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第七章:黒い祝祭、グラスに潜む殺意
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収穫祭の成功は、ルシアンの商流に乗って、瞬く間に王都まで伝わった。エルヴェール領の奇跡的な復興は、社交界でも注目の的となり、国王陛下からも直々に賞賛の言葉と祝いの品が届けられることになった。
「クラリス様、王家からの使者が到着いたしました」
執事の報告を受け、私は館の玄関で使者を出迎えた。使者が恭しく差し出したのは、国王陛下の紋章が入った木箱。中には、最高級の祝いの酒が二本、納められていた。
「陛下より、クラリス様の類稀なる功績を称え、こちらを賜るとのことです」
「ありがたく拝受いたします」
表向きは国王からの贈り物。だが、この贈り物が王太子アルベルトと、その妃ミレーユの目を通さずに届けられるはずがない。私の胸に、一抹の警戒心が芽生える。
その夜、私は側近たちとささやかな祝宴を開き、早速その酒を開けることにした。執事が優雅な手つきでグラスに琥珀色の液体を注ぐ。芳醇な香りが、ふわりと広がった。
「では、エルヴェール領の未来に」
私が乾杯の音頭をとってグラスを口に運びかけた、その瞬間。
ふと、酒の色に微かな違和感を覚えた。光にかざしてみると、液体の中に、ごくごく微細な黒い粒が浮遊しているのが見える。そして香り。芳醇な果実の香りの奥に、ほんのわずかに、アーモンドに似た苦い匂いが混じっている気がした。
(……まさか)
幼い頃、辺境伯家の娘として、護身のために毒物学も徹底的に叩き込まれた。この特徴は、即効性の猛毒として知られる『黒き涙』に酷似している。
私はグラスを置くと、何事もなかったかのように微笑んだ。
「申し訳ありません、皆さん。少し風に当たりたくなりました。どうぞ、お先に始めていてください」
そう言って部屋を出ると、私はすぐに信頼する護衛騎士を呼び、残った酒瓶と、自分のグラスを密かに回収させた。そして、それを実験用の小動物に与えてみる。結果は、一目瞭然だった。小動物は一口舐めただけで、激しい痙攣を起こし、絶命した。
全身から血の気が引くのを感じた。これは、単なる嫌がらせではない。明確な殺意だ。
誰が、何の目的で。答えは、考えるまでもなく明らかだった。
私の成功を最も妬み、私の存在を最も疎ましく思っている人物。それは、王都で偽りの聖女を演じている、ミレーユしかいない。彼女は、私が自分の不正に気づき始めていることを察知し、先手を打って口封じをしようとしたのだ。
(なんと浅はかな……!)
こんな稚拙なやり方で、私を排除できると思ったのだろうか。だが、怒りと同時に、確かな勝機を見出した。これは、彼女が自ら墓穴を掘ったに等しい。
私はルシアンに緊急の連絡を取った。
「ルシアン、勝負の時が来ましたわ。王都へ行きます」
電話口の向こうで、彼が息を呑むのが分かった。
「毒入りの酒、それこそが、偽聖女の悪事を暴くための決定的な証拠となります。彼女は私を殺そうとした。その罪は、何よりも重い」
私はすぐに王都へ向かう準備を始めた。荷物の中には、毒が仕込まれた酒瓶と、これまで集めてきたミレーユの不正の証拠を記した書類の束を忍ばせる。
もう、守りに徹している時ではない。悪役令嬢と呼ばれた私が、今度は正義の刃を振るう番だ。
待っていなさい、アルベルト殿下。そして、偽りの聖女ミレーユ。あなたたちが始めたこの茶番劇に、私が幕を下ろしてあげる。
「クラリス様、王家からの使者が到着いたしました」
執事の報告を受け、私は館の玄関で使者を出迎えた。使者が恭しく差し出したのは、国王陛下の紋章が入った木箱。中には、最高級の祝いの酒が二本、納められていた。
「陛下より、クラリス様の類稀なる功績を称え、こちらを賜るとのことです」
「ありがたく拝受いたします」
表向きは国王からの贈り物。だが、この贈り物が王太子アルベルトと、その妃ミレーユの目を通さずに届けられるはずがない。私の胸に、一抹の警戒心が芽生える。
その夜、私は側近たちとささやかな祝宴を開き、早速その酒を開けることにした。執事が優雅な手つきでグラスに琥珀色の液体を注ぐ。芳醇な香りが、ふわりと広がった。
「では、エルヴェール領の未来に」
私が乾杯の音頭をとってグラスを口に運びかけた、その瞬間。
ふと、酒の色に微かな違和感を覚えた。光にかざしてみると、液体の中に、ごくごく微細な黒い粒が浮遊しているのが見える。そして香り。芳醇な果実の香りの奥に、ほんのわずかに、アーモンドに似た苦い匂いが混じっている気がした。
(……まさか)
幼い頃、辺境伯家の娘として、護身のために毒物学も徹底的に叩き込まれた。この特徴は、即効性の猛毒として知られる『黒き涙』に酷似している。
私はグラスを置くと、何事もなかったかのように微笑んだ。
「申し訳ありません、皆さん。少し風に当たりたくなりました。どうぞ、お先に始めていてください」
そう言って部屋を出ると、私はすぐに信頼する護衛騎士を呼び、残った酒瓶と、自分のグラスを密かに回収させた。そして、それを実験用の小動物に与えてみる。結果は、一目瞭然だった。小動物は一口舐めただけで、激しい痙攣を起こし、絶命した。
全身から血の気が引くのを感じた。これは、単なる嫌がらせではない。明確な殺意だ。
誰が、何の目的で。答えは、考えるまでもなく明らかだった。
私の成功を最も妬み、私の存在を最も疎ましく思っている人物。それは、王都で偽りの聖女を演じている、ミレーユしかいない。彼女は、私が自分の不正に気づき始めていることを察知し、先手を打って口封じをしようとしたのだ。
(なんと浅はかな……!)
こんな稚拙なやり方で、私を排除できると思ったのだろうか。だが、怒りと同時に、確かな勝機を見出した。これは、彼女が自ら墓穴を掘ったに等しい。
私はルシアンに緊急の連絡を取った。
「ルシアン、勝負の時が来ましたわ。王都へ行きます」
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もう、守りに徹している時ではない。悪役令嬢と呼ばれた私が、今度は正義の刃を振るう番だ。
待っていなさい、アルベルト殿下。そして、偽りの聖女ミレーユ。あなたたちが始めたこの茶番劇に、私が幕を下ろしてあげる。
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