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第3部 仇(あだ)

23:チンギスの大中軍の進軍2(@ザルヌーク):ダーニシュマンドの野心1

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モンゴル側
チンギス・カン:モンゴル帝国の君主

ダーニシュマンド・ハージブ:チンギスの臣。ホラズム出身の文官
人物紹介終了



 シルダリヤ渡河後の最初の城市ザルヌーク、
――諸史料にては、オトラルへと行き来する者たちが、最後に(もしくは最初に)1泊すると伝えているので、それほど離れていない
――もしくはここが渡しであったのかもしれない。

 そのザルヌークに対しては、チンギスは配下のダーニシュマンド・ハージブを派遣し、説得を試みさせた。

 この者は住民の身の安全と財産の保全を約束し、
――もし違約あれば己が首をもって代えると誓約することで、
――説得に成功した。

 ブハーラー攻撃に備えて若者たちが徴兵され、
――更に本丸と城壁が打ち壊された他は、
――モンゴル軍は破壊も略奪も暴虐もなさなかった。

 そしてモンゴル軍はこの城市にトルコ語で『天恵城』とわざわざ名付けた。
 これが宣伝工作であることは明らかであろう。
『天恵に預かりたいなら、ザルヌークの例にならえ』との。



(補足 ボイル訳ジュワイニーによれば『Qutlugh-Baligh』と名づけたとされる。
 ボイルは『the Fortunate Town』の意味とする。(注1)
 バルトルドは『lucky town』とする。(注2)
 日本語にすれば、『幸運城』となりましょうか。
 ただ注意しなければならないのは、モンゴルにとっての幸運は『天』と強く結びついており、ここで幸運を与えるのは『天』と考えられること。
 それゆえ、ここでは『天恵』との語を用いた。

 これが軍征の途上にてなされたもの
――つまり、あくまでいかめしき局面でなされたことを考えるならば、
――また日本語の語感に重きを置くなら、
『天命城』との語の方がしっくり来るかもしれません。
 モンゴルが極めて高く評価する『率先臣従』と絡めて言うならば、ここでの宣伝工作は
『(自らザルヌークの例により)率先して天命を知りて、臣従せよ』
 とでもなりましょうか。

 バリクは大きな『都城』にも、このザルヌークのような、そこまで大きくない『城市』にも用いられます。
 例えば、元の首都である『大都』(金代の『中都』、現在の北京)は『カン・バリク』とも呼ばれました。

 ここでは日本語の語感を重んじて『城』の語を用いました。
 しかし、この地の都城・城市は、日本の城とは大きく異なります。
 住民が住む市街地の外側を大きく城壁で囲む造りとなっています(時に二重の城壁で囲む)。
 その中に城塞(本書では軍事的機能から本丸と訳す)があります。)

 注1Boyle (trans.) ‘Juvaini,『 Genghis Khan: The History of the World Conqueror』,P100
  
 注2Barthold 『Turkestan down to the Mongol Invasion 2nd』, P408
(両書とも詳細は参考文献に記しています)
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