5 / 14
第4話「蝕む黒、癒やす手」
彼を寝室のベッドに運ぶのは不可能だと判断して、私は店の床に清潔なシーツと毛布を敷き、そこを臨時の処置台にした。
部屋中のランプや蝋燭をかき集めて、手元を明るくする。
ポポは心配そうに、少し離れた棚の上からこちらを見守っていた。
「ひどい……」
改めて明るい場所で見て、私は息をのんだ。
黒い鎧を外していく作業は難航した。革紐は水を吸って固くなっているし、留め金は血でぬるついて滑る。
なんとか胸当てを取り外すと、その下にあったインナーシャツは、血と何か得体の知れない黒いシミでドロドロになっていた。
シャツをハサミで切り開く。
露わになった彼の肉体は、鍛え抜かれた彫刻のように美しかったけれど、その胸のあたりを中心に、不気味な痣が広がっていた。
まるで植物の根のように、あるいは毒蛇が這った痕のように、黒い血管が皮膚の下で脈打っている。
その黒い根は、彼の心臓に向かってじわじわと侵食を続けているように見えた。
「これは……『呪い』ね」
ただの傷じゃない。物理的な切り傷や打撲もあるけれど、彼の命を削っている本質はこの黒い痣だ。
私の知識にある中では、最悪の部類に入る。
竜種か、あるいはそれに匹敵する高位の魔物による呪毒。
通常の治癒魔法をかければ、魔力を糧にして呪いが活性化し、逆に命を縮めてしまう厄介な代物だ。だからこそ、彼は今まで誰にも治せなかったのだろう。
彼がうわごとのように、苦しげな声を漏らす。
高熱が出ているのか、汗が玉のように浮いているのに、体はガタガタと震えている。
「大丈夫。これなら、私のやり方の方が合ってる」
私は洗面器にお湯を用意し、清潔な布を浸して絞った。
まずは体を拭いて、汚れを落とす。冷え切った体を少しでも温めるために、暖炉の火も大きくした。
そして、私は自分の道具箱を開けた。
取り出したのは、杖でも聖典でもない。
小瓶に入った特製の軟膏と、蒸留したばかりの薬草水。
私の「治癒」は魔法的なエネルギーの注入ではない。
患者自身の生命力を呼び覚まし、免疫や再生能力を極限まで高めて、異物を排除させる手法だ。
魔法を「餌」にするこの呪いにとって、私の魔力を含まない純粋な「生命への呼びかけ」は、唯一の天敵になるはず。
私は冷えた手に息を吹きかけ、温めてから彼に触れた。
黒い痣の上に、直接手を重ねる。
ビリビリとした不快な感触が伝わってきた。拒絶反応だ。
構わず、私は目を閉じて意識を潜らせていく。
(聞こえる? あなたの体は、まだ負けたくないって言ってる)
彼の中の、まだ侵されていない正常な細胞たちに語りかける。
戦いなさい、とは言わない。
思い出して、と伝える。
本来の健やかな状態を。あるべき呼吸のリズムを。
指先から、じんわりと私の体温と「イメージ」を流し込んでいく。
光らない。派手な音もしない。
けれど、確実に彼の肌の下で、何かが動き出したのを感じた。
黒い根が、嫌がるように身をよじり、少しずつ後退していく。
その代わりに、彼自身の血流が力強さを取り戻し、蒼白だった肌に赤みが差してくる。
「っ、う……ぁ……」
彼が苦悶の声を上げ、私の手首を掴んだ。
ものすごい力だ。骨がきしむほど強い。
けれど、それは私を拒絶するためではなく、溺れる者が藁をも掴むような、必死の懇願だった。
彼の閉じたまぶたの端から、一筋の涙が伝い落ちる。
ずっと痛かったのだろう。ずっと、一人で耐えてきたのだろう。
「もう大丈夫。私がついてるから」
私は空いている方の手で、彼の汗ばんだ髪を優しく撫でた。
子供をあやすように、一定のリズムで。
手首を掴む力が、少しだけ緩む。
私は夜通し、彼の手を握り続け、その呪いと静かに対峙し続けた。
やがて嵐が去り、窓の外が白々と明け始めた頃。
彼の胸から黒い脈動は消え、穏やかな寝息だけが残っていた。
私もまた、緊張の糸が切れたように、彼のベッドの端に突っ伏して深い眠りへと落ちていった。
彼が目を覚ました時、どんな反応をするかも知らずに。
部屋中のランプや蝋燭をかき集めて、手元を明るくする。
ポポは心配そうに、少し離れた棚の上からこちらを見守っていた。
「ひどい……」
改めて明るい場所で見て、私は息をのんだ。
黒い鎧を外していく作業は難航した。革紐は水を吸って固くなっているし、留め金は血でぬるついて滑る。
なんとか胸当てを取り外すと、その下にあったインナーシャツは、血と何か得体の知れない黒いシミでドロドロになっていた。
シャツをハサミで切り開く。
露わになった彼の肉体は、鍛え抜かれた彫刻のように美しかったけれど、その胸のあたりを中心に、不気味な痣が広がっていた。
まるで植物の根のように、あるいは毒蛇が這った痕のように、黒い血管が皮膚の下で脈打っている。
その黒い根は、彼の心臓に向かってじわじわと侵食を続けているように見えた。
「これは……『呪い』ね」
ただの傷じゃない。物理的な切り傷や打撲もあるけれど、彼の命を削っている本質はこの黒い痣だ。
私の知識にある中では、最悪の部類に入る。
竜種か、あるいはそれに匹敵する高位の魔物による呪毒。
通常の治癒魔法をかければ、魔力を糧にして呪いが活性化し、逆に命を縮めてしまう厄介な代物だ。だからこそ、彼は今まで誰にも治せなかったのだろう。
彼がうわごとのように、苦しげな声を漏らす。
高熱が出ているのか、汗が玉のように浮いているのに、体はガタガタと震えている。
「大丈夫。これなら、私のやり方の方が合ってる」
私は洗面器にお湯を用意し、清潔な布を浸して絞った。
まずは体を拭いて、汚れを落とす。冷え切った体を少しでも温めるために、暖炉の火も大きくした。
そして、私は自分の道具箱を開けた。
取り出したのは、杖でも聖典でもない。
小瓶に入った特製の軟膏と、蒸留したばかりの薬草水。
私の「治癒」は魔法的なエネルギーの注入ではない。
患者自身の生命力を呼び覚まし、免疫や再生能力を極限まで高めて、異物を排除させる手法だ。
魔法を「餌」にするこの呪いにとって、私の魔力を含まない純粋な「生命への呼びかけ」は、唯一の天敵になるはず。
私は冷えた手に息を吹きかけ、温めてから彼に触れた。
黒い痣の上に、直接手を重ねる。
ビリビリとした不快な感触が伝わってきた。拒絶反応だ。
構わず、私は目を閉じて意識を潜らせていく。
(聞こえる? あなたの体は、まだ負けたくないって言ってる)
彼の中の、まだ侵されていない正常な細胞たちに語りかける。
戦いなさい、とは言わない。
思い出して、と伝える。
本来の健やかな状態を。あるべき呼吸のリズムを。
指先から、じんわりと私の体温と「イメージ」を流し込んでいく。
光らない。派手な音もしない。
けれど、確実に彼の肌の下で、何かが動き出したのを感じた。
黒い根が、嫌がるように身をよじり、少しずつ後退していく。
その代わりに、彼自身の血流が力強さを取り戻し、蒼白だった肌に赤みが差してくる。
「っ、う……ぁ……」
彼が苦悶の声を上げ、私の手首を掴んだ。
ものすごい力だ。骨がきしむほど強い。
けれど、それは私を拒絶するためではなく、溺れる者が藁をも掴むような、必死の懇願だった。
彼の閉じたまぶたの端から、一筋の涙が伝い落ちる。
ずっと痛かったのだろう。ずっと、一人で耐えてきたのだろう。
「もう大丈夫。私がついてるから」
私は空いている方の手で、彼の汗ばんだ髪を優しく撫でた。
子供をあやすように、一定のリズムで。
手首を掴む力が、少しだけ緩む。
私は夜通し、彼の手を握り続け、その呪いと静かに対峙し続けた。
やがて嵐が去り、窓の外が白々と明け始めた頃。
彼の胸から黒い脈動は消え、穏やかな寝息だけが残っていた。
私もまた、緊張の糸が切れたように、彼のベッドの端に突っ伏して深い眠りへと落ちていった。
彼が目を覚ました時、どんな反応をするかも知らずに。
あなたにおすすめの小説
婚約破棄されたので、前世で倒した魔王を婿にします
なかすあき
恋愛
王宮の舞踏会で、王太子ユリウスから公開の婚約破棄を告げられた公爵令嬢フィオナ。
正式な破棄のために持ち出された王家の宝具「破婚の鏡」は、なぜか黒くひび割れ、彼女の前世の記憶を呼び覚ます。
前世のフィオナは、勇者一行の聖職者として魔王を討った女だった。
だがその瞬間、破婚の鏡は異界への門へと変わり、かつて自ら倒したはずの魔王ゼルヴァンが現れる。
「ようやく、直接会えた。結婚しろ、フィオナ」
軽い恋に酔って婚約者を切り捨てた王太子。
前世で討たれてなお、今世で彼女を探し続けていた魔王。
婚約を失った夜に始まったのは、失恋ではなく、
前世から続く、とびきり厄介な求婚の続きだった。
役立たずと追放された令嬢ですが、極寒の森で【伝説の聖獣】になつかれました〜モフモフの獣人姿になった聖獣に、毎日甘く愛されています〜
腐ったバナナ
恋愛
「魔力なしの役立たず」と家族と婚約者に見捨てられ、極寒の魔獣の森に追放された公爵令嬢アリア。
絶望の淵で彼女が出会ったのは、致命傷を負った伝説の聖獣だった。アリアは、微弱な生命力操作の能力と薬学知識で彼を救い、その巨大な銀色のモフモフに癒やしを見いだす。
しかし、銀狼は夜になると冷酷無比な辺境領主シルヴァンへと変身!
「俺の命を救ったのだから、君は俺の永遠の所有物だ」
シルヴァンとの契約結婚を受け入れたアリアは、彼の強大な力を後ろ盾に、冷徹な知性で王都の裏切り者たちを周到に追い詰めていく。
追放された聖女は、辺境で狼(もふもふ)とカフェを開く
橘 あやめ
ファンタジー
――もう黙らない。追放された聖女は、もふもふの白狼と温かい居場所を見つける――
十二年間、大聖堂で祈り続けた。
病人を癒し、呪いを祓い、飢饉のときは畑に恵みの光を降ろす。
その全てを、妹の嘘泣きひとつで奪われた。
献金横領の濡れ衣を着せられ、聖女の座を追われたアーシャ。
荷物は革鞄ひとつ。行く宛てもない。
たどり着いた辺境の町で、アーシャは小さなハーブティーのカフェを開くことに。
看板は小枝の炭で手作り。
焼き菓子は四度目でようやく成功。
常連もできて、少しずつ「自分の居場所」が生まれていく――。
そんなカフェに夜ごと現れるのは、月光のように美しい銀色の狼。
もふもふで、不愛想で、でも何かとアーシャのことを助けてくれる。
やがて、穏やかな日々を壊しに――妹が現れる。
※追放聖女のカフェ開業もの(もふもふつき)です!ハッピーエンド!
「何の取り柄もない姉より、妹をよこせ」と婚約破棄されましたが、妹を守るためなら私は「国一番の淑女」にでも這い上がってみせます
放浪人
恋愛
「何の取り柄もない姉はいらない。代わりに美しい妹をよこせ」
没落伯爵令嬢のアリアは、婚約者からそう告げられ、借金のカタに最愛の妹を奪われそうになる。 絶望の中、彼女が頼ったのは『氷の公爵』と恐れられる冷徹な男、クラウスだった。
「私の命、能力、生涯すべてを差し上げます。だから金を貸してください!」
妹を守るため、悪魔のような公爵と契約を結んだアリア。 彼女に課せられたのは、地獄のような淑女教育と、危険な陰謀が渦巻く社交界への潜入だった。 しかし、アリアは持ち前の『瞬間記憶能力』と『度胸』を武器に覚醒する。
自分を捨てた元婚約者を論破して地獄へ叩き落とし、意地悪なライバル令嬢を返り討ちにし、やがては国の危機さえも救う『国一番の淑女』へと駆け上がっていく!
一方、冷酷だと思われていた公爵は、泥の中でも強く咲くアリアの姿に心を奪われ――? 「お前がいない世界など不要だ」 契約から始まった関係が、やがて国中を巻き込む極上の溺愛へと変わる。
地味で無能と呼ばれた令嬢が、最強の旦那様と幸せを掴み取る、痛快・大逆転シンデレラストーリー!
【完結】「お前に聖女の資格はない!」→じゃあ隣国で王妃になりますね
ぽんぽこ@3/28新作発売!!
恋愛
【全7話完結保証!】
聖王国の誇り高き聖女リリエルは、突如として婚約者であるルヴェール王国のルシアン王子から「偽聖女」の烙印を押され追放されてしまう。傷つきながらも母国へ帰ろうとするが、運命のいたずらで隣国エストレア新王国の策士と名高いエリオット王子と出会う。
「僕が君を守る代わりに、その力で僕を助けてほしい」
甘く微笑む彼に導かれ、戸惑いながらも新しい人生を歩み始めたリリエル。けれど、彼女を追い詰めた隣国の陰謀が再び迫り――!?
追放された聖女と策略家の王子が織りなす、甘く切ない逆転ロマンス・ファンタジー。
役立たずとして邪神へ生贄に捧げられましたが、至宝認定されて溺愛されています
灯息めてら
恋愛
セレナは不思議な力を持ち、ずっと気味悪がられてきた。そしてついに邪神に生贄に捧げられてしまう。ところが邪神ネフィルはセレナを害するどころか溺愛し始めて――
追放された悪役令嬢、規格外魔力でもふもふ聖獣を手懐け隣国の王子に溺愛される
黒崎隼人
ファンタジー
「ようやく、この息苦しい生活から解放される!」
無実の罪で婚約破棄され、国外追放を言い渡された公爵令嬢エレオノーラ。しかし彼女は、悲しむどころか心の中で歓喜の声をあげていた。完璧な淑女の仮面の下に隠していたのは、国一番と謳われた祖母譲りの規格外な魔力。追放先の「魔の森」で力を解放した彼女の周りには、伝説の聖獣グリフォンをはじめ、可愛いもふもふ達が次々と集まってきて……!?
自由気ままなスローライフを満喫する元悪役令嬢と、彼女のありのままの姿に惹かれた「氷の王子」。二人の出会いが、やがて二つの国の運命を大きく動かすことになる。
窮屈な世界から解き放たれた少女が、本当の自分と最高の幸せを見つける、溺愛と逆転の異世界ファンタジー、ここに開幕!
家族から虐げられた令嬢は冷血伯爵に嫁がされる〜売り飛ばされた先で温かい家庭を築きます〜
香木陽灯
恋愛
「ナタリア! 廊下にホコリがたまっているわ! きちんと掃除なさい」
「お姉様、お茶が冷めてしまったわ。淹れなおして。早くね」
グラミリアン伯爵家では長女のナタリアが使用人のように働かされていた。
彼女はある日、冷血伯爵に嫁ぐように言われる。
「あなたが伯爵家に嫁げば、我が家の利益になるの。あなたは知らないだろうけれど、伯爵に娘を差し出した家には、国王から褒美が出るともっぱらの噂なのよ」
売られるように嫁がされたナタリアだったが、冷血伯爵は噂とは違い優しい人だった。
「僕が世間でなんと呼ばれているか知っているだろう? 僕と結婚することで、君も色々言われるかもしれない。……申し訳ない」
自分に自信がないナタリアと優しい冷血伯爵は、少しずつ距離が近づいていく。
※ゆるめの設定
※他サイトにも掲載中