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一
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昼下がり。
近頃の文明開化により旅館や旅籠より西洋式の旅籠、ホテルの数の方が増えてきたという頃。その内の一つのホテルのラウンジに一人の少女。
小花を散らした薄桃色の着物が真新しいベルベットのカーペットに映えている。
「…ん、遅い…」
小さくぽつりと呟き、ゆっくりと冷めてきた紅茶を一口。
待ち合わせでもしているのだろうことが、懐中時計とラウンジに設置してある大きな置時計をみては息をついていることからわかる。
「沙雪!」
何度目かのため息を着いたと同時に、ラウンジに駆け込んでくる一人のスーツ姿の青年。彼は少しばかり息を乱しながら、沙雪と呼ばれた待ちぼうけの少女へと駆け寄った。
待ちぼうけの少女の名は西園寺沙雪。この国有数の財閥、西園寺家の長女である。
腰まで伸びた黒髪は癖毛故か緩く洋髪がかり、愛らしく大きな瞳には美しい黒曜石が潜む。目鼻立ち整ったこの少女は、今や財政界の令嬢方の中でも群を抜く美しさで社交界の注目の的となっている。
沙雪を我の、我が子の花嫁にと狙う者も少なくなく、毎日大量の花束や贈り物、見合いの申し込みが屋敷に届いている。
そんな沙雪に駆け寄ったこの青年は、一宮勘太郎。維新の激動に便乗し、彼の祖父と父が二人で築き上げた大会社の息子である。日本人離れした細身で長身の体格と、女性たちがうっとりとする精悍な顔立ちで、やはり家柄も相まって社交界の注目の的。ではあるのだが、彼は大学で経営や経済の学を選ばず、民俗学を専攻した。それ故に、当の一ノ宮家は全く気にしていないというのに、勘太郎は世間から放蕩息子などと不名誉に呼ばれてしまっている。本人は全く気にしていないが。
「ごめんね、遅くなって」
「本当に。私が来ると勘太郎様はいつも待っていてくださるのに、今日はいらっしゃらないから日にちや場所を間違えてしまったかと思いました」
勘太郎様のお家に電話までしてしまいましたわ。
そんなわがままとも言えることを言って頬を膨らますその仕草さえ愛らしい。
「ごめんごめん。実は学校を出る時にとあるお嬢さんに掴まってしまってね」
勘太郎のその言葉に、沙雪は視線を上げ彼を見る。困ったように微笑む勘太郎には様々な女性が寄ってくる。たとえ世間が彼を放蕩息子と評価し揶揄しようと、溢れ出る彼の魅力にはなかなか抗えないのであろう。
「……本当に勘太郎様はおモテになられること」
「沙雪ほどでは無いけどなぁ。さてお姫様、紅茶のお替りは?」
勘太郎の言葉に小さく笑い、そのまま頷く。
彼とこうしてどこかでお茶をしながら話をするようになってから、どれほどの時がたったのだろう。そう思案していれば、いつの間にか冷めきっていた紅茶はティーカップごと新しいものに取り換えられていた。
「それで、どうお返事なさったんです?……約束の時間に間に合わなかったということは…」
そこまで呟き、沙雪は口を閉じる。この先に続く言葉は言いたくなかった。
告白を受け入れられたんですか?
その言葉がどうしても言えなかった。それが何故なのかは、沙雪にはまだわからない。
けれど、沙雪のその言葉の先を察してくれたのか、勘太郎は苦笑しながら口を開いた。
「沙雪、邪推しないでよ。僕は断ったよ」
勘太郎の言葉に沙雪は首を傾げる。それが「なぜ断ったのか」という問いと理解した勘太郎は頷きそのまま続ける。
「心に決めた人がいるからって。そうしたら愛さなくていいからと言って腕を掴んで離してくれなくて…。ここに可愛い沙雪が待ってるってのに、って気が気じゃなかったよ。最終的には何とか振り払ってきたけど」
「え?」
「ん?」
勘太郎の話は実はよくある話だ。モテる彼が女性が勇気を出した告白に足を止められることは多々ある。とはいえ、沙雪には勘太郎の最後の言葉が信じられなかった。
勘太郎は、兎に角優しい。
これが沙雪の勘太郎のまず最初に浮かぶ印象である。そんな勘太郎が、告白を断るまでは通例故に良いとして、尚縋る相手を宥めることなくその腕を振り払ったというのだ。到底沙雪に信じられる話ではない。
「信じられません。勘太郎様が…」
「うん?沙雪、君は少々僕を見誤っているね。僕はそんなに優しくないよ?増してや親交もない記憶にもない人に優しくはできない。最低限の常識は持って接するけどさ。僕が心底優しくしたいと思っているのは妹の彩子と、未来の花嫁くらいさ」
そう言ってにこりと微笑む勘太郎に、沙雪はきょとんとした顔のまま首を傾げた。
そんな沙雪に勘太郎は小さくふっ、と吹き出すと「やっぱり気づいてなかったんだ?」とそのまま静かに笑いだした。
「え…未来の花嫁、って…では何故私にそんな…え?」
鸚鵡返しに呟き思考を巡らせていけば、突如真っ赤になり勘太郎を見た。
気づいてしまったのだ。勘太郎が己をどう思っているかを。
近頃の文明開化により旅館や旅籠より西洋式の旅籠、ホテルの数の方が増えてきたという頃。その内の一つのホテルのラウンジに一人の少女。
小花を散らした薄桃色の着物が真新しいベルベットのカーペットに映えている。
「…ん、遅い…」
小さくぽつりと呟き、ゆっくりと冷めてきた紅茶を一口。
待ち合わせでもしているのだろうことが、懐中時計とラウンジに設置してある大きな置時計をみては息をついていることからわかる。
「沙雪!」
何度目かのため息を着いたと同時に、ラウンジに駆け込んでくる一人のスーツ姿の青年。彼は少しばかり息を乱しながら、沙雪と呼ばれた待ちぼうけの少女へと駆け寄った。
待ちぼうけの少女の名は西園寺沙雪。この国有数の財閥、西園寺家の長女である。
腰まで伸びた黒髪は癖毛故か緩く洋髪がかり、愛らしく大きな瞳には美しい黒曜石が潜む。目鼻立ち整ったこの少女は、今や財政界の令嬢方の中でも群を抜く美しさで社交界の注目の的となっている。
沙雪を我の、我が子の花嫁にと狙う者も少なくなく、毎日大量の花束や贈り物、見合いの申し込みが屋敷に届いている。
そんな沙雪に駆け寄ったこの青年は、一宮勘太郎。維新の激動に便乗し、彼の祖父と父が二人で築き上げた大会社の息子である。日本人離れした細身で長身の体格と、女性たちがうっとりとする精悍な顔立ちで、やはり家柄も相まって社交界の注目の的。ではあるのだが、彼は大学で経営や経済の学を選ばず、民俗学を専攻した。それ故に、当の一ノ宮家は全く気にしていないというのに、勘太郎は世間から放蕩息子などと不名誉に呼ばれてしまっている。本人は全く気にしていないが。
「ごめんね、遅くなって」
「本当に。私が来ると勘太郎様はいつも待っていてくださるのに、今日はいらっしゃらないから日にちや場所を間違えてしまったかと思いました」
勘太郎様のお家に電話までしてしまいましたわ。
そんなわがままとも言えることを言って頬を膨らますその仕草さえ愛らしい。
「ごめんごめん。実は学校を出る時にとあるお嬢さんに掴まってしまってね」
勘太郎のその言葉に、沙雪は視線を上げ彼を見る。困ったように微笑む勘太郎には様々な女性が寄ってくる。たとえ世間が彼を放蕩息子と評価し揶揄しようと、溢れ出る彼の魅力にはなかなか抗えないのであろう。
「……本当に勘太郎様はおモテになられること」
「沙雪ほどでは無いけどなぁ。さてお姫様、紅茶のお替りは?」
勘太郎の言葉に小さく笑い、そのまま頷く。
彼とこうしてどこかでお茶をしながら話をするようになってから、どれほどの時がたったのだろう。そう思案していれば、いつの間にか冷めきっていた紅茶はティーカップごと新しいものに取り換えられていた。
「それで、どうお返事なさったんです?……約束の時間に間に合わなかったということは…」
そこまで呟き、沙雪は口を閉じる。この先に続く言葉は言いたくなかった。
告白を受け入れられたんですか?
その言葉がどうしても言えなかった。それが何故なのかは、沙雪にはまだわからない。
けれど、沙雪のその言葉の先を察してくれたのか、勘太郎は苦笑しながら口を開いた。
「沙雪、邪推しないでよ。僕は断ったよ」
勘太郎の言葉に沙雪は首を傾げる。それが「なぜ断ったのか」という問いと理解した勘太郎は頷きそのまま続ける。
「心に決めた人がいるからって。そうしたら愛さなくていいからと言って腕を掴んで離してくれなくて…。ここに可愛い沙雪が待ってるってのに、って気が気じゃなかったよ。最終的には何とか振り払ってきたけど」
「え?」
「ん?」
勘太郎の話は実はよくある話だ。モテる彼が女性が勇気を出した告白に足を止められることは多々ある。とはいえ、沙雪には勘太郎の最後の言葉が信じられなかった。
勘太郎は、兎に角優しい。
これが沙雪の勘太郎のまず最初に浮かぶ印象である。そんな勘太郎が、告白を断るまでは通例故に良いとして、尚縋る相手を宥めることなくその腕を振り払ったというのだ。到底沙雪に信じられる話ではない。
「信じられません。勘太郎様が…」
「うん?沙雪、君は少々僕を見誤っているね。僕はそんなに優しくないよ?増してや親交もない記憶にもない人に優しくはできない。最低限の常識は持って接するけどさ。僕が心底優しくしたいと思っているのは妹の彩子と、未来の花嫁くらいさ」
そう言ってにこりと微笑む勘太郎に、沙雪はきょとんとした顔のまま首を傾げた。
そんな沙雪に勘太郎は小さくふっ、と吹き出すと「やっぱり気づいてなかったんだ?」とそのまま静かに笑いだした。
「え…未来の花嫁、って…では何故私にそんな…え?」
鸚鵡返しに呟き思考を巡らせていけば、突如真っ赤になり勘太郎を見た。
気づいてしまったのだ。勘太郎が己をどう思っているかを。
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