元・小野小町の悪役令嬢、破滅回避で嫁いだ仮面公爵が実は超美形。離婚前提のはずが和歌とコスメで領地を豊かにしたら世界一溺愛されています

黒崎隼人

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第3章:荒れ地に響く、始まりの歌

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 王都を出てから何日も馬車に揺られ、ようやくたどり着いたヴォルフガング領は、想像を絶するほど寂しい土地だった。空は常に灰色で、冷たく乾いた風が吹きすさび、大地は痩せて作物の育ちも悪い。石造りの家々は古びており、道行く人々の服装も質素で、その表情には厳しい生活の影が色濃く浮かんでいた。

 領民たちは、王都からやってきた新しい公爵夫人――つまり私を、好奇と警戒の入り混じった目で見つめるだけだった。彼らにとって、私のような華やかなドレスをまとった女は、自分たちの世界とは相容れない異質な存在なのだろう。無理もない。

 ヴォルフガング城も、王都の華麗な城とは比べ物にならない、実用本位で無骨な砦といった方がしっくりくる建物だった。カイウス様は契約通り、私に城の離れにある館を一つ与えてくれた。そこでの生活は自由だったが、彼が私を訪ねてくることはなく、食事も別々。完璧なまでに、契約通りの冷たい関係が始まった。

 侍女のアンナは、「レティシア様、本当にここでやっていけるのでしょうか…」と不安げに眉を寄せている。
「大丈夫よ、アンナ。むしろ、ここからが本番だわ」
 私は少しも腐ってなどいなかった。むしろ、この荒れ果てた土地に、不思議と心が落ち着くのを感じていた。美しさで評価されることのない、ありのままの世界。

 私は質素な平民の娘のような服に着替え、アンナだけを連れて領地を見て回ることにした。
 痩せた土地、しかし人々は懸命に鍬をふるい、少ない収穫を得ようと必死だった。厳しい自然、しかしその中には、私の目から見れば宝の山が眠っていた。斜面に群生しているあの草は、前世の知識で言えば薬効の高い薬草だ。あの木になっている硬い実は、潰せば良質な油が採れるはず。

 ある日の午後、私は畑仕事の合間に、地面に座り込んで疲れ切った表情で休んでいる農夫たちの姿を見かけた。彼らの顔には深い皺が刻まれ、その手はゴツゴツと節くれ立っている。生きるための労働は、彼らから笑顔を奪ってしまっているようだった。

 私は、ふと、前世の記憶が蘇るのを感じた。言葉の力で、人の心を慰め、時に動かすことができるということを。
 私は彼らにそっと近づき、静かに声をかけた。
「皆様、毎日ご苦労様です」
 農夫たちは驚いて私を見上げたが、警戒して誰も何も言わない。

 私は構わず、目の前に広がる荒涼とした、しかし懸命に生きている大地を見つめ、静かに口を開いた。それは、この世界にはない、私の故郷の言葉で紡がれる即興の詩――和歌だった。

「ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ」

 言葉の意味は、彼らには分からないだろう。けれど、その響きに込めた想いは、きっと伝わるはずだ。――なぜこんなに穏やかな春の光の下で、桜の花は慌ただしく散っていくのだろうか。それは、次の季節への希望を繋ぐため。この厳しさの先には、必ず実りの時が来る、と。

 私の声は、乾いた風に乗って、畑に優しく響き渡った。
 農夫たちは、きょとんとした顔で私を見ていたが、やがてその険しい表情が、ほんの少しだけ和らいでいくのが分かった。言葉の意味は分からずとも、私の声に乗った祈りや癒しの響きが、彼らの疲れた心に染み渡っていったのかもしれない。
 一人の老婆が、おずおずと口を開いた。
「奥様…今の、何だか、不思議と心が安らぐ歌でしただ…」
 その一言を皮切りに、他の者たちも頷き始める。私はにっこりと微笑んだ。
「ええ。皆様の明日が、今日よりも少しでも良き日でありますように、と祈りを込めて詠みましたの」

 その日を境に、領民たちの私を見る目が少しずつ変わっていった。新しい公爵夫人は、ただ美しいだけの飾り人形ではないらしい。そんな噂が、静かに領内に広まり始めていた。

 そしてその噂は、城の本館にいるカイウス様の耳にも、もちろん届いていた。
 その夜、彼は自室の書斎で一人、部下から報告されたレティシアの行動を思い返していた。
「……ひさかたの……」
 報告書に記された、意味の分からない異国の詩。しかし、その詩を聞いた領民たちの表情が和らいだという事実。
 カイウスは仮面の下で、初めて会った時から感じていた彼女の瞳の奥の強い光を思い出していた。彼女は一体何者なのだろう。契約だけの妻のはずが、彼の心にかすかな波紋を広げ始めていた。
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