悪役令嬢の身代わりで追放された侍女、北の地で才能を開花させ「氷の公爵」を溶かす

黒崎隼人

文字の大きさ
4 / 15

第3話「氷の公爵と救いの手」

しおりを挟む
 夜の闇が、冷たい雨となって王都を濡らしていた。
 衛兵に城門の外へと放り出された私は、粗末な旅支度一つを持たされただけだった。
 行く当てもなく、石畳の道を歩く。舞踏会のために着ていた侍女服はすでに泥だらけで、雨水が容赦なく体温を奪っていく。

 心は、空っぽだった。
 悲しみも、怒りも、絶望さえも感じない。
 ただ、アリアンヌ様の嘲るような目が脳裏に焼き付いて、何度も何度も再生されるだけ。
 私が尽くした時間は、忠誠は、一体何だったのだろう。

『結局、私は都合のいい道具でしかなかったんだ』

 そう思うと、乾いていたはずの瞳から、熱いものがこみ上げてきた。
 雨に紛れて、涙が頬を伝う。
 誰にも気づかれることなく、このまま世界の片隅で消えてしまえたら、どんなに楽だろうか。

 そんな虚しい考えが頭をよぎった時、背後から馬蹄の音が近づいてきた。
 こんな夜更けに、王都の外れを走る馬車など珍しい。
 振り返る気力もなく、道の端に寄ってやり過ごそうとした。

 しかし、その馬車は私のすぐ隣で、ぴたりと動きを止めた。
 黒塗りの、装飾の一切ない、しかし上質だと一目でわかる馬車。その扉が、静かに開かれる。

 中から聞こえてきたのは、決して忘れられない、低く冷たい声だった。

「乗れ」

 心臓が凍りつくかと思った。
 そこにいたのは、氷の公爵、クロード・フォン・ヴァルハイト様だった。
 彼は馬車の薄暗い中に座ったまま、私をじっと見つめている。その蒼い瞳は、夜の闇よりも深い色をしていた。

「……なぜ、あなたがここに」

 かろうじて絞り出した声は、雨音にかき消えそうなほど弱々しかった。
 なぜ、私を最も蔑んでいたはずのこの人が、追放された私の前に現れるのか。
 最後の最後に、私を嘲笑いに来たのだろうか。

「いいから、早く乗れ。風邪をひく」

 彼の言葉は命令だった。有無を言わせない響きがある。
 私はまるで操り人形のように、ふらふらと馬車に足を踏み入れた。
 扉が閉まると、外の雨風の音が嘘のように遠ざかり、静寂が訪れる。

 馬車の中は、革と微かな香木の香りがした。
 クロード様は私の向かいの席に座り、窓の外に広がる闇に視線を向けたまま、何も言わない。
 重苦しい沈黙が続く。私から何かを話す勇気もなく、ただ濡れた服の裾を握りしめていた。

 しばらくして、馬車が滑るように走り出すと、彼がようやく口を開いた。

「君が犯人でないことは、最初から分かっていた」

「……え?」

 予期せぬ言葉に、私は顔を上げた。彼は私の方を見ずに、淡々と言葉を続ける。

「アリアンヌ嬢が君に雑事を押し付けていることも。彼女の失態を、君が裏で処理し続けてきたことも。すべて知っていた」

「な……ぜ……」

「私は王太子の側近だ。彼の婚約者の動向を探るのは当然の務めだ。その過程で、常に彼女の影にいる君の存在に気づいた」

 クロード様の横顔は彫像のように整っていたが、やはり何の感情も読み取れない。

「君は有能すぎた。あまりにも完璧にアリアンヌ嬢の影を演じ、彼女の無能さを隠し続けた。だからアラン殿下も、他の誰も、君の本当の価値に気づかなかった」

 彼の言葉は、鋭いナイフのように私の心の奥深くまで突き刺さった。
 それは、叱責でも、同情でもなかった。ただ、揺るぎない事実を告げているだけ。

「では……なぜ、あの場で助けてくださらなかったのですか。あなたが証言してくだされば、私は……!」

 声が震えた。ほんの少しの希望が見えた気がして、思わず彼に詰め寄っていた。
 もし、彼が真実を知っていたのなら。あの絶望的な状況を覆すことができたのではないか。

 クロード様は、そこで初めて私に視線を向けた。その蒼い瞳には、意外にも穏やかな光が宿っていた。

「あの場で君を弁護しても無意味だっただろう。アラン殿下はケイトリン嬢に夢中で、耳を貸さなかったはずだ。ベルンシュタイン公爵家の力は強大で、侍女一人の証言など簡単にもみ消される。君は、より惨めな結末を迎えるだけだった」

 彼の分析は、恐ろしいほどに冷静で、正確だった。私は言葉を失う。

「だから、君が完全に自由になるのを待っていた。アリアンヌ嬢の呪縛からも、ベルンシュタイン公爵家へのくだらない忠誠心からも、すべてから解放されるこの時を」

 馬車が大きく揺れた。
 クロード様はそっと手を伸ばし、私の冷たい手を握った。
 氷の公爵という異名が信じられないほど、彼の手は温かかった。

「リリア。私と共に来い」

 初めて、彼は私の名前を呼んだ。

「君の真の価値を、愚かな彼らに思い知らせてやろう。君がただの侍女ではないことを、世界に証明するんだ」

 その声には、不思議な熱がこもっていた。
 それは、私を絶望の淵から引きずり上げるような、力強い響きだった。

「私を、私の領地へ連れて行く。そこではもう、君は誰かの影ではない。君自身の力で、光り輝くことができる」

 クロード・フォン・ヴァルハイト。
 私が最も恐れ、蔑まれていると信じていた人。
 その彼が、今、私に救いの手を差し伸べている。

 まだ、何も信じられない。これは夢か幻なのではないか。
 けれど、握られた手の温かさだけが、確かな現実だと告げていた。

 私は、その温かい手を、震える指でそっと握り返した。
 それが、私の唯一の答えだった。
 馬車は夜の闇を切り裂き、まだ見ぬ北の地へと向かって、ひた走っていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】政略婚約された令嬢ですが、記録と魔法で頑張って、現世と違って人生好転させます

なみゆき
ファンタジー
典子、アラフィフ独身女性。 結婚も恋愛も経験せず、気づけば父の介護と職場の理不尽に追われる日々。 兄姉からは、都合よく扱われ、父からは暴言を浴びせられ、職場では責任を押しつけられる。 人生のほとんどを“搾取される側”として生きてきた。 過労で倒れた彼女が目を覚ますと、そこは異世界。 7歳の伯爵令嬢セレナとして転生していた。 前世の記憶を持つ彼女は、今度こそ“誰かの犠牲”ではなく、“誰かの支え”として生きることを決意する。 魔法と貴族社会が息づくこの世界で、セレナは前世の知識を活かし、友人達と交流を深める。 そこに割り込む怪しい聖女ー語彙力もなく、ワンパターンの行動なのに攻略対象ぽい人たちは次々と籠絡されていく。 これはシナリオなのかバグなのか? その原因を突き止めるため、全ての証拠を記録し始めた。 【☆応援やブクマありがとうございます☆大変励みになりますm(_ _)m】

無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……

タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。

転生令嬢は学園で全員にざまぁします!~婚約破棄されたけど、前世チートで笑顔です~

由香
恋愛
王立学園の断罪の夜、侯爵令嬢レティシアは王太子に婚約破棄を告げられる。 「レティシア・アルヴェール! 君は聖女を陥れた罪で――」 群衆の中で嘲笑が響く中、彼女は静かに微笑んだ。 ――前の人生で学んだわ。信じる価値のない人に涙はあげない。 前世は異世界の研究者。理不尽な陰謀により処刑された記憶を持つ転生令嬢は、 今度こそ、自分の知恵で真実を暴く。 偽聖女の涙、王太子の裏切り、王国の隠された罪――。 冷徹な宰相補佐官との出会いが、彼女の運命を変えていく。 復讐か、赦しか。 そして、愛という名の再生の物語。

悪役令嬢と言われ冤罪で追放されたけど、実力でざまぁしてしまった。

三谷朱花
恋愛
レナ・フルサールは元公爵令嬢。何もしていないはずなのに、気が付けば悪役令嬢と呼ばれ、公爵家を追放されるはめに。それまで高スペックと魔力の強さから王太子妃として望まれたはずなのに、スペックも低い魔力もほとんどないマリアンヌ・ゴッセ男爵令嬢が、王太子妃になることに。 何度も断罪を回避しようとしたのに! では、こんな国など出ていきます!

悪役令嬢、休職致します

碧井 汐桜香
ファンタジー
そのキツい目つきと高飛車な言動から悪役令嬢として中傷されるサーシャ・ツンドール公爵令嬢。王太子殿下の婚約者候補として、他の婚約者候補の妨害をするように父に言われて、実行しているのも一因だろう。 しかし、ある日突然身体が動かなくなり、母のいる領地で療養することに。 作中、主人公が精神を病む描写があります。ご注意ください。 作品内に登場する医療行為や病気、治療などは創作です。作者は医療従事者ではありません。実際の症状や治療に関する判断は、必ず医師など専門家にご相談ください。

久しぶりに会った婚約者は「明日、婚約破棄するから」と私に言った

五珠 izumi
恋愛
「明日、婚約破棄するから」 8年もの婚約者、マリス王子にそう言われた私は泣き出しそうになるのを堪えてその場を後にした。

悪役令嬢は断罪の舞台で笑う

由香
恋愛
婚約破棄の夜、「悪女」と断罪された侯爵令嬢セレーナ。 しかし涙を流す代わりに、彼女は微笑んだ――「舞台は整いましたわ」と。 聖女と呼ばれる平民の少女ミリア。 だがその奇跡は偽りに満ち、王国全体が虚構に踊らされていた。 追放されたセレーナは、裏社会を動かす商会と密偵網を解放。 冷徹な頭脳で王国を裏から掌握し、真実の舞台へと誘う。 そして戴冠式の夜、黒衣の令嬢が玉座の前に現れる――。 暴かれる真実。崩壊する虚構。 “悪女”の微笑が、すべての終幕を告げる。

【完結】元悪役令嬢は、最推しの旦那様と離縁したい

うり北 うりこ@ざまされ2巻発売中
恋愛
「アルフレッド様、離縁してください!!」  この言葉を婚約者の時から、優に100回は超えて伝えてきた。  けれど、今日も受け入れてもらえることはない。  私の夫であるアルフレッド様は、前世から大好きな私の最推しだ。 推しの幸せが私の幸せ。  本当なら私が幸せにしたかった。  けれど、残念ながら悪役令嬢だった私では、アルフレッド様を幸せにできない。  既に乙女ゲームのエンディングを迎えてしまったけれど、現実はその先も続いていて、ヒロインちゃんがまだ結婚をしていない今なら、十二分に割り込むチャンスがあるはずだ。  アルフレッド様がその気にさえなれば、逆転以外あり得ない。  その時のためにも、私と離縁する必要がある。  アルフレッド様の幸せのために、絶対に離縁してみせるんだから!!  推しである夫が大好きすぎる元悪役令嬢のカタリナと、妻を愛しているのにまったく伝わっていないアルフレッドのラブコメです。 全4話+番外編が1話となっております。 ※苦手な方は、ブラウザバックを推奨しております。

処理中です...