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第3部 仇(あだ)

58:オトラル戦21:イナルチュクの軍議

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  人物紹介
 ホラズム側
イナルチュク・カン:オトラルの城主。カンクリ勢。

ビルゲ・カン:居残り部隊隊長

ヤトマス:騎馬隊隊長

ソクメズ:騎馬隊副隊長

クリ:歩兵隊長
  人物紹介終了



 イナルチュクは軍議を招集した。そこはこの籠城の間ずっと軍議に用いられて来た本丸の中の一室。呼ばれたのは居残り部隊及び逃走を図る騎馬隊と歩兵隊、その各々の長と副官であった。

 がっしりとした木製のテーブルの上にはオトラルの地図が置いてあり、更にはチェスの白駒をオトラル守備隊、黒駒をモンゴル攻囲軍と見立てて、おおよその布陣を示しておった。

 それを囲んで立つは、いずれもイナルチュクのオトラル防衛を支えて来た勇将であった。ただ食糧が足りなくなる中、その顔からは肉が落ち、凄惨な印象を与えるものとなっておった。

 カラチャの投降を知り遂に兵を逃がす決心をしたイナルチュクは、この者たちをその地位に任じ、軍議の日までに逃走計画をよく練って置くよう、あらかじめ命じておったのである。二日前のことであった。

「まず決行の日ですが、歩兵の方は月明かりの乏しい夜に遂行せざるを得ぬと考えております。追手のモンゴル騎兵の追跡をかわすためには、暗い夜が必要です。とはいえ全くの闇夜となっては我ら自身が逃げることもできませぬ」

 と歩兵隊長のクリが言う。

「確かにそれは当然至極のこと。その際は、我ら居残り部隊も援護のための陽動をかけようと考えております」

 とその部隊の長にして守備隊の中でも最長老に近きビルゲ・カンが付け加えた。

「問題は騎馬隊だな。どう考えておるのか」
 とイナルチュクが問うた。

「まだ部隊の総意を得ておりませぬ。同じ夜が良いという者もおれば、もっと月明かりのある別の夜に逃げた方が良いと言う者もおります。今しばらくのお時間を頂ければ」と騎馬隊長のヤトマス。

「そうか。そなた自身はどう想っておるのか」
 とイナルチュク。

「我は明るい夜が良かろうかと。しかしそれを部隊の者に押しつける気はなく、なるべく総意を得たいと考えております」

「ソクメズはどう想うか」
 とイナルチュクは問うた。

 モンゴルの投石機戦において大功を挙げた3人の百人隊長の内の一人であった。ただ、イナルチュクがこの者をこたびの脱出作戦において騎馬隊の副官に任じたのは、その大功ゆえというより、古くからの信頼のゆえであった。

「歩兵と共に逃げるべきだと考えております。我らの動きが歩兵の逃走を助ける陽動ともなりましょうし、また歩兵の動きは、我らの逃走にとっても望ましきモンゴルに対する攪乱となりましょうゆえに」

「そうか」イナルチュクはしばし迷う風であり、その後に口を開いた。

「我ならば、歩兵と別の夜に逃げるが。月明かりの乏しい夜では、馬を駆けさせることは難しい。確かに同じ夜に行えば、歩兵の逃走の手助けにはなろうが、騎馬の犠牲は増えるぞ。
 とはいえ今回のことはそなたら自身でなし遂げてもらわねばならぬこと。ゆえにこそ、そなたらが決めた方が結果も良かろうと考えるのだ。よくよく話し合い、報告せよ。また先にも言った通り、我の希望としてはテルケン・カトンの下を目指して欲しい」

「騎馬隊、歩兵隊共にその予定です」
 騎馬隊長のヤトマスが答えた。

「あり難く想うぞ。それでは次に逃走の具体的な計画を教えてくれ」

 とのイナルチュクの言葉にうながされ、歩兵隊長のクリが答える。

「先ほどビルゲ・カンの説明にありました通り、居残り部隊が陽動作戦を展開して、モンゴル軍を引きつけます。その後我ら歩兵隊は異なる門から逃走を試みます。門を突破した後は十人隊ごとに分かれてバラバラに逃げます。その方がモンゴル軍の追跡を困難にすると考えますゆえ。
 そしてできるだけ早急に近郊の村や町にて馬を手に入れ、ウルゲンチを目指したいと考えます。それが難しいようならシルダリヤ川下流側に逃げます。船を手に入れられれば、馬がなくとも何とかなろうと考えます」

「案外それが妙案かもしれぬ。モンゴル人は泳げぬと聞く」とイナルチュク。

 引き続き各隊長が現時点での計画を報告した。イナルチュクは問題点や足りないところを指摘し、それへの対策を命じ、更には

「食糧の余裕はない。月明かりの乏しい夜になすとなれば、次の月末前後が最後の好機となる。あと一週間ほど。歩兵隊と居残り部隊は早急に準備を進めよ」

 と告げ、そして次の如くにうながした。

「騎馬隊はいつ逃げるのか早急に決断せよと」



 次の日ヤトマスは、歩兵隊と共に同じ夜に逃げるを以て、騎馬隊の総意を得たと報告して来た。
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