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第2話「辺境への旅路と、父が託した一粒の希望」
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婚約破棄と追放宣告から数日後のある早朝。
夜が明けきらない薄闇の中、私はリッテンハイム公爵邸の裏口にひっそりと立っていた。正式に実家からも勘当された私に与えられたのは、動きやすいがみすぼらしい旅装束と、最低限の生活費が入った袋、そして乗り合いに使われるような質素な一台の馬車だけ。
(まあ、十分すぎるわね)
追放される身としては破格の待遇だろう。これも、冷徹に見えて甘い父の、最後の親心なのかもしれない。誰一人見送る者もいないと思っていた。それでよかった。感傷的な別れは、これからの新生活には似合わない。
そう思って馬車に乗り込もうとした、その時だった。
「エリアーナ」
背後からかけられた低い声に、私は弾かれたように振り返る。そこに立っていたのは、父、アルベルト・フォン・リッテンハイム公爵その人だった。いつもと変わらない厳格で冷徹な表情。けれど、その手には革の小袋が握られていた。
「これを持っていきなさい」
無言で差し出された小袋を受け取ると、ずしりと重みを感じた。中を覗くと、見たこともない黒く光る小さな種が数十粒入っていた。
「これは……?」
「……お守りだ」
父はそれ以上何も言わず、ただ私の目を見つめた。その瞳の奥には、夜会の時と同じ、苦悩と、そして何かを託すような強い光が宿っていた。
「生きてさえいればいい。お前のやりたいように生きなさい」
それだけを告げると、父はくるりと背を向け、屋敷の中へと戻っていく。その大きな背中に、私は声もなく、深く、深く頭を下げた。涙がこぼれそうになるのをぐっと堪える。ありがとう、お父様。私は元気に生きていきます。あなたの娘としてではなく、ただの一人の人間として。
王都を出てから数週間、辺境への旅路は想像以上に過酷だった。舗装された街道はいつしか獣道に変わり、馬車の揺れは内臓を揺さぶるほど激しくなる。すれ違う人々の身なりは日に日に質素になり、色とりどりの花が咲き誇っていた景色は、灰色の岩と痩せた木々が目立つ荒涼とした風景へと変わっていった。
空気が冷たく、濃い霧が立ち込めるようになってきた頃、御者がぶっきらぼうに言った。
「お嬢様、着きましたぜ。ここが『霧の谷』だ」
馬車を降りて見渡した光景に、私は思わず息をのんだ。深い谷底に、へばりつくようにして数軒の家々が点在している。どの家も古びていて、畑らしき場所も石ころだらけでとても作物が育つようには見えない。村全体が活気を失い、まるで時間が止まってしまったかのようだった。
私の到着に気づいた村人たちが、家の戸口から遠巻きにこちらを窺っている。その視線は、よそ者への警戒心と、元貴族、それも王太子から見放された『悪女』への冷ややかな好奇心に満ちていた。
村の代表らしい老人に案内された家は、今にも崩れそうな廃屋だった。壁には穴が空き、屋根からは光が漏れている。家の裏手にあるという畑は、もはや石ころの山だ。
「へっ、お貴族様にはお似合いの城ですな」
老人はそう吐き捨てると、さっさと去っていった。
一人残された私は、しかし、絶望するどころか、目の前に広がる光景に胸を高鳴らせていた。
(すごい……なんて素晴らしい研究対象なの!)
廃屋の修理、石だらけの畑の開墾、痩せ切った土壌の改良。やるべきことは山積みだ。前世の知識と経験が、私の血を沸き立たせる。ぎゅっと、父から渡された種の入った小袋を握りしめた。
これは破滅なんかじゃない。これは、私だけの楽園を作るための、輝かしい新たな人生の始まりなのだ。
「さあ、始めましょうか!」
私は腕まくりをすると、まずは目の前の石だらけの荒れ地へと、力強い一歩を踏み出したのだった。
夜が明けきらない薄闇の中、私はリッテンハイム公爵邸の裏口にひっそりと立っていた。正式に実家からも勘当された私に与えられたのは、動きやすいがみすぼらしい旅装束と、最低限の生活費が入った袋、そして乗り合いに使われるような質素な一台の馬車だけ。
(まあ、十分すぎるわね)
追放される身としては破格の待遇だろう。これも、冷徹に見えて甘い父の、最後の親心なのかもしれない。誰一人見送る者もいないと思っていた。それでよかった。感傷的な別れは、これからの新生活には似合わない。
そう思って馬車に乗り込もうとした、その時だった。
「エリアーナ」
背後からかけられた低い声に、私は弾かれたように振り返る。そこに立っていたのは、父、アルベルト・フォン・リッテンハイム公爵その人だった。いつもと変わらない厳格で冷徹な表情。けれど、その手には革の小袋が握られていた。
「これを持っていきなさい」
無言で差し出された小袋を受け取ると、ずしりと重みを感じた。中を覗くと、見たこともない黒く光る小さな種が数十粒入っていた。
「これは……?」
「……お守りだ」
父はそれ以上何も言わず、ただ私の目を見つめた。その瞳の奥には、夜会の時と同じ、苦悩と、そして何かを託すような強い光が宿っていた。
「生きてさえいればいい。お前のやりたいように生きなさい」
それだけを告げると、父はくるりと背を向け、屋敷の中へと戻っていく。その大きな背中に、私は声もなく、深く、深く頭を下げた。涙がこぼれそうになるのをぐっと堪える。ありがとう、お父様。私は元気に生きていきます。あなたの娘としてではなく、ただの一人の人間として。
王都を出てから数週間、辺境への旅路は想像以上に過酷だった。舗装された街道はいつしか獣道に変わり、馬車の揺れは内臓を揺さぶるほど激しくなる。すれ違う人々の身なりは日に日に質素になり、色とりどりの花が咲き誇っていた景色は、灰色の岩と痩せた木々が目立つ荒涼とした風景へと変わっていった。
空気が冷たく、濃い霧が立ち込めるようになってきた頃、御者がぶっきらぼうに言った。
「お嬢様、着きましたぜ。ここが『霧の谷』だ」
馬車を降りて見渡した光景に、私は思わず息をのんだ。深い谷底に、へばりつくようにして数軒の家々が点在している。どの家も古びていて、畑らしき場所も石ころだらけでとても作物が育つようには見えない。村全体が活気を失い、まるで時間が止まってしまったかのようだった。
私の到着に気づいた村人たちが、家の戸口から遠巻きにこちらを窺っている。その視線は、よそ者への警戒心と、元貴族、それも王太子から見放された『悪女』への冷ややかな好奇心に満ちていた。
村の代表らしい老人に案内された家は、今にも崩れそうな廃屋だった。壁には穴が空き、屋根からは光が漏れている。家の裏手にあるという畑は、もはや石ころの山だ。
「へっ、お貴族様にはお似合いの城ですな」
老人はそう吐き捨てると、さっさと去っていった。
一人残された私は、しかし、絶望するどころか、目の前に広がる光景に胸を高鳴らせていた。
(すごい……なんて素晴らしい研究対象なの!)
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これは破滅なんかじゃない。これは、私だけの楽園を作るための、輝かしい新たな人生の始まりなのだ。
「さあ、始めましょうか!」
私は腕まくりをすると、まずは目の前の石だらけの荒れ地へと、力強い一歩を踏み出したのだった。
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