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第5話「始まりの溺愛と見えない真意」
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アシュフォード公爵邸での生活は、夢の中にいるように穏やかだった。
目が覚めると、朝日がレースのカーテン越しに柔らかく差し込んでいる。アンナが用意してくれた着心地の良い室内着に着替え、階下のダイニングへ向かう。
そこには、いつもキリアン様が待っていた。
「おはよう、リゼット。よく眠れたか」
「はい、おはようございます。キリアン様」
二人きりの朝食。
最初は緊張で喉を通らなかったけれど、彼が無理に話しかけるでもなく、静かに食事を進めるため、私も少しずつリラックスできるようになった。
並べられる料理は、どれも私の好きなものばかりだった。
子供の頃、母がよく作ってくれたカボチャのポタージュ。甘さ控えめのベリーのジャム。
偶然とは思えなかった。
食事を終えると、彼は私に言う。
「今日は何をして過ごす? 図書室には新しい本が入っているし、庭の散策もいいだろう。もし望むなら、街へ買い物に行っても構わない」
まるで、壊れ物に触れるかのような、慎重で優しい口調。
公爵邸のどこへ行っても、何をしても自由。誰にも咎められることはない。
その過保護ともいえる扱いに、私の戸惑いは日増しに大きくなっていった。
ある日の午後、私はキリアン様に呼び出され、彼の執務室を訪れた。
「これを、君に」
彼が差し出したのは、大きな箱。
開けてみると、中には息をのむほど美しい、夜空色のドレスが入っていた。滑らかなシルクの生地に、銀糸で繊細な星の刺繍が施されている。
「まあ……綺麗……」
「次の王宮主催の夜会で着るといい。君に似合うと思って、仕立てさせた」
「ですが、私は王宮への出入りを禁止されて……」
「心配いらない。俺の婚約者として行くのだから、誰も文句は言えん」
当たり前のように言うけれど、それはとてつもないことだ。王太子の決定を、公爵の権力で覆すというのだから。
彼は、私のためにそこまでしてくれるというのだろうか。
ドレスだけではなかった。
それに合わせて、と出された宝石箱には、星屑を散りばめたようなダイヤモンドのネックレスとイヤリングが輝いていた。
高価すぎる贈り物に、私は思わず首を横に振る。
「いただけません。こんなに素晴らしいものを、私にはもったいないです」
「なぜだ? これらは全て、君が身につけるために用意されたものだ。君以上に、この宝石にふさわしい女性を俺は知らない」
銀色の瞳が、まっすぐに私を見つめてくる。
その瞳に嘘の色はなく、ただ静かな真実だけが映っていた。
どうして、ここまでしてくれるのだろう。
まるで、ずっと前から私のことを知っていて、大切に思ってくれていたかのような……。
「……キリアン様は、私の何をご存知なのですか?」
思わず、心の声が漏れた。
彼は少しだけ目を見開いた後、ふっと、ほんのわずかに口元を緩めた。
彼が笑ったのを、私は初めて見たかもしれない。
「君が思うよりも、ずっと多くのことを」
そう言って、彼は私の頬にそっと触れた。
大きな、少しだけ骨ばった指先。その触れた場所から、熱がじわりと広がっていく。
心臓が、トクン、と大きく鳴った。
『この人は、本当に何を考えているのだろう』
彼のくれる優しさは、甘く、心地よい。
でも、その理由がわからないから、素直に受け取ることができずに怖くなる。
この甘い時間は、いつか覚めてしまう夢なのではないか。
婚約破棄の傷は、まだ私の心に深く残っている。
人を信じるのが、怖い。
特に、理由のわからない優しさを向けられるのが、何よりも。
その夜、私は眠れずに、部屋のバルコニーに出て夜風にあたっていた。
すると、階下の庭から、キリアン様の声が聞こえてきた。相手は、あの初老の執事のようだ。
「……リゼット様の様子は、どうだ」
「はい。まだ少しお疲れのようですが、アンナとも話され、少しずつ笑顔が見られるようになりました」
「そうか……。長年、遠くから見ていることしかできなかった。ようやくこの手に守れると思ったのに、俺のやり方は、彼女を不安にさせているかもしれんな」
彼の、独り言のようなつぶやき。
『長年、遠くから見ていた?』
その言葉が、私の胸に深く突き刺さった。
彼は、私のことを本当に昔から知っていた?
それは、一体いつから――?
謎は深まるばかり。
でも、彼の声に含まれた、ほんの少しの後悔と、隠しきれない慈しみの響きに、私の心はまた、大きく揺さぶられるのだった。
目が覚めると、朝日がレースのカーテン越しに柔らかく差し込んでいる。アンナが用意してくれた着心地の良い室内着に着替え、階下のダイニングへ向かう。
そこには、いつもキリアン様が待っていた。
「おはよう、リゼット。よく眠れたか」
「はい、おはようございます。キリアン様」
二人きりの朝食。
最初は緊張で喉を通らなかったけれど、彼が無理に話しかけるでもなく、静かに食事を進めるため、私も少しずつリラックスできるようになった。
並べられる料理は、どれも私の好きなものばかりだった。
子供の頃、母がよく作ってくれたカボチャのポタージュ。甘さ控えめのベリーのジャム。
偶然とは思えなかった。
食事を終えると、彼は私に言う。
「今日は何をして過ごす? 図書室には新しい本が入っているし、庭の散策もいいだろう。もし望むなら、街へ買い物に行っても構わない」
まるで、壊れ物に触れるかのような、慎重で優しい口調。
公爵邸のどこへ行っても、何をしても自由。誰にも咎められることはない。
その過保護ともいえる扱いに、私の戸惑いは日増しに大きくなっていった。
ある日の午後、私はキリアン様に呼び出され、彼の執務室を訪れた。
「これを、君に」
彼が差し出したのは、大きな箱。
開けてみると、中には息をのむほど美しい、夜空色のドレスが入っていた。滑らかなシルクの生地に、銀糸で繊細な星の刺繍が施されている。
「まあ……綺麗……」
「次の王宮主催の夜会で着るといい。君に似合うと思って、仕立てさせた」
「ですが、私は王宮への出入りを禁止されて……」
「心配いらない。俺の婚約者として行くのだから、誰も文句は言えん」
当たり前のように言うけれど、それはとてつもないことだ。王太子の決定を、公爵の権力で覆すというのだから。
彼は、私のためにそこまでしてくれるというのだろうか。
ドレスだけではなかった。
それに合わせて、と出された宝石箱には、星屑を散りばめたようなダイヤモンドのネックレスとイヤリングが輝いていた。
高価すぎる贈り物に、私は思わず首を横に振る。
「いただけません。こんなに素晴らしいものを、私にはもったいないです」
「なぜだ? これらは全て、君が身につけるために用意されたものだ。君以上に、この宝石にふさわしい女性を俺は知らない」
銀色の瞳が、まっすぐに私を見つめてくる。
その瞳に嘘の色はなく、ただ静かな真実だけが映っていた。
どうして、ここまでしてくれるのだろう。
まるで、ずっと前から私のことを知っていて、大切に思ってくれていたかのような……。
「……キリアン様は、私の何をご存知なのですか?」
思わず、心の声が漏れた。
彼は少しだけ目を見開いた後、ふっと、ほんのわずかに口元を緩めた。
彼が笑ったのを、私は初めて見たかもしれない。
「君が思うよりも、ずっと多くのことを」
そう言って、彼は私の頬にそっと触れた。
大きな、少しだけ骨ばった指先。その触れた場所から、熱がじわりと広がっていく。
心臓が、トクン、と大きく鳴った。
『この人は、本当に何を考えているのだろう』
彼のくれる優しさは、甘く、心地よい。
でも、その理由がわからないから、素直に受け取ることができずに怖くなる。
この甘い時間は、いつか覚めてしまう夢なのではないか。
婚約破棄の傷は、まだ私の心に深く残っている。
人を信じるのが、怖い。
特に、理由のわからない優しさを向けられるのが、何よりも。
その夜、私は眠れずに、部屋のバルコニーに出て夜風にあたっていた。
すると、階下の庭から、キリアン様の声が聞こえてきた。相手は、あの初老の執事のようだ。
「……リゼット様の様子は、どうだ」
「はい。まだ少しお疲れのようですが、アンナとも話され、少しずつ笑顔が見られるようになりました」
「そうか……。長年、遠くから見ていることしかできなかった。ようやくこの手に守れると思ったのに、俺のやり方は、彼女を不安にさせているかもしれんな」
彼の、独り言のようなつぶやき。
『長年、遠くから見ていた?』
その言葉が、私の胸に深く突き刺さった。
彼は、私のことを本当に昔から知っていた?
それは、一体いつから――?
謎は深まるばかり。
でも、彼の声に含まれた、ほんの少しの後悔と、隠しきれない慈しみの響きに、私の心はまた、大きく揺さぶられるのだった。
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