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第2話:追放された公爵令嬢
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アキトの家の食卓は、日に日に豊かになっていった。
蕪の次は、瑞々しいトマト。その次は、甘みの強い人参。スキル【神の農地】によって生まれ変わった畑は、まるで魔法のように次々と極上の作物を生み出した。俺は前世の知識を活かし、作物の連作障害が起きないよう、計画的に栽培を進めていた。
余った作物は、兄さんが町の市場へ売りに行った。俺の畑で採れた野菜は、見た目の美しさと味の良さから、瞬く間に評判となり、これまでの何倍もの値段で売れた。おかげで我が家は、久しぶりにまともな肉やパンを手に入れることができた。妹のエリナの頬にも、少しずつ健康的な赤みが戻り始めていた。
家族が笑顔でいる。ただそれだけで、俺の心は満たされた。
しかし、一歩家の外に出れば、村の景色は何も変わっていなかった。相変わらず土地は痩せ、人々は飢え、子供たちの顔には元気がない。我が家だけが豊かになっても、根本的な解決にはならない。村全体をどうにかしなければ。そう思い始めた矢先のことだった。
ある日の昼下がり、村の入り口がにわかに騒がしくなった。
村に一台の馬車がやってきたのだ。しかし、それは貴族が乗るような煌びやかなものではなく、塗装は剥げ、車輪は軋みをあげる、お世辞にも立派とは言えない粗末なものだった。
馬車を引く馬も痩せており、御者台に座る老人は疲れ切った顔をしている。村人たちは、何事かと遠巻きにその馬車を眺めていた。やがて馬車が村の広場で止まると、その老人――後に執事だとわかる――が、震える手で扉を開けた。
中から現れたのは、一人の少女だった。
歳は十五、六だろうか。長い銀色の髪は艶を失い、着ているドレスは上質な生地で仕立てられているものの、あちこちが汚れ、ほつれている。だが、そんなみすぼらしい格好をしていても、彼女の気品と美しさは隠しきれていなかった。雪のように白い肌、整った顔立ち。そして何より、見る者を射抜くような、強い意志を宿した紫色の瞳。
しかし、その瞳の奥には、深い絶望と、打ち砕かれた誇りの残滓が揺らめいていた。
彼女こそ、セレスティーナ・フォン・ヴァインベルク。数日前まで王太子アルフォンスの婚約者であり、次期王妃と目されていた公爵令嬢だった。
王都では、彼女の噂で持ちきりだった。突如現れた「聖女」リリアに王太子が心酔し、セレスティーナは聖女への嫉妬に狂い、数々の嫌がらせを行った「悪役令嬢」だと。そして、断罪された彼女は、罰として、王国で最も貧しいこの辺境領地の管理を命じられたのだ。事実上の追放だった。
村人たちは、彼女が誰であるかを知ると、侮蔑と不信の入り混じった冷たい視線を向けた。貴族なんて、自分たちのことしか考えない搾取者だ。そんな存在が自分たちの領主になるというのだから、歓迎する者など一人もいなかった。誰も彼女に手を差し伸べようとはせず、ただ遠巻きに見ているだけだ。
セレスティーナは、そんな村人たちの視線を毅然と受け止め、唯一の従者である老執事ジルと共に、領主の館とされる、廃屋同然の建物へと入っていった。
数日後、領主としての務めを果たすべく、セレスティーナは村の視察を始めた。彼女が目の当たりにしたのは、想像を絶する貧困だった。枯れ果てた畑、痩せこけた家畜、そして目に光のない領民たち。彼女が夢見ていた、豊かで平和な領地経営とは、あまりにもかけ離れた現実。あまりの惨状に、彼女は言葉を失い、何度も唇を噛みしめていた。
「これが……私の領地……」
彼女の呟きは、誰にも聞こえないほど小さく、絶望に満ちていた。
そんな中、彼女は一つの異様な光景に気づいた。村の家々が並ぶ中で、一軒だけ、その家の周りの畑だけが、まるで絵画のように青々と生い茂っているのだ。季節外れの野菜が、生命力に満ち溢れ、たわわに実をつけている。
「……あれは?」
執事のジルに尋ねると、彼はそれがアキトという農家の息子の畑であることを告げた。最近、にわかに信じがたいほどの豊作に恵まれているらしい、と。
セレスティーナは、その畑に引き寄せられるように歩き出した。彼女にとって、それは暗闇の中に差し込んだ、たった一本の光の筋のように見えた。
そして、俺と彼女は出会った。
畑の手入れをしていた俺の前に、あの美しい少女が立ったのだ。彼女はしばらく黙って、俺の畑と俺の顔を交互に見つめていた。その紫色の瞳が、何かを値踏みするように、鋭く俺を射抜く。
「あなたが、この畑を?」
凛とした、鈴を転がすような声だった。
俺は頷いた。
「はい。俺が育てています」
「……どうやったの?この土地は、死んでいるはず。こんな作物が育つわけがないわ」
彼女は、元公爵令嬢としてのプライドを必死に保とうとしているように見えた。だが、その声は微かに震えていた。俺は、スキルについて話すわけにはいかないので、曖昧に答える。
「ちょっと、昔の文献で見つけた農法を試してみただけです」
「嘘よ」
セレスティーナは、俺の言葉を即座に否定した。
「そんなもので、ここまでにはならない。これは……奇跡だわ」
彼女は、畑に実る大きなトマトにそっと触れた。その指先が、震えている。
しばらくの沈黙の後、彼女は意を決したように顔を上げた。そして、次の瞬間、俺は自分の目を疑った。
気高く、誰にも頭など下げたことのなかったであろう公爵令嬢が、俺のような、ただの農家の少年に向かって、深く、深く頭を下げたのだ。美しい銀髪が、さらりと地面にこぼれ落ちそうになる。
「お願い……!私に、あなたの力を貸してほしいの。この村を、この土地を、このまま見捨てたくない。領主として、私にできることがあるはず……。そのためには、あなたの力が必要なの。お願い、力を貸してちょうだい!」
それは、彼女が絞り出した、魂の叫びだった。プライドも、何もかもかなぐり捨てた、必死の願いだった。
俺は、彼女の瞳の奥にあるものを見た。それは、悪評が囁くような「悪役令嬢」の昏い光ではなかった。領地を、民をどうにかしたいと願う、真摯で、強い意志の光だった。彼女は、追放されたからといって、全てを諦めたわけではなかったのだ。
この人は、信頼できる。
俺は直感的にそう感じた。
俺が差し伸べた手を取れば、この人はきっと、素晴らしい領主になるだろう。
俺の力と、彼女のリーダーシップ。それが合わされば、この村は、いや、この土地は、きっと変われる。
俺は、彼女の前に跪き、その手を取った。
「顔を上げてください、セレスティーナ様」
彼女が驚いて顔を上げる。その紫色の瞳には、涙が浮かんでいた。
「俺が、この土地を生まれ変わらせてみせます。あなたと共に」
元・悪役令嬢と、チートスキルを持つ転生農民。
この日、この痩せた辺境の地で、二人の異色なコンビによる静かな革命が、その幕を開けた。
セレスティーナは、アキトという名の希望を見出し、絶望の淵から再び立ち上がる決意を、その胸に固く刻んだのだった。
蕪の次は、瑞々しいトマト。その次は、甘みの強い人参。スキル【神の農地】によって生まれ変わった畑は、まるで魔法のように次々と極上の作物を生み出した。俺は前世の知識を活かし、作物の連作障害が起きないよう、計画的に栽培を進めていた。
余った作物は、兄さんが町の市場へ売りに行った。俺の畑で採れた野菜は、見た目の美しさと味の良さから、瞬く間に評判となり、これまでの何倍もの値段で売れた。おかげで我が家は、久しぶりにまともな肉やパンを手に入れることができた。妹のエリナの頬にも、少しずつ健康的な赤みが戻り始めていた。
家族が笑顔でいる。ただそれだけで、俺の心は満たされた。
しかし、一歩家の外に出れば、村の景色は何も変わっていなかった。相変わらず土地は痩せ、人々は飢え、子供たちの顔には元気がない。我が家だけが豊かになっても、根本的な解決にはならない。村全体をどうにかしなければ。そう思い始めた矢先のことだった。
ある日の昼下がり、村の入り口がにわかに騒がしくなった。
村に一台の馬車がやってきたのだ。しかし、それは貴族が乗るような煌びやかなものではなく、塗装は剥げ、車輪は軋みをあげる、お世辞にも立派とは言えない粗末なものだった。
馬車を引く馬も痩せており、御者台に座る老人は疲れ切った顔をしている。村人たちは、何事かと遠巻きにその馬車を眺めていた。やがて馬車が村の広場で止まると、その老人――後に執事だとわかる――が、震える手で扉を開けた。
中から現れたのは、一人の少女だった。
歳は十五、六だろうか。長い銀色の髪は艶を失い、着ているドレスは上質な生地で仕立てられているものの、あちこちが汚れ、ほつれている。だが、そんなみすぼらしい格好をしていても、彼女の気品と美しさは隠しきれていなかった。雪のように白い肌、整った顔立ち。そして何より、見る者を射抜くような、強い意志を宿した紫色の瞳。
しかし、その瞳の奥には、深い絶望と、打ち砕かれた誇りの残滓が揺らめいていた。
彼女こそ、セレスティーナ・フォン・ヴァインベルク。数日前まで王太子アルフォンスの婚約者であり、次期王妃と目されていた公爵令嬢だった。
王都では、彼女の噂で持ちきりだった。突如現れた「聖女」リリアに王太子が心酔し、セレスティーナは聖女への嫉妬に狂い、数々の嫌がらせを行った「悪役令嬢」だと。そして、断罪された彼女は、罰として、王国で最も貧しいこの辺境領地の管理を命じられたのだ。事実上の追放だった。
村人たちは、彼女が誰であるかを知ると、侮蔑と不信の入り混じった冷たい視線を向けた。貴族なんて、自分たちのことしか考えない搾取者だ。そんな存在が自分たちの領主になるというのだから、歓迎する者など一人もいなかった。誰も彼女に手を差し伸べようとはせず、ただ遠巻きに見ているだけだ。
セレスティーナは、そんな村人たちの視線を毅然と受け止め、唯一の従者である老執事ジルと共に、領主の館とされる、廃屋同然の建物へと入っていった。
数日後、領主としての務めを果たすべく、セレスティーナは村の視察を始めた。彼女が目の当たりにしたのは、想像を絶する貧困だった。枯れ果てた畑、痩せこけた家畜、そして目に光のない領民たち。彼女が夢見ていた、豊かで平和な領地経営とは、あまりにもかけ離れた現実。あまりの惨状に、彼女は言葉を失い、何度も唇を噛みしめていた。
「これが……私の領地……」
彼女の呟きは、誰にも聞こえないほど小さく、絶望に満ちていた。
そんな中、彼女は一つの異様な光景に気づいた。村の家々が並ぶ中で、一軒だけ、その家の周りの畑だけが、まるで絵画のように青々と生い茂っているのだ。季節外れの野菜が、生命力に満ち溢れ、たわわに実をつけている。
「……あれは?」
執事のジルに尋ねると、彼はそれがアキトという農家の息子の畑であることを告げた。最近、にわかに信じがたいほどの豊作に恵まれているらしい、と。
セレスティーナは、その畑に引き寄せられるように歩き出した。彼女にとって、それは暗闇の中に差し込んだ、たった一本の光の筋のように見えた。
そして、俺と彼女は出会った。
畑の手入れをしていた俺の前に、あの美しい少女が立ったのだ。彼女はしばらく黙って、俺の畑と俺の顔を交互に見つめていた。その紫色の瞳が、何かを値踏みするように、鋭く俺を射抜く。
「あなたが、この畑を?」
凛とした、鈴を転がすような声だった。
俺は頷いた。
「はい。俺が育てています」
「……どうやったの?この土地は、死んでいるはず。こんな作物が育つわけがないわ」
彼女は、元公爵令嬢としてのプライドを必死に保とうとしているように見えた。だが、その声は微かに震えていた。俺は、スキルについて話すわけにはいかないので、曖昧に答える。
「ちょっと、昔の文献で見つけた農法を試してみただけです」
「嘘よ」
セレスティーナは、俺の言葉を即座に否定した。
「そんなもので、ここまでにはならない。これは……奇跡だわ」
彼女は、畑に実る大きなトマトにそっと触れた。その指先が、震えている。
しばらくの沈黙の後、彼女は意を決したように顔を上げた。そして、次の瞬間、俺は自分の目を疑った。
気高く、誰にも頭など下げたことのなかったであろう公爵令嬢が、俺のような、ただの農家の少年に向かって、深く、深く頭を下げたのだ。美しい銀髪が、さらりと地面にこぼれ落ちそうになる。
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それは、彼女が絞り出した、魂の叫びだった。プライドも、何もかもかなぐり捨てた、必死の願いだった。
俺は、彼女の瞳の奥にあるものを見た。それは、悪評が囁くような「悪役令嬢」の昏い光ではなかった。領地を、民をどうにかしたいと願う、真摯で、強い意志の光だった。彼女は、追放されたからといって、全てを諦めたわけではなかったのだ。
この人は、信頼できる。
俺は直感的にそう感じた。
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俺の力と、彼女のリーダーシップ。それが合わされば、この村は、いや、この土地は、きっと変われる。
俺は、彼女の前に跪き、その手を取った。
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