婚約破棄された元OL悪役令嬢、コンサル知識で潰れかけのギルドを王国一に再建します

黒崎隼人

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第1話「破滅フラグ回避、最初の仕事はギルド再建」

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 無数の水晶粒を散りばめたシャンデリアが、磨き上げられた大理石の床に眩い光の破片を乱反射させている。王立アカデミーの卒業記念パーティー。集うのは、この国の未来を担う若き貴族の子弟たち。軽やかなワルツの音色、華やかなドレスの擦れる音、楽しげな談笑。そのすべてが、今の私、イザベラ・フォン・ヴァイスハイトには、遠い世界の出来事のように感じられた。

 私の目の前には、このエルムガンド王国の第一王子であり、婚約者であるアルフォンスが、氷のように冷たい瞳で私を見下ろしている。彼の隣には、庇護欲をそそる可憐な男爵令嬢リリアナが、不安げに寄り添っていた。

 ああ、知っている。この光景を、私は知っている。

「イザベラ・フォン・ヴァイスハイト! お前の嫉妬深い行いは、もはや見過ごすことはできない! お前がリリアナ嬢に対して行ってきた数々の嫌がらせ、その罪は到底許されるものではない!」

 アルフォンスの声が、音楽の止んだホールに厳かに響き渡る。周囲の貴族たちが、驚きと好奇、そして侮蔑が入り混じった視線で私を射抜く。

「よって私は、お前との婚約を、今この場をもって破棄する!」

 その言葉が引き金だった。ズキリ、とこめかみが激しく痛む。視界がぐにゃりと歪み、無数の映像と情報が、濁流のように頭の中へ流れ込んできた。

(東京。高層ビル。満員電車。プレゼン用の企画書。クライアントへのプレゼン。徹夜続きのプロジェクト)

 そうだ、私は……思い出した。

 私は、イザベラであると同時に、現代日本で経営コンサルタントとして働いていた、三十代のOLだったのだ。そして、この世界は、私が前世でプレイしていた乙女ゲーム『王立アカデミーの恋詩(ラブソング)』の世界。目の前の光景は、悪役令嬢イザベラが断罪される、物語のオープニングイベントそのものだった。

 ゲームのイザベラは、この直後に王子へ暴言を吐いて騎士に取り押さえられる。そして国外追放か修道院への幽閉、という破滅の道を辿るのだ。この断罪劇を裏で糸引いていたのが、我がヴァイスハイト公爵家と対立するマルクス・フォン・シュヴァルツ侯爵。彼はこの事件をきっかけに、ヴァイスハイト家に様々な濡れ衣を着せ、ついには爵位剥奪、領地没収へと追い込む。父は心労で倒れ、母は悲しみに暮れ、まだ幼い弟はどこかへ養子に出される……。

 冗談じゃない。そんな未来、絶対に受け入れてなるものか。

 脳裏を駆け巡る破滅のシナリオを、奥歯を噛み締めて振り払う。全身から血の気が引くような恐怖と、腹の底から湧き上がる怒り。そして、コンサルタントとして幾多の窮地を乗り越えてきた、冷静な思考が頭をもたげた。

(現状分析。敵はシュヴァルツ侯爵。目的はヴァイスハイト家の失脚。婚約破棄はその第一歩。王子は完全に侯爵の嘘を信じ込んでいる。ここで感情的に反論しても、ゲームのシナリオ通りになるだけ。ならば、取るべき行動は一つ)

 彼らの予想を、期待を、シナリオを、根底から覆す一手だった。

 私は、恐怖で震える膝に力を込め、ゆっくりと顔を上げた。涙も怒りも表情から消し去り、淑女の礼法に則った、完璧なカーテシーを一つ。

「アルフォンス殿下。そのご決断、謹んでお受けいたします」

 凛と響いた私の声に、ホールが水を打ったように静まり返った。アルフォンスが、リリアナが、そして野次馬たちが、信じられないものを見るような目で私を凝視している。シナリオでは、ここで私が泣き叫ぶはずだったのだから。

「リリアナ様とのこと、心よりお祝い申し上げます。私では、殿下のお相手は務まりませんでした。どうぞ、お幸せに」

 完璧な微笑みを浮かべてみせる。アルフォンスは戸惑いを隠せないようだ。彼の正義感の強さは知っている。私がこうも潔く身を引くと、逆に自分が何か間違いを犯したのではないかと、わずかながら疑念が芽生えるはずだ。

「そ、そうか……。わかってくれれば、それでいい」

 歯切れの悪い返事をする王子を横目に、私は父であるヴァイスハイト公爵の方へ向き直った。父は、娘が公衆の面前で辱められたことに憤慨し、顔を真っ赤にしている。

「お父様」

「イザベラ、何も言うな。こんな理不尽、私が許さん!」

「いいえ、お父様。私はもう、王子の婚約者ではありません。公爵令嬢として、ただ家にいるだけの身では、ヴァイスハイト家の不名誉をすすぐことはできません」

 私は一呼吸置き、ホールにいる全員に聞こえるよう、はっきりと宣言した。

「つきましては、お父様が趣味で続けていらっしゃる冒険者ギルド『白銀の獅子』の運営を、本日よりこの私が引き継ぎたく存じます!」

 その瞬間、静寂は破られた。今度こそ、ホールは大きなざわめきに包まれた。

「ギルドだと?」

「公爵令嬢が?」

「気でも狂ったか」

 嘲笑と侮蔑が、さざ波のように広がる。無理もない。貴族の令嬢が、荒くれ者の集う冒険者ギルドの運営に携わるなど前代未聞。ましてや『白銀の獅子』は、父が道楽で始めたものの、長年の赤字経営で、いつ潰れてもおかしくないお荷物ギルドとして有名だった。

 父も驚きで目を見開いている。

「イザベラ、何を言っているんだ! あんな場所は、お前が行くようなところではない!」

「いいえ、行かせていただきます。このままでは、私はただの『王子に捨てられた女』。ですが、ギルドを立て直し、王国の発展に貢献できたなら、ヴァイスハイト家の名誉を回復することも叶いましょう。どうか、お許しください」

 私は深く頭を下げた。これは賭けだ。しかし、衆人環視のなか宣言してしまえば、父も簡単には撤回できない。何より、シュヴァルツ侯爵のシナリオから完全に逸脱できる。彼の狙いは、私とヴァイスハイト家を社交界から孤立させ、徐々に追い詰めること。ならば、こちらから社交界の外、彼の影響力が及ばぬ土俵に降りてしまえばいい。

 しばしの沈黙の後、父は深いため息をついた。

「……わかった。お前の覚悟、見届けよう。好きにするがいい」

 その許可が出た瞬間、私は踵を返し、誰にも目もくれず、毅然とした足取りでパーティー会場を後にした。背中に突き刺さる視線が心地よかった。喧騒の中に、シュヴァルツ侯爵の苦々しい顔が目に浮かぶようだった。

(第一段階クリア。破滅フラグの回避)

 さあ、ここからが本番だ。私の、本当の戦いが始まる。

***

 翌日、父から正式な委任状を受け取った私は、お気に入りのドレスではなく、動きやすい乗馬服に着替え、ヴァイスハイト公爵家の紋章が入った豪華絢爛な馬車ではなく、簡素な辻馬車で『白銀の獅子』へと向かった。ギルドがあるのは、王都の賑やかな大通りから少し外れた、職人や労働者が多く住む下町の一角だ。

 建物の前に立った瞬間、思わずため息が出た。

 二階建ての木造建築は古びて薄汚れ、看板の「白銀の獅子」の文字はかすれて読みにくい。扉を開けると、カラン、という気の抜けたベルの音が鳴り、埃と汗と安い酒の匂いが混じった空気が鼻をついた。昼間だというのに、中は薄暗い。数人の冒険者らしき男たちが、やる気なさそうにテーブルで酒を飲んでいるだけ。壁に貼られた依頼書(クエスト)は数えるほどしかなく、そのほとんどが黄ばんでいた。

 これが、私の新しい職場。

 前世で手掛けたきらびやかなオフィスビルとは、天と地ほどの差だ。だが、不思議と心は燃えていた。ゼロからのスタート、いや、マイナスからのスタート。これほどコンサルタント魂をくすぐられる案件はない。

 カウンターの奥で、帳簿を眺めて頭を抱えていた中年男性が、私の姿に気づいて顔を上げた。ギルドの数少ない職員、事務長のバルトロだ。

「お、お嬢様!? なぜこのような場所に……」

「バルトロ。話は父から聞いていますね。本日より、私がギルドマスター代理を務めます。イザベラ・フォン・ヴァイスハイトです。早速ですが、ギルドの財務状況と人員構成、現在の受注案件について、すべての資料を見せてください」

 私が淀みなくそう告げると、バルトロだけでなく、酒を飲んでいた冒険者たちも、ぽかんとした顔でこちらを見た。彼らにとって、私は「世間知らずのお姫様」が遊びに来たくらいにしか見えていないだろう。

「は、はい……こちらへどうぞ」

 バルトロに通された小さな事務所で、私は山のような羊皮紙の資料に目を通し始めた。売上、経費、冒険者の登録数、依頼の達成率……。数字は嘘をつかない。そして、そこから見えてきた現実は、想像以上に深刻だった。

(依頼が少ないから冒険者が集まらない。冒険者がいないから難しい依頼は受けられない。結果、さらに依頼が減る。典型的な負のスパイラルだ)

「まずは、この状況を打開します」

 私は立ち上がると、ギルドのホールにいる冒険者たちを呼び集めた。目の前に並んだのは、古参らしい態度の悪い中年男たちばかり五人。

「皆さん。私はこのギルドを立て直すために来ました。そのための改革案を提示します。第一に『依頼(クエスト)の可視化』。すべての依頼内容、推奨レベル、危険度、そして報酬を明確にリスト化し、誰でも閲覧できるようにします。第二に『成果報酬制度の明確化』。依頼の達成度に応じて、基本報酬にボーナスを加算するシステムを導入します」

 前世のビジネスの常識。だが、この世界では画期的な提案だったらしい。しかし、彼らの反応は冷ややかだった。

「けっ、お嬢様のままごとか」

 一番態度の悪い、髭面の男が吐き捨てる。

「俺たちはな、長年の勘で仕事を選んでんだ。いちいちそんなもんに目を通すかよ」

「そうだそうだ。それにボーナスだぁ? どうせ大した額じゃねえだろう」

 反発は予想通り。信頼がない状態で、正論を振りかざしても意味はない。ならば、必要なのは一つ。

(実績だ。この私が、彼らよりも有能であることを、結果で示す)

 私は、壁に貼られた依頼書の中から、一枚を剥がした。

「では、手始めにこの依頼を私が達成してみせましょう」

 その依頼書を見た瞬間、冒険者たちの顔色が変わった。

「お、おい、そいつは……やめとけ、お嬢様! 死ぬぞ!」

 彼らが血相を変えて止めるのも無理はない。それは、誰もが避ける依頼だった。
【緊急討伐依頼:西の森のゴブリンの巣。ゴブリン十数匹。リーダー格のホブゴブリン一体を確認。被害甚大】
 報酬は高いが、危険度も高い。過去に二つのパーティーが挑み、いずれも重傷者を出し、撤退している。素人の令嬢が手を出していい案件では、断じてない。

「バルトロ、ギルドの倉庫にある地図、燻り玉、罠の在庫をすべて教えてください。それと、腕の立つ斥候(スカウト)と、回復魔法の心得がある方を一人ずつ、臨時で雇います。費用は私の私費で構いません」

 私は彼らの制止を無視し、冷静に指示を出す。私の頭脳が、このゴブリン討伐を一つのプロジェクトとして捉え、瞬時にリスクとリソースを算出し、最適な実行計画を組み上げていく。

(情報収集(斥候)、リソース確保(ギルドの道具)、人員配置(臨時雇用)、そしてリスク分析)

「お嬢様、本気ですか!?」

「ええ、本気です。それと皆さん」

 私は、呆然とする古参冒険者たちに向き直り、静かに、しかし力強く言い放った。

「私がこの依頼を、被害ゼロ、かつ過去最速で達成した暁には、私のやり方に従ってもらいます。よろしいですね?」

 その挑戦的な言葉に、彼らはゴクリと息を呑んだ。私の瞳には、もはや昨日までの気弱な令嬢の面影はどこにもなかった。あるのは、困難なプロジェクトを前に、静かな闘志を燃やす、一人のプロフェッショナルの顔だった。

 悪役令嬢のレッテルは、もういらない。今日から私は、ギルドマスター、イザベラだ。
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