「人の心がない」と追放された公爵令嬢は、感情を情報として分析する元魔王でした。辺境で静かに暮らしたいだけなのに、氷の聖女と崇められています

黒崎隼人

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第08話「王都を覆う虚無の呪いと偽りの聖女の焦燥」

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 リディアが辺境の地で穏やかな観測の日々を送っている頃、彼女を追放した王都は、静かな、しかし深刻な病に蝕まれ始めていた。

 聖女セレスティアの「癒しの奇跡」は、相変わらず人々を熱狂させていた。彼女が祈りを捧げれば、病は癒え、怪我は塞がる。王都は、かつてないほどの栄華を極めているように、表面的には見えた。

 しかし、その裏側で、奇妙な現象が広がりつつあった。
 人々から、少しずつ活気が失われていくのだ。
 商人は、儲ける意欲をなくし、ただ漫然と店先に座っているだけ。職人は、より良いものを作ろうという情熱を忘れ、同じものを惰性で作り続ける。恋人たちは愛を語らう熱を失い、芸術家は創作のインスピレーションを枯渇させた。

 国全体が、まるで燃え尽きてしまったかのように、無気力な灰色の空気に包まれていく。それは、目に見える病気ではなかった。魂の熱が、静かに冷めていくような、緩やかな死だった。

 人々は、その現象を、いつしか「虚無の呪い」と呼び、恐れるようになった。

 第一王子アルフレッドは、日に日に色を失っていく王都の姿に、強い焦りを覚えていた。

「どうなっているんだ……。セレスティアの奇跡で、国はかつてなく平和で、豊かになったはず。なのに、なぜ民から笑顔が消えていく?」

 玉座の間で、アルフレッドは苛立たしげに呟いた。その傍らには、青ざめた顔のセレスティアが侍っている。

「私にも、わかりません……。私の癒しの力は、確かに人々を救っているはずなのに。なのに、なぜ……」

 セレスティアの声は、震えていた。彼女の奇跡は、もはや以前ほどの効果を発揮しなくなっていた。癒しても、癒しても、人々の心の空虚さは埋まらない。むしろ、彼女の強い光を浴びた者ほど、その反動で、より深い虚無感に囚われるようになっていたのだ。

 セレスティアの力は、人々の感情を一時的に燃え上がらせる、劇薬のようなものだった。それは、魂を根っこから癒すのではなく、前借りして、一瞬だけ輝かせるに過ぎなかった。その代償として、人々は生きるための根源的なエネルギーを、少しずつ失っていたのだ。

「もっと、もっと強い祈りを! 君は聖女なのだろう!」

 アルフレッドが、思わず声を荒らげる。セレスティアは、びくりと肩を震わせた。彼女の瞳には、かつての自信と慈愛の色はなく、ただ怯えと焦りが浮かんでいる。

『なぜ、うまくいかないの? 私は、こんなに頑張っているのに。もっと、みんなから賞賛されて、愛されるはずだったのに……!』

 彼女の心は、承認欲求と、迫りくる破綻への恐怖でいっぱいだった。

 ***

 この異常事態の裏には、黒幕がいた。宰相オルデンブルク。常に温和な笑みを浮かべた、老獪な政治家だ。
 彼こそが、セレスティアを聖女に仕立て上げ、裏で操っていた張本人だった。

 彼は、王城の地下深く、誰にも知られない秘密の部屋で、古代の禁術に手を染めていた。それは、民の感情――特に、聖女への信仰心や熱狂といった、強い正の感情――をエネルギーとして吸い上げ、国力へと変換するという、恐るべき術だった。

「ククク……順調だ。民の魂を燃料に、我が国は永遠の繁栄を手に入れるのだ」

 宰相は、部屋の中央に鎮座する、黒い水晶のような遺物を見つめ、悦に入っていた。遺物は、王都中から吸い上げた感情エネルギーを溜め込み、不気味な光を放っている。

 当初、彼の計画はうまくいっていた。セレスティアが生み出す熱狂が、国力を増大させていたからだ。しかし、彼の計算には、一つ、重大な見落としがあった。

 人間の感情は、単純な燃料ではない。搾り取れば、いずれは枯渇する。そして、正の感情だけを過剰に吸い上げた結果、人々の心には、負の感情すら湧かない、完全な「無」――虚無が広がってしまったのだ。

 術は、もはや宰相のコントロールを離れ、暴走を始めていた。王都そのものが、感情を無差別に吸い上げる、巨大な掃除機と化してしまった。人々から生きる気力が失われていくのは、当然の帰結だった。

「おかしい……なぜだ。なぜ、エネルギーの供給が滞り始めた……? 民は、もっと熱狂し、もっと祈りを捧げるべきだろう!」

 宰相は、自らの計画の綻びに気づき始めていたが、もはや後戻りはできなかった。暴走した遺物は、今や彼の生命力すらも吸い上げようとしている。

 王都を覆う「虚無の呪い」。その正体は、一人の男の歪んだ野望が生み出した、人為的な災害だった。
 そして、そのことにまだ誰も気づかぬまま、王国は、静かに、しかし確実に、崩壊への道を突き進んでいた。
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