「ミヘルのばか!」
視界に入ったのは、ぽろぽろと涙をこぼしているマナエルの姿だった。マナエルは自分の靴を脱ぎ、ガルに向かってそれを投げつけた。ガルの胸に靴が当たったが、彼女は何の反応も示さなかった。初めて見たマナエルの涙に心を奪われ、何も感じなくなっていたのだ。
「そんなに私と一緒にいたくないの?私が嫌いなの?それならはっきりそう言えばいいじゃない!」
マナエルは素足のまま駆け寄って来て、強い眼差しでガルを見上げた。眩しいほど光を溜めた彼女の目が美しくて、ガルは視線をそらせなくなってしまった。
「言ってよ、あんたなんて大嫌いだって、もう一生顔を見たくないし、声も聞きたくないって。私の目を見て言って!」
マナエルは涙を散らしながら迫ってきた。ガルはとっさに言い返そうとしたが、言葉に詰まって黙り込んだ。存在しない感情を口にすることがどうしてもできなかったのだ。代わりに溢れてきた愛の言葉を飲み込んで、ガルはマナエルを抱き寄せた。
「お願いだから、これ以上私を困らせないでくれ」
ガルは絞り出すような声で言った。瞼を閉じてマナエルの体温に意識を注ぐ。離さなければいけないとわかっていてたが、心がそれを否定していた。マナエルはガルの背中に手を回し、黒い羽をそっとなぞった。
「このまま二人で逃げちゃおっか」
風の音に混ざらない透き通った声で、マナエルは囁いた。ガルの腕からするりと抜け出した彼女は、とても軽やかで自由に見えた。
「天国も地獄も捨てて二人で生きるの。地上ならどこにいようがばれないし、きっと人間のふりをして楽しく暮らせるわ。名案だと思わない?」
マナエルは楽しそうな表情で夢を語った。ガルは彼女の言動全てに釘付けだった。
ニコッと笑ってガルの手を握ったマナエルはいたずらに草原を駆け出した。彼女のブロンドの髪が月明かりで輝いている。
子どものように無邪気なマナエルを見て、ガルは思わず微笑みをこぼした。黒い翼を広げて空中に浮かんだガルは軽々とマナエルを抱え上げた。そのまま彼女を連れて天高くまで上昇していく。
ガルはまるで二人だけの世界になったかのような錯覚に陥っていた。
「あの月を見て、手を伸ばしたら捕まえられそう」
マナエルは満月に手を伸ばして「もう少しなのに」と大口を開けて笑った。はしゃいでいる彼女の声を、ガルは静かに聞いていた。悪魔になっても幸福は感じられるのだと気づき、冷えた心が温まっていった。
そのままガルとマナエルは、二人の世界を堪能し、地獄にも天国にも帰らなかった。
0
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
異国妃の宮廷漂流記
花雨宮琵
キャラ文芸
唯一の身内である祖母を失った公爵令嬢・ヘレナに持ち上がったのは、元敵国の皇太子・アルフォンスとの縁談。
夫となる人には、愛する女性と皇子がいるという。
いずれ離縁される“お飾りの皇太子妃”――そう冷笑されながら、ヘレナは宮廷という伏魔殿に足を踏み入れる。 冷徹と噂される皇太子とのすれ違い、宮中に渦巻く陰謀、そして胸の奥に残る初恋の記憶。
これは、居場所を持たないお転婆な花嫁が、庇護系ヒーローに静かに溺愛されながら、逞しく美しい女性に成長するまでの、ときに騒がしく、とびきり愛おしい――笑って泣ける、ハッピーエンドのサバイバル譚です。
※しばらくの間、月水金の20時~/日の正午~更新予定です。
© 花雨宮琵 2025 All Rights Reserved. 無断転載・無断翻訳を固く禁じます。
※本作は2年前に別サイトへ掲載していた物語を大幅に改稿し、別作品として仕上げたものです。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
そんなに義妹が大事なら、番は解消してあげます。さようなら。
雪葉
恋愛
貧しい子爵家の娘であるセルマは、ある日突然王国の使者から「あなたは我が国の竜人の番だ」と宣言され、竜人族の住まう国、ズーグへと連れて行かれることになる。しかし、連れて行かれた先でのセルマの扱いは散々なものだった。番であるはずのウィルフレッドには既に好きな相手がおり、終始冷たい態度を取られるのだ。セルマはそれでも頑張って彼と仲良くなろうとしたが、何もかもを否定されて終わってしまった。
その内、セルマはウィルフレッドとの番解消を考えるようになる。しかし、「竜人族からしか番関係は解消できない」と言われ、また絶望の中に叩き落とされそうになったその時──、セルマの前に、一人の手が差し伸べられるのであった。
*相手を大事にしなければ、そりゃあ見捨てられてもしょうがないよね。っていう当然の話。
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる