上 下
9 / 206
第2章

スルターンとカリフ

しおりを挟む
人物紹介
ホラズム側(ホラズム朝は代々スンナ派である)
スルターン・テキッシュ:ホラズム帝国の先代の君主。

テルケン・カトン:テキッシュの正妻。カンクリの王女。

マリク・シャー:先代テキッシュとテルケン・カトンの間の長子。

スルターン・ムハンマド:ホラズム帝国の現君主。
   先代テキッシュとテルケン・カトンの間の子。

ニザーム・アル・ムルク:スルターンの家臣。位は文官筆頭。
(これは名ではなく、称号である)



カリフ・ナースィル:現カリフ。現アッバース朝君主。
――この時期はアッバース朝君主がカリフ(スンナ派の教主)であった。


ハサン:アラムートのイスマイール派(シーア派の一派)の現教主。
(俗に言う暗殺教団である)


ムイッズ・ウッディーン:かつてのグール朝の君主。
――この時点ではグール朝は滅び、この者もまた既に亡くなっておる。

人物紹介終わり


 チンギス・カンが和平協定の使者を発した少し後のこと。
 無論スルターン自身は、そんなこととはに、サマルカンド宮殿の謁見えっけん室にて軍征のための会議を開いた。
 時折ときおり、窓よりの風が吹き入り、すずしさと共に中庭で遊ぶ己の子供たちの声を室内まで届けておった。
 長じた者は長子ジャラール・ウッディーンを筆頭に既に軍務などを委ねられる年齢に達しておったが、年下の子は未だ年端としはも行かぬ。

「大セルジュークを引き継ぐホラズム・シャーの帝国、
 そのスルターンに対してならば、あの御方おかたも譲らねばならぬことがあるは良くご存知でしょう。」

「またこれは御父君ごふくんテキシュ様以来の宿願でもあります。」

「あの御方に本来の神聖なる務めに戻って頂くことは、わたくしたちムスリムのなすべき務めでもあります。」

 スルターン・ムハンマドは満足げに臣下たちの言葉に耳を傾けておった。
 あの御方と遠回しに言われておるのは、バグダードにおるカリフであった。
 スルターンが次に対処せんとするはこの者であった。

「我も決して望んでなす訳ではない。
 ただ何ゆえか、あの御方はホラズム・シャー家を仇人あだびとの如くにみなしておるゆえ、これも致し方なきこと。」

とスルターン。
 スルターンはカリフの野心、その謀略を好むさがを攻める足がかりとした。
 なぜならスルターンも同類であったゆえ。
 じゃの道はへびともいう。
 カリフの心中はまさに手に取るように分かる気がした。
 そして類は友を呼ぶともいう。
 スルターンの周りにはやはりそうした者が集まっており、ゆえに謀略の協力者に事欠ことかくことはなかった。

「残念ながら、あの御方が神への務めのみで満足することはありますまい。
 恐らくはアッバース朝の再興、名君カリフ・ハールーン・アッラシードの御代みよを再びというのがあの御方の心底にある野心かと。」

「確かにかつてのカリフの如くとなりたいのでしょう。
 信仰においてのみではなく、政治や軍事においても指導者でありたいと。」

「それはブワイフ朝の更に前のことであろうが。
 時代遅れもはなはだしい。」

「まことに。
 最早世俗せぞくのことを託すに最も望ましき人物たるスルターンがおられる以上、それは時代遅れというのみではなく、誤っておるとさえ言えましょう。」

 臣下の口撃は止まらぬ。
 何よりそれがスルターンを喜ばせることを知っておるからに他ならぬ。
 権威に楯突くことはホラズム・シャー家代々の伝統とさえ言って良い。
 それでも公然とスルターン自身がカリフを批判することは
 それをなすのもまた宗教的権威でなければならなかった。
 スルターンではそれは持ち得ようもない。

 教祖ムハンマドはあくまで予言者として神の言葉を伝えた。
 その死後、ムスリムの指導者の地位はカリフが継ぐも、宗教的権威の方は時の経過と共にイスラームの広がりと共に宗教指導者たちに分かち持たれて行った。
 その代表的な存在である集団礼拝の指導者やイスラームの学識すぐれた者はイマームと尊称された。
 会議にはスルターンに忠実なイマーム、協力的なイマームが四人呼び集められておった。
 他方でスルターンは進んで己の意に沿おうとせぬ者たちについては、既に対処しておった。
 偶然であれ、その説教を聞きたくはないとして、自らが立ち寄る可能性のあるサマルカンドやブハーラーにおるを、地方の城市に、己の目に入らぬところへと追放しておった。
 例えばイマームの中で際だって指導的な権威を有する者のみがなるところのシャイフ・アル・イスラームであったジャラール・ウッディーンを筆頭として。

「神は我らにあの御方との良好な関係をもたらしてはくれなかった。
 しかし幸いにして多くのすぐれたイマームをこの地に送られた。
 そしてその方々は今ここにおられる。神の恩寵である。
 ぜひお言葉をお聞きしたい。」

とはスルターンの誘い水であった。
 そして魚心うおごころあれば水心みずごころとの言葉もある。
 また臣下の言葉を聞けば、何を言うべきかを当然察したようであり、

「イスマーイールをあがめる異端の教主ハサン、その見えいたスンナへの改宗を、あの御方は受け入れました。
 ここまではかもしれません。
 許し難きことはハサンがその改宗をおおやけにしたいとの考えからなされたメッカへの巡礼団の派遣において起きました。
 あの御方はハサンの旗と巡礼団をより常に先行させました。
 その長きにて巡礼者や街道沿いの住民は多くその様を目にしたことでしょう。
 これまで異教徒からイスラームの地を守るために、スルターンは身命をしてこられた。
 そのスルターンに対しての余りにもふさわしからぬ行い。
 もしスルターンがおらねば、この地はとうにカラ・キタイやグチュルクのものとなっておりましょうに。
 それに感謝し名誉の称号とローブ(ゆったりとした長衣)を贈るのが当然というもの。
 それがあのような扱い。
 何たる侮蔑ぶべつ
 かような行いを続けていては、この後、果たして誰がイスラームのために聖戦ジハードに赴くというのか。
 誰がイスラームの地を命を賭けてまで守ろうか。」

 イマームの一人がつばを飛ばしてそう訴えれば、

「それに劣らぬ許し難きことがあります。
 あの御方は、異端がアラムート山にて育て上げた暗殺者をもらい受け、そのまがまがしき手段によりスルターンの家臣を幾度となく襲わせたと聞き及びます。
 その中の一人は命を落としたと。まことでしょうか。」

 二人目のイマームはのどに力を込め、最後にしわがれ声を更にしわがれさせて、そう問うた。

 スルターンが答えた。

「我をしたう余りホラズムに帰付したイグラミッシュが、その凶刃きょうじんに倒れました。
 その魂に平安あれ。
 残念ながら、あの御方は我を慕うという理由だけで、我に向けるのに劣らぬ悪意を示しなさる。」

「更にあの御方はメッカの支配者の兄弟にも同様の行いをなしております。
 それはメッカ巡礼のただ中、
 慈悲の名を冠する山にて起きました。
 巡礼者として聖なる務めを終えた後のこと、
 皆がそこを足早あしばやに去らんとするそのにまぎれてです。
 まさに異端の徒にならうが如くの行い。
 その者が倒れ伏し血を流す様を目撃した者がおりました。
 にもかかわらず、人とぶつかって転んでしまい、たずさえた水筒から水をこぼしたのであろうと想ったということです。
 聖務の終わる刻限からして、夕日が全てを朱色に染め上げていたということもありましょう。
 しかし、何よりそこで殺人が起きるとは誰も想像せぬゆえであるは明らかです。
 あの御方はよもや神が全てを見ておられるということを果たして忘れ去られたのか。」

 三人目のイマームはそう告げた後、その発言がわざわいを招くと恐れる如く、あわてて神をたたえる言葉を口にした。

「忘れてはいけませぬ。あの御方はスルターンの兄マリク・シャーの命まで奪いました。」
 臣下の一人が急ぎそう付け加える。
 しかしイマームたちはそれを疑わしく想うところがあったのか、言及を避けた。
 先とは異なり、スルターンも発言せぬ。
 それもあって室内をしばし沈黙が支配した。

 四人目のイマームが、改めてコーランの開扉の章を唱えた後に

「あの御方をカリフと呼ぶことの非を、わたくしはスルターンに訴え続けて来ました。
 今日ここに集まられた方方は、それを良く理解しておられるようです。
 まことに幸いなること。
 これもまた我らが神の恩寵おんちょうの下にある証。
 皆様にならば、次のことを伝えるのに、何ら躊躇ちゅうちょする必要はないでしょう。」
 ここでその者は、間を置き一つ大きく息を吐いてから告げた。
「新たなるカリフの擁立ようりつこそ、神はスルターンにお命じなされております。」

 そこまで聞くと、遂にスルターン自らが、カリフの己への明確な害意の証拠を改めて皆に告げ報せた。
 かつてガズナを攻略した際に、その宝庫にて発見した手紙である。
 これにてカリフは当時のグール朝の君主ムイッズ・ウッディーンにホラズム・シャーを討つべく訴えておったのだ。
 ムイッズはまさにスルターンと激しく覇権を争った人物であり、カリフがとしたのがスルターンであるは明らかであった。
 この時ばかりはスルターンも怒りに包まれたが、それでもいずれカリフを征討すると内に決意するに留め、この手紙の公表さえ控えておったのだ。
 そして遂にその時が来たと判断したのである。

 ところで軍征を前提とした会議である。

ならば、
――スルターンの叔父に当たるタガイ・カン―実質的にサマルカンドの守備隊を統べておった、
――王族ではないもののその経験の豊かさと勇猛さゆえに一目置かれておったバリシュマス・カンなどは、
――当然呼ばれてしかるべきであった。

 しかし、ここにはおらぬ。
 そればかりか、武将はただの一人も出席しておらなかった。
 文官ばかりであった。
 しかもそれほど高位とは言い難い者たちであった。
 この会議にての臣下の役目は、スルターンの意に沿うべく、イマームたちをことであり、それにはこの者たちで十分であった。
 というよりこの者たちの方が都合が良かったのである。
 賢明さや勇猛さは不必要なものであった。
 それどころか、へたに正論や良識を主張されても、困るだけであった。

 ただ一人だけ際だって官位の高い者が参加しておった。
 ニザーム・アル・ムルクであった。
 その称号を真に受けるならば、文官の最高位と言って良く、宰相相当となる。
 ただ皮肉なことに高官の中で最もスルターンにうとまれてもおった。
 そのゆえはこの者の本当の職務のゆえである。
 この者は実母テルケン・カトンよりスルターンの下に派遣されたお目付役であった。
 であれば今日の会議の目的には沿わぬ、不適当な人物となろうが、スルターンはこの者を呼んだのであった。

「ニザーム・アル・ムルクよ。
 先ほどより一言も発言されぬが、よもや反対の考えをお持ちなのか。」

 スルターンはこの段になってようやく言葉をかけた。

「滅相もありませぬ。
 わたくしはただスルターンとイマームの決められたことに従うのみ。」

「母上もこの件に賛成されるであろうか。」

 ニザームは沈黙せざるを得ない。

「どう想われる。
 その称号を授けたのは母上に他ならぬ。
 それほどにそなたを信頼しておるのだ。
 その母上にそなたは代理として我の下に送られておるのだ。
 さあ。教えてくれ。母上の考えを。」

 スルターンはしつこく尋ねる。

「それは母后ぼこうにスルターンご自身がお尋ね下さいますようお願い致します。
 わたくしにはとうてい母后の代弁をすることはできません。」

謙遜けんそんらぬ。
 そなたが賛成すれば母上も賛成したとみなして問題あるまい。」

 スルターンにそう言われて、ニザームはうつむき沈黙した。
 その後スルターンが何を言おうと、ニザームは全く口を開かなくなった。
 これ以上問い詰めても何も得られそうに無いと見切りをつけたのか、スルターンは改めてイマーム一人一人に今回の出席の礼を言い、そして是が非にもとして一つのことをお願いした。


 後日その懇請こんせいを受け入れる形で、非難の数々は一つのファトワーにまとめられ、イマーム四人の連名にて公表された。
 ファトワーとは、自らの権威によってイマームが示す信仰の正しき道である。
 更にそこにてイマームたちはるべき最大の論拠、
 とはいえそれはスルターンやその臣下には軽々しく論じることができない問題、
 それゆえ会議にて取り上げられなかった件にまで踏み込んだ。

 カリフの資格を正面から問うたのである。
 カリフとは当代の最も権威あるイマームであればなれるものでも、
 最も聖者にふさわしいとして皆に認められておるからといって選ばれるものでも、
 イスラーム学の広範こうはんな習得を以てその資格を得られるものでもなかった。
 血の問題があった。
 カリフは予言者ムハンマドの出身たるクライシュ氏族に限られた。
 ムハンマドの叔父おじの血統たるアッバース家はこの点では十分に資格を満たしておった。
 しかし、それでは資格を有しておる者の中で、よりふさわしき者がおらぬかといえばそうではなかった。
 血筋の上で最上たるは、ムハンマドの従弟(年少のイトコ)であり第四代にして最後の正統カリフたるアリーの子ハサンとフサインの後継であるとされておった。
 まさにシーア派はこの血統を代々の教主とするのであり、スンナ派にとってもこの血統上の優劣は自明であった。
 何せ二子の母はムハンマドの娘ファーティマである。
 これを論拠とし、本来この血統の者がカリフとなるべきなのに、アッバース家がそれを強奪したのであると公然と批判したのである。

 スルターンはこれにのっとって、フサインの後裔こうえいたるティルミズのアラー・アル・ムルクを新たに次のカリフに任命した。
 他方でフトバ(大モスクの集団礼拝にての説教)から現カリフ・ナースィルの名を除くことを命じた。

 そして遂にスルターンは軍を西へと発した。
 ただ先のファトワーがあってさえ、カリフ・ナースィルその人へ軍を発することは
 ただ都合の良いことに西にはカリフのみがおったのではなかった。
 かつてのセルジューク朝の遺臣たち、アター・ベグ朝と称される残存勢力が弱小であれ残っておった。
 スルターンはこれらの征討を理由に西へと軍を進めた。
 ただこの地方は既に先代テキシュが征討しており、実質的には改めての臣従を諸勢力、諸城市に求めたに過ぎなかった。
 まともな戦闘はファールスの領主サアド相手のみであり、これでさえサアド側が誤認したゆえであった。
 ホラズム・シャーだと分かるとサアドはすぐに臣従を示した。

 スルターンにまず立ちはだかったのはかつてない大雪であった。
 バグダードへ向けて進軍中の部隊はこれにより大損害をこうむった。

 そこに更にクルド勢を中心とする現地軍の攻撃を受けて壊滅し、スルターンの下にはわずかの兵しか戻らなかった。
 ただこれも理由のないことではなかった。
 そのスンナの信仰のあつさと代々のカリフに対する尊崇で定評のあるクルド勢ゆえに、スルターンの本当の目的に想い至ったのであった。
 そもそも先代テキッシュの時にホラズム軍はカリフ征討をなさんとしたことがあった。
 クルド勢はスルターンが親の妄執を引き継ぎ、愚劣きわまる野心を果たさんとしておるとみなしたのであった。
 無論まずもって自勢力の命と財産を守るために戦うのであるが、更に信仰心に駆られるならば、その攻撃は激烈なものとならざるを得ない。
 加えて普段クルド勢と反目しておる他の現地勢力までもが―こちらはただただ自らの身を守らんとしてであれ、それはそれで人を動かすものである―ホラズム軍を共通の敵として撃退するために、クルド勢の下に参集したのであった。
 ゆえに攻撃軍はふくれあがり、雪害で多くを失ったホラズム軍に対し、それを大きく上回る軍勢となり得たのであった。

 とはいえ、このはその意さえ有れば、十分に乗り越えられるはずのものであった。
 何せこの部隊を率いておったのはスルターン本人ではなく、壊滅したのは別働隊に過ぎない。
 旗下には未だ軍の半数以上が残っておった。
 また雪害に見舞われた部隊とは別の先遣隊も発しておった。
 十分に軍征は継続可能であった。
 本当のつまずきは己自身にあった。
 自らもまたその臣民の大多数もムスリムであることから、カリフに対して武力を以て降伏を強いる、攻め滅ぼすという最後の決断をなしえなかったのである。
 西方へと軍を発し己の武力を誇示しさえすれば、後はカリフの方から軍門に降るであろう、そうたかをくくっておったのであった。

 しかしカリフは悪辣あくらつではあれ、少なくともそうした脆弱ぜいじゃくさは持ち合わせておらなかったと見える。
 何よりこの者もまた決してスルターンがそれをなしえぬことに気付いておったに違いない。
 高みの見物とは行かぬであろうが、この者の冷徹な知性は自らの強みを正確に把握しておったろう。
 かつてのカリフがブワイフ朝やセルジューク朝に求めたり許したりしたことを、スルターンの野心をくじくことができると。

 結局スルターンはバグダードを攻囲することもカリフ軍と一戦まじえることもせぬまま、雪害を理由に遠征を中止した。
 表向きにはスルターンがこれを凶兆とみなしたゆえと
 しかしその真情はむしろ引き退しりぞくく格好の口実を得られ、もっけの幸いというものであった。

(注 「集団礼拝の指導者やイスラームの学識優れた者をイマームと尊称する」ことは、スンナ派にのみ当てはまることです。シーア派はその教主をイマームと尊称します。
 本書のイスラームに関する記述は私の個人的な理解に基づくものです。また本書はあくまでフィクションです。正しい知識、十分なる知識をお求めの方は、コーラン、ハディース、専門書を参照して下さい。)
しおりを挟む

処理中です...