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0°F (極寒妻)

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「……はあ」
 朝起きると、妻がため息をついていた。
 そのため息が絵になるくらい、僕の妻は美人だ。

「何見てるのよ」
 視線に気づいて、妻が眉を顰める。

「いや今日も綺麗だなって」
「何処で覚えたの、そんな言葉。
 気持ち悪い」

 今日も僕の妻は絶好調で、開口一番毒舌から始まる。

「まさか、他の女性にも同じような言葉をかけてる訳じゃないでしょうね」

 いや、ないない。

「まあ、あなたがそんな甲斐性ない事も、わたしに隠し事出来ないのも知ってるけど」

 ソウデスネ。

「それと私が綺麗なのは当然だから。
 スキンケアにフィットネス、自分磨きには努力してるから」

 努力してるんだ。

「もちろん家計を圧迫しないよう、計算してるからね」

 そう、彼女は安売りセールなどを利用していかにお金をかけずに生活するかという日々の節約にも余念がない。

「子供が出来ればお金もかかるし」

 そして、子供は欲しいらしい。それも上が娘で下が息子の二人姉弟でと具体的だ。

「という訳で、はい。今日のお小遣い」

 そう言って妻が僕に差し出したのは500円硬貨が一枚。
 これ以外の僕の稼ぎは全て妻が管理している。

「少ない、って顔してるわね?
 老後に少しでも蓄えが欲しいでしょ?」

「それは分からないでもないけど、ほら僕も趣味とか……」
「趣味?」

 僕が口を開くと、妻は不機嫌になる。

「趣味とかそんな無駄な物に費やす時間とお金があったら私だけを見てなさい。
 毎日美人の奥さんを見れて眼福でしょう?」

 えーと、それはそれコレはコレというか。

「そもそも家系も中身も平凡なあなたに、私のような上品な妻が嫁いできただけでも光栄に思うべきなの」

 そう、彼女は元々名前を聞けば震え上がる程の、やんごとなき身分の女性だ。
 だから僕への先程までの態度も彼女の中では至極当然で、悪びれる様子が一切ない。

「そもそも何で主任昇格の話を受けたのよ。
 おかげで一緒にいる時間が減ったじゃない」

 いや職場に人が足りないんだよう。
 僕より仕事出来る奴が辞退した結果そうなったんだよう。

「まあ会社から評価されていること、収入増えたのは悪い事じゃないから頑張ってきなさい」

 と、妻が多分今朝唯一と言ってもいい褒め言葉を僕にかける。
 これが飴と鞭という奴か。

「じゃあ朝ご飯の支度するわね。
 昨晩下ごしらえしてあるから五分もかからないと思うけど」

 そしてきっかり四分半で出てきたご飯は多過ぎず少なすぎず、見た目も味も、栄養バランスも完璧な料理だった。

   ❄️  ❄️  ❄️

「よう田中主任」
「ああ木村先輩、ってまだ主任じゃねえっす」

 職場に行くと、大学時代から先輩の木村から声をかけられた。
 そもそも最初は、この職場では彼が主任になる話が持ち上がっていたのだ。

「ノリ悪いなあ。遅かれ早かれ役職付くんだから今のうちに偉そうにしとけよ」
「それ妻にも言われたっす。
 下手にヘコヘコしたら舐められると」

「ああ、あの極寒妻さんか。
 お前、よくあんなのと一緒に生活出来るな」

 木村先輩は苦い顔をする。

「俺なら1日たりとも無理だ」
「あの先輩、忠告しておきますが妻の悪口は口に出さない方がいいっす」
「おや怒ったか?
 それとも何か、をしてくるとでも?」

 と先輩が口にした直後。
 木村先輩の机の上に置かれた電話が鳴る。

「いや……まさかだよな?
 もしもし」
『田中の妻ですが。
 極寒妻で悪うございました』
「ちょ、何でっ!
 まさか何処かで隠れて見張ってるとか!?」
『そんな暇人みたいな事しませんよ。
 そこの部署は私の後輩がいるので、逐一情報をくれるんです』

 と、電話の声にうちの職場の事務担当の眼鏡地味子さんがサムズアップした。
 ……アンタかい!

『そもそも木村さん、あなたが主任を蹴った事で我が田中家は多大な迷惑を被っています。なのに、その言い草は無いと思いませんか?』
「ええとその……仰る通りで」
『もし今後、私の主人が今後職場内で問題が起きた場合、真っ先にあなたを恨みます。
 それこそ私の家の力を使って社会的に抹殺する事も考えておりますので』
「ま、マジですか」
『ですので職場一同、一丸となって主人に協力して下さいね』
「い、イエスマム!」

 あーあ木村先輩、動揺のあまり敬礼しちゃったよ。うちの妻怖え。
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