婚約破棄されて追放寸前だったのに、なぜか冷徹なはずの氷の公爵様から世界で一番甘く愛されています。

黒崎隼人

文字の大きさ
6 / 16

第5話「始まりの溺愛と見えない真意」

しおりを挟む
 アシュフォード公爵邸での生活は、夢の中にいるように穏やかだった。
 目が覚めると、朝日がレースのカーテン越しに柔らかく差し込んでいる。アンナが用意してくれた着心地の良い室内着に着替え、階下のダイニングへ向かう。
 そこには、いつもキリアン様が待っていた。

「おはよう、リゼット。よく眠れたか」

「はい、おはようございます。キリアン様」

 二人きりの朝食。
 最初は緊張で喉を通らなかったけれど、彼が無理に話しかけるでもなく、静かに食事を進めるため、私も少しずつリラックスできるようになった。
 並べられる料理は、どれも私の好きなものばかりだった。
 子供の頃、母がよく作ってくれたカボチャのポタージュ。甘さ控えめのベリーのジャム。
 偶然とは思えなかった。

 食事を終えると、彼は私に言う。
「今日は何をして過ごす? 図書室には新しい本が入っているし、庭の散策もいいだろう。もし望むなら、街へ買い物に行っても構わない」

 まるで、壊れ物に触れるかのような、慎重で優しい口調。
 公爵邸のどこへ行っても、何をしても自由。誰にも咎められることはない。
 その過保護ともいえる扱いに、私の戸惑いは日増しに大きくなっていった。

 ある日の午後、私はキリアン様に呼び出され、彼の執務室を訪れた。

「これを、君に」

 彼が差し出したのは、大きな箱。
 開けてみると、中には息をのむほど美しい、夜空色のドレスが入っていた。滑らかなシルクの生地に、銀糸で繊細な星の刺繍が施されている。

「まあ……綺麗……」

「次の王宮主催の夜会で着るといい。君に似合うと思って、仕立てさせた」

「ですが、私は王宮への出入りを禁止されて……」

「心配いらない。俺の婚約者として行くのだから、誰も文句は言えん」

 当たり前のように言うけれど、それはとてつもないことだ。王太子の決定を、公爵の権力で覆すというのだから。
 彼は、私のためにそこまでしてくれるというのだろうか。

 ドレスだけではなかった。
 それに合わせて、と出された宝石箱には、星屑を散りばめたようなダイヤモンドのネックレスとイヤリングが輝いていた。
 高価すぎる贈り物に、私は思わず首を横に振る。

「いただけません。こんなに素晴らしいものを、私にはもったいないです」

「なぜだ? これらは全て、君が身につけるために用意されたものだ。君以上に、この宝石にふさわしい女性を俺は知らない」

 銀色の瞳が、まっすぐに私を見つめてくる。
 その瞳に嘘の色はなく、ただ静かな真実だけが映っていた。
 どうして、ここまでしてくれるのだろう。
 まるで、ずっと前から私のことを知っていて、大切に思ってくれていたかのような……。

「……キリアン様は、私の何をご存知なのですか?」

 思わず、心の声が漏れた。
 彼は少しだけ目を見開いた後、ふっと、ほんのわずかに口元を緩めた。
 彼が笑ったのを、私は初めて見たかもしれない。

「君が思うよりも、ずっと多くのことを」

 そう言って、彼は私の頬にそっと触れた。
 大きな、少しだけ骨ばった指先。その触れた場所から、熱がじわりと広がっていく。
 心臓が、トクン、と大きく鳴った。

『この人は、本当に何を考えているのだろう』

 彼のくれる優しさは、甘く、心地よい。
 でも、その理由がわからないから、素直に受け取ることができずに怖くなる。
 この甘い時間は、いつか覚めてしまう夢なのではないか。
 婚約破棄の傷は、まだ私の心に深く残っている。
 人を信じるのが、怖い。
 特に、理由のわからない優しさを向けられるのが、何よりも。

 その夜、私は眠れずに、部屋のバルコニーに出て夜風にあたっていた。
 すると、階下の庭から、キリアン様の声が聞こえてきた。相手は、あの初老の執事のようだ。

「……リゼット様の様子は、どうだ」
「はい。まだ少しお疲れのようですが、アンナとも話され、少しずつ笑顔が見られるようになりました」
「そうか……。長年、遠くから見ていることしかできなかった。ようやくこの手に守れると思ったのに、俺のやり方は、彼女を不安にさせているかもしれんな」

 彼の、独り言のようなつぶやき。
『長年、遠くから見ていた?』
 その言葉が、私の胸に深く突き刺さった。

 彼は、私のことを本当に昔から知っていた?
 それは、一体いつから――?
 謎は深まるばかり。
 でも、彼の声に含まれた、ほんの少しの後悔と、隠しきれない慈しみの響きに、私の心はまた、大きく揺さぶられるのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄されたので、前世の知識で無双しますね?

ほーみ
恋愛
「……よって、君との婚約は破棄させてもらう!」  華やかな舞踏会の最中、婚約者である王太子アルベルト様が高らかに宣言した。  目の前には、涙ぐみながら私を見つめる金髪碧眼の美しい令嬢。確か侯爵家の三女、リリア・フォン・クラウゼルだったかしら。  ──あら、デジャヴ? 「……なるほど」

辺境に追放されたガリガリ令嬢ですが、助けた男が第三王子だったので人生逆転しました。~実家は危機ですが、助ける義理もありません~

香木陽灯
恋愛
 「そんなに気に食わないなら、お前がこの家を出ていけ!」  実の父と義妹に虐げられ、着の身着のままで辺境のボロ家に追放された伯爵令嬢カタリーナ。食べるものもなく、泥水のようなスープですすり、ガリガリに痩せ細った彼女が庭で拾ったのは、金色の瞳を持つ美しい男・ギルだった。  「……見知らぬ人間を招き入れるなんて、馬鹿なのか?」  「一人で食べるのは味気ないわ。手当てのお礼に一緒に食べてくれると嬉しいんだけど」  二人の奇妙な共同生活が始まる。ギルが獲ってくる肉を食べ、共に笑い、カタリーナは本来の瑞々しい美しさを取り戻していく。しかしカタリーナは知らなかった。彼が王位継承争いから身を隠していた最強の第三王子であることを――。 ※ふんわり設定です。 ※他サイトにも掲載中です。

幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。

灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。 曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。 婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。 前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。

【完結】愛で結ばれたはずの夫に捨てられました

ユユ
恋愛
「出て行け」 愛を囁き合い、祝福されずとも全てを捨て 結ばれたはずだった。 「金輪際姿を表すな」 義父から嫁だと認めてもらえなくても 義母からの仕打ちにもメイド達の嫌がらせにも 耐えてきた。 「もうおまえを愛していない」 結婚4年、やっと待望の第一子を産んだ。 義務でもあった男児を産んだ。 なのに 「不義の子と去るがいい」 「あなたの子よ!」 「私の子はエリザベスだけだ」 夫は私を裏切っていた。 * 作り話です * 3万文字前後です * 完結保証付きです * 暇つぶしにどうぞ

「お前との婚約はなかったことに」と言われたので、全財産持って逃げました

ほーみ
恋愛
 その日、私は生まれて初めて「人間ってここまで自己中心的になれるんだ」と知った。 「レイナ・エルンスト。お前との婚約は、なかったことにしたい」  そう言ったのは、私の婚約者であり王太子であるエドワルド殿下だった。 「……は?」  まぬけな声が出た。無理もない。私は何の前触れもなく、突然、婚約を破棄されたのだから。

兄のお嫁さんに嫌がらせをされるので、全てを暴露しようと思います

きんもくせい
恋愛
リルベール侯爵家に嫁いできた子爵令嬢、ナタリーは、最初は純朴そうな少女だった。積極的に雑事をこなし、兄と仲睦まじく話す彼女は、徐々に家族に受け入れられ、気に入られていく。しかし、主人公のソフィアに対しては冷たく、嫌がらせばかりをしてくる。初めは些細なものだったが、それらのいじめは日々悪化していき、痺れを切らしたソフィアは、両家の食事会で……

無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……

タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

処理中です...