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早苗に、心に決めた相手がいるというのは有名な話であった。
一見とっつきにくそうな渚に比べて、見るからに社交的な早苗は男子学生の間に絶大な人気がある。言い寄ってくる者にも事欠かないのだが、早苗は決して特定の相手を作ろうとはしなかった。
お断りの決まり文句が「ごめんなさい。あたし、もう売約済なんです」というものであった。心に決めた人がいると公言し、全ての申し出を断り続けているのだ。
しかし、その「心に決めた人」について早苗は決して正体を明かそうとはしなかった。それらしき影も近くには見えず、いつしか早苗の「心に決めた人」は早苗に思いを寄せる男子学生の間では伝説となっていたのであった。
「ところでひとつ気になってるんだが」
慎吾が小声で渚に話しかける。
「どうしました?」
「早苗のテンション、いつになく高くねえか?」
嫌そうな慎吾に渚は小さく頷いた。
「なんだかこの合宿をものすごく楽しみにしてたみたいですよ。水着選ぶ時もすごく気合入ってましたし」
「そうなのか?」
慎吾はやや腰が引けるのを自覚した。
早苗のテンションが高すぎるとろくなことがない。それはレンジャーズ全員の共通認識であった。普通の状態であれば迷惑を受けるのは圭一一人で済むのだが、早苗が張り切りすぎると、圭一だけでは抑えきれなくなるのだ。結果として全員が実害を被ることになる。
「あんまり張り切らないでほしいなあ」
「そうはいきませんよ。あたし、今日という日を一日千秋の思いで待ってたんですから」
慎吾のぼやきを聞きつけた早苗はこれ以上ないくらいご機嫌な顔で言った。
「……」
そこで沈黙が落ちる。
なんとも言いようのない、微妙な空気が流れた。
誰もお約束の展開はわかっている。しかし、そこに踏み込みたくないのだ。
にこにこしていた早苗の顔もだんだんと苛立ちが混じってくる。
武蔵が肘で圭一をつついた。
「おい」
「いやだ」
圭一はきっぱり言った。
「おまえ以外に誰がいるんだ。早苗だっておまえに訊いてほしいんだよ」
「俺は訊きたくない」
訊けばまたいらぬ因縁を吹っかけられる。それだけはごめん被りたい。
だが、どちらにしても結果は同じだったらしい。
「どうして訊いてくれないんですか?」
地獄の底から響いてくるような声。化けて出そうな早苗の目はまっすぐに圭一に向けられていた。
「あたしのことなんかどうでもいいですか?」
「う……」
どうでもいいわけではないが、関わりたくないのだ。かといって、それをはっきり言うのははばかられる。
圭一は進退窮まった。
その時、圭一にとって救いの神が思わぬところから現れた。
「荷物の積み込み終了しましたー」
発掘科の一年生、矢吹達人が早くも汗だくになりながら道場にやってきた。このゼミにおいて一年生に人権は認められていない。
「おう、ご苦労さん」
鋭い反応を見せたのは当然のことながら圭一である。達人の肩を抱くように外へ出て行く。と言うか、逃げ出す。
「さあ、行こう。とっとと出発しよう」
「あ、こら」
文句を言いかけた早苗だったが、他のメンバーもここぞとばかりに脱出していく。最後に残された早苗は、数秒ふくれた後、仕方なさそうに後に続いた。
一見とっつきにくそうな渚に比べて、見るからに社交的な早苗は男子学生の間に絶大な人気がある。言い寄ってくる者にも事欠かないのだが、早苗は決して特定の相手を作ろうとはしなかった。
お断りの決まり文句が「ごめんなさい。あたし、もう売約済なんです」というものであった。心に決めた人がいると公言し、全ての申し出を断り続けているのだ。
しかし、その「心に決めた人」について早苗は決して正体を明かそうとはしなかった。それらしき影も近くには見えず、いつしか早苗の「心に決めた人」は早苗に思いを寄せる男子学生の間では伝説となっていたのであった。
「ところでひとつ気になってるんだが」
慎吾が小声で渚に話しかける。
「どうしました?」
「早苗のテンション、いつになく高くねえか?」
嫌そうな慎吾に渚は小さく頷いた。
「なんだかこの合宿をものすごく楽しみにしてたみたいですよ。水着選ぶ時もすごく気合入ってましたし」
「そうなのか?」
慎吾はやや腰が引けるのを自覚した。
早苗のテンションが高すぎるとろくなことがない。それはレンジャーズ全員の共通認識であった。普通の状態であれば迷惑を受けるのは圭一一人で済むのだが、早苗が張り切りすぎると、圭一だけでは抑えきれなくなるのだ。結果として全員が実害を被ることになる。
「あんまり張り切らないでほしいなあ」
「そうはいきませんよ。あたし、今日という日を一日千秋の思いで待ってたんですから」
慎吾のぼやきを聞きつけた早苗はこれ以上ないくらいご機嫌な顔で言った。
「……」
そこで沈黙が落ちる。
なんとも言いようのない、微妙な空気が流れた。
誰もお約束の展開はわかっている。しかし、そこに踏み込みたくないのだ。
にこにこしていた早苗の顔もだんだんと苛立ちが混じってくる。
武蔵が肘で圭一をつついた。
「おい」
「いやだ」
圭一はきっぱり言った。
「おまえ以外に誰がいるんだ。早苗だっておまえに訊いてほしいんだよ」
「俺は訊きたくない」
訊けばまたいらぬ因縁を吹っかけられる。それだけはごめん被りたい。
だが、どちらにしても結果は同じだったらしい。
「どうして訊いてくれないんですか?」
地獄の底から響いてくるような声。化けて出そうな早苗の目はまっすぐに圭一に向けられていた。
「あたしのことなんかどうでもいいですか?」
「う……」
どうでもいいわけではないが、関わりたくないのだ。かといって、それをはっきり言うのははばかられる。
圭一は進退窮まった。
その時、圭一にとって救いの神が思わぬところから現れた。
「荷物の積み込み終了しましたー」
発掘科の一年生、矢吹達人が早くも汗だくになりながら道場にやってきた。このゼミにおいて一年生に人権は認められていない。
「おう、ご苦労さん」
鋭い反応を見せたのは当然のことながら圭一である。達人の肩を抱くように外へ出て行く。と言うか、逃げ出す。
「さあ、行こう。とっとと出発しよう」
「あ、こら」
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