白き薔薇の下で永遠の純心を君に

綾峰由宇

文字の大きさ
11 / 45

しおりを挟む
「…あら、もうこんな時間」

あれから数時間。沙雪がふと見上げれば窓の外の暗さに気付き、次に壁掛け時計の針が目に飛び込んできた。
楽しい時間は過ぎるのがとても早い。これから長い夜である。

「おや、外も真っ暗…。そろそろ帰らなきゃね。送るよ」

微笑み立ち上がる勘太郎に、沙雪も続いて立ち上がる。二人それぞれ財布を取りだし小銭を取り出す。二人の間の取り決めで、特別なことがない限り、半々、もしくは自分の飲食分を払う割り勘という形をとっている。会う機会の多い二人なりの約束事であった。

「ご馳走様、マスター」
「ご馳走様でした」
「おう、また来いよー」

豪快な、それでいて優しさのあるマスターの笑顔に見送られ、二人は店を出る。瓦斯灯の灯る街並みはもう人通りは少なかった。

「…まだ少し、冷えますね」
「もう春なのにね。沙雪、寒くない?」

沙雪の手を取り、当たり前かのように繋ぎながら尋ねる勘太郎。そんな勘太郎に少し照れながら沙雪も手を握り返しながらこくりと頷く。
寒くなどなかった。傍らの勘太郎の手が先ほどと同じように暖かく、心まで暖まり、とても幸せだったから。
暗い夜道を時たま顔を見合せながら歩いていく。やがて西園寺家の門が見えて来れば、沙雪の歩調が緩やかになる。
この道がずっと続けばいいのにとさえ思った。
そんな沙雪の思いに気付いたのか、勘太郎の歩みもゆっくりとしたものになった。

「…勘太郎様」
「ん?」
「……私、帰りたくな…」
「沙雪」

沙雪が立ち止まり、勘太郎を見上げつぶやくと同時に声がかかった。途端に沙雪の肩がびくりと跳ね上がる。
今まで見たことのなかったそんな怜に対する沙雪の反応に、勘太郎が何かを感じ取るも、声の主の声色を見兼ねてそちらを見上げた。
案の定、その表情は憮然とし、怒りを漂わせていた。

「怜さん、遅くなって悪かったね」
「全くだ。沙雪は明日の準備があるというのに…。お前も来るんだろう?一ノ宮」
「ご招待頂いたからね。明日は楽しませてもらうよ」

微笑む勘太郎に、上辺だけの笑みだとありありとわかる笑顔を返せば、怜は沙雪に視線を向ける。
その視線を受けた沙雪は怯えたように怜を見てから勘太郎を見上げる。
瞬間、沙雪の瞳の奥が色を変えたことに怜は気づき、目を見開く。

「っ行くぞ沙雪」
「…は、い」

沙雪の腕を掴み、怜は歩き出す。
足早に歩く怜に引っ張られながら沙雪は勘太郎に振り向く。その沙雪の眼差しを受け、勘太郎は咄嗟に駆け寄り、沙雪の腕を引っ張って自らに引き寄せていた。

「…どういうつもりだ?一ノ宮」
「ちょっと沙雪に伝え忘れた事があってね。ごめんね、怜さん」

微笑みながら沙雪を更に引き寄せ、身を軽く屈め耳打ちする。そんな二人の姿に、怜は怒りが込み上げてきた。
昔から、沙雪が自分以上に勘太郎に懐いていると感じていた。それでも悔しい気持ちはあったが、徐々に沙雪の気持ちが恋心に変わってきているのもひしひしと感じていた。
事実、二人が身を寄せ合い仲睦まじそうに微笑みあっているのを、まざまざと見せつけられているのだ。
沙雪と勘太郎の姿に怜は拳を強く握り、二人を睨みつけるように見つめていた。

「勘太郎様…」
「わかった?じゃあ、おやすみ。また明日ね?」

話したいことは伝え終わったのか、沙雪から僅かに離れ微笑みながら彼女の頭を撫でる。沙雪は勘太郎の手にすり寄るように、背伸びをしながら笑みを返し頷けば、名残惜しそうに手を離した。

「…おやすみなさい、勘太郎様」
「一ノ宮、失礼する。行くぞ沙雪」

怜に手を引かれ、歩き出す。
先程と違い、沙雪は振り返らなかった。
僕は、ちゃんと沙雪の傍に居るから。安心しておやすみ。
勘太郎が耳打ちした言葉が、沙雪の心を強く支えていたから。

「……あいつに何を言われた?」

玄関へ向かう最中、怜が問う。既に手は離されていたが、隣にって歩く怜との距離はいつもより近く感じた。傍から見れば仲良いい兄妹であろうが、沙雪にとっては恐怖でしかない。さりげなく半歩ほど離れてみるものの、すぐに距離を詰められてしまう。

「明日、楽しみにしていると仰っておられました」
「…そうか。夕飯を食べたら明日の準備をするんだぞ?…そうだな、あのドレスはどうだ?白い、俺が作らせた…」
「お兄様、明日の主役はお兄様と公子さんです。白いドレスは花嫁となる公子さんが着るべきかと。私は宮子とお揃いで仕立てたドレスにします。きっと宮子もそれを着てくるはずだもの」

そう言って明日のドレスを思い浮かべているであろう沙雪の表情に、仕方ないなとばかりに微笑む怜。昨夜のような表情は二人きりになると同時に消えた。その事に戸惑いはするものの、多少の安堵感もあった。
昨晩のことは気の迷いだったのかもしれない。妹である沙雪への愛情が行き過ぎただけで、怜はやはり優しい兄なのだとすら思える。
きっと、大丈夫。元のお兄様と自分に戻れる。そう思いながら、沙雪はゆっくりと自室へと戻るのであった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...