5 / 24
第4話:騎士は忠誠心がすぎる
政治と経済で立て続けに勘違いの功績を打ち立ててしまった私は、ほとぼりが冷めるまで領地の視察という名目で王都を離れることにした。これ以上目立てば、王太子との婚約破棄どころではなくなってしまう。
領地では馬に揺られて、のんびりと田園風景を眺めるだけ。これはこれで悪くない。
護衛には、ヴァレンシュタイン家騎士団の若き団長、ダリウスが付き従っている。彼は陽に焼けた褐色の肌と、鋭い鷲のような目を持つ青年だ。
ダリウスは元スラムの孤児で、餓死寸前だったところを私が落としたパンで救われた、と信じ込んでいる。もちろん私にそんな記憶はない。おそらく、食べきれなかったパンを道端にポイ捨てしたのを、彼が見つけたとかなのだろう。
それ以来、彼は私に犬のように忠実だ。その忠誠心は、コンラートやリリアに勝るとも劣らない。
「お嬢様、そろそろ一度、休憩にいたしましょうか」
「そうね。お願いするわ」
私たちは馬を降り、木陰で一息つく。メイドが用意してくれた水筒を受け取り、喉を潤した。
視察のルートは事前に決められているが、地図を見ながらふと、ある一点に目が留まった。
「……黒の森、ね」
それは、領地の西側に広がる広大な森林地帯。木々が密集し、昼でも薄暗いことからそう呼ばれている。
「あそこの森、なんだかじめじめしてて虫が出そうだから嫌ね。迂回しましょう」
私は虫が大嫌いなのだ。前世でも、ゴキブリが出た日は家に入れず、友人の家に泊めてもらったことがあるくらいだ。特に、森にいるような得体の知れない虫など、想像するだけで鳥肌が立つ。
私の何気ない一言に、隣にいたダリウスの表情が剣のように鋭くなった。
「……虫、でございますか」
「ええ。見るのも嫌だわ」
「承知いたしました」
ダリウスは私の言葉をどう受け取ったのか、その場で片膝をつき、恭しく言った。
「お嬢様の進む道を妨げる不埒者は、このダリウスが全て排除いたします。どうぞ、ご安心を」
「え? いや、そんな大げさな……。ただ道を変えればいいだけよ」
しかし、ダリウスは私の制止を聞かず、燃えるような瞳で黒の森を睨みつけている。
「お嬢様が『虫』と仰せになった。それは、我ら騎士団ですら気づかぬ、森に潜む脅威を指しているに違いありません。例えば、国境を越えて侵入した賊か、あるいは危険な魔獣の群れか……! お嬢様は、その千里眼で我々にお示しくださったのです!」
……全然違う。ガチの虫の話だ。カブトムシとか、そういうやつだ。
「ダリウス、落ち着いて。本当にただの虫の話で……」
「お任せください!」
私の言葉を遮り、ダリウスは馬に飛び乗ると、一人で黒の森へと駆け出してしまった。
「ちょ、待ちなさい、ダリウス!」
あっという間に彼の姿は森の中に消えていく。残された私と騎士たち、メイドたちは、顔を見合わせるしかなかった。
……まただ。また、このパターンだ。
私の些細な一言が、忠誠心溢れる部下によってとんでもない方向に解釈されてしまう。もう慣れてきた自分が怖い。
その日の夜。
領地の館で私が溜め息をついていると、泥と……何か獣の血にまみれたダリウスが、晴れやかな顔で帰還した。
「お嬢様! ご報告いたします!」
彼は私の前に膝をつき、高らかに宣言した。
「お嬢様のご慧眼の通り、黒の森は、隣国から流れ着いた魔物の群れの巣窟となっておりました! 特に、厄介な魔獣である“ワーム”が大量発生しており、まさに『虫』そのものでございました! このダリウス、お嬢様のご期待に応え、単身にて全ての魔物を殲滅してまいりました!」
……ワームって、ミミズみたいな巨大な魔物じゃなかったか。確かに見た目は虫だが。
報告によれば、その魔物の群れは近々、国境近くの村を襲う計画だった形跡があり、もしダリウスが今日、殲滅していなければ、大きな被害が出ていたことは間違いないという。
つまり、私はまたしても、何もしていないのに、国境の危機を未然に防いだことになってしまったのだ。
「おお、イザベラ様は、森を一目見ただけで魔物の存在をお見通しになられたのか!」
「軍を動かすより先に、単独で団長を動かすとは、なんという的確なご判断……!」
騎士たちが、畏敬の念のこもった視線で私を見ている。
ダリウスは、誇らしげに胸を張った。
「お嬢様の『千里眼』とご采配、このダリウス、生涯をかけてお仕えいたします!」
だから、違うの! 私はただ、蚊に刺されたくなかっただけなの!
この一件はすぐに王都にも伝わり、「冷徹なる策略家」「商才の塊」に加えて、「千里眼を持つ軍略の天才」という、もはや人間離れした称号が私に追加された。
私の評判は、本人の意思とは全く無関係に、天を衝く勢いで上がり続けていく。
もう駄目だ。領地にいても勘違いは止まらない。
私の平穏なニート生活は、一体どこにあるというのだろうか。
領地では馬に揺られて、のんびりと田園風景を眺めるだけ。これはこれで悪くない。
護衛には、ヴァレンシュタイン家騎士団の若き団長、ダリウスが付き従っている。彼は陽に焼けた褐色の肌と、鋭い鷲のような目を持つ青年だ。
ダリウスは元スラムの孤児で、餓死寸前だったところを私が落としたパンで救われた、と信じ込んでいる。もちろん私にそんな記憶はない。おそらく、食べきれなかったパンを道端にポイ捨てしたのを、彼が見つけたとかなのだろう。
それ以来、彼は私に犬のように忠実だ。その忠誠心は、コンラートやリリアに勝るとも劣らない。
「お嬢様、そろそろ一度、休憩にいたしましょうか」
「そうね。お願いするわ」
私たちは馬を降り、木陰で一息つく。メイドが用意してくれた水筒を受け取り、喉を潤した。
視察のルートは事前に決められているが、地図を見ながらふと、ある一点に目が留まった。
「……黒の森、ね」
それは、領地の西側に広がる広大な森林地帯。木々が密集し、昼でも薄暗いことからそう呼ばれている。
「あそこの森、なんだかじめじめしてて虫が出そうだから嫌ね。迂回しましょう」
私は虫が大嫌いなのだ。前世でも、ゴキブリが出た日は家に入れず、友人の家に泊めてもらったことがあるくらいだ。特に、森にいるような得体の知れない虫など、想像するだけで鳥肌が立つ。
私の何気ない一言に、隣にいたダリウスの表情が剣のように鋭くなった。
「……虫、でございますか」
「ええ。見るのも嫌だわ」
「承知いたしました」
ダリウスは私の言葉をどう受け取ったのか、その場で片膝をつき、恭しく言った。
「お嬢様の進む道を妨げる不埒者は、このダリウスが全て排除いたします。どうぞ、ご安心を」
「え? いや、そんな大げさな……。ただ道を変えればいいだけよ」
しかし、ダリウスは私の制止を聞かず、燃えるような瞳で黒の森を睨みつけている。
「お嬢様が『虫』と仰せになった。それは、我ら騎士団ですら気づかぬ、森に潜む脅威を指しているに違いありません。例えば、国境を越えて侵入した賊か、あるいは危険な魔獣の群れか……! お嬢様は、その千里眼で我々にお示しくださったのです!」
……全然違う。ガチの虫の話だ。カブトムシとか、そういうやつだ。
「ダリウス、落ち着いて。本当にただの虫の話で……」
「お任せください!」
私の言葉を遮り、ダリウスは馬に飛び乗ると、一人で黒の森へと駆け出してしまった。
「ちょ、待ちなさい、ダリウス!」
あっという間に彼の姿は森の中に消えていく。残された私と騎士たち、メイドたちは、顔を見合わせるしかなかった。
……まただ。また、このパターンだ。
私の些細な一言が、忠誠心溢れる部下によってとんでもない方向に解釈されてしまう。もう慣れてきた自分が怖い。
その日の夜。
領地の館で私が溜め息をついていると、泥と……何か獣の血にまみれたダリウスが、晴れやかな顔で帰還した。
「お嬢様! ご報告いたします!」
彼は私の前に膝をつき、高らかに宣言した。
「お嬢様のご慧眼の通り、黒の森は、隣国から流れ着いた魔物の群れの巣窟となっておりました! 特に、厄介な魔獣である“ワーム”が大量発生しており、まさに『虫』そのものでございました! このダリウス、お嬢様のご期待に応え、単身にて全ての魔物を殲滅してまいりました!」
……ワームって、ミミズみたいな巨大な魔物じゃなかったか。確かに見た目は虫だが。
報告によれば、その魔物の群れは近々、国境近くの村を襲う計画だった形跡があり、もしダリウスが今日、殲滅していなければ、大きな被害が出ていたことは間違いないという。
つまり、私はまたしても、何もしていないのに、国境の危機を未然に防いだことになってしまったのだ。
「おお、イザベラ様は、森を一目見ただけで魔物の存在をお見通しになられたのか!」
「軍を動かすより先に、単独で団長を動かすとは、なんという的確なご判断……!」
騎士たちが、畏敬の念のこもった視線で私を見ている。
ダリウスは、誇らしげに胸を張った。
「お嬢様の『千里眼』とご采配、このダリウス、生涯をかけてお仕えいたします!」
だから、違うの! 私はただ、蚊に刺されたくなかっただけなの!
この一件はすぐに王都にも伝わり、「冷徹なる策略家」「商才の塊」に加えて、「千里眼を持つ軍略の天才」という、もはや人間離れした称号が私に追加された。
私の評判は、本人の意思とは全く無関係に、天を衝く勢いで上がり続けていく。
もう駄目だ。領地にいても勘違いは止まらない。
私の平穏なニート生活は、一体どこにあるというのだろうか。
あなたにおすすめの小説
余命僅かな大富豪を看取って、円満に未亡人になるはずでした
ぜんだ 夕里
恋愛
傾きかけた家を救うため、私が結んだのはあまりにも不謹慎な契約――余命いくばくもない大富豪の辺境伯様と結婚し、彼の最期を穏やかに看取ることで莫大な遺産を相続する、というものだった。
しかし、人の死を利用して富を得るなど不正義!
そう考えた私が立てたのは、前代未聞の計画。
「そうだ、遺産が残らないくらい贅沢の限りを尽くしてもらえば、すべて丸く収まるじゃない!」
ネットワーカーな私は異世界でも不労所得で生きたい 悪役令嬢として婚約破棄を狙ったら、王家全員に謙虚な聖女と勘違いされて外堀を埋められました
来栖とむ
ファンタジー
「私の目標は、十七歳での完全リタイア。――それ以外はすべて『ノイズ』ですわ」
ブラックIT企業のネットワークエンジニア兼、ガチ投資家だった前世を持つ公爵令嬢リゼット。 彼女が転生したのは、十七歳の誕生日に「断罪」が待ち受ける乙女ゲームの世界だった。
「婚約破棄? 結構です。むしろ退職金(慰謝料)をいただけます?」
死を回避し、優雅な不労所得生活(FIRE)を手に入れるため、リゼットは前世の知識をフル稼働させる。
魔法を「論理回路」としてハックし、物理法則をデバッグ。
投資理論で王国の経済を掌握し、政治的リスクを徹底的にヘッジ。
……はずだったのに。 面倒を避けるために効率化した魔法は「神業」と称えられ、 資産を守るために回避した戦争は「救国の奇跡」と呼ばれ、 気づけば「沈黙の賢者」として全国民から崇拝されるハメに!?
さらには、攻略対象の王子からは「重すぎる信仰」を向けられ、 ライバルのはずのヒロインは「狂信的な弟子」へとジョブチェンジ。
世界という名のバックエンドをデバッグした結果、リゼットは「世界の管理者(創造主代行)」として、永遠のメンテナンス業務に強制就職(王妃確定)させられそうになっていて――!?
「勘弁して。私の有給休暇(隠居生活)はどこにあるのよ!!」
投資家令嬢リゼットによる、勘違いと爆速の隠居(できない)生活、ここに開幕!
悪役令嬢の身代わりで追放された侍女、北の地で才能を開花させ「氷の公爵」を溶かす
黒崎隼人
ファンタジー
「お前の罪は、万死に値する!」
公爵令嬢アリアンヌの罪をすべて被せられ、侍女リリアは婚約破棄の茶番劇のスケープゴートにされた。
忠誠を尽くした主人に裏切られ、誰にも信じてもらえず王都を追放される彼女に手を差し伸べたのは、彼女を最も蔑んでいたはずの「氷の公爵」クロードだった。
「君が犯人でないことは、最初から分かっていた」
冷徹な仮面の裏に隠された真実と、予想外の庇護。
彼の領地で、リリアは内に秘めた驚くべき才能を開花させていく。
一方、有能な「影」を失った王太子と悪役令嬢は、自滅の道を転がり落ちていく。
これは、地味な侍女が全てを覆し、世界一の愛を手に入れる、痛快な逆転シンデレラストーリー。
転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。
ラム猫
恋愛
異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。
『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。
しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。
彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。
※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。
まず、後宮に入れませんっ! ~悪役令嬢として他の国に嫁がされましたが、何故か荷物から勇者の剣が出てきたので、魔王を倒しに行くことになりました
菱沼あゆ
ファンタジー
妹の婚約者を狙う悪女だと罵られ、国を追い出された王女フェリシア。
残忍で好色だと評判のトレラント王のもとに嫁ぐことになるが。
何故か、輿入れの荷物の中には、勇者の剣が入っていた。
後宮にも入れず、魔王を倒しに行くことになったフェリシアは――。
(小説家になろうでも掲載しています)
モブ転生とはこんなもの
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
あたしはナナ。貧乏伯爵令嬢で転生者です。
乙女ゲームのプロローグで死んじゃうモブに転生したけど、奇跡的に助かったおかげで現在元気で幸せです。
今ゲームのラスト近くの婚約破棄の現場にいるんだけど、なんだか様子がおかしいの。
いったいどうしたらいいのかしら……。
現在筆者の時間的かつ体力的に感想などを受け付けない設定にしております。
どうぞよろしくお願いいたします。
他サイトでも公開しています。
幼馴染みが描いた悪役令嬢ものの世界に「メイド」として転生したので、6年後の断罪イベントをどうにか回避したい
ゆずまめ鯉
恋愛
通勤途中、猫好きではないのに轢かれそうな黒猫をうっかり助けてしまい、死んでしまった主人公──水縞あいり(26)
鳥の囀りで目を覚ますとそこは天国……ではなく知らない天井だった。
狭い個室にはメイド服がかかっている。
とりあえず着替えて備えつけの鏡を見ると、そこには十代前半くらいの子どもの姿があった。
「この顔……どこか見覚えが……」
幼馴染みで漫画家、ミツルギサイチ(御剣才知)が描く、人気漫画「悪役令嬢が断罪されるまで」の登場人物だということに気がつく。
名前はミレア・ホルダー(本名はミレア・ウィン・ティルベリー)
没落貴族の令嬢で、現在、仕えているフランドル侯爵によって領地と洋館を奪われ、復讐のために、フランドル侯爵の長女イザベラが悪役令嬢になるのを止めず、むしろ後押しして見事断罪されてしまうキャラだった。
原作は未完だが、相談を受けていたのでどういう結末を迎えるのか知っている。
「二期アニメもまだ見てないし、どうせ転生するなら村人Aとかヒロインの母親がよかった……!!」
幼馴染みの描く世界に転生してしまった水縞あいり=ミレアが、フランドル侯爵家で断罪回避するべく、イザベラをどうにかお淑やかな女性になるように導いている途中。
病弱で原作だと生死不明になる、イザベラの腹違いの兄エミールに、協力してもらっているうちに求愛されていることに気づいてしまい──。
エミール・ディ・フランドル(20)×ミレア・ウィン・ティルベリー(18)
全30話の予定で現在、執筆中です。2月下旬に完結予定です。
タイトルや内容が変更になる場合もあります。ご了承ください。
悪役令嬢ですが、二度目は無能で通します……なので執事は黙っててください
放浪人
恋愛
社交界で“悪女”と呼ばれ、無実の罪で断罪された公爵令嬢リディア。
処刑の刃が落ちた瞬間、彼女は断罪される半年前の朝に時を遡っていた。
「二度目も殺されるなんて御免だわ。私は、何もできない無能な令嬢になって生き延びる!」
有能さが仇になったと悟ったリディアは、プライドも実績も捨てて「無能」を装い、北の辺境・白夜領へ引きこもる計画を立てる。
これで平和なスローライフが送れる……はずだった。
けれど、幼い頃から仕える専属執事・レージだけは誤魔化せない。
彼はリディアの嘘を最初から見抜いているくせに、涼しい顔で「無能な主人」を完璧に演じさせてくれないのだ。
「黙っててと言いましたよね?」
「ええ。ですから黙って、あなたが快適に過ごせるよう裏ですべて処理しておきました」
過保護すぎる執事に管理され、逃げ道を塞がれながらも、リディアは持ち前の正義感で領地の危機を次々と救ってしまう。
隠したいのに、有能さがダダ漏れ。
そうこうするうちに王都からは聖女と王太子の魔の手が迫り――?
「守られるだけはもう終わり。……レージ、私に力を貸しなさい」
これは、一度死んだ令嬢が「言葉」と「誇り」を取り戻し、過保護な執事の手を振りほどいて、対等なパートナーとして共に幸せを掴み取るまでの物語。