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第3話「氷の公爵からの申し出」
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もはや、この場所に私の居場所はない。
一刻も早く立ち去りたいのに、足が縫い付けられたように動かない。
エドワード殿下とエリアナは、まるで悲劇のヒーローとヒロインのように寄り添い、同情的な貴族たちに囲まれている。
あの輪の中心に、本来なら私がいるはずだった。
込み上げてくる涙を、必死に喉の奥で押しとどめる。
みっともない姿だけは、晒したくない。
その時だった。
「――茶番は終わりか」
凛と響く、低く静かな声。
それは、パーティーの喧騒を一瞬で凍りつかせるほどの、絶対的な響きを持っていた。
ざわめきが波のように引いていく。
人々の視線が、声の主へと一斉に注がれた。
そこに立っていたのは、一人の青年。
夜の闇を溶かし込んだような黒髪に、怜悧な光を宿す銀の瞳。彫像のように整った顔立ちは、人間離れした美しさをたたえているけれど、その表情は絶対零度の氷のように、一切の感情を映していなかった。
アシュフォード公爵家当主、キリアン・アシュフォード。
若くして公爵位を継ぎ、その冷徹さと完璧な仕事ぶりから『氷の公爵』と畏れられる人物。
社交界には滅多に顔を出さない彼が、なぜここに。
キリアン様は、ゆっくりとした歩みで、人々の間を割って進んでくる。
その足音が向かう先は、エドワード殿下――ではなく、私の前だった。
銀の瞳が、私をまっすぐに見つめている。
吸い込まれそうなほど深いその色に、心臓が大きく跳ねた。
どうして、私に……?
彼とは、挨拶を交わしたことがある程度で、個人的な接点など何もないはずだ。
「アシュフォード公爵。どういうつもりだ」
エドワード殿下が、不快感を隠しもせずに声を荒らげる。
王太子である自分を差し置いて、断罪された令嬢に歩み寄ったことが気に食わないのだろう。
キリアン様は、殿下を一瞥すらせず、その視線を私に固定したまま、静かに口を開いた。
「ヴァインベルク嬢。王太子殿下は、君との婚約を破棄すると言われた。間違いないか」
「……はい」
かろうじて、そう答える。
彼の声には、不思議な力があった。逆らうことを許さない、静かな圧。
「君は、その決定を受け入れるのだな」
「……受け入れるしか、ありません」
「そうか」
短い肯定。
彼は何を考えているのだろう。まさか、私をさらに貶めるために出てきたのだろうか。
最悪の想像が頭をよぎり、ぎゅっと目を閉じた。
次の瞬間、私の耳に届いたのは、想像とはまったく違う、信じられない言葉だった。
「ならば、俺が君を娶ろう」
『……え?』
時が、止まった。
ホールにいた誰もが、息をのむのがわかった。
エドワード殿下も、エリアナも、私を嘲笑っていた令嬢たちも、全員が信じられないものを見るような目で、キリアン様と私を交互に見ている。
私も、同じだった。
今、この人は何と言った?
娶る? 誰を? この、私を?
「な……何を馬鹿なことを言っている、アシュフォード公爵! 彼女は罪人だぞ!」
エドワード殿下が、狼狽したように叫ぶ。
その声で、ようやく現実感が戻ってきた。
キリアン様は、そこで初めてゆっくりと殿下の方へ顔を向けた。その銀の瞳には、あからさまな軽蔑の色が浮かんでいる。
「罪人? 法廷で裁かれたわけでもないのに、ずいぶんと断定的な物言いだな、殿下。あなたの言葉一つで、人の罪が決まるのですか。この国は、いつから独裁国家になったのです?」
氷のように冷たい声が、殿下の言葉を切り捨てる。
その威圧感に、エドワード殿下はぐっと言葉を詰まらせた。
キリアン様は再び私に向き直ると、驚きで固まっている私に向かって、すっと手を差し伸べた。
白い手袋に包まれた、美しい指先。
「リゼット・フォン・ヴァインベルク。俺の妻になる気はあるか」
今度は、はっきりと私の名を呼んだ。
これは夢ではない。幻でもない。
目の前で、氷の公爵が、私に求婚している。
どうして。なぜ。
疑問ばかりが渦巻いて、言葉にならない。
でも、差し伸べられたその手は、暗い海の底に沈んでいく私を引き上げてくれる、たった一本の光の糸のように見えた。
これを掴まなければ、私はもう、二度と浮上できない。
本能が、そう告げていた。
震える指先を、恐る恐る伸ばす。
私の指が彼の手袋に触れた瞬間、キリアン様は力強くその手を取り、ぐっと私を自分の腕の中へと引き寄せた。
ふわりと、冬の森のような、清廉な香りがする。
彼の硬い胸板に抱きとめられ、私はただ呆然と、彼の顔を見上げるしかなかった。
「異論は認めない。彼女は今日から、俺の婚約者だ」
キリアン様の宣言が、静まり返ったホールに、絶対的な真実として響き渡った。
一刻も早く立ち去りたいのに、足が縫い付けられたように動かない。
エドワード殿下とエリアナは、まるで悲劇のヒーローとヒロインのように寄り添い、同情的な貴族たちに囲まれている。
あの輪の中心に、本来なら私がいるはずだった。
込み上げてくる涙を、必死に喉の奥で押しとどめる。
みっともない姿だけは、晒したくない。
その時だった。
「――茶番は終わりか」
凛と響く、低く静かな声。
それは、パーティーの喧騒を一瞬で凍りつかせるほどの、絶対的な響きを持っていた。
ざわめきが波のように引いていく。
人々の視線が、声の主へと一斉に注がれた。
そこに立っていたのは、一人の青年。
夜の闇を溶かし込んだような黒髪に、怜悧な光を宿す銀の瞳。彫像のように整った顔立ちは、人間離れした美しさをたたえているけれど、その表情は絶対零度の氷のように、一切の感情を映していなかった。
アシュフォード公爵家当主、キリアン・アシュフォード。
若くして公爵位を継ぎ、その冷徹さと完璧な仕事ぶりから『氷の公爵』と畏れられる人物。
社交界には滅多に顔を出さない彼が、なぜここに。
キリアン様は、ゆっくりとした歩みで、人々の間を割って進んでくる。
その足音が向かう先は、エドワード殿下――ではなく、私の前だった。
銀の瞳が、私をまっすぐに見つめている。
吸い込まれそうなほど深いその色に、心臓が大きく跳ねた。
どうして、私に……?
彼とは、挨拶を交わしたことがある程度で、個人的な接点など何もないはずだ。
「アシュフォード公爵。どういうつもりだ」
エドワード殿下が、不快感を隠しもせずに声を荒らげる。
王太子である自分を差し置いて、断罪された令嬢に歩み寄ったことが気に食わないのだろう。
キリアン様は、殿下を一瞥すらせず、その視線を私に固定したまま、静かに口を開いた。
「ヴァインベルク嬢。王太子殿下は、君との婚約を破棄すると言われた。間違いないか」
「……はい」
かろうじて、そう答える。
彼の声には、不思議な力があった。逆らうことを許さない、静かな圧。
「君は、その決定を受け入れるのだな」
「……受け入れるしか、ありません」
「そうか」
短い肯定。
彼は何を考えているのだろう。まさか、私をさらに貶めるために出てきたのだろうか。
最悪の想像が頭をよぎり、ぎゅっと目を閉じた。
次の瞬間、私の耳に届いたのは、想像とはまったく違う、信じられない言葉だった。
「ならば、俺が君を娶ろう」
『……え?』
時が、止まった。
ホールにいた誰もが、息をのむのがわかった。
エドワード殿下も、エリアナも、私を嘲笑っていた令嬢たちも、全員が信じられないものを見るような目で、キリアン様と私を交互に見ている。
私も、同じだった。
今、この人は何と言った?
娶る? 誰を? この、私を?
「な……何を馬鹿なことを言っている、アシュフォード公爵! 彼女は罪人だぞ!」
エドワード殿下が、狼狽したように叫ぶ。
その声で、ようやく現実感が戻ってきた。
キリアン様は、そこで初めてゆっくりと殿下の方へ顔を向けた。その銀の瞳には、あからさまな軽蔑の色が浮かんでいる。
「罪人? 法廷で裁かれたわけでもないのに、ずいぶんと断定的な物言いだな、殿下。あなたの言葉一つで、人の罪が決まるのですか。この国は、いつから独裁国家になったのです?」
氷のように冷たい声が、殿下の言葉を切り捨てる。
その威圧感に、エドワード殿下はぐっと言葉を詰まらせた。
キリアン様は再び私に向き直ると、驚きで固まっている私に向かって、すっと手を差し伸べた。
白い手袋に包まれた、美しい指先。
「リゼット・フォン・ヴァインベルク。俺の妻になる気はあるか」
今度は、はっきりと私の名を呼んだ。
これは夢ではない。幻でもない。
目の前で、氷の公爵が、私に求婚している。
どうして。なぜ。
疑問ばかりが渦巻いて、言葉にならない。
でも、差し伸べられたその手は、暗い海の底に沈んでいく私を引き上げてくれる、たった一本の光の糸のように見えた。
これを掴まなければ、私はもう、二度と浮上できない。
本能が、そう告げていた。
震える指先を、恐る恐る伸ばす。
私の指が彼の手袋に触れた瞬間、キリアン様は力強くその手を取り、ぐっと私を自分の腕の中へと引き寄せた。
ふわりと、冬の森のような、清廉な香りがする。
彼の硬い胸板に抱きとめられ、私はただ呆然と、彼の顔を見上げるしかなかった。
「異論は認めない。彼女は今日から、俺の婚約者だ」
キリアン様の宣言が、静まり返ったホールに、絶対的な真実として響き渡った。
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