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第5章

ほっこり話(ヤラワチとオゴデイ呑兵衛二人のお話)

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人物紹介
モンゴル側
チンギス・カン:モンゴル帝国の君主

オゴデイ:チンギスと正妻ボルテの間の第3子
グユク:オゴデイとドレゲネの間の長子。

マフムード・ヤラワチ:チンギスの使者。商人出身。ホラズム地方出身

オマル・ホージャ:(ホラズムに向かう)チンギス・カンの隊商を率いる隊長

人物紹介終了



 まずは使節団の方を追うことにしよう。
 ヤラワチは隊を分け、
――自らはスルターンからの返礼品のうちを携えて先を急ぐことにし、
――残りの品はもう一隊に運ばせることにした。
 宴の翌日には、両隊ともにサイラームを発した。

 ただ待っておったのは、やはりトルコ・モンゴル流の歓待かんたいのつらなりであった。
 そもそも通りかかれば、見知らぬ者でさえ暖かく迎えて乳酒なり乳茶なりの一杯でも出すのが、この者たちのもてなしである。
 相手がカンの使者となれば、なおのことである。
 行く先々で歓待の申し出を受けることになる。
 更には、たずさえるものが吉報きっぽうということもある。
 それを聞けば、あるいは顔を、あるいは満面の笑顔を見せる。
 いずれにしろ、

「和平が結ばれましたか。何と喜ばしい。おお。交易も盛大に行うとなりましたか。素晴らしい。」

との声に、その想いは代表された。

 ホラズムへの主要街道沿いにおる者たちは、まさにその協定の影響を大きく受けるゆえに、それも当然といえた。
 ホラズムでの戦となれば、ほぼ間違いなくほとんどが駆り出される。
――先のことまでは分からぬが、それが当面は無くなったのである。

 金国との決戦の場合、駆り出される可能性も無くはない。
――しかし、戦場より遠いということもあり、守備隊としてこの地に留まる可能性もまた高かった。

 また交易となれば、いずれはこの者たちもその利に預かることを許されよう。
 街道沿いにおるならば、他の者以上にその恩恵を受けることは明らかであった。

 それほどの吉報ならば、是非お祝いさせて下さいと誘われる。
 そもそも往路にて先を急ぎますのでとして、一度断っておるということもある。
 どうしても断りにくく、受けることとなった。
 そうすると知らず知らず飲み過ぎてしまい、出発を遅らせたり、出発しても随分とゆっくりしたペースで進むことになった。

 これを何度も繰り返すことになっても、
――ヤラワチがと想いなしたのは、
――隊商が既にホラズムに入っておるゆえであった。

 無論、報告はカンに命じられており、絶対必要なことである。
――あくまで、それをもって任務終了となるのが正式であった。
――ただ協定締結を隊商に伝えた時点で、実質的な役目は終わっておるといって良かった。
――それでも、もしカンがヤラワチの報告を待って隊商を発するとの手筈であれば、さすがにこの者も先を急いだであろう。
――何より決定的なこととして、オマルたちが西域の様々な珍奇品の数々を大量に買って帰り、カンをたいへん喜ばせることは確実ならば。

 『ならば』ということで、
――生真面目な人間なら『何がならばだ』となろうが、この者はそもそもそれから性格である
――それゆえ、己のもたらす吉報を共に喜んでくれる人々に囲まれて、喉を酒でうるおすヤラワチであった。



 街道沿いの王子についていえば、
 そもそもジョチは再び遠征に赴いたとのことで不在であった。
 
 チャアダイは不機嫌な顔で応対し歓待の宴も一日のみで引き留められることもなかった。
 
 ただオゴデイはそうではなかった。
 そもそも無類の酒好き、そして何より戦を嫌うこの男である。
 ヤラワチを歓迎せぬ訳がなかった。
 酒を控えよ、あまり酒を飲むな、との父の言葉はオゴデイの心中にはあるにはあった。
 しかし戦のないことへのうれしさが、それを吹き飛ばしてしまったようであった。

「それほどの吉報ならば、モンゴルの吉数九に九日間ぶっ続けの歓待の宴を開かねばなるまい。」

とオゴデイならば当然こうなる。
 そしてヤラワチとしても、やはり相手が王子であれば無碍むげには断れぬ。

 ただそれのみではなかった。
 オゴデイとつながりを持つのも悪くない、
 に言えば、この機会にびを売っておこうと考えるのがヤラワチであった。
 商人上がりのこの男ならば、そもそもそれを恥とは想わぬ。
 また想うならば、ここまで重用されることはなかったろうと自ら認めておるくらいであった。
 ヤラワチに言わせれば、大事なことはもっと他にあろうとなる。
 使者を託されるほどにカンの信頼を得ておるとはいえ、己はノヤンではない。
 モンゴルには丁度良い称号や官名がないので、とりあえず使者の意のヤラワチをもって肩書きとしておったが。
 逆に言えば、それだけ収まりが悪い立場にしか己はおらぬ。
 そしてそもそも軍事最優先のモンゴルにあっては、自ずとノヤンたちの下に立たざるを得ない。

 先々のことを考えるならば、これも悪くないと想うヤラワチであった。
 それに酒好き、戦嫌いという点ではヤラワチも同類であった。

 まさに朝から晩まで酒を呑み、次の日もというのを繰り返す。
 そしてそれを誰一人叱らぬのが、オゴデイの宮廷オルドであった。
 王子の中で最も寛大と言われるオゴデイである。
 それに預かり得る幸運を考えるなら、あるじ呑兵衛のんべえというくらい、いくらでも目をつぶろう。

 特に酒をたしなまぬが、厳格無比なるチャアダイに比べれば、ずっととみなすは、
――公言することはあるも、
――オゴデイ家中の多くが抱く本音であった。

 更にはわたくしも混ぜて下さいと、作りたての馬乳酒持参で顔を出す者も少なくなかった。

 老将の中には、「いつ死ぬか分からぬ。一度の酒宴、一滴の酒をもにせぬのがわしの信条。」と言って、やはりヤラワチとの宴を共にするを欲する者までおった。

 そうして九日が過ぎても、また一日、そして夜が明ければ、もう一夜と引き留めが続いた。



 それでも使節団はヤラワチのみではなかった。
 その者たちは何度も発つを催促した。
 そしてオゴデイはオゴデイで、余りに引き留めては、己の下での宴会続きが父上に、こっぴどく叱られることになるやもしれぬとようやく想い至り、発つを許した。

 

 そうしてアルタイを越えて、ようやくモンゴル中央にあるカンの宮廷オルドに到着した。
 既に頃は盛夏である。
 夏営地サアリ原の周囲は、
――多数の馬群を養うに十分な青草の茂る地と化しており、
――その中を増水した川が蛇行しつつうるおしておった。



 使節団全員でカンへの報告をなすことになった。
 オゴデイはご機嫌伺いのためか、子のグユクを、ヤラワチが出たすぐ後に発したようであり、ほとんど時日を違わずにカンの宮廷オルドに到着しておった。
 それもあってであろう、謁見用の大きな天幕ゲル内にて、我らを迎えたカンは上機嫌に見えた。

(これは幸先が良い。)

 そして想うところがあり、オゴデイの名は出さなかった。

「途中途中のノヤンによる歓待の誘いを受けました。
 吉報をもたらすカンの使者としては断りきれず、こうして遅れた次第です。」

と言うと、

「あれらも喜んでおったろう。」

 とむしろ笑顔を見せられた。
 そうして詳細な謁見の報告を続けた。
 スルターンに脅されて間諜になると返答したことを事実そのままに告げた時には、さすがにカンも一端かた わらのボオルチュの方を見られた。
 しかし「続けよ」と先をうながされて終わりであった。
 全ての報告を受けて、カンは、

「皆、大儀であった。
 和平協定を結ぶを得たは無論だが、こうして無事なそなたらの顔を見ることができて我は何よりうれしいぞ。
 何の音沙汰おとさたもなければ、ついつい大丈夫であろうかと心配したものよ。」

 とされ、更には、

「スルターンからの返礼品の一部を褒美ほうびとして与えよう。
 しばし待て。」

 と我らに約束して下さった。

 ところで後日に関わることでいえば、
 オゴデイとヤラワチは、この時の酒宴の日々以降、互いに対して好意を抱くことになった。
 それは呑兵衛同士というに留まらぬ。
 モンゴルにては数少ない戦嫌いな者同士でもあった。
 特にそれを他人に悟られても苦にせぬという点では、二人は確かに珍しかった。
 とはいえ、それも宴会の場にて酒が入るならば口に出すという程度ではあったが。
 何せ、未だ狂おしき勃興の猛りが強く残るこの時であれば。
 無論、カンとの正式な謁見えっけんや軍議の場にては、この両人とも口にしたことはない。
 
ヤラワチはヤラワチでムスリムをモンゴルの馬蹄ばていに踏みにじらせたくはなかった。
 とはいえ己のみでは明らかに限界があった。
 そうした時、志を同じくするオゴデイならば頼みとなってくれるのではないかと。

 オゴデイはオゴデイで、それを忌み嫌うゆえにこそ、何とか戦をなさずともはあるのではないかと願う、
――それを模索する道において、この者は助っ人となりえるのではないかと。

 比べれば、ヤラワチの方はより明確に、
――オゴデイの方は未だ漠然という違いはあれ、
――互いを明らかに意識することになったのであった。
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